◆ 7月19日(金)Part 2
さあー、最後にお待ちかねのマッシリア・サウンド・システム Massilia Sound System が登場。それより前から大観衆はすっかり興奮に包まれている。これまでに観たマッシリアのライブとは雰囲気が全然違う。マルセイユ、屋外ステージ、そして結成40周年と、特別なことがいくつも重なった、この日限りの正しくスペシャルな夜の始まりだからだろう。
その瞬間は、市庁舎に上がりその2階という特等席から撮影しならが眺めさせていただいた。ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院、満月、旧港、そしてマッシリア・サウンド・システム。完璧な構図だ。
ライブの流れ自体はいつも通り。それは彼らのステージを初めて観た時からでも、もう20年ほど変わっていないように思う。Tatou が不機嫌になる寸劇に至るまでほぼ全て一緒(この寸劇、時間は短くなっていたが、一体これまで何度やっているのだろう)。ただ今夜は恒例のパスティスタイムはなかった。客席がとても離れているから物理的に不可能なのだが、ひょっとするともうやっていないのかもしれない。
残念だったのはキーボード奏者の Janvié が不在だったこと。後で Tatou にその理由を尋ねると、彼は体調を崩しているとのことだった。詳しいことまで書くのは控えるが、折角の 40周年なのに彼がステージにいないのは残念だ。"Marseille" の掲載された写真にも彼が写っていなかったので、長期離脱となっているのだろう。早く回復することを祈るばかりだ。
今回特徴的だったのは、終盤 Blu がギターを置いて4人目の MC として躍動していたこと。Lux B を含めて MC 4人の時代はこんな様子だったのだろう(MC 4人が並んで泳ぐ仕草をするのは今回初めて観た)。Janvié がいない分、サウンドを一人で担った DJ Kayalik もいい仕事だった。
そして最後は 'Lo Aoi"。最初期のカセットを除くと彼らのファーストアルバムに収録されたこの曲こそが、ライブを締めるのに相応しく、またある意味この曲が彼らの戻るべきスタート地点なのだろう。
もちろん今の彼らに強い同時代性は感じられないし、ハプニングも起こらない。発煙筒を灯すことも予定調和的なパフォーマンスにしか思えない。しかしこれは祭りなのだ。実は昨年か今年のどこかの時点で Bruce Springsteen のコンサートをアメリカかヨーロッパで観ることを考えた(サンフランシスコなどはアリーナ席のチケットも会場近くのホテルも適当な値段で取れそうだった)。だが今のブルースは「懐メロ大会」だろうと考えて見送った。マッシリアにしても、ある意味懐メロ大会のようなものだろう。しかし、どちらも大ベテランとなった今はそれで構わないし、長年のファンたちもそれを期待しているのはず。私も、同じ懐メロなら、マッシリアの方が色々な意味でストレスなく楽しめるだろうと考えた次第だ。
そんなことを考えていたのだけれど、Gari を除くと皆腹の出た初老〜中年オヤジばかりになってしまった今でも、彼らは地元マルセイユの人々からたっぷり愛されていることを実感した。そうした姿を目にすることができて本当に良かったと思う。
ステージだけを切り取れば、ほとんどいつもと同じライブ。だが観客となって醸し出される空気感はこれまで体験したことのないものだった。とにかく全てが凄かった! マッシリアの土地でマッシリアのこんなライブを観たかったのだ。ついに念願が叶った!
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ひとつ強く印象に残る瞬間があった。Tatou が "Marseille" のインタビューで、40周年と言っても特別なことはないと答えていた。それでも、終盤にスタッフをステージに上げて彼らに労いの言葉をかけていた(私はフランス語を解さないが、それで間違いないと思う)。そして最後に Manue さんを紹介。そこには彼女に対する Tatou の気持ちが込められているように感じられ、またそれを受けた Manue さんの笑顔からは大きなことをやり遂げた達成感のようなものが伝わってきたのだった。
(マッシリア 40周年ということで、Manue さんを取材した記事もいくつか目にした。彼女あっての Massilia Sound System や Moussu T であることは、地元のジャーナリストや音楽ファンの皆さんもよく分かっているのだろう。)
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終演後の After Party(打ち上げ)には、日本を出発する前から誘われていた。だけど、こうした場はアフェー感たっぷりでどうにも苦手だ。知っている人は少ないし、フランス語は分からないし、話の通じる Tatou とばかり一緒にいても迷惑だろうし。かと言って、コンサートの後、黙っていなくなるのも失礼だろう。そう思って、あくまで自分は余所者であり、楽しんでいる皆さんの邪魔だけはしないようにと自分に言い聞かせて参加した。ただ酒も飲めるし。
今日のライブは語りものとラップが続いたので、多少でもフランス語がわかればもっと楽しめたはずだ。またこうした場でも気軽にコミュニケートできただろう。気がつけばフランスに来るのは 17回目。そうなると分かっていたら、若い頃からもう少しフランス語会話を勉強しておくべきだった。
けれども、会場の隅のソファに座って一人で飲んでいたら(生ビールがうまい!)、あの日本人は誰だということになったらしく、次々と話の輪に誘われる。そのうち旧知の人たちとも再会して、楽しいひとときを過ごすことになったのだった。
(写真もある程度撮ったが、プライベートなものと、一般人が写っているものばかりなので非公開。)
After Party は深夜1時過ぎに終了。少々緊張しながら、エクス門を通ってホテルに帰り、飲み直しながら資料整理。パリでもマルセイユでもライブを観た後は、深夜1〜2時でもタクシーなどは使わず、バルベス〜ピガールや、あるいは Le Dock や Cr Julien から早足でホテルまで歩いている。いずれも治安の良くないエリアと言われているが、大丈夫と判断してのことだったので、幸いトラブルに見舞われたことはない。3時にようやく眠りにつく。
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(後日譚)
この夜は少なく見積もっても 30000人から 35000人が集まったらしい(そこまで多かったかな?とも思うが)。そして、若い市長が就任して始まったこの大規模なイベントを誰もが心から楽しんでいるようで、文化都市としての成長が感じられた。一方で、どこかの都庁では貴重な税金を大企業に流すために、下品で誰も観ないプロジェクションマッピングを続けている。首長に理念があるかどうかで、これほどまで違うものかと嘆息させられた。
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