気まぐれに数年の間をおいて綴り始めた「Star Band 研究」、前々回(第2回)はファースト・アルバムにクレジットされた Thierno Koite について、前回(第3回)はセカンドにクレジットされた Bala Sidibe についてと、それぞれ後年 Orchestra Baobab などで大活躍する2人に関することを中心に書いてみた。
その続きで "Vol.3" (IK 3022) と "Vol.4" (IK 3023) を聴いたのだが、これらでリード・ヴォーカルをとる Laba Sosseh、Doudou Sow、Mar Seck、Magette Ddiaye、さらにはファースト (IK 3020) で歌う Papa Seck (Pape Seck) や Papa Fall のバンド在籍時期が気になってまた調べ始めたのだが、案の定今回もドツボにハマってしまった。
リイシューLP "Star Band de Dakar" (Ostinato OSTLP006) やデクスター・ジョンソンの充実した発掘作 Dexter Johnson & Le Super Star de Dakar "Live a l'Etoile" (Teranga Beat TBLP 019) のライナーノート、Number One のアルバム群、Dexter Johnson や Laba Sosseh のレコードなどをチェックしている間に、ますます分からなくなってきた。とにかく明らかな誤記や矛盾する記述が多すぎるのだ。
まず Laba Sosseh の在籍期間は他のシンガーたちとは異なるので、リード・ヴォーカリストによって録音時期は違うはず。Laba Sosseh は Star Band が結成された60年かその直後に加入し、62年(?)に脱退し、それから程なく抜けた Dexter Johnson と一緒に Super Star de Dakar を結成。その後2人は袂を分つのだが、69年にはどちらもダカールを離れてアビジャンに拠点を移している。その後 Laba はニューヨークに移動し、ソロ作を相次いでリリースし、Orchestra Aragon と共演し、Africando にもゲストとして呼ばれる、、、というのが彼の簡単な履歴。だとすると、Laba Sosseh が歌う Star Band の録音は 1962年以前となるが、それはあまりに早すぎるように思う。なので70年代初頭に彼は一度ダカールに戻ったのでないかと以前から推測している。実際そのことを匂わせるライナーもいくつか読んだのだが、はっきりと書かれているものはない。あれだけ誰からも嫌われた Miami Club と Star Band のオーナーの Ibrahim Kassé と和解するなり、彼に録音を提供するなりしたということも考えにく。
関連して書いておくと、Star Band の8枚目以降は Youssou N'Dour がクレジットされているので、1970年代後半の録音と思われがちがだ、それは決定的に間違っている。Mar Seck や Laba Sosseh がクレジットされているからだ。その点 Bellot/Frochot のリイシューCD "Star Band de Dakar feat. Youssou Ndour, Pape Fall, Mar Seck, Laba Sosseh, Alla Seck : 1978-1979" も同じ間違いを犯している(ライナーにはより大きな間違いがある)。
Ibrahim に対する批判・悪言と言えば、リイシューLP "Star Band de Dakar" のブックレット後半の Yakhya Fall のインタビューも痛烈だ(このライナー前半は、時代背景的な話ばかりで、Star Band に関してはほとんど語られず意味が薄い)。以前にも取り上げた記憶があるのが、途中からほとんど Ibrahim に対する怨念めいた悪口ばかり。もう少し内容を深めたものにできなかったのだろうかと思うのだが、それでも (1) 自分達の音楽は自然と人々から「サルサ・ンバラ Salsa Mbalax」と呼ばれるようになった (2) 自分達が最初にトーキング・ドラム(タマ)とウォロフ語の歌詞を使い始めた (3) ウォロフで最初に歌ったのは Pape Seck だ、といった証言は貴重だろう(このアルバム、Star Band の久々のリイシュー、しかもヴァイナルということで大いに期待したのだけれど、届いてみたら編集方針の不明なわずか6曲のみで、ライナーも読む価値はほぼなし、写真も Pape Seck 時代のものばかり、それなのに Pape Seck が中心だった1枚目と2枚目からの選曲はなしと、全く謎だらけのものだった。残念)。
余談になるが、そのブックレットに掲載されている Yakhya Fall の写真はいい。ちょっとヤバそうな雰囲気と一皮剥けたファッション・センスを感じさせる。きっとモテたんだろうな。彼のワウワウギターもホント良いと思う。Star Band でも Number One でもPape Seck と彼が中心にいたのは当然だろう。
Yakhya Fall のインタビューは、ある音楽フェスで他のグループたちが会場が準備した良い機材を使っていたのに、Ibrahim は自分達にそれを許可しなかったことにブチ切れて、メンバー揃って Star Band を脱退した話で終わっている。この逸話は相当有名なのか、他のライナーのいくつかでも触れられている。しかし、ひとつは 1972年、ひとつは 1974年1月、あとひとつは 1976年1月と書かれている。一体どれが正しいのだろう。
1969年(または70年?)に Star Band からの集団脱退によって Orchestra Baobab が誕生したのに続いて、ヴォーカルの Pape Serigne Seck、Maguette N'Diaye、Doudou Sow、Malick Ann、ギターの Yahya Fall などが一気に離脱したのだから大事件だったことだろう(彼らは新バンドを結成し、Star Band Number One/Star Number One/Orchestra Number One de Dakar/Number One du Senegal などと名乗る・・・このようなバンド名の遍歴も掴めていない。今日調べていて、Papa Djiby Ba が Le Sahel から Number One に合流したことも確認できた)。
事実確認できないことは、Star Band の結成年もそのひとつ。1960年のセネガル独立を記念して結成したと書かれているものが多い一方で、その前年59年とするものもある。しかし今日読んだライナーには Ibrahim Kassé が 1957年に Dexter Johnson を Star Band にスカウトしたと書かれていた。Miami Club には Star Band の前身 Star de Senui が演奏していたらしいのだが、これとゴッチャになっているのだろうか?
セネガル音楽の 60年代と 70年代は、調べるほどに謎が深まる。だけど、聴いていて楽しい音楽ばかりだし、意外な発見が相次いで驚かされる。黙って音楽を楽しむだけで十分だろうと思う反面、徹底的に調べたい気持ちも持ち続けている。
Star Band の "Vol.1"〜"Vol.4" を繰り返し聴き、次の Orchestre Laye Thiam ("Vol.5" と "Vol.7")も聴き始めたら、Laye Thiam は 1960年ごろから活動しており、60年中頃には Star Band に在籍していたと書かれていた。さすがにそれはないのでは?? Star Band にまつわる謎は深まるばかり。。。