◇7◇ イッサー1日目
冒頭の「イッサーのアトリエ」で旅のきっかけについて書いた通り、ヴァルター・シュピースがウブドの家とは別にセカンドハウスを建てたのは、バリ島の東部イッサー Iseh という集落である。そのシュピースのかつての住まいは、現在ヴィラ・イッサー Villa Iseh という宿になっている。そこに投宿した時のことについて、時間をさかのぼって振り返ってみよう。
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2019年12月14日。
11時、クタのホテルで迎えの車を待つ。前日の13日にバリに着いたのだが、夕方だったので空港からほど近いクタのホテルに1泊した。イッサーの宿を予約した時点では、どのような手段でそこまで辿り着けばいいのか決めかねていた。現地の人々が利用するローカルバスを乗り継いで行く方法は、大変そうで現実的ではない。かといって、タクシーを使うと相当高くなりそうだし、車をチャーターできるかどうかも分からない。そこで宿にメールで問い合わせると、クタからのトランスポートを予約できるという。料金は片道45万ルピア。日本円にして約3000円。まずまずリーズナブルな値段だろう。
迎えの車がほぼ約束の時刻通りにやってきて、いざ出発。交通渋滞の夥しいクタからサヌールへ抜けた後は、ほぼ海岸線に沿って1時間ほど走る。その後、途中で左に折れ、やがて登り始める。その景色が美しいこと。写真に収めようと思いカメラを取り出しかけたのだが、この風景は自分の眼でじっくり眺めて楽しんだ方がいい。
13時過ぎ、ヴィラ・イッサーに到着。クタからちょうど2時間の道のりだった。
宿の入り口をくぐって奥へと進むと、眼前にライスフィールドがドーンと広がる。壮大で素晴らしい眺めだ。しかし、その先には霊峰アグン山が聳えているはずなのだが、残念ながら今日は雲がかかっていて山頂まで拝むことができない。
ここは3部屋(Theo Meier Suite、Margaret Suite、Walter Spies Suite)のみの小さな宿なのだが、案内されたのは入り口に近い部屋 Margaret Suite だった。3室とも宿泊料は同額なのに、眺めが一番良くない部屋で少しガッカリ。
軽く荷を解き、まずはビールと昼食にする。宿の周囲には食事のできそうな場所などなさそうだったので、ここで食べる一択か。メニューの中からナシチャンプルーを選ぶ。美味しい! どうやら滞在中はここでの食事が続きそうだ。
昼食後、早速周囲を散歩。坂野徳隆の『バリ、夢の景色 ヴァルター・シュピース伝』にはイッサーのことについても短く触れられていて、その内容を思い出しながら(この本は厚くて重いのだが、イッサー滞在中にも読みたくて日本から持ってきた)。まずはこの本に書かれていた向かいの寺院を覗きにいく。まあ、特段目を惹くものもない普通の寺院だろうか。
宿の周囲にも特別なものは見当たらず、小さな売店や民家が点々とあるだけ。その分だけ田や木立の緑が豊かに感じられるが、まあ至って普通の田舎の村という佇まいだ。
小路を歩いていると、元気な男の子たちと女の子たちが声をかけてきて、写真を撮ってくれとせがむ。彼らにとって外国人は珍しいのだろうか。バリに通い始めた約30年前、ウブドの東のペジェン村 Pejeng を散策していると、地元の若者から声をかけられ「僕の家に泊まっていってください」と誘われたことを思い出す。しかし、こんなことは今のウブド界隈ではもう有り得ないだろう。
シュピースがこのイッサーにアトリエを構えていたのは、今から約80年も昔のこと。当時は数百人ほどが暮らす集落だったので(現在の人口も大差ない?)、彼のことを憶えている人がまだ生きている可能性はとても低い。インドネシア語を満足に話せない私のような者が、そのような人物を探したり、シュピースに関して聞き取り調査をしたりしても、ほとんど意味がないだろう。それよりここで、シュピースが吸っただろう空気、踏みしめただろう土地、眺めただろう景色、聴いただろう音を、想像してみたい。彼が浸っていただろう空間をただ感じてみたかった。
まだイッサー初日なので、あまり歩き廻ることはせず、ひとまず宿に戻っておやつタイム。今日は自分以外に宿泊客はいないようで、一人きりで自由にのんびりできるのがいい。『バリ、夢の景色』にはシュピースが植えた椰子の樹が今もまだ残っていると書かれている。プールサイドのこの樹のことなのだろうか?
18時30分、夕食。結局今夜は自分を除くと他に泊り客はやって来ず、一人で静かに食事することとなった。こうした宿だと客同士が会話するという雰囲気にはなりにくいので、他人の気配を感じずに一人でいられるというのは幸いだ。
夕食を終えると、予想していなかったことが起きた。宿で働く人たちは、夕食を片付けると「それでは」とばかり、皆揃って自分の家へと帰っていくのだ。旅行客を一人取り残して問題はないのか? 一瞬そう考えた。だが、夜一人きりで過ごせるというのは、「シュピース体験」したくてやってきた自分にとっては最高のシチュエーションだろう。ここの主人たるヴァルター・シュピースになった気分に浸り、その空間を独占してじっくり楽しむことができるのだから。
そんな幸運に恵まれた一夜目。今日はもうすることがない。旅先では何もしないのが一番の過ごし方だ。プールサイドにただ佇んで、目の前の景色をぼんやり眺める。聴こえてくる音も、カエルの単調な声くらい。闇が少しずつ深まっていくのを見つめていると、時間が止まったように感じる。イッサーの空気が身体に染み込んでいくようだ。暗闇の中、時折雷が光るものの、雨は落ちてこない。今夜は穏やかに時が過ぎていくことだろう。
そろそろ休もう。そう決めて部屋に戻った。だが、眠ろうとしても眠れない。多分興奮しているのだろう。今夜は眠るのを諦めるしかなさそうだ。再びプールサイドに出て、月明かりの下、うっすらと見え始めたアグン山やあたりの椰子の樹のシルエットを撮影する。そして、マイクとハンディレコーダーをセットして、徐々に賑やかになってきたフィールドの音を録音し始めた。
「ヒーーン」という持続音。「リンリンリンリン」という鈴のような虫の音。「ココココ」と打つような正体不明な音。そして、「ゲコゲコ」「ゲェゲェ」「クックックッ」というカエルの声。時折トッケイの声も加わる。夜が深まるにつれ、カエルの声がゆったりとなり、やがて消えていく。
目の前の光景も音風景も美しい。まるで映画の中にいるかのよう。なんと贅沢な夜なのだろう。
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◇8◇ イッサー2日目
2019年12月15日。
6時に目が覚めた。どうやら明け方には寝落ちたようだ。ベッドから抜け出してプールサイドに行ってみると、昨日はあれだけ厚かった雲がほとんど抜けて、アグン山がくっきりと聳え立っている。まさしく絶景だ。
ずっと遠くの山の裾まで緑が伸び広がっていて、現実離れしたような奥行き感に言葉を失う。田んぼの上や木立の合間には朝霧が漂い、幽玄な眺めを生み出している。目の前の景色はまるで一幅の絵画のようだ。視線を右に移すとシュピースの絵画で見慣れた丘が迫る。全体を眺めても、部分のどこを見ても、ただ感動するばかり。そう、これはシュピースの傑作『朝日の中のイッサー』などで親しんできた光景ではないか。やはりシュピースは日頃から愛でた景色を自分の絵に描きこんでいたのだ。そうした情景が時間とともに明るさを増し、ゆったり変化していく様子をひたすら堪能する。
それにしてもここから望む景色は完璧で理想的な美しさだ。これこそ、シュピースがドイツに住む母へ手紙を書いて感動と興奮を伝えた絶景なのだろう。
太陽の光を受けながら刻々と表情を変えるアグン山を眺めながら、美味しい朝食をいただく。毎度のことながら、ひとりの客に対してもこれだけ丁寧な調理をしてくれることに、少し申し訳ない気分にもなってしまう。
10時、宿の自転車を借りてシドメン Sidemen へ。昨日登ってきた道を反対方向にしばらく駆け降りたエリアがシドメンの中心だ。こんなところも観光化が進んでいて、ウブドに飽き足らない旅人が集っているらしい。シドメンに関しては日本でも島本美由紀『旅するバリ島・ウブド案内+おまけにシドゥメン村』(2016年)というガイドブックが出ていて、これを参考に散策してみた。
シドメンのあちこちを自転車でぶらぶら。地元民のための店や観光客用のレストランが広いエリアに点在しているので、自転車やバイクがないと動き廻れない。確かにウブドよりもはるかにのどかで、空が広く感じられる。途中で昼食を取ったり(今日のメインは豚の丸焼き料理バビグリンにする)、気になるホテルのチェックをしたり。
あるところでは、ミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイが、それぞれイッサーを訪れた時の写真が飾られていた。同じような写真はヴィラ・イッサーのライブラリーに置かれているアルバムで見てきたばかり(これらの写真によると、ミックが来たのは1990年、ボウイは2001年だったようだ)。ミック・ジャガーが何度目かの新婚旅行の際、ウブドの超高級リゾートホテルのアマン Aman に宿泊したことは結構有名な話だが、ミックとボウイがイッサーまでやって来たことも、ここの人たちにとってはかなり大きな出来事だったのだろう。チャップリンがシュピースに会うためにチャンプアンを訪問した逸話を思い起こさせる。
シドメンのあちこちで緑豊かな景色を楽しんで、14時頃に宿に戻る。帰り道はずっと登りなため体力が持たず、最後は自転車を押して歩いてしまった。しかし、宿の周辺には雰囲気の良い小路が折り巡っていて、そのような緑の中を汗をかきながらのんびり歩くのも楽しい。帰り着いた早々に、もちろんビール。この宿の部屋には、冷蔵庫もテレビも電話もないのがいい。
しばらくすると雨になった。水煙に霞む風景もまた趣がある。
ところで、この宿はせっかく最高の景色を眺めることができるのに、その前に居座るプールが興醒めだという意見もある。おそらくシュピースの時代にはプールはなかったような気がするし、最初は自分もそう思っていた。だが、幾分標高の高いイッサーでも日中は結構暑く、毎日水に浸かって涼んでいた。思い返せばシュピースもチャンプアンの家にプールを造り、男の子や訪問客と一緒に入っていたという。ならば、プールはリゾートホテルの独占物ではないだろう。
寝起きしている Margaret Suite の部屋には、かなり古そうな扉が据え付けられていることに気がついた。細かな彫刻がなされ、鮮やかな彩色の跡がうかがえる。もしかすると、これはシュピース時代のものなのかもしれない。
夕方、この宿のオーナーだという女性がやってきたので、しばらく立ち話。普段はデンパサールに住んでいて、今たまたま立ち寄り、これから帰るところだという。例の扉のことを尋ねると、それはシュピースの後にここに住んだ画家テオ・メイヤー Teo Mayer の頃のものなのだそう。想像とは違っていて、ちょっと残念。
(宿のライブラリーにはテオ・メイヤーが住んでいた1949年の写真が飾られていた。)
彼女は去り際に、シドメンの朝市へ行くことを強く勧めていった。その朝市はガイドブックにも載っているほどの有名スポットで、始まるのがとても早いことで知られている。彼女のアドバイスによると、やはり4時頃に着いた方がいいらしい。早いな。
今日も新たな客はなく、今夜も一人きりだ。今回バリに来る直前、ラオスのルアンパバーン近郊の森の中にある宿に泊まったのだが、その時も宿泊客は自分一人だけで、しかもここと同様に従業員たちは仕事を終えると全員帰宅したことを思い出した。
夜一人になると、あとは読書するか、ぼんやり風景を眺めるくらいしかすることがない。21時30分、昨晩は寝不足だったこともあり、明日に備えて早めに休む。
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◇9◇ イッサー3日目
2019年12月16日。
3時に起床。3時40分、自転車にまたがって宿を出発。街灯などない真っ暗闇の中を走る。日本からヘッドライトを持ってきて大正解だった。時折貨物トラックなどが脇を抜けて行き、少しばかり怖い思いをする。
4時にシドメンの朝市に到着。道を挟んで、すでに結構な数の人たちが動いている。暗がりの中、煌々と光を放つ電灯の数々。その光を頼りに、女性たちは笑顔を浮かべながら、黙々とそして手際よく働いている。いい光景だ。ここで初めて目にする食材も多くて、興味が湧く。あれこれ味見をしてみたくなり、ナシブンクスなどいくつか買って、時々写真を撮らせてもらう。世界中どこに行っても市場は楽しい。
暗がりの中を昨日と同様、上り坂に苦しみながら宿に帰り着いて、それからひと眠り。
朝食を済ませた後は、また宿の周囲を散策する。すぐ近くに学校があったので、そこの子供たちに「Iseh」の発音を尋ねてみた。ものによって「イセ」と書かれていたり「イサ」と書かれているのだが、どうやら「イサ」あるいは「イッサー」と綴るのが現地の発音に最も近いようだ。子供たちは授業の合間に、目の前の店や移動販売する人たちからおやつのようなものを買っていた。これは食事代わりなのだろうか。みんな楽しそうだ。
宿に戻ると、宿泊客へのサービスとして周囲の田園を散策するプログラムがあるので、行きませんかと誘われる。折角だからとお願いしたものの、その直後から雨になり取り止めに。それからしばらくして白人カップルがやってきて、今まで満喫させてもらったこの空間の占有もお仕舞いに。それでも物静かな二人だったので、宿の静かさはこれまでと変わらなかった。
夜にかけてすっかり雨となり、プールの水面を打ち付ける雨粒を見つめながらまったりする。何もせず、何も考えず、ただ時間が流れるのに任せる。すると、あらゆる雑念が消え去り、ストレスが抜けていくようだ。今回のバリは、自分の心と身体を解放する旅になりそうだ。
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この3日間イッサーの集落を歩いていると、観光で来ているという感じは全くなく、ごく普通の村にお邪魔しているという感覚だった。ヴァルター・シュピースの創作と探求の根底にも、普通に暮らす人々への視点があったのではないだろうか。そんなことを感じられただけでも、イッサーにやってきた意味があったと思う。
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ヴィラ・イッサーの料金を旅日誌で確認すると、1泊172万5500ルピアだった。3泊したので、宿泊料だけで 517万6500ルピア(これはネット予約した料金で、後日日本円での請求額は41514円だった)。少々高いとも思うが、ここに来た価値は十分にあった。迎車代と飲食代(夕食とビール)の合計は129万7000ルピアで、こちらは妥当な金額だろう。
(最近改めて公式サイトをチェックすると、朝食と昼食込みのパッケージ料金に改定されていて、1泊185ドルに値上がりしていた。もう一度泊りに行くつもりでいたのだが、急激な円安が進んだので、もう無理なように思う。)
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ヴィラ・イッサーに滞在して、ひとつ思わぬ収穫を得られた。宿のライブリーにヴァルター・シュピースに関する本が置かれていて、これが実に素晴らしいのだ。John Stowell による "Walter Spies - A Life in Art"(2012年)と題された大型本なのだが、彼の代表作全てが大きなサイズで色鮮やかに掲載されている。ここまで鮮明な複製は見たことがない。シュピースの作品は、ウブドに唯一ある『チャロナラン』しか実物を目にしたことがなかったが、この本を開くと1枚1枚の細部まで鑑賞できるのでありがたい。
後日ウブドの書店でこの本を探し求め、重かったけれども買って日本に持ち帰った。それ以来、時々この本のページをめくりながら、イッサーやチャンプアンの空気感や音風景を思い出すことが楽しみとなっている。
(Part 3 に続く)
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