徹底研究・ブッシュマンの音楽 11:カラハリの親指ピアノ(1)

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■ Music of Bushman - 11 : Thumb Piano (1) ■


カラハリの親指ピアノ〜カリチュバのデング

 ブッシュマンたちの多彩な音楽の中で私が最も惹かれているのは、男がひとりつま弾く親指ピアノである。もちろん集落の皆が集まってトランシーに繰り広げられるヒーリング・ダンスには聴く度に圧倒される。けれども、一番好きなのはやっぱり親指ピアノだなぁ。

 1993年、ボツワナ共和国のカラハリ砂漠に滞在してる間、男が淡々と親指ピアノを弾く姿を幾度となく目撃した。それらのうちで特に印象に残っているのは、カリチュバという名前の、目の不自由な男のものだ。彼はいつも砂の上に腰を降ろして、ポロンポロンとひとりつま弾いていた。その姿が今でも目に焼きついている。夕暮れ時、集落に戻ってきた家畜のヤギの鳴き声に滲むその音は、何とも物悲しくて、またとても美しい情景だった。

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(デングを弾くカリチュバさん)


 アフリカ各地で伝承されてきた親指ピアノは、土地によっては祖先の霊とあるいはスピリチュアルな存在(精霊)と対話するための楽器と言われる。確かに親指ピアノの音には何とも怪しく不思議な響きがあって、天界や異界との繋がりのようなものを想像させる。しかしカリチュバさんがつま弾く姿からは、もっと別のことを感じ取った。彼はまるで自分自身と対話しているように思えたのだった。

 親指ピアノは極めてパーソナルな性質の楽器だと思う。楽器の発する音が弾く人自身に一番強く明瞭に聴こえることが何よりの証拠。弾く金属キー(稀に竹で作ったキーなどもある)も、その音を反響させるボディの面も、演奏者本人の顔を向いているのだから(ジンバブウェの親指ピアノであるンビーラ Mbira に至っては、その楽器をひょうたんやプラスチックでできた共鳴胴の中に入れて演奏するのだから、なおさらである)。

 今回、ブッシュマンの親指ピアノを収めたレコードや CD をいろいろと聴き直したが、カリチュバさんの演奏と似たものが多く、それはブッシュマンの典型スタイルのひとつと言って良さそうだ。楽器の音色は、マイナーなトーンで、ちょっとダークで、少し怖くて怪しくて、そして物悲しくてと、様々な印象を与える。口ずさむ歌も、切々とした雰囲気であり、センチメンタルな印象を醸し出す。先にも書いた通り、特に夕暮れ時の弾き語りには、胸に迫るものがあって忘れがたい(実際、録音させていただいたものを今でも聴きかえすことが多い)。

 カリチュバさんたちが持ち歩き演奏する親指ピアノは、デング Dengu(デンゴー Dengho、ドンゴー Dongho などとも)と呼ばれ、これは極めてシンプルな構造をしている。アフリカのあらゆる親指ピアノの中でも、飛び抜けてシンプルなものだろう。1枚の板切れに金属キーを並べただけと言っていいくらいなのだから。ジャラジャラ鳴るバズ音を発生させる仕組みもまたとてもシンプルである。

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(カリチュバさんのデング)


 そのような至って簡素で単純な構造な楽器なのに(あるいは、シンプルだからなのか?)、そこに物としての美しさを感じ、いつも見惚れてしまう。そして、とても美しい音、魅力的な音を響かせることも驚きだ。ブッシュマンから譲り受けたデングが手元に3つあるのだけれど、適当につま弾くだけで、とても気持ちよい音が響き渡る(いや、何か特定の曲を演奏できるわけではないのけれど、それでも適当に鳴らしているだけで楽しくなる)。

 また、弾き手によってチーピ(キー)の配列が異なることも興味深い。右上がりだったり、V字型だったり。2段だったり、3段だったり(2段、3段配列になっていても、上部のキーは共鳴用に付けられたものではなくて、実際に弾いて音を出すものだと思う)。ある特定のパターンに基づいているわけではない。でもよく見ると、自分が持っているひとつはカリチュバさんのものとほぼ一緒だ。

(1枚目の写真に並べた3つがそれらのデング。日本の湿気が良くないのか、保存の仕方が悪かったのか、キーがすっかり錆びてしまった。)

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(手前の金属の輪がジャラジャラと鳴るバス音を生む。)


 それにしても、どうしてこれほどブッシュマンの親指ピアノの音に惹かれるのだろう。シンプルな方がいいという単純な話ではない。自己完結したパーソナルな音楽が、売るために作られた音楽に勝るとも言えない。ましてや、民族音楽の類が芸術音楽や商業音楽の上にあるとも思っていない。

 民族楽器の生み出す強烈な倍音が快感をもたらすことは事実だろう。だれそれは、音楽が有する様々な特徴のひとつに過ぎない。ブッシュマンの親指ピアノのような素朴な音楽に魅力を感じさせる理由は、一体どこにあるのだろうか? 

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(焚き火で暖を取りながらデングをつま弾く男。金属缶を共鳴胴にしている。)



*1)
 日本でもどのような親指ピアノであれ、それを「カリンバ」と呼ぶことが多くなってしまった。しかし、多種類ある親指ピアノの総称として「カリンバ」を使うことは誤りである。
 親指ピアノの名称は、コンゴのリケンべ(ルバ人)やサンザ、タンザニアのリンバ(大きめのものをイリンバ、小さめのものをチリンバと呼ぶこともある)、ザンビアのカンコベラ(トンガ人)、ジンバブウェのンビーラ(ショナ人)、キューバに渡ればマリンブラ、等々と様々。これらが「カリンバ」と呼ばれることは決してない。カリンバとはあくまでも、マラウィやザンビアのトゥンブーカ人の弾くものだけを指す。
 カリンバという名称がここまで定着してしまったのには、ヒュー・トレイシーが Kalimba という名を商標登録して親指ピアノを売り出したり、アース・ウインド&ファイヤーのモーリス・ホワイトのヒット曲で知られてしまった影響が大きい。そのため長年「カリンバ」という名称が長年誤用されてきたことを残念に思う。

*2)
 最初の写真左の親指ピアノは、チーピ(キー)配列がジンバブウェ南部のンデベレ人のものとよく似ている(北部の多いショナ人のンビーラとは異なる)。それはどうしてなのかと、入手した当時からずっと疑問を抱いている。







by desertjazz | 2022-02-11 00:00 | Sound - Bushman/San

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