愛するマルセイユのレゲエ&ラガ・ユニット、マッシリア・サウンド・システム Massilia Sound System が今年結成40周年を迎え、それを記念して現在フランス国内をツアー中である。マッシリア・ブルーが印象的なジャケットの30周年アルバム(12インチ・リミックスはホワイトだった)からもう10年経つのかと思いながら、彼らの作品を古いものから順に聴き直している。
また、去る7月7日に実施されたフランス国民議会(下院議会)選挙では、極右・国民連合(RN)が第1党になる可能性が取り沙汰され、それを危惧し阻止すべく Aya Nakamura などの著名人が投票を呼びかけていた。
このような情報や報道に触れて、今マルセイユはどんな状況なのだろうとますます考えるようになった。それで思い立って、マルセイユとマッシリア・サウンド・システムについて調べ直す気になり、関連書籍を取り出して読み始めたところだ。
まず最初に読んだのは、鳥海基樹の『マルセイユ・ユーロメディテラネ:文化化と享楽の衰退港湾都市再生』(美学出版、2022)。これは昨年末から年始にかけて興奮しながら貪り読んだ大著。今回は、場所が思い当たらない建物や通りの名前が出てくる度に、地図で位置を確認し、その概要についてそれぞれネット等で調べながら通読したのだが、それでも 500ページ近い専門書を3日で読み通してしまった(共和国街や皇后街がどこのことか分かっていなかったのだが、何のことはない、Rue de la République であることに今頃気がつく)。半年前に読んだばかりであり、今回は用語を丹念に確認したこともあって、マルセイユの歴史についてよりよく理解できたと思う。
(以前公開したこの記事では、「マルセイユ大聖堂が前景化したのには、その足元に「マジョールのヴォールト」なる広大なブティック街が出来たから」と書いたが、それは不正確で、マルセイユ大聖堂の前景化があったからこそマジョールのヴォールトが産まれたと捉えるべきだった。)
続いて、深沢克己の『マルセイユの都市空間 ー幻想と実存のあいだでー』(刀水書房、2017)を読み返し。これを読むのは3度目になるが、正直なところやはり読みづらかった(長く複雑な歴史を限られた文字数に収めることには限界があるのだろう。私の歴史に関する予備知識の足りなさもあるが、長すぎる文章が多いことも読みにくくしているように思う)。それでも 2600年に及ぶマルセイユの歴史を概観するには最適な研究書だろう。これも1日で読み終えたので、今は同じ深沢の『海港と文明 近世フランスの港町』(山川出版社、2002)のマルセイユに関する部分を拾い読みしている。
鳥海氏も深沢氏も、歴史を持つ街ならばあって当たり前の中央広場のような象徴的な場所や、特別な観光スポットが、マルセイユには存在しないことを強調する。また、住民構成の実態にそぐわない住宅の増改築など、数々の都市設計の失敗を指摘する。さらに、長年にわたる周辺エクスなどとの対立や、複雑な移民問題、行政が決定しても実現できない「マルセイユ病」などの難題とその歴史的背景についてわかりやすく解説する。
個人的にマルセイユにはこれまで8回滞在しているが、確かに史跡や美術館、美しい通りを散策することに期待できるような街ではないだろう。博物館などの施設を訪ねてみても中途半端さに失望させれることも度々。小汚い通りや、歩くのに緊張を強いられるエリアも少なくない。
もちろんゴミゴミした雰囲気が良いとは思わない。しかし私は雑然とした通りを歩きながら面白い音楽を見つけたり、暮らす人々の優しさに触れたりすることを通じて、この街の魅力を感じてきた。なので、ここを訪れる度に小綺麗になっていく様子に好感を持ちながらも、反面胸の内では、さりげなく影に隠れていたような魅力も一緒に取り払われてしまったようにも感じられ、そのことを残念に思っている。
そんな記憶が次々と蘇ってくることもあって、私はマルセイユに関する小難しい専門書を読んでもワクワクしてしまうのだろう。
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『マルセイユ・ユーロメディテラネ』を読み直すことで、今頃気がつくことも多かった。そのような例を一つ。
かなり以前にも取り上げたが、"Port de Bocan All Stars 22/01/00" (Poupasso POULP 051) というアルバムがある。 結成直前?の Dupain 組2人 Sam Karpienia と Pierre-Laurent Bertolino を中心に、Massilia Sound System の Tatou、Gari、Lux B の3人、さらには Manu Théron、MC Jagdish、Toko Blaze、Les Mounines らオクシタン勢が一同に集結したライブ盤。まさに All Stars の名前にふさわしい陣容で、素晴らしい内容のアルバムだ。会場となったマルセイユの Le Balthazar にはオクシタンのライブ・イベントで行ったことがあるが、かなり狭い店だった。よくこんな場所で多数のミュージシャンが出演するライブをレコーディングできたものだ(このアルバムには、毎年 Fiesta des Suds をプロデュースする Olivier Rey もトロンボーンで参加している。彼に会った時、そのことを訊ねると、そんなことよく知っているねと感心?された)。
このアルバム、どうしてヒトデをデザインしたのだろう? 昔からそのことに少々興味があった。単に海の象徴なのだろうくらいの考えしか思い浮かばなかったのだが。ところが、『マルセイユ・ユーロメディテラネ』にはこんな記述がある。
「(若き芸術家たちが)補助金の受領等、法人格を必要とする事業のために結成するのが、ヒトデと呼ばれる非営利社団である。仏語で非営利社団を意味するassociationを辞書で引き、その直後にあったastéride、つまりヒトデを社団名とした。日本語でもヒトデを海星と書くが、仏語でもétoile de mer、つまり海の星とも言う。マルセイユという海洋都市から、きら星のような芸術家が生まれる希望に満ちた含意が込められた。」(P.208/209)
先に名を連ねたオクシタン系のミュージシャンたちは MicMac というアソシエーションの下で数々の作品を発表してきた。ひょっとすると、Port de Bocan All Stars のヒトデにもアソシエーションのグループであるという言葉遊び的な意味も含まれているのかもしれない。ほとんどの人にとっては実にどうでもいいことだろうけれど、私はこうしたちょっとしたことに興味を惹かれてしまう。
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(追記)
"Port de Bocan All Stars 22/01/00" の紹介記事が 見つかった。 読み返してみたら、ここでも同じようなことばかり綴っている(昔の方が詳しく書いているのは相変わらずだし)。
・https://desertjazz.exblog.jp/19799026/
このアルバムはリイシューして欲しいと考えていたのだが、幸いなことに Spotify で聴けるようになっていた。是非ご一聴を!
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