◆Star Band de Dakar、Super Star de Dakar、Orchestra Baobab などに通底する音楽性
これまで Star Band の時代的な変遷を中心に書いてきた。それぞれの曲の分析などを合わせてできれば良かったとも思うが、復刻が進んでいない音源ばかりなので、そこまでするまでの意味はないのかもしれない。その代わり、Star Band とそこから派生したバンドの音源を聴いて浮かんできた雑感を、最後に少々綴ってみたい(それらには以前から語られてきたことも多いが)。
(* Ibrahim Kassé が制作したレコードは、マスターテープが存在しないらしく、元々の録音が良くない上にコンディションの良いレコードも少ない。そのために復刻が実現しないらしい。それでもありがたいことに、YouTube などで聴ける録音も多い。)
◇多国籍性
Star Band や Orchestra Baobab には、セネガルは勿論のこと、他にも隣国ガンビア、ナイジェリア、トーゴ、リベリア、マリ、ギニア、カーボベルデなど、様々な国出身のミュージシャンが集まっていた。そのことにより、フランス語圏の音楽と英語圏の音楽などが自然と溶け合っていった。タイプの異なる音楽が結びつく効果は大きく、例えばナイジェリア出身の Dexter Johnson の存在は、ハイライフやカリプソ的な要素をセネガルのバンドにもたらすことになったのだろう。
◇多民族性
西アフリカの様々な国のミュージシャンが集まったことは、出身民族が多彩なことでもある。それはセネガル一国に限っても言えることで、セネガル各地の異なる民族のミュージシャンたちがひとつのバンドに在籍することとなった。そして彼らはそれぞれの出自の音楽要素をバンドにもたらすようになった。
中で大きく作用したのはウォロフのもので、タマ(トーキング・ドラム)やサバールなどのタイコ類の音、ウォロフ語の歌詞などは、Star Band らのサウンドを特徴付け、アフロキューバンとは性格の異なる音楽を産み出した。粘っこく感じられるウォロフ語の歌には独特な魅力があるし、Orchestra Baobab の楽曲でティンバレスやコンガにタマが重なった時の破壊力は圧倒的だ。
◇コスモポリタニズム
彼らの音楽は元来ソンなどのアフロキューバンを基礎とする。そこに、輸入レコードを聴くことで英米やフランスのポップス(ロック、ソウルなど)からの影響が重なり、さらにアフリカ諸民族の要素も染み込んでいった。ある時期まではレコードの盤面に son、cha-cha、bolero、boogaloo、pachanga といったように音楽形式が明示されていて、彼らはアフロキューバンのカバーを演奏している意識が強かったことを窺わせる。それが、アフロキューバン以外にも様々な外来の音楽を受容・吸収しながら、さらにはアフリカ的要素も加わって、音楽スタイルの拡張が図られていく様子が興味深い。
◇多声性(重なり合う声)
Star Band も Baobab も常に数多く(3〜5人程度)のヴォーカリストを擁したことが音楽的豊かさをもたらした。曲ごとにリードヴォーカルが入れ替わり、またひとつの曲の中で2人のヴォーカルがユニゾンしたり歌い交わしたりもして、とても艶やかだ。ヴォーカリストが多いことは、バッキング・コーラスにも厚みが生み出す。さらには、出自の異なるヴォーカリストが集うことで、個性的な個々人の声の質を楽しめるだけでなく、使用言語の違いもあって節回しが変化するところにも面白さを感じる。
◇サックスとギターの効果(脱アフロキューバン)
サックスが従来のアフロキューバンとの違いをもたらした。本家のアフロキューバンの鋭角なサウンドに対して、セネガルには、ゆったりとしていて柔らかく芳醇な印象のものが多い。そこには滋味豊かなムードを感じさせるサックスの作用が大きい。
またギターのサウンドもアフロキューバン音楽を変化させ、セネガルの音楽に革新をもたらした。ワウワウを多用する Yakhya Fall の演奏は、Number One にロック的な力強さをもたらした。また Baobab のツインギターはバンドのサウンドを大いに進化させた。レスポールに様々なエフェクトを施しながら派手なソロを響かせる Barthélemy Attisso と、その背後で淡々とバッキングする Ben Geloum のコンビネーションは最高だ。個人的には Ben Geloum の堅実なリズムギターこそが、バオバブ・サウンドの大きな肝だとさえ感じている。
Orchestre Laye Thiam が早くからオルガンのサウンドを強く押し出していたことにも着目される。最も急速に脱アフロキューバンを進めていたのは Laye Thiam たちだったのかもしれない。
◇Star Band スタイルの影響力
Orchestra Baobab は Star Band そして Super Star のスタイルの真の継承者だったと思う。Baobab は Dexter Johnson や Laba Sosseh が培ってきたサウンドを受け継ぎ進化させた。中でも Issa Cissoko のサックスは、音色といいフレージングといい Dexter Johnson にとても似ている。比較すると Dexter の方がより滑らかで音楽的にふくよかにも感じるが、Issa は Dexter に憧れ慕い焦がれる中から、よりダイナミックなプレイを見出していった。また、Baobab が1970年代中頃に示した多様性と実験性は、その後次第に薄まり、21世紀に入って再結成した時には、特にアフロキューバンにフォーカスしたサウンドに回帰していたことも、Star Band からの影響という点では象徴的であった。
Star Band の与えた影響は Baobab に限らない。例えばガボンに渡った Amara Touré が参加した Black and White ですら、Star Band にそっくりなサウンドだ。後年の Africando に至るまで、Star Band に始まるアフリカン・サルサの影響は大きかった。
◇ンバラの開拓
Star Band の残した録音を聴くと、ある程度早い段階(1970年前後)において新しい音楽スタイルであるンバラへと向かう萌芽が感じられる。それらは Xalam や Le Sahel によってより練り込まれ、そして Youssou N'Dour と Etoile de Dakar で見事に結実する。一方で 1975年の Le Sahel のアルバムなどを聴くと、ンバラとアフロキューバン(そしてまるでハイライフの曲も)が1枚の中に一緒に収まっているのが興味深い。それだけアフロキューバンが、新しい音楽を生み出そうとしている彼らにも染み込んでいたことの証拠が見て取れる。
◇チーム性
Star Band にしても彼ら以降のバンドにしても、あくまでひとつのグループとして存在していた。Super Star の場合、レコードに Dexter Johnson あるいは Laba Sosseh の名前を冠することもあったが、それはレコードごとにどちらのリーダーシップが強かったかを示すだけで、生まれたサウンドはあくまで Super Star というグループがもたらす一体感に満ちていた。そうした観点から振り返ると、Etoile de Dakar が Youssou N'Dour の名前を前面に出すようになったことの意味は大きい。バンドの中心は Youssou なのだと宣言したのだから。これはセネガル音楽に大きな変化が生じた分岐点とも見做せるだろう。
◇スクール性
Star Band はダカール、そしてセネガル随一のバンドだっただけに、西アフリカ中から選りすぐりのミュージシャンが集まり、その中で互いに切磋琢磨することとなった。そのため、バンドは一種の音楽学校的な性格も帯びていたのではないだろうか。バンドが若手の登竜門として機能し、彼らが力をつけて独立していく様子は、Miles Davis や Frank Zappa のバンドを連想させるが、Star Band の場合、メンバーがほとんど入れ替わっても、そうしたスクール性が保たれ続けた。
◇Moussa Diallo の功績
セネガルに実質的にはレコード産業がなかった 1960年代に、数々のライブ録音を行った Moussa Diallo の果たした役割は大きい。彼は自分のクラブで流すために録音することが多かったようだが、レコード化された Star Band の録音にも彼が行ったものが多いのではないだろうか。
(Dexter Johnson と Laba Sosseh が共演する Star Band の録音が存在しないのは、彼らが同時に在籍したことがないのではなく、それが短い期間だったので、たまたま録音の機会がなかったと考えるべきだろう。)
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アフリカ音楽を聴き始めた 40年くらい前には、Star Band という名前すら聞いたことがなかった。 Youssou N'Dour の音楽と出会ったことで、セネガルのポップスを聴き始め、やがて Youssou と彼のバンド仲間たちが Star Band 出身であることを知ったのだった。
それから十数年、1999年にダカールを初めて訪れ、幸運にもそこで Star Band の大半のアルバムを見つけられた。その時に手に入れられなかったレコードも、2003年にダカールを再訪し、レコードコピー屋に注文してカセットコピーを作ってもらい、ようやく聴くことができた(その後、レコード全12枚を入手)。
そのようにして Star Band の音を聴きながら彼らのことを調べていたのだが、Etoile de Dakar に限らず、Orchestra Baobab、Star Number One といったセネガルの主要バンドも Star Band から派生したことを知った時は、相当な驚きだった。
一方で、Le Sahel、Xalam (um) といったバンドや、それらの中核を担った Cheikh Tidiane Tall、Idrissa Diop、Seydina Wade(そして Thierno Koite も)らの活動にも着目するようになっていった。彼らの音楽性からも、アフロキューバンからンバラへ転換する様子がうかがえる。そうした傾向は Youssou たちよりも強く感じられ、ンバラが生まれてくるのには、Star Band 周辺と彼らとの2つの流れがあったのだろうかと考え始めた。
ところが Star Band の歴史をよく調べてみると、Le Sahel や Xalam のミュージシャンたちも 1960年代半ばから Star Band に在籍、もしくはその周辺にいたことが分かった。1970年代にセネガルのポップスは大発展するのだが、その主役たちのほとんどが Star Band で鍛え上げられてきたのだった。
セネガル音楽について何か調べていくと、大抵は Star Band に結びついていく。セネガルのポップス全ては、Star Band に繋がり、そこに発すると言いたくなるほどに。そのことが実に興味深かった。
自分はキューバ音楽もサルサも熱心に聴くことはない。それにも関わらず、西アフリカのアフロキューバン的な音楽に魅了され続けている。それはどうしてなのだろうかと時々考えるのだが、その秘密は Star Band のサウンドの中にあるのかもしれない。
(セネガルのアフロキューバンのトップバンドだった、Rio Band de Dakar や Le Tropical Jazz de Dakar なども Star Band ワールドと深い関係性も持っていたのだろう。そのあたりについても今後調べていきたい。)
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ところで、Youssou N'Dour が2年前にリリースした最新アルバム "Mbalax" の中の一曲 "Wax ju Bari" の中で、Star Band の産みの親 Ibra (Ibrahim) Kassé の名前を歌い込んでいることに気がついた(インタールード明けの 2'34" から)。一体何を歌っているのかは分からないが、Youssou も Ibra Kassé を讃えているのに違いない。それほどまでに Ibra Kassé の存在は大きかったということなのだろうか。
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