Uganda / Kampala 1996
今年1月、ロキア・トラオレの特別な3連夜コンサートと、ルーヴル美術館で開催されたダ・ヴィンチ没後500年展を目的に、パリを訪れた。しかし、その直後に新型コロナウイルスの世界的感染が広がって以降は、海外に行けていない。そして、長旅に出られなくなってからは、ブログを通じて情報を発信する気持ちがすっかり萎えてしまった。
1999年にウェブサイトを開設し、続いてブログを始めた頃は、雑誌などでもアフリカ音楽についての情報は多いとは言えず、個人で積極的に紹介しようとする人もほとんど見かけなかった(例えば Amadou et Mariam の新作ですら、日本に入荷せずレビューもない状況だった)。ならば自分でやってみようと思い立ち、ネットを通じた情報発信を始めたのだった。
その後、年々ネットでも雑誌媒体でもアフリカ音楽に関する情報が増え続け、これなら私が何か書く必要はないと認識するようになった。情報が氾濫している中、私が同じ作品を取り上げて書いても、その意味は薄く、ノイズにしかならないのではないか。そう考えるので、他の誰かが紹介するようなメジャーな情報について書くことにはあまり興味が湧かない。
毎日「アフリカの記憶」を綴り、過去を振り返ることで気がついたのは、自分は、他では紹介されていない音楽や情報に興味を持ち、それらを紹介することに楽しみを見出していたということだった。
パリ、ロンドン、マルセイユ、バルセロナ、マドリッド、ニューヨーク、リオ、サンパウロ、マラケシュ、ダカール、レゴス、ポートハーコート、ブラワヨ、バリ、ジャカルタ、シンガポール、ペナン、コルカタ、、、等々、世界各地のレコード店を巡り歩き、アジア、アフリカ、中南米各地で音楽を探し求めた。自分の嗅覚を頼りに、未知の音を探求。そうして出会った音楽は、面白いもの、興味深いものばかりだった。それらを可能な限り紹介し(まだ全てについては語り尽くしていないのだけれど)、多くの方々も一緒に楽しんでくださったことには、とても感謝している。
そうした出会いと発見の中でも、特に思い出深いのは、ほぼ誰にも知られていなかったフェラ・クティのファーストLP の存在を突き止めたことだ。1999年にニューヨークを訪れた際、あるナイジェリア系の学者が著したジュジュ・ミュージックの研究書を買ったのだが、その中にフェラ・クティの未知のアルバムがさりげなく取り上げられていて驚いた。このことをフェラ・クティ研究の第一人者のおひとり、遠藤斗志也さんに連絡したところ、即座に動いて下さり、それがきっかけでこのアルバムのリイシューにまでたどり着いたのだった。もちろん私が「発見」しなくても、いつかは世に出る音源だったのかもしれない。しかし、そのアルバムのリイシューがどれも同一音源を使用しているようなので(ノイズの入り方で分かる)、これは自分にとってもアフリカ音楽ファンの方々にとっても幸運な発見だったのだと思う。
*それ以外にも、珍しい音楽や内容豊かな音源を海外で数々見つけてきた。しかし、それらを一々書き連ねるのは無駄なので省略。
自分は音楽雑誌を一切読まなくなってから10年以上になる。意外に思われるかもしれないが、ネットを使って音楽情報を探すこともさほどしない(時々 Twitter などで紹介するのは、直接連絡受けたものや、TL でたまたま目にした情報がほとんどだ)。
なので、自分は文字通り「足で稼いできた」のだと思う。つまり自ら歩き回ることによって、誰も知らない音楽を探し出してきたということ。それが喜びであり楽しみであった。
*昨年はパリの18区で、アフリカのレア盤を扱うできたばかりの素晴らしいレコード店と出会い、今年1月にも、パリ北駅近くに最高のコンゴ音楽ショップを見つけてきた。これらもひたすら歩き回って発見したのだった。
前回の「旅の追憶7」で書いた通り、音楽を聴く時間が制約されていた分だけ、メジャーな作品を聴くことを後回しにして/諦めて、自分の感性に合った音ばかりを求めていたのかもしれない。その結果、世界中で知られざる音楽に出会い続けることができたのだから、それだけでも旅して来た意味はあったのだと思っている。
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しかし、今年1月にパリから帰って以降、海外へはどこにも行けなくなり、それからはブログに情報をアップする気が薄れてしまった。前置きがすっかり長くなってしまったが、それは「自分の足で稼ぐこと」、「自分の嗅覚を生かすこと」ができなくなったのを反映しているのだと思う。これまでは海外に行く度に、ほぼ毎度とんでもないものを見つけ出してきた。そうしたチャンスを奪われてしまった今は、ブログで紹介したい情報をほとんど持たないのだ。
なので、今年は「アフリカの記憶」を綴りながら、ブログに限らずこれから何ができるのかを模索しているところでもあるのだが、、、。
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実はここ数年アフリカ音楽はほとんど聴かなくなった。いや、音楽を聴く時間そのものが減っている。それは、自分の感性を刺激してくれる音楽が少なくなっているように感じるからだ。ブログにじっくり書きたいと思う音楽が少ない。そのため、このブログにしても、アクセスの大部分は「読書メモ」に対してになっている(新鮮な音楽情報は Twitter と Facebook に書き込み、ブログで取り上げることは稀だ)。
ならば、このブログの内容も見直す時期に来ているのだろうか。ネットの活用方法も含めて今考えているのは、自身が収集した情報のアーカイブス化だ。「アフリカの記憶」はそうした試みだった。もうひとつ模索しているのは、これまで世界各地で採録して来た音を何らかの方法で公開できないかということ。このことについてずっと考えているのだけれど、まだ良い方法にたどり着けていない。
音のアーカイブスの整理としては、ほとんど誰にも知られていない、あるアフリカのミュージシャンの作品群にも取り組んでいる。このミュージシャンも、私がアフリカ某国を歩いて出会った大発見だった。ここ数年、彼の SP やレコードの音を Pro Tools に録音し、ノイズリダクションとマスタリングというデジタル処理を地味に続けている。これらも来年には何とか形にしたいのだが、、、。
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写真は、1996年にウガンダの首都カンパラで撮影したもの。1枚目は市街にあったカセット屋の様子。欧米ポップとレゲエとウガンダ音楽とが混在していた。聴きれないほど買った中で、スウェーデンのミュージシャンとコラボレートしたジャズ/フュージョン作が面白かった。2枚目はお邪魔したラジオ局の DJ。カセットに録音した素材と CD の両方を使っているようだった。(「アフリカの記憶」本編で使えなかったアウトテイクより。)
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