2020年 11月 04日
アフリカの記憶 169
Kalahari #69 : Botswana / Manu 1993
オカヴァンゴからマウンに戻ってきた。高熱を出してしまったので、ヴィクトリア・フォールズ行きは中止。日中は気温40度を超えるあのタフなカラハリ砂漠で、睡眠5時間くらいで通したのだから、無理しすぎた疲れが出たのだろう。
マウンのマーケットを歩いていると、目の前に大きな看板が。これがアフリカの現実だ。80年代中盤から90年代にかけて、アフリカはエイズに悩まされ続けた。もちろん今もってその苦しみから抜け出せた訳ではないが。96年にエボラ出血熱とエイズの取材を目的に、またアフリカに戻って来ただけに、この写真の看板を見ると、様々なことを感慨深く思い出す。
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前回「アフリカの記憶 168」の続き。
熱帯への海外出張の際には、感染予防/エイズ予防策として、医者に頼んで注射器を数本出してもらい、持って行った。もし注射が必要な事態に遭遇したら、現地の病院のものではなくこれを使ってもらうために。いざとなれば自分で打とうとまで考えた。海外旅行/海外出張でそこまで考えて備える人は少ないのかも知れない。しかし、こうしたことが「自分の身は自分で守る」ということなのだと思っている。
旅に際して自らできる準備は全てやる。これが自分の旅の基本である。
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