これまでにも幾度となく綴っているが、今一番実現させたいことの一つは、次で10回目になるアフリカ旅行である。そのために色々調べているのだが、目標がなかなか定まらない。
昨年夏に訪れたフランス、マルセイユの旅はとても良いものになった。しかし、この時エールフランスのエコノミークラスで往復したのだが、そのフライトは本当に疲れた。基本的に JAL にばかり乗っていて日系以外の会社は久しぶりだったこと、長距離フライトはなるべくビジネスクラスかプレミアムエコノミーに乗るようにしていること(マイレージ、バーゲンプライス、当日アップグレードなどを利用して格安で)、そしてウクライナ戦争の影響からロシア上空を飛べず長時間フライトになったことなどが、その原因だ。もし西アフリカに行くとするとエールフランスも選択肢になるものの、自分の年齢的なこともあって、それは難しそうだと悟った。それくらい、とにかく疲れてしまったのだ。
そこで、快適なビジネスクラスに乗ってどこか近場を訪れるという、リハビリ的な旅を漠然としたくなった。せっかくリタイアして時間はあるのに、寒い日本でじっとしているのも勿体ない、どこか暑い国に行きたいという考えもあった。
すぐに思い浮かんだのは通い慣れたインドネシアのバリ島だ。調べてみると、ガルーダインドネシア航空がまずまずの価格でビジネスクラスのチケットを売っている。それを目にしてほとんど勢いで最安期間の日程のチケットを買ってしまった。
インドネシアには、昔から行きたいと思いつつ、まだそれを実現できていない場所が多い。ロンボク島、ギリ島、ペニダ島ならバリ島から船で簡単に行ける。何度か行こうとしたがフライトチケットが完売で諦めたフローレス島も未体験だ。
ところが改めて調べてみると、小さな島々はリゾートビーチがメインでどうにも惹かれない。フローレスはイカット(絣)で有名な東部に行きたいのだが、何とフライトがなくなっている(正確にはチモール島経由の遠回りのルートが唯一の方法)。バリからフローレス西端のラブアンバジョーへのフライトはあるので、これでフローレスに入り西部の小さな村々をトレッキングして歩くことも考えたが(帰りには西隣のコモド島でコモドドラゴンを見ることもできる)、今は雨期でとても山歩きなどできる状況ではないらしい。
バリ島にずっと留まって、北部のシガラジャとロビナに行くことや、東部の長閑なシドマンを再訪してのんびりすることも検討した。しかし最終的にはいつもと同様にウブドを基点としつつ、友人からの助言も受けて久しぶりにジャワ島に行ってみることにした。24年前に訪れたソロののどかな雰囲気が懐かしくなったのと、昔からボロブドゥールに行ってみたかったからだ。
ジャワではボロブドゥール観光の起点ジョグジャカルタとクロンチョン音楽の聖地ソロにそれぞれ4泊した。2つの古都のどちらも、快適そうでリーズナブルな価格の最新ホテルは避け、建物に味のある古い宿をあえて選んだ。そのため他の宿泊客はほとんどなく、ほぼ独り占めに近い状態で気楽に過ごすことに(設備は古く Wifi がほとんどまともにつながらなかったので、正直オーバープライスだったが)。そして、毎日その周辺ブラブラ歩いたり、近くのワルン(安食堂)で食事したり、のんびり読書したり。そうした時間の過ごし方が気持ち良く、長丁場の旅なので疲れる遠出もしたくなくなり、結局ボロブドゥールにも行かず仕舞い。余りにも観光をしないので、宿の女主人からは観光スポットをあれこれ勧められたほどだった。
車がほとんど通らない細い通りを散歩していると、とにかく声をかけられる。目が合うとにっこり微笑み返される。写真を撮ってくれと若者たちが合図してくる。古い住宅街を歩くと嫌がられるかと思ったが、そのようなこともなかった。逆にバティック工房に無理やり案内されるほど。写真を撮っていいかと訊くと、断られることはなく、誰もが嬉しそうにポーズを取る。皆良い笑顔だ。慎ましく暮らしている市井の人々の表情が本当にいい。
今回の旅で最も印象に残ったのは交通整理する男たちの佇まいだった。ジョグジャやソロには信号機が少なく、それでいて自動車とバイクの数が尋常ではなくて(特にバイク!)、まるでサーキット場の中にいるような騒々しさだ。歩道も整備されておらず、大通りを歩く時には絶えず身の危険を感じる。そうした激しい往来の通りに立ち、排気ガスが充満するその中で、的確に車とバイクをコントロールする男たちがいる。時に手をかざして静止し、時に腕を振って通し、時に笛を鳴らして警告する。道路を反対まで渡ろうとする人を目にすると、車とバイクを止めて歩行者の横断を最優先する。交通整理する彼らは、すっと背を伸ばした姿勢を保ち、人が道を渡り終えるとにっこり微笑みを返す。危険な重労働なはずなのに、誇りを持って働いているようで、自分の仕事に対する自負のようなものがひしひしと伝わって来たのだった。
ワルンで料理を頼んでも誰もが実に丁寧に調理をする。たとえそれが数十円から100円程度のものであっても変わらない。彼らの顔や背中からは、自信や自負や誇りのようなものが感じられた。私は彼らのように何かに励んだことはあっただろうか? 彼らのように自分の行いに自信を持った姿を人に見せたことはあっただろうか? 少々大袈裟かもしれないけれど、そうした彼らの姿に自分が(あるいは日本人が)忘れてしまったものを見せられたような感慨も頭に浮かんできた。
普通に暮らす人々、堅実に働く人々の姿を目に留めることができただけでも、ジャワに来てよかったと感じた。
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