Mexico / Guanajuato 1994
昔若い頃、仕事がうまくいかず、生き詰まってしまったことがある。その時、メキシコ料理店(毎晩のように飲みに行っていた)を経営する友人から、「思い切ってニューヨークに行ってみたら。自分を変えられるよ」と背中を押された。彼女はしばらくニューヨークで生活したことがあり、そこで受けた刺激が彼女の活力になっているようだった。ただし「目的持って行かないとつぶれる」とも言われた。確かにそうだろう。ニューヨークで何をすれば良いのか全く思いつかなかったので、その話は聞き流した。
その彼女からは「メキシコのオアハカもいいよ」とも言われた。特別どこか行きたい場所もなかったので、その言葉を信じて、試しにメキシコへ行くことを決めた。しかし、最南部が面白そうと思った途端にチアパス蜂起。日本を出発したのは、ロス大地震の翌日。メキシコ初日、首都メキシコシティーに到着した夕方には、2人組の強盗に襲われ、顔面を殴られて酷い怪我(その傷は今でも残っている)。全く幸先悪い。
入国した翌日、メキシコ南部のオアハカに飛んだ。しかし、、、着いた瞬間「違う!」と感じた。オアハカの眩しい日差しや空気感、市場の温かい雰囲気はとても良かったけれど(名物の裂けるチーズの味は最高!)、ここは自分が求める世界ではないことを瞬時に悟った。
なので、すぐさま旅のプランを変更。高速バスを乗り継ぎ、メキシコシティーを挟んで反対の北部の街、グアナファトへ。ここにはオアハカで感じた明るさはなかったが、その分歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気の街だった。言葉ではうまく説明できないのだけれど、街全体が低い土地と高い土地との2層構造になっていて、気がつくと今どこを歩いているのか分からなくなる。まるで迷路のような、全く不思議な空間だった。
予定外に訪れたグアナファトではすっかり寛げた。それでも、この旅でひとつのことをはっきり自覚した。
「明確な目的のない旅に意味はない」
このことは、それ以来ずっと自分に言い聞かせている。たとえリゾート地での静養でも、何か目的が明確でないと旅立ってから後悔することを学んだ(それは海外出張でも同様。自分がそこに行く意味があるのかを問い、価値なしと判断した時には全て断った)。
しかし、自分にこうしたことを要求し始めると、旅を重ねるようとする度に、目的設定のハードルは高まる。そのため、年々旅の計画が立てにくくなっている。気楽にブラッと海外に出かけることはしないと決めたので、旅の目的を見出すまでが本当に苦しい。
新型コロナの感染が広まる前に、10度目のアフリカ行きを実現させるチャンスはあったはずだった。それをできなかったのは、自分の中で、もう一度アフリカに行く確たる目的を見出しきれなかったからなのだと思う。
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グアナファトでは結婚式の行列にばったり出会った。それに付きそう少女の服装がとても可愛かったものだから、思わず呼び止めてしまった。彼女の母親らしき女性は「早く行きなさい」と促したものの、少女は立ち止まって写真に収まってくれたのだった。
これもグアナファトでの1枚。ちびっこが一人前に革靴を磨いてもらっていた。日本ではまず見かけない光景だろう。
グアナファトでは夕方、公園の円形ステージに市民楽団が集まってクラシック音楽を演奏していた。その周囲にはベンチに座ってくつろぐ市民たち。とても良い眺めだった。
すっかり当てが外れた初めてのメキシコ旅行だったが、その後半にこうした心地よさを感じられたので、決して悪くはなかった。
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