Indonesia / Bali, Negara 1996
バリで観たガムランのうちで、あとひとつ凄いと思ったのは、バンブー・ガムランのジェゴグ Jegog だった。
ジェゴグは最長4mもの巨竹で構成されるガムラン・アンサンブル。昔にはバリ島西部で演奏されていたそうだが、その伝統は一時断絶してしまった。それをスウェントラ氏が現代に甦らせ、自身の楽団スアール・アグン Suar Agung を結成。そして、その音楽的な素晴らしさが話題になり、評価が高まっていったのだった。
スウェントラさんが率いるスアール・アグンの演奏を CD で聴いて、いつかライブで聴いてみたいものだと願っていた。だが、スウェントラさんの拠点はバリの西のはずれの町ヌガラなので、なかなか生演奏に接する機会がない。そんな折、バリの友人Nさん(再び登場!)が「ヌガラまでジェゴグを聴きに行かない?」と誘ってくださった。
1996年3月6日(これは1日前後していた可能性あり・・・その理由についてはまた改めて?)の午後遅く、約10人が集まりチャーターしたワゴン車でウブドを出発。
夕刻、ヌガラのスウェントラさんのお宅に到着。まずは用意されたお弁当(ナシブンコス)で腹ごしらえ。その間に、中庭にジェゴグが次々運び込まれ、セッティングが進む。
陽がとっぷり暮れた頃、いよいよ公演開始だ。体を左右にスイングさせながら、大きなマレットを振り下ろす演奏の音の実に凄まじいこと。10数個の楽器がワンセットで、それが左右に配置されている。さながら左右2対のバトルと行った様相だ。一方が煽るように竹を叩けば、もう一方はさらに激しく叩き返し、延々それを繰り返す。
そんな光景を見つめていたら、竹の下に潜ってごらんと促された。そこで、一番大きな楽器の下に潜り込んでみた。それは奏者が4mの巨大な竹に乗って演奏する、ジェゴグを象徴する楽器。その下に入り仰向けになると、ものすごい重低音を浴びることに。CD では聞けない究極のボディ・ソニックだ!
圧倒的な余韻に浸りながら、深夜また同じワゴンバスに乗り、ウブドへ戻る。言葉で表現するのは難しい、実に素晴らしい音楽体験だった。
このツアー、チャーターした自動車の費用、弁当代、楽団への謝礼などを含めての総額は5万円程度だったと記憶している。一人分に換算すると約5000円だ。この程度でこんな体験ができるとは、なんという贅沢なのだろう。
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その後もバリに行く度にジェゴグの CD やカセットは見つけられた限り全て買ってきた。だが、それらを日本に帰ってから聴くことはまずない。
スアール・アグンの日本公演にも、2、3回行ったが、真剣勝負の演奏を聴かせるというよりは、日本の聴衆を楽しませることを優先したパフォーマンスで、正直なところ満足できなかった。観に行く度にどんどんゆるいステージに堕ちて行ったのが残念だった。
ジェゴグを復興させた当人がスウェントラさんなのだから、それをどうアレンジしようが彼の自由だ。日本人向けに楽しい構成にしたのにも意味があったとは思う。ただ、スウェントラ邸で体感したジェゴグの凄さには遠く及ばない。アジア、アフリカ、中南米、等々で現場の音を体感することができたから尚更そう思ってしまうのだろう。そうした現場を基準に考えてしまうのは贅沢で、あまり語るべきではないのかもしれないとも思うのだが。
スアール・アグンの日本公演に際、一度だけ楽屋にお邪魔したことがある。その時、スウェントラさんの奥さんの和子さん(日本人です)がしきりに「私は竹に癒されています」と強調されていたのが印象的だった。その物言いにどこか新興宗教めいたものを感じたのだが、実際竹に囲まれての暮らしとはそういうものなのかも知れないと、今になって思う。
数年前にも近所(自宅から徒歩数分)のパーシモンホールでコンサートがあったが、その時はご挨拶には伺わなかった。それからしばらくして、2018年5月10日、スウェントラさんは肺ガンにより亡くなられた。まだ 69歳という若さだった。もう一度、素晴らしい音楽体験をさせていただいたお礼を述べるべきだったのかも知れない。
スウェントラさんは、いつも満面の笑みを浮かべていた。音楽を愛し、人々を楽しませること、それこそが彼の生き甲斐であり楽しみだったのだろう。彼が復興させたジェゴグは、今後進たちに引き継がれてると聞く。
スウェントラさん、どうぞ安らかに。
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(これらの写真はキャノンの安い一眼レフで撮影したもの。暗い中だったので、ISO 3200 のフィルムを用意していった。それでも手ブレセンサーなどない時代だったので、手持ちではこれが限界だった。でも、ブレはブレでその時の音の雰囲気を刻んでいると、勝手に考えている。)
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