津田貴司編著『フィールド・レコーディングの現場から』をまず一読。以下はざっくりした雑感。
フィールド・レコーディングを実践する諸氏との対話と、それを起点に展開される考察を中心とする内容。発売日を心待ちにして読んだのだが、その理由は、語り手に柳沢英輔と井口寛の両氏が含まれることもあるが、自分自身、少なからずフィールド・レコーディングに関心を持っているためだ(旅に出る度にハンディレコーダーを携えるくらいのことはしている)。それと、ハリー・スミス、アルバート・アイラー、コレット・マニーに関する話題書を出したカンパニー社の本ということもある。
フィールド・レコーディングを、一般的に連想されがちな「自然環境」の録音よりもはるかに広範なものと捉えているのが大きな特徴。文化人類学研究の延長的な録音を行う者(柳沢氏、井口氏)、演奏家として自然動物と共演する者(高岡大祐氏)、さらには録音素材の編集のあり方まで、語られる内容は様々。そして、フィールド・レコーディングに至る前提やその周辺についても広く深く言及されている。そのためもあってか、語られる内容はあちこちへ飛びがちだが、それがかえって刺激的でもある。
特に興味深かったのは、福島恵一氏が唱える「サウンド・マター」P.210 から「空間」の認識論につながり、さらに終盤に向けて「自身の内部」や「他者性」について語られる下りだった。(録音とは、対象が放つ音を録音することではなく、まさしく「空間」を記録することだと思う。話は飛ぶが、その延長で?自分は昔からライブ録音された音楽が好きだったことも思い出した。)
こうした対話や論考を読んでいて、自身の体験、例えば中国黄土高原の無響空間や(自分の体内の血流の音しか聞こえない)、カラハリ砂漠に入った時の第一印象(映像や音よりも、熱や香りや太陽の眩しさといった「空間」をどう記録するかに関心が向かった)、バリ島滞在時のガムランの聴き方(公演本番を間近で鑑賞するよりも、賑やかな練習風景や、数キロ離れた場所にかすかに届く音を好むようになった)などを、次々と思い出すことに。自分のフィールド・レコーディング体験、というより「音体験」を整理してみたいという気持ちがますます高まってきたのだった。
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書中で紹介される音源も興味深く、時間の許す限り聴いてみたくなっている。思い出して、井口さんの労作の数々も引っ張り出して聴き直し始めた。(まだ他にも持っているはずなのだが、行方不明?)
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フィールド・レコーディングについて考える上での基本的参考図書、R.マリー・シェーファー『世界の調律 サウンドスケープとはなにか』は繰り返し読んだが、最近、新装版として復刻された。その「新装版 訳者あとがき」だけ読みたくて図書館から借りてきて読んだところ。この本、『フィールド・レコーディングの現場から』ではやや批判的にも書かれているが、原書が書かれたのは半世紀近く昔なので、マリー・シェーファーの方法論には現状にそぐわない面もある。だが、だからこそ「古典」なのだろうし、サウンドスケープを提唱した彼の視点の鋭さへの評価が下がるものではない。必要以上に冗長と感じるが、氏の問題提起は現在でも有効だと、「新装版 訳者あとがき」を読んで改めて思った。
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ところで、柳沢英輔『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』、津田貴司編著『フィールド・レコーディングの現場から』と、フィールド・レコーディングに関する書籍が続けて出された。これには何か理由があるのだろうか?
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