Star Band de Dakar のアルバム最後の5枚は、Youssou N'Dour の初録音を含む彼の最初のレコード群なので、個人的にはずいぶん探して手に入れた。これらは、Vol.8〜10 と Vol.11, 12 とに分けられる。それは両者でメンバーのクレジットが異なっていて、録音が行われたのは別の時期だと考えられるからだ(ジャケット・デザインの違いも、そのことに準じている。Vol.11, 12 の画像は次回掲載予定。しかし5〜7枚目もそうだったが、毎度 Ibrahim Kasse の写真をはめ込んでいるのが鬱陶しい。彼は相当自意識の強い男だったようだ。レコード番号の IK も彼のイニシャルを意味しているのだろう)。
これらのアルバムに関しては(初期のアルバム群と同様に)、Vol.8〜10 に Laba Sosseh がクレジットされていることが最大の謎である。1964年に脱退した彼の録音が、どうしてこのような後年のアルバムに含まれているのだろう。ところが改めて確認すると、彼が歌っているのは "Vol.9" の "Mariama" 1曲のみだった。Ibrahim Kasse は古い録音を1トラックだけ加えたのだろうか。それとも他の歌手と取り違えたのだろうか。70年代前半と後半とでギターの音色が違うので(Yakhya Fall の方がワウワウが深く感じる)、それをポイントに比較してみたのだが正直よく分からなかった。この曲は確かに Laba Sosseh が、その独特な声で歌っているように聴こえる。彼は 70年代の一時期、Star Band に戻っていたと都合よく考えたくもなるのだが、そのようなことは読んだことがない。やっぱり謎だ。
(*これを書いている最中、Laba Sosseh が 70年代後半以降にダカールで録音したと思われるアルバムがいつくか出てきた。どうも彼はセネガルと他の国々との間を頻繁に往復していたようだ。詳しいことは後日。)
Vol.8〜10 に Mar Seck が参加していることにも混乱させられた。しかも "Vol.8" で2曲、"Vol.9" では5曲もリード・ヴォーカルを担当している。1976年に結成された Star Number One のヴォーカリストでもあった彼が Youssou N'Dour と同時期に在籍していたことが謎だった。しかし、前回引用した Teranga Beat がリリースした CD "Vaganode" の彼のインタビューを読んでその謎は解けた。
Mar Seck は Barthélémy Attisso に誘われて 70年に Star Band に加入したという。しかしその直後、メンバーの大半が脱退して Baobab を結成。Star Band のヴォーカリストは Medoune Diallo と自分の2人だけになってしまった。しかも程なくして Medoune まで Baobab に移籍。取り残される形になった彼は、旧知のギタリスト Yakhya Fall に、さらには Maguette Ndiaye に声をかけて Star Band を再建したのだという。そんな逸話を知った上でその後の経緯を考えると、Mar Seck こそ Number One 誕生の最大の立役者のようにも思えてくる。
しかし彼は、76年に Number One を結成する時に誘われたものの Star Band に残った。どうやら Ibrahim Kasse への恩義を感じてのことだったらしい。そのようなわけで、76年に 17歳で加入してきた Youssou N'Dour と同時期の録音があるのだ。ところが、Youssou とバンドメイトだった期間も2年で終わる。78年に遅れて Number One に加入したからなのだが、それは Pape Seck を慕ってのことだったらしい。その後、Star Band を離れた Youssou からも新バンド Etoile de Dakar に誘われたが、それを断って Number One に残った。しかし、バンド内の不和が高まって Pape Seck が脱退。Mar Seck は繰り返し肩透かしを食らう宿命にあったようだ。
Mar Seck が慕ったその Pape Seck に関して、興味深いことを知った。Baobab の Issa Cissoko のテナーサックスは Dexter Johnson のものと音色もフレージングも良く似ていると思っていたが、Pape Seck も Dexter Johnson を敬愛するひとりだったという。彼はヴォーカリストであるよりもサックス・プレイヤーでありたくて、Dexter Johnson に憧れていた。実際いくつかの曲で聴ける彼のサックスも Dexter Johnson に似たテイストだ。そうしたことから Dexter のバンドに加わりたくて、60年代末に彼を追いかけたものの、その少し前に Dexter はアビジャンに拠点を移してしまった。Dexter の元でサックスの力をつけたいという彼の願いは叶わなくなってしまった。そんな Pape Seck が、Star Band や Number One ではメインのヴォーカルを担当し、さらには Africando を結成して世界的大成功を果たしたのだから、なんとも不思議な巡り合わせだ。
話を Mar Seck に戻すと、彼は Africando が結成される時にも声をかけられていたのだそう。これも彼が Pape Seck とは特に兄弟意識が強かったからなのだろう。残念ながら、この誘いは病気を理由に断ったらしいのだが。
Star Band に関して(というよりセネガルの音楽について)調べていて、理解を難しくさせる理由のひとつが、似た名前の多いことだ。どちらも Star Band で歌った Pape Seck と Pape Fall の2人にも混乱させられた(両者とも Pape とも Papa とも綴られるので、なおさらややこしい)。
(*追記:Guelewar と Dieuf-Dieul de Thies に在籍したギタリストの名前も Pape Seck (Pape Abdou Aziz Seck) だ。)
Pape "Serigne" Seck は Star Band や Number One を率いたヴォーカリスト&テナーサックス奏者。Pape Fall は Star Band に最後まで残り、それを看取ったヴォーカリスト。Pape Fall は 1995年に Star Band を解散後(実は Star Band の歴史はそこでは終わっていなかった? そのことについては第8回に書こうと思います)、Pape Fall and African Salsa を結成し、2002年に唯一?のアルバム "Artisanat" をリリースしている。
・ Pape Fall and African Salsa "Artisan" (Sterns STEW47CD, 2002)
Star Band から改名した Kasse Star について確認するために、このアルバムを聴き直したところ、Baobab の Bala Sidibe がセカンド・ヴォーカルとコーラスとして参加していることに気がつき、嬉しくなってしまった。90年代以降 Boabab はメンバーが離散する中(Issa Cissoko と Thierno Koite は Youssou N'Dour et le Super Etiole de Dakar へ)、Bala は Baobab を維持し続けた。翌年2003年に Nick Gold によって Baobab は大復活を果たすのだが、その直前、往年のアフロキューバン・バンドを守り続けた Pape Fall と Bala Sidibe の2人には共感し合うものがあったのかもしれない。
そんな2人が歌う "Artisanat" は良いサルサ・アルバムだ。しかし Bala がバッキングする声は最高なのだが、曲によっては浮いていると言えばいいのか、取り残されていると言えばいいのか。どんなに魅力的な声でも一人で頑張っているのでは、厚みがなくスカスカに感じられる(ミックスにもよるのだろうが)。Star Band も Number One も Orchestra Baobab も常に強力なヴォーカリストを5〜6人ほど擁した。そこまでの人数が必要なのかとも思ったが、曲ごとに歌い手が変わる音楽的な多様さ、リード・ヴォーカルたちが歌い交わす迫力、そして重厚なコーラスが煽る切迫感を生むためにはある程度の人数が必要だ。"Artisanat" で Bala Sidibe がいくら元気に歌っても貧弱なサウンドだと感じてしまうのは、そうした理由からなのだろう。
(YouTube にこの曲の動画がいくつかアップされているが、どれも音が悪い。その分 Bala Sidibe のバッキング・コーラスの浮いた感が薄まっているのだけれど、、、。)
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