読書メモ:安岡宏和『アンチ・ドムス 熱帯雨林のマルチスピーシーズ歴史生態学』

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 安岡宏和『アンチ・ドムス 熱帯雨林のマルチスピーシーズ歴史生態学』(京都大学学術出版会、2024)読了。これは同じ著者による『バカ・ピグミーの生態人類学 アフリカ熱帯雨林の狩猟採集生活の再検討』(京都大学アフリカ地域研究資料センター、2011)の増補改訂版ということで、今年2月の出版を心待ちにしていた。

 必要を感じて、このところ手元にあるブッシュマンに関する文献を全て読み直しているのだが、視点を変えて改めて読むと重大な見落としにも相次いで気がついてなかなか興味深い。それでも、ブッシュマンについてばかり読んでいても飽きてきたので、気分転換に『アンチ・ドムス』を読み始めた。しかし研究成果と緻密な思考結果について詳細に綴られ、また脚注もポイントの小さな文字でびっしり書かれているので(全460ページ)、さすがに疲れて読むペースが上がらず、読み終えるのに結構時間がかかってしまった。


 安岡は序章で(1)狩猟採集民はずっと狩猟採集民だったのか、(2)そもそも狩猟採集民とはどのような人々なのか、という2つの設問を提示する。これはいわゆる「ワイルドヤム・クエッション」を受けてのことなのだろう。その上で、自身や同僚たちによるカメルーンの森とそこに暮らすバカ・ピグミーに関するフィールドワークをもとに、ドムス(ドメスティケーションからの造語)、ドムス化、基軸ドムス化、共生成、双主体モデル、マルチスピーシーズ歴史生態学、等の概念を提唱しながら、設問への回答を導き出していく。

 狩猟採集民に関する研究が始まった頃には、彼らは純然たる野生の自然の中で、それら(のみ)を利用して生きてきた人々と捉えられてきた。
 しかし、狩猟採集民の暮らす熱帯には手付かずの大自然など存在し得ず、人々と自然(動植物)との相互作用の結果、森もそこに生きる生物たちも影響を受けてきた(里山がそうであるように、熱帯の森も人間の手が加わることによって荒廃を避け豊かになりうる一面もあることは、近年しばしば指摘されることだ)。
 また、狩猟採集民にしても、ある程度の農耕を行う者もおり、その度合いは絶えず変化してきた。つまり、狩猟採集に頼る割合は変化し続けたはずだろうから、古代からずっと狩猟採集のみに頼っているように見える民族でも、農耕生活から狩猟採集生活に戻った可能性もあるということだ。

 安岡はこうした諸々について論理展開していくのだが、言われてみれば当たり前と感じることばかり。私は研究者ではないので、簡単なことを小難しく語られているようにも感じてしまう。厳密に論理展開するとこうなるのか(完全には理解できていない)、著者の主張は結構批判も受けそうに思える一方で、自分の中で腑に落ちる部分が多いのだから、彼のロジックは正しく、私もそれについて概ね納得しているということか、などと考えるに止まった。いや、最初のフィールド調査から森のキャンプに帯同する幸運に恵まれ、GPSや特殊な撮影機材などを駆使した規模の大きな調査に関心し、その後の精緻な論理展開に苦しみながらも頷きつつ進み、大いに刺激を受け楽しませていただいた。

(序盤に設問設定する段階や最終盤で、ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』が参照され、過去の読書がこのように結びつくのかという面白さもあった。)

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 ピグミーとブッシュマン、同じく狩猟採集民と呼ばれながらも、一方は「森の民」、もう一方は「砂漠の民」。それなのに共通点の多いことは実に興味深い。狩猟採集生活が時代や地域によって揺れ動いてきたことも共通している(そもそも「ワイルドヤム・クエッション」は、ブッシュマンに関する「カラハリ・ディベート」のピグミー版といえるものだったし。ピグミーには、主要なムブティ、エフェ、アカ、バカを含めて18の民族、ブッシュマンも大別して3語族、細かく分けるとやはり10を超える民族がいて、それぞれが、また極論すれば個人レベルで異なる生活をしているのだが、ピグミーもブッシュマンも一括りにして語ることに限界がある点にも留意すべきだろう)。

 特に興味深いことは近年の動向である。例えばボツワナのブッシュマンは 1997年以降、動物保護区の外での定住が強いられているのだが、カメルーンのバカも自然保護の名のもとで森での狩猟が制限されて(実質的にできなくなって)きているという。そこでボツワナでもカメルーンでも、自然保護派と人権擁護派の対立が深まり、着地点を見出せなくなっている。
 『アクション別フィールドワーク入門』(世界思想社、2008)を読むと、ブッシュマン研究の丸山淳子とバカ・ピグミー研究の服部志帆の2人が、どちらも両陣営の間で板挟みになっている様子が吐露されている。

 現代、森や砂漠で暮らしてきた人々にとっての問題が解決しにくくなるのにともなって、彼らを研究対象とする学者たちにとっての問題も大きくなり続けている。ボツワナでもカメルーンでも(さらにはコンゴでも)狩猟採集民をフィールド研究するには限界があるのだろう。一時期そう考えるようになり、物によっては調査が制約されたらしく読んでいて苦しくなる研究書もあった。ところがそうとも言えないようだ。

 例えば丸山淳子の『変化を生きぬくブッシュマン 開発政策と先住民運動のはざまで』(世界思想社、2011)は、野生生物が息づく砂漠を追いやられ 1000人を超える大集落で生活するブッシュマンに関する研究であり、なんとも地道なテーマかと思いながら読んだのだが。それがブッシュマンたちが新たな形の狩猟採集を生み出していく姿が生き生きと描かれていて、実に痛快な読み物だった。この著者の大逆転劇にワクワクしながら読み終えた(その後も丸山の文章を探して読んでいるが、どれもが面白い)。

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 今回読んだ安岡にしても、狩猟採集民研究に対する制約が多くなる中で、新たな研究手法を提示した点でも秀でた論考なのではないだろうか。


 カメルーンに関する研究書の中では、矢内原佑史『カメルーンにおけるヒップホップ・カルチャーの民族誌』も興味深いものだった。バカ・ピグミーに関しては『森棲みの生態誌 アフリカ熱帯林の人・自然・歴史』(京都大学学術出版会、2010)という大著2冊もある。カメルーンのピグミーについてもっと掘りだげてみたくなったので、服部志帆『森と人の共存への挑戦 カメルーンの熱帯雨林保護と狩猟採集民の生活・文化の両立に関する研究』(京都大学アフリカ地域研究資料センター、2012)も取り寄せた。次はこれを読もう。
(服部の名前は、ボニー・ヒューレット『アフリカの森の女たち 文化・進化・発達の人類学』(春風社、2020)の翻訳と挟まるコラムで知ったのだが、この本は構成が散漫でやや残念な1冊だった)。

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by desertjazz | 2024-04-20 17:00 | 本 - Readings

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