今から30年以上前のこと。よく知らず、さほど興味もない国を特別な目的もなく旅したのだが、それは物足りない結果に終わった。それ以来「明確な目的のない旅はもうしない」と決めた。だが今年、自身に課したそのルールを破った旅をしてきた。本当に何ひとつ目的もなく。強いて言えば、何もせずゆっくりすることが目的だった。
静かな宿でのんびり休み、安くて美味しいものを食べられるだけでいい。旅立つ前に行き先や日程をはっきりとは決めず、宿も最初の1週間だけ確定させてきて、その後については旅しながら探すことになった。毎日気ままに過ごし、その日のことはその時の気分で決めた。
今回「何もしない」ために、旅の基本方針として決めたことがいくつかある。
・ニュースは読まない。
・テレビは観ない。
・ネット情報から極力離れる。
・ネットに記事(文章)は書かない。
・観光スポットには行かない。
・レストランなどをネット検索しない。
・極力地図は見ない。
・録音機は持っていかない。
・カメラも持っていかない。
情報絶ち/ネット断ちしようと思ったのは、悲惨な世界情勢を伝える報道や下劣な話題があまりに多いことにうんざりしたからだ。せめて旅の間だけでも、こんな狂った現実から逃れたい。
旅の既存情報に頼らないのも、自分の足で歩いて何かを見つけたいからだ。食事する場所も、ネット検索するのではなく、散歩しながら良さそうな店や屋台を探す方がいい。客層や調理人の表情から味を想像したい。自分の感性に合う雰囲気のある空間、魅力的な人と出会える場所、そんなことはガイドブックにもネットにも書かれていない。自分の勘を頼りに気の向くままに歩き、幸運な出会いを待つより他ない。
真面目に音を録り始めると疲れるので、マイクとレコーダーは行かなかった(フィールド・レコーディングすると毎度ほぼ徹夜になっている)。写真も撮らなくていいと思ったのだが、旅立つ間際に気が変わり、一眼レフをバッグに入れてきた。実際写真はあまり撮らず、iPhone で済ませることも多かった。それでも時々レンズを向けたくなったので、重いがカメラを持ってきてよかったと思う。
そんなインドネシア17回目、24日間の旅。「目的のない旅」なので、これは大失敗になるのではないかと危惧した。しかし「何もしない」という方針が上手く働いた。裏路地を歩いていると、さりげない光景に惹かれ、様々な響きに耳が喜び、目が合った瞬間に微笑みを返され、呼び止められて会話が弾む(昔1年間インドネシア語を勉強したことが少しばかり役に立った)。まるで30年前のアジアに帰ったようで、久しぶりに旅する感覚を味わえた。そんなものは、異邦人が勝手に抱くノスタルジーだと分かっているのだけれど。
結局ほとんどの時間を何もせずに過ごした。外で食事をするのに合わせて少し散歩したり(残念ながら天気にはあまり恵まれず、早朝散歩はできなかった)、部屋で読書したり。そのために、宿は眺めが良くて静かそうで、かつ部屋数の少ないところばかりを選んだ。そうした環境でのんびりしていると、本当に気持ちが良くて、全く退屈することはない。時々気ままに散歩すると、さりげない発見があって飽きることはない。
振り返ってみると、最高に贅沢な旅をしてきたのだと思う。
(「何もしない旅」なのに、毎日面白い出会いや興味深いことの連続だった。それでも旅の間には、あえてネットには何も書かず、その日の生存証明的に写真を Facebook と Twitter に数葉アップするだけにした。そのような旅も無事に終えることができたので、ささやかな記憶を少しばかり書き記しておきたいと思う。)
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