Sounds in Bali - Chasing Walter Spies : Part 1

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◇ イッサーのアトリエ

 ヴァルター・シュピースは、あの頃バリで、どのような風景を見つめ、そしてどのような音に耳を傾けていたのだろう?


 2019年の夏、JAL国内線の機内誌『SKYWARD』の8月号のページをめくっていて、ひとつの記事が目に留まった。「楽園の系譜 ウブド」と題されたそれは、インドネシアのバリ島とヴァルター・シュピースに関するものだった。

「ヴァルター・シュピースが作った2番目のアトリエに泊まれるのか」

 ドイツ人ヴァルター・シュピース Walter Spies は、1920年代半ばから40年代初頭にかけて、画家としても音楽家としても、インドネシアで大きな仕事を成し遂げた。中でもバリ島における業績は特筆すべきものばかりだ。彼がバリで生活を営んだ場所として、ウブド Ubud の西寄りのチャンプアン Tjampuhan がよく知られている。彼はそこを拠点に様々な活動に勤しむ一方、客人が増えて日増しに落ち着かなくなる生活を避けようと、1937年8月バリ島の東部にある集落イッサー Iseh にもうひとつ家を持ち、ここにもアトリエを構えた。
 このイッサーの隠れ家のことは本で読んで知っていた。だが、『SKYWARD』の記事を読んで、現在そこがヴィラ・イッサー Villa Iseh という宿となっていることを初めて知った。そしてすぐさま、イッサー行きを決めたのだった。


 私がバリ島に興味を持ったきっかけは、多くの人たちと同様にガムラン音楽を聴いたことである。1990年に相次いで出版された、東海晴海・大竹昭子・他による『踊る島バリ 聞き書き・バリ島のガムラン奏者と踊り手たち』やコリン・マクフィーの『熱帯の旅人 バリ島音楽紀行』(これの翻訳も大竹昭子)などを読み、この島への興味がますます膨らんだ。
 生きているうちに一度でいいから、バリを訪れてガムランの演奏を生で聴きたい。そんな願いが叶ったのは1991年10月だった。
 ビーチリゾートとして有名な南部のクタで数日過ごす間に、1日だけデンパサールまで出かけて観光客相手のガムラン公演を観ることはできた。だが残念ながら、その旅ではウブドにまで辿り着けなかった。まだ海外旅行に慣れておらず、ウブドのことも、そこへの行き方もよく分からなかった頃なので仕方がない。

 1993年3月、再びバリ島へ。この時ついにウブドまで足を運び、レゴンダンス、ラーマーヤナ、ケチャなどを鑑賞。その後もほぼ毎年のようにバリを訪れ、気がつけば滞在すること10数回に達していた。
 ガムラン公演の観劇、バリ絵画の鑑賞に加えて、布(イカット)の魅力にもハマり収集を始める。バリの料理やフルーツ、酒への関心を深め、スキューバーダイビングのライセンスもこの島で取得。バリの魅力はたくさんあるが、田んぼを眺めながら散歩したり、宿で何もせずにのんびりしているだけでも心地よい。そのような過ごし方を好んだのには、バリの、とりわけウブド界隈の独特な空気感と音環境の素晴らしさが大きく影響しているように思う。

 このようにバリに対する興味の範囲が広がる一方で、鑑賞芸術としてのガムラン演奏には次第に新鮮味を感じなくなっていった。島西部のヌガラにあるスウェントラ氏の家を訪ね、彼が率いる巨竹ガムランのジェゴグ(スアール・アグン Suar Agung)を堪能することができてしまった。さらには、自分が探しているようなイカットのヴィンテージものはもう市場に出回らない。そのような理由から、島の中を動き回ることが次第に減っていった。バリにやってきても、ウブドで雰囲気が落ち着いていて静かな宿を探し、そこで読書三昧という過ごし方をすることが増えていく。
 多分バリに飽きてきたのだろう。ならばこの島で過ごすのは、そろそろ十分なのかもしれない。そのように考え、2009年の滞在でバリへの旅行には一区切りつけてしまった(その次に訪れたのは2016年である)。

 その一方で、坂野徳隆『バリ、夢の景色 ヴァルター・シュピース伝』(2004年)と伊藤俊治『バリ島芸術をつくった男 ヴァルター・シュピースの魔術的人生』(2002年)というシュピースの本格的伝記2冊を繰り返し読み、ヴァルター・シュピースへの関心が大きくなっていく。

 振り返ってみると、かつてシュピースのウブドの住まいだった土地に建てられたチャンプアンのホテルには、宿泊したことも訪ねて行ったこともない。
 ならば、シュピースが過ごしたチャンプアンとイッサーを中心に、彼のバリでの足跡を辿ってみると何かを感じられるかも知れない。そう考えて、イッサーの宿ヴィラ・イッサーを予約し、再びバリ島へと旅立ったのだった。


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 ヴァルター・シュピースの生涯

 ヴァルター・シュピースの経歴について簡単に振り返ってみよう。

 シュピースは1895年、モスクワに暮らす裕福なドイツ人の家庭に生まれ育つ。彼は幼少の頃から絵画と音楽の才能が際立っていた。
 1910年、ドイツ、ドレスデンのギムナジウムに入学。新潮流の芸術に触れるとともに、ダンスにも熱中する。しかし19歳の時、モスクワに帰省している間に第一次世界大戦が勃発。敵国人としてロシアのウラル地方に送られるのだが、その地の民衆との交流を深め、彼らの文化や音楽から大きな影響を受けることになる。
 1918年、ドイツに帰国。1920年にはベルリンに転居。ここを舞台に、画家、ピアニスト、作曲家、ダンサー、映画制作者、等々として、多方面で活躍する。
 だが、そこでの人間関係に嫌気がさし、1923年、ヨーロッパから逃れるように、アジア、オーストラリアに向かう船に乗って旅立った。そしてインドネシアのジャカルタで下船、その後ジョグジャカルタに移り住み、才能が認められて王宮の楽士に任命される。
 1925年にバリ島を初めて訪れ、1927年、32歳の時にウブドに移り住む。彼は画家として活動すると同時に、バリの絵描きたちを指導し、この島の絵画に改革をもたらす。またバリ島各地のガムランを研究し、地元民との協力の下、新しいガムランを考案し、現在のスタイルのケチャも生み出す。
 さらには、美術と音楽の領域に留まらず、写真家、映画製作者、生物学者、考古学者としても世界トップレベルの活動をする。このような多方面での活躍ぶりから、彼はまさに20世紀のダヴィンチとでも形容できよう。
 1930年前後からは、シュピースに関する噂を聞きつけて欧米から訪ねてくる学者や著名人、観光客などが増えた(その中には、深く共感し合ったチャールズ・チャップリンの名前も)。そのようなウブドでの生活の煩わしさから逃れるために、1937年、偶然見つけたイッサーの土地に第2のアトリエを構え、ここでの制作を通じて数々の傑作をものにする。
 だが翌年、風紀を乱した罪(同性愛)を理由に逮捕・収監される。さらに1940年、第二次世界大戦下、ナチス・ドイツがオランダに侵攻したため、オランダが支配するインドネシアでは敵国人と見なされ再び逮捕。
 1942年、シュピースらドイツ人勾留者を乗せた船がセイロンに向かう途中、日本軍に撃沈され海に沈む。2度の世界大戦に翻弄されたヴァルター・シュピースは、47歳という若さで生涯を閉じたのだった。

※ヴァルター・シュピースの一生について知るには、坂野徳隆『バリ、夢の景色 ヴァルター・シュピース伝』と伊藤俊治『バリ島芸術をつくった男 ヴァルター・シュピースの魔術的人生』が便利である。


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3◇ ウブド最初の住まい

 2019年にバリ島でヴァルター・シュピースの足跡を辿った旅。まずは、そのハイライトになることを期待して、イッサーに真っ先に向かい、それからウブドに移動した。しかしその順路は実際にシュピースが移り住んだ順番とは逆なので、ここからは彼の実際の転居歴に沿って自分の旅を振り返ってみたい。


 シュピースが1927年にスカワティ王家の助力を得てジャワからバリに移り、最初に住んだのはプリ・サレン宮殿 Puri Saren Kangin Ubud(ウブド王宮)だった。ウブドを東西に走るラヤ通り Jl. Raya Ubud と、その中心近くから南に伸びるモンキーフォレスト通り Jl. Monkey Forest がT字に交差するところにウブド王宮がある。現在はそこは王宮見学とガムラン観劇を目的に観光客たちが集まり賑わっている。そして、その王宮とラヤ通りを挟んだ南側にはパサール(マーケット)がある。

 シュピースはバリに来て4ヶ月後、自分の家を持つことを王家に願い出て、王宮の向かい側、現在のパサールの位置より少しばかり東に歩いてすぐの辺りに家を建てた。当時の写真を見ると、ラヤ通りに面すると思われるあたりに材木を組んで作った簡素な門と土壁が据えられ、その奥に藁葺き屋根の小屋が建っている。木立に囲まれたその空間は、何ともガランとした雰囲気だ。だが今はラヤ通り沿いに壁が建てられ緑も深いためその奥は見えず、周囲には当時の面影など認められない。

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 シュピースの旧家跡の向かい側には、バリ美術の巨匠レンパッド I Gusti Nyoman Lenpad(1862〜1978) の家がある。レンパッドもシュピースがアドバイスした絵描きの一人だ。この旧家は自由に見学でき、彼の写真や作品の複製?などが展示されている(残念ながら作品の現物は展示されていないが、レンパッドの素晴らしい作品の数々は、ウブドにあるネカ・ギャラリー Neka Gallery やプリ・ルキサン美術館 Museum Puri Lukisan でたっぷり鑑賞できる)。

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 私がバリに通い始めた30年ほど前には、この辺りにもまだ風情があった。夜、ウブド王宮でガムランを鑑賞した後は、多くの人々がパサール横の屋台に移動し、少し遅めの夕食と会話を楽しんだものだ。そうした中には踊りを学ぶために長期滞在している若い日本女性たちも混じっていた。だが、何軒もあった屋台はその後消え、パサールそのものも最近全面改築されて、現在はすっかりつまらない空間になってしまっている。今では信じられないことだろうが、当時モンキーフォレスト通りには街灯がほとんどなく、懐中電灯を持っていないと歩けないほどの真っ暗だった。昔は停電も日常茶飯だったので、夜は懐中電灯を持ち歩くことが常識だったのだ。

 ところが今この界隈はウブドで最も賑やかな地区だ。いや、交通渋滞もひどく、賑やかというより騒々しい。この喧騒を知ったら、シュピースはどう思うことだろう。しかし、ウブドがこれほど観光化されたのには、ここの美術と音楽を大改革したシュピースの貢献が大きい。ウブドの発展と観光開発、それは一面において彼がもたらしたものとも言えるだろう。



4◇ チャンプアン1日目

 ウブドの中心部、王宮の近くに居を構えたヴァルター・シュピースは再び転居を希望し、1928年2月、そこより西のチャンプアンに家を建て始める。それは使用人のための住まいなども含めて4棟からなるものだった。現在その住居跡は老舗ホテル Tjampuhan Hotel and Spa の敷地の一部となっている。彼が住んでいた当時の痕跡は何もないというが、彼が日々過ごし、旺盛な創作活動をおこなったアトリエからの眺めと音風景を少しでも追体験したくなり、イッサーの宿の次に、このホテルに2泊することにした。


 2019年12月17日。

 バリ島在住の友人がイッサーまで車で迎えにきてくれ、3泊したヴィラ・イッサーを昼前に出発。海岸にある塩田に立ち寄ってバリ塩(その友人が毎度土産にくれるこの滋味深い塩を使って長年料理している)を買ったり、美味しい魚料理を頬張ったりなど、道行を楽しみながらウブドへ向かう。チャンプアンのホテルに到着したのは15時30分だった。

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「チャンプアン」とは、ウォス川とチェリク川という「2つの川が合流する場所」を意味する。その合流点に向かって、北西方向から流れ込むチェリク川が刻んだ深い谷に張り付くように、ホテルの部屋が建ち並んでいる。そのため、ホテル内のどこへ移動するのにも急な階段を降りなくてはならない(バリの大型ホテルは谷沿いに建設されることが多く、高級ヴィラに宿泊する際にも同じような苦労が生じる。特に重い荷物を抱えているときには、ポーターへの依頼が必須だ)。

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 チェックインの際「イッサーから来た」と話すが、フロントの女性は無反応。どうもイッサーがシュピースと縁のある土地だということは知らない様子だった。

 かつてシュピースの住まいだった場所は、ホテル敷地のほぼ中央、エントランスとロビーを越えた先で、今はひとつだけある特別室 Walter Spies House になっている(2階構造で75平米あるこの部屋、公式サイトからは予約できないようで、料金も確認できなかった)。

「Walter Spies House の中を見ることはできますか?」
「宿泊客がいなければご覧いただけますが、お調べいたします。お客さま、ラッキーですね。今日は空いています。ご案内しますので、どうぞご覧ください」

 部屋の鍵を開けてくれたホテルのスタッフは、「あとはご自由に」と言って去ったので、しばし一人で見学させてもらう。シュピースのかつての母家は2階建てで、訪れる客たちは2階に繋がる橋を渡って入る構造になっていたという。急な勾配のある敷地なので、確かにその方が好都合だったのかもしれない。現在のこの特別室も2階建てのヴィラだが、もちろん昔のような橋など渡されていない。1階が居間を兼ねた寝室、2階が寝室となっており、土台の一部がシュピース時代のものらしいという話もあるのだが、そうした跡が残っているようには見えなかった。なので、シュピースの息遣いを感じさせるようなものは何もない。それでも、あちこちに掛けられているシュピースの写真などを眺めていると、当時の様子を想像してしまう(初めて目にする子供時代の写真もあった)。

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 今回泊まった部屋は敷地に入って右手、ほぼ南東に向かって流れるチェリク川の下流の方である。ホテルのすぐ前は交通量が夥しいラヤ通りであり、川にかかる橋も割と間近に見えるのにもかかわらず、かなり静かに感じられる。それは、渓谷の地形がホテルの外からの雑音をある程度遮断し、さらに豊かな自然の生み出す環境音がそれらをマスクしているからだと思う。

 敷地右奥にある橋を渡ってチェリク川を越え、ホテルの対岸にあるグヌン・ルバ寺院 Pura Gunug Lebah へ行ってみた。シュピースがチャンプアンに家を建てる際、それがこの寺院より高い位置になるため、神の怒りを買いかねないことが問題視されたという。人気がなく時が止まったように佇む様子が印象的な寺院の姿は、シュピースが暮らした当時のままなのかも知れない。

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 後で触れるように、イッサーでは十分な睡眠をとることができなかった。その疲れがドッと出たらしく、昼間から絶不調で高熱を出しそうな気配を感じる。そのため今夜はたっぷり眠ろうと思い、軽く夕食をとった後は睡眠導入剤を飲んで20時には寝てしまった。しかし、早く休みすぎたのか、あるいは興奮しているからなのか、深夜に目が覚めてしまった。どうしても眠れなくなったので、午前3時頃、諦めてベッドを抜け出し、ハンディレコーダーを手にしてホテルの周辺を散歩することにした。

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 すっかり夜が深まり、人の気配が感じられずひっそりとしている。耳に届くのは、こんこんと流れる川の水音と虫たちの細かな鳴き声ばかり。
 
 「リーーー、ジーーー、ビーーー、ミーーー、コーーー」
 「シーンシーン、チッチッチッチッ、コッコッコッコッ、チュンチュンチュンチュン」

 途絶えることなく流れる川の音と、まるで高周波ノイズのような様々な甲高い音が混じり合って、厚みを感じさせる基調音を生んでいる。通底して漂うそのようなベース的な音の上に、多彩な鳴き声が重なる。機械的に聴こえるものも、「ジッ」「ビッ」などと時折ブレイクしてひと休みするので、これは虫の声だと気がつく。実にいろいろな音があらゆる方向から聴こえてくる。何という複雑さだろう。森の奥へと歩いていくと、また音の表情ががらりと変わる。
 そうした音の数々がびっしりと重なり合って漆黒の空間を塗り込め、まるで微細な振動子のエーテルに満たされているようだ。結構大きな音のはずなのだが、うるさいとか耳障りだとかは思わない。かえって全くの無音や静寂な時より静けさを感じるほどで、何とも心地よい。微かに揺らぎ続ける響きが、現実離れした陶酔感を誘う。

 1時間ほどうろうろした後、深夜4時頃に部屋に帰る。テラスにスタンド(カメラ用三脚)を立て、マイクとハンディレコーダーをセットし、周囲の音を録り始める。椅子に腰掛けてたたずみ、ぼんやりと音に耳を預ける。先ほどより森と川から離れたここからだと、通底音と鈴のような音が主体となった柔らかな響きに包まれる。暗闇を見つめ、あるいは目を閉じて、空間を満たす音に浸っていると、日頃の諸事は全て忘れ去り、頭の中が空になっていく。

 深い森に入り込んだ時に、天上も含めた全方向から飛んできて全身を包み込む圧倒的な音塊と比べると、チャンプアンの音は幾分か密度は低く変化も少ないと感じる。だがその分だけ、優しくて心身を安らげるような響きだ。このまま朝を迎えたい気分にもなるが、続きはレコーダーに任せることにしよう。夢見心地から少しだけ現実に舞い戻って、録音ボタンはそのまま止めずに、ベッドに入り直した。



◇5◇ チャンプアン2日目

 2019年12月18日。

 6時30分起床。いつものことだが、旅先では目覚めが早い。チェリク川にかかる橋を再び渡って、ホテルの向かいにあるグヌン・ルバ寺院へ。それから寺院の先に出て、北へと伸びるトレッキングロードを歩く。緑が埋め尽くす雄大な大地を、登る朝日が照らす。そのような景色の清々しさを楽しみながら、しばらく散歩し、それからホテルの部屋に戻った。

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 チャンプアンの2つの川の合流点は、ラヤ通りの橋から眺めると分かりやすい。またグヌン・ルバ寺院の先(トレッキングロードとは反対方向の狭い道)からは、滑りやすい石段を降りて川辺まで行くこともできる。谷の深いところまで来ると、森にすっぽり入り込んだ感覚になる。川の中央にはまるで2つ目玉が穿たれたような不思議な石があってちょっと気になる。これはいつからここにあるのだろう。この微笑ましい造形は自然に生まれたものなのだろうか。

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 どうやら体調はすっかり回復したようだ。眺めの良いレストランで朝食。ビールを注文して喉を涼ませる。そしてまたホテル周辺の風景を眺めてのんびり過ごす。

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 午後はネカギャラリー Neka Gallery へ。シュピースの撮影した写真(ケチャのパフォーマンスや、天才ダンサーたるマリオの踊る姿など、どれもが傑作だ)やレンパッドの絵を鑑賞。この美術館は何度観に来ても飽きない。

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 ホテル・チャンプアンの部屋数は60を超え、周囲にも建築物が林立する。昔と比べると、野生の森は切り開かれ、その分だけ虫や鳥の数は減ったかもしれない。それでも、チェリク川沿いには鬱蒼とした森が広がる。鳥たちの声はどれもが美しく気持ちいい。多様な生き物たちが鳴きかわす豊かな音環境は、シュピースの頃も今も大きな違いはないのではないか。そのようにして昔の音風景を想像してみる。

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 夜はまた部屋の前にマイクとレコーダーをセットして、朝方まで録音し続けた。人工的な音が消え、野生の音だけが響く。深夜の音は、日中の音と比較するととても濃い。ひとつひとつの音の粒は軽やかなのだけれど、無数に重なり合うと不思議と空気に重みが生じたように感じる。暗い闇がもたらす印象との相乗効果もあってか、そのように無数の音の粒が染み込んで重みを持った空気が、ゆっくりと地面に沈んでいくような感覚を抱く。そのような風に、熱帯の森の音は非現実的世界に誘う。


 2019年12月18日。

 チャンプアン滞在最終日。朝からもう一度シュピースの部屋の様子を眺めに行く。朝食後、近くのプリ・ルキサン美術館 Museum Puri Lukisan を訪れ、レンパッドの作品などを鑑賞。そして、昼頃にチャンプアンのホテルを離れた。原始の森の景色と野生の音風景の素晴らしさが強く印象に残ったチャンプアンだった。

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◇6◇ ビスマとニュークニン

 現在は世界中から訪れる観光客で溢れるウブドだが、ラヤ通り Jl. Raya やモンキーフォレスト通り Jl. Monkey Forest から少し外れると、はるかに静かで穏やかな場所や豊かな自然の音を楽しめる場所に出会うことができる。


 モンキーフォレスト通りの1本西隣に、同じく南北に伸びるビスマ通り Jl. Bisma がある。その中央付近で西に折れてウォス川に向かった先に、かつてボチュビュー Bucu View という安宿があった。渓谷に面した鬱蒼とした樹々の中で聴こえる音がとにかく素晴らしく、かつてここを定宿としていたほどだ。それも毎回、一番奥にあるサウンドスケープの最も良い部屋を指定して予約していた。

 日中の静けさや朝の鳥たちの賑わいもいいのだが、チャンプアンと同様、バリの自然の音の醍醐味はなんといっても夜だ。日暮れ時から虫が囁き始め、夜がふけるにつれてその密度が増していく。ボチュヴューの最奥を抜けて敷地の外れまで行くと、雑然とした茂みが谷底まで続いていて、あらゆる方向から飛んでくる音にすっぽり包まれる。暗闇の中たたずみ、そうした圧倒的な音を浴びることが快感だった。
 付近には泉もあって音の情景にアクセントを加える。また時々は遠方から滲むように響いてくるガムランの調べもいい。ガムランを間近で聴いた時のアクセントの強い音とは異なり、淡い微かな響きに、どこか現実離れした美しさを感じたものだった。
 ここはビスマ通りからも他の宿からも離れているので、日中も静かで、沢音や鳥の囀りを楽しめるのだ。こうした音に包まれているだけで気持ちが満たされてしまい、もう外を出歩く気がしない。先に書いた通り、ある時期からは、バリにやって来る度にほとんどどこへも行かず読書三昧となってしまったのには、この宿と出会ったことも影響している。

 このボチュビューという宿、初めの頃は確か1泊数十ドルで泊まれた(お気に入りの部屋に最後に泊まった2009年は値上がりしていて45ドルだったのを、40ドルにディスカウントした)。しかし、改修・増築を繰り返してリゾートホテル化すると共に、宿泊料が100ドル以上まで高騰。ホテル名も Bucu View Resort に変更してイメージを一新させた。
 ここの周囲にも大型の高級ホテルがいくつか新築され、樹木がかなり伐採されたからか、音の密度が次第に下がってきたように感じる。サウンドスケープの魅力が薄れ、リゾートホテルとしても中途半端なため、もっと別の宿を選ぶようになったのだった(2016年にも数泊してみたものの、音風景に感動することはもうなかった)。

 それでもウブドにやって来る度にボチュビューを訪れ、フロントのスタッフと雑談しながら近況を伺っている。そしてそのついでに、こっそり深夜の音をフィールド録音したりも。2019年の旅でチャンプアンに滞在している間にもここに来てみた。だが、昔泊まっていた部屋はすっかり寂れてしまっていた。

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 チャンプアンに2泊した後、今度はモンキーフォレストの南、マス村のニュークニン Nyuh Kuning に移動し、アラム・ジワ Alam Jiwa という宿に泊まった。バリに滞在すると、毎度散歩をしながら目にとまったホテルや安宿(ロスメン)の部屋を見せてもらい、次回泊まる部屋を探している。ずいぶん昔のこと、アラム・ジワのある部屋から眺めたライステラスの美しさに言葉を失った。いつかこの部屋に泊まってみたい。そう願いながらも、ここは昔から名の通った人気の宿で、ずっと先まで満室のことが多いという。それがやっと予約が取れてやって来たのだった(もちろん惚れ込んだその部屋を指定した)。

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 ニュークニンの周辺も穏やかでいい。閑静な通りが多いので、ゆったり散歩を楽しめる。アラム・ジワの周りに森はないが、目の前に田んぼが広がっているので、森とはまた異なる景色と音風景を味わえる。残念ながら今回宿泊した時は、稲の刈り取りを終えたばかりで田んぼは茶色く、完全に当てが外れたのだけれど。

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 部屋のベランダから一面の緑を眺めるという目的は幻に終わったものの、それでもカエルたちは元気だった。夜、突然デュエットを始める2匹。それをきっかけに、あちこちで「ゲコゲコ」「ゲロゲロ」と泣き出し、どんどん賑やかになる。午前4時頃からはさらに勢いを増し、猛烈な騒がしさだった。それが明け方、1羽の鳥の声をきっかけにするかのように、急にカエルたちがおとなしくなり、それと入れ替わって別の生き物たちの声が活気づき始める。

 森の音の多様さと多彩さと比べたら、ここの音には若干物足りなさも感じた。それでも夜深くなり、バイクの音や近所の店の音楽といった雑音が治まり、人間の気配が薄れた後からの音風景は美しかった。毎日そうした音を、深夜から明け方にかけて録り続けたのだった。

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(Part 2 に続く)





by desertjazz | 2023-07-01 00:01 | 旅 - Bali

DJ

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