Indonesia / Bali, Ubud 1996
「ガムランは全く聴きに行かなくなった。観光客向けのパフォーマンスよりも、バンジャール(集落)の祭事や葬儀で演奏されるガムランなどの方が、音楽として遥かに活き活きしていると感じるようになったせいもある。」
このことについての補足的な話を少々。
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これまでにバリ島は14度訪れたので、この島のガムランやケチャ、トペンなど、音楽と踊りの公演は40〜50回くらいは観ているはずだ。これくらいの数だと、観光客の中ではまだまだ特別多い方ではないだろうけれど。とにかくバリの伝統芸能には興味を持ち続けている。
ところがである。バリに滞在する度に観劇に行っていたのものの、次第に足が遠のくようになってしまった。正直なところ、観光客向けにパッケージングされた定期公演は数回観たら飽きてしまうのだ。それは演じる側でも一緒なのではないだろうかと想像している。
そのような型にはまったものよりも、地域の祭りや葬式で奏でられるガムラン、村で夜を徹して操られる人形劇、集会場で子供達が熱心に踊りの練習をする風景、そうした生活の中で息づくバリ伝統芸能の方にどんどん惹かれて行ったのだ。同じガムランや踊りなので、観光客向けのものと日常の一部としてあるものとで大きな違いはないのかもしれない。しかし、何かが違うと感じる。それは決してシチュエーションの違いだけではないと思う。
例えば、合同葬儀の場で疾走しながら奏でられるガムラン、それを笑顔で見つめる遺族たち、集会場で和気あいあいとガムランの練習に励む男たち、先生から指導を受けながら真剣な眼差しで踊りを練習する少女たち。肩肘張って観劇するよりも、そんな人々をのんびり眺める方が心地よく、また興味深かく受け止めるようになったのだ。
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それでも、ガムランの「公演」で特に忘れられないものが3つほどある。ひとつは「旅の追憶 #3」と「旅の追憶 #4」で書いたユリアティの踊り。もうひとつは 1996年6月9日のウブド Ubud の ARMA 美術館のオープニング・セレモニーで観た老嬢2人によるレゴン・ダンスだ。
その後バリを代表することになる美術館のオープニングとあって、当日のセレモニーにはバリ州知事やインドネシアの文化大臣といった VIP たちが列席。私もその中に混じって、屋外に仮設されたステージを見させていただいた。
プログラムの中程、齢70代、いやもしかすると80歳を超えていたかもしれない女性2人が登場し、舞を始めた。それが実に良かったのだ。
レゴン・ダンスと聞くと、自然と若い女性の軽やかな舞(ユリアティのような)を連想してしまうが、彼女たちの踊りはそうしたものとは大いに違っていた。お年を召しているだけに、動きがスムーズで乱れがないとは言い切れない。だけれど、それがとってもいいんだなぁ。味がある、としか言いようのない美しい舞。ほのかに漂う色気。そして何とも可愛らしくもあるのだ。ガムランの踊りは、背筋が通っていて、両肘と肩のラインが一直線であることが、基本中の基本だったと思うのだが、それができているから鑑賞するに相応しい踊りだったのだろうとも推測する。とにかく良いものを見させてもらったと、今でも思い出す。
(残念ながら、老嬢2人の写真は撮れなかった。代わりに当日の新聞の一部を借用して掲載しよう。このオープニング・セレモニーに誘ってくれたのは、又してもバリの友人Nさん。彼は ARMA 美術館の開館準備作業を手伝ったため、私を招待することができたのだった。実に味のある老女の踊りを拝見するという、貴重な体験をさせてくださったNさんに改めて感謝!)
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忘れられない「公演」、あとひとつについては次回に。
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