エイドリアン・ヴィッカーズ『演出された「楽園」 バリ島の光と影』(新曜社、2000)読了。
2000年に翻訳が出た時(原著は1998年刊行)、表題を見ただけで単なる批判のための本と思ったからだろうか、これまで読まずに過ぎてしまった。しかし、先日、図書館で偶然目に止まり、何かが頭の中で閃き借りて読んでみることに。倉沢愛子『楽園の島と忘れられたジェノサイド バリに眠る狂気の記憶をめぐって』(そして、同じ倉沢の『インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』やリチャード・ロイド・パリー『狂気の時代 魔術・暴力・混沌のインドネシアをゆく』)を最近読んで、1965〜66年にバリ島で共産党支持者ら約10万人が虐殺されたことの詳細を知り、「楽園」「芸術の島」と形容されるバリ島の負の面にも興味を持ったからだ。
この著書、オーストラリアのシドニー大学などに在籍した研究者によるものだけあって、丹念に調べ上げ時代の流れに沿って詳しく書かれている。まず19世紀までのバリの歴史研究が圧巻。バリの歴史については、ヒンズー教の渡来などを除くと、1906年と08年の「ププタン」(征服を目論むオランダ軍に対して、王家一族が白装束に身を包み死を受け入れた事件)あたりから始まることが多く、それ以前についてはあまり語られてこなかった印象を持っていた。しかし、この本ではププタン前までだけで全体の約3分の1の分量。1500年代以降のゲルゲル朝を中心とする状況、そして戦争を繰り返してきた歴史を知るだけでも有益だった。
その後、ジャワやオランダとの関係、欧米などからの旅行者が殺到する様について描き、やがてそれが楽園の誕生に繋がる過程の分析へと進んでいく。その舞台で様々な人物が登場するのだが、例えば 19世紀から20世紀への転換点におけるキーパーソンの一人、フレデリック・アルベルト・リーフリンクなど、初めて知る人物も多かった。
この本を読もうとしたもう一つの動機は、ヴァルター・シュピースについて調べていて気になることが出てきたことだ。シュピースはバリ絵画を改革しケチャを生み出したと称えられるが、一方でそれは古来の文化の破壊になってはいなかっただろうかという疑問も抱いた。それに対する答えも書中で得られた。例えばケチャについては、その元となった「芸能」の改変を住民側から相談され、それでシュピースは彼らと一緒にケチャを作り上げたという。なので、ケチャの創造は、シュピースが勝手に成し遂げたことではなく、彼一人の功績でも決してない。
終盤にかけて、いよいよ「楽園」のイメージが誕生した様子について描かれる。血に塗られた歴史をも持つこの島が、どうして世界に「楽園」として知られるようになったのか。それは 1930年代頃の訪問者たちによって美しく語られたものを再利用され続けた結果なのだと。その点ではタイトルの通り批判含みの論調ではある。だが同時に、バリの人々自身も美しく語られてきたイメージを利用してきたことで、バリの名が世界に広まり観光産業も活発になったので、決して悪い面ばかりではなかった。著書全体を通しても、良い面と悪い面が常にあったことを強調している印象である。
とにかく内容が濃く深く資料性が高いため、バリに関する基本文献として常に参照するために手元に置いておきたくなった。だが、この翻訳文(文章)は辛い、、、。ほとんどの文末が「・・・た。」で終わる単調さにかなりイライラさせられたし、接続詞も非常に少なくてリズムがとても悪い。読点の打ち位置が悪くて、意味の通らない/違ってしまった文章も多すぎる。それでも、買って持っておくべきなのだろう。さて、どうしよう?(最近30年間の動きは「訳者あとがき」で軽く触れられているだけだし、値段も高いしと散々迷った末、20年以上も前の本なのに全くの新品が定価で見つかったので、結局買ってしまった。)
それにしても、ププタンという歴史上最大級の惨劇から、シュピースが来訪した黄金時代まで、その間わずか20年ほど。そのことに今さら気がつき、背筋の凍る思いがしたのだった。
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