アフリカの記憶 153

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 Kalahari #53 : Botswana / CKGR - Deception Valley 1993

 1993年、自分にとって初めてとなるアフリカ旅行で滞在したブッシュマンの集落ギョム Gyom は、ボツワナ共和国の中央部に広がるカラハリ砂漠の、そのまたほぼ中央にある。対して、旅の起点、首都ハボローネ Gaborone は国土の南東の隅に位置する。なので、ここから北西方向に直進するのがカラハリの中央域への最短距離だ。しかし、自動車道など存在しないので、実際そうはいかない。地図を見ると辛うじて獣道のようなものはありそうなのだが、土地は起伏を繰り返し、灌木が茂っている地帯だろうから、車で走ることは不可能だろう。なので、この旅では一度西に大きく迂回し、ハンシ Ghanzi 経由で、カラハリ砂漠に入ったのだった。

 カデ Xade とギョムでの約3週間のキャンプ生活を終えた後、来た時と同じ道を通ってハボローネまで戻るのかと思っていたら、今度は北に抜ける道を行き、マウン Maun 経由で帰ると言う。カデに立ち寄る必要はもうないので、この方が近道らしい。そこで思いついて、ディセプション・ヴァレーの近くを通るのではないかと、ドライバーに尋ねてみた。すると推測した通り、そのそばを通過すると言う。そこで、ディセプション・ヴァレーに2泊し、豊かな自然を追加取材することに決まった。

 この海外出張は、マーク&ディーリア・オーエンズ夫妻の『カラハリ アフリカ最後の野生に暮らす』(原題:"The Cry of Kalahari" )を読んでいる時に命令が下された。オーエンズ夫妻は、カラハリ砂漠の主にディセプション・ヴァレーに長期滞在し、ここに暮らす野生動物たちの生態を観察してきた動物学者だ。この本を読んで、地球にはこんな未知の世界があるのかとため息をついた記憶がある。大げさになるが、「自分が月や火星に行くことはあっても、ディセプション・ヴァレーに行くことは絶対にない」と感じたほどだった(こうしたことは、これまで何度も書いた通り)。

 ところが、今自分はそのディセプション・ヴァレーに向かって走っている。そして、夕刻、暗がりの中に、その看板が見えた。いよいよここから先がディセプション・ヴァレーだ。



 ところで、今年になってディーリア・オーエンズの名前を久しぶりに目にすることになった。なんと彼女、69歳にして小説家デビュー。その第1作目『ザリガニの鳴くところ』が全米で大ベストセラーになり、昨年(2019年)「アメリカで一番売れた本」だというのだから、さらに驚きだ。

 早速、早川書房から出た訳書を買い読んでみたら、期待以上の素晴らしさだった。そのことは以前拙ブログの「読書メモ」に書いた通り。ところが、話はそれで終わらず、SNS への私の投稿が早川書房の担当者の目に止まり、その一部を広告のコピーに使わせて欲しいと連絡を受けたのだった(実際使用され、後日そのポスターが送られてきた)。

 実際にカラハリを旅することによって、マーク&ディーリア・オーエンズの『カラハリ』はより深く心に残ることとなった。もし1993年のカラハリの旅がなければ、『ザリガニの鳴くところ』という素晴らしい小説を読むことは、きっとなかっただろう。そう振り返る時、ひとつの「旅の記憶」が色々繋がって行くのだと、改めて感じるのだった。







by desertjazz | 2020-10-19 00:00 | 旅 - Abroad
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