<フィールド・レコーディング小史>(1)

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 拙著『Kalahari / Dengu』の中で書ききれなかったことの一つは、かつてカラハリ砂漠というフィールドでの録音はどのように行われていたのかという考察です。そこで<フィールド・レコーディング小史>と題し、少々補足して書いてみます(全3回の予定)。



<フィールド・レコーディング小史>(1)


 アフリカにおけるフィールド・レコーディングは、これまでどのように行われてきたのか。特にカラハリ砂漠においてはどうだったのか。そうした歴史を少し振り返ってみます。

 今回「カラハリ三部作」を作りながら改めて感じているのは、ブッシュマンの音楽に関する資料の少なさです。大学や研究機関、映画会社、テレビ局などが、カラハリを探索して記録した映像や音声はそれなりに残っていると思うのですが、私のような素人では容易に探り当てることができません。
 ブッシュマンの音楽のレコードも意外と少なく、それらの大半はボツワナ北西部とナミビア北東部にまたがるエリアで録音されたものです(南アフリカでの録音もいくつかありますが、ブッシュマンに今風の音楽を演奏させている感じで、正直面白くなく参考にもなりません)。ボツワナ共和国の中央部、中央カラハリ動物保護区での録音に至ってはわずかしかありません。またブッシュマンのレコードを見渡しても、彼らの親指ピアノ「デング」の録音はとても少ないです。
 こうしたことは『Kalahari / Dengu』の中で指摘したとおりです。それで『Kalahari』シリーズのような本の制作を思い立ち、またブッシュマンの音楽を録音した私の秘蔵音源にもそれなりに価値があると考えて公開することにしたのでした。

 では、中央カラハリ動物保護区というカラハリの奥地での録音が少ないのはどうしてなのでしょう。その主要な理由として以下の5つが考えられます。

 ・現地までのアクセスが困難である
 ・ブッシュマンがどこにいるのかわからない
 ・数多い目的に優先順位をつけなくてはならない
 ・水の問題
 ・機材の問題/電源の問題

 1〜3番目については容易に理解できるだろうと思います。

 ボツワナは国土の大半がカラハリ砂漠と重なるため、整備された道はとても少ないです。特にローレンス・ヴァン・デル・ポストやマーシャル一家がブッシュマンの探索を行なった1950年代には、道らしい道などほとんどなかったことでしょう。カラハリは砂漠と称しても、一面砂の世界ではありません。場所によっては乾いた湖や涸れ川のような平坦な土地もありますが、多くは起伏の続く深い砂地に下草や灌木が生えた荒涼とした土地です。
 こうした陸地を自動車で進むのには、大きな困難が伴います。スピードは出せず、タイヤが深い砂に埋まることも繰り返され、僅かな距離を移動するのにも大変な時間がかかります。かと言って涸れ川のような緑のない土地ばかり選んで走っても、そうしたところは野生動物も食用植物も乏しいため、そもそもブッシュマンがいるはずもありません。

 そんな悪路を苦労して進み、何日もかけて砂漠の奥に分け入ったとしても、そこでブッシュマンと会える保証はありません。彼らは野生動物や食用食物を求めて広い砂漠の中で移動を繰り返すので、どこにいるのか探し求めることになります。なかなか見つけられず、その間に食料やガソリンが尽きることも考えられます。

 カラハリ砂漠とブッシュマンを探索する目的は多岐に渡ります。単にブッシュマンに会うだけでなく、自然環境の調査、植物や動物の研究、ブッシュマンの生活の観察、彼らの言語の研究、彼らと周辺民族との関係の調査など、いくらでも考えられます。テーマが山積する一方で、滞在できる日数も限られるため、それらに優先順位をつけなければなりません。
 記録方法もいろいろです。まず最初は観察と聴き取りによるフィールドノートの作成でしょう。それから、スチールカメラでの撮影、映画フィルムでの撮影、そして録音に進みます。しかし調査隊の人員は限られているので、その都度それらのうちのどれを選択するかも決めなくてはなりません。ボタン一つで録画も録音もできる現在とは異なり、昔はそれぞれ準備に時間を要しました。また、使う機材も今よりずっと不安定でした。そうした諸々の条件を勘案すると、録音という作業の優先順位は低く、後回しにされることが多かっただろうと思います。

 4番目の水について。言うまでもなく、人は水なしでは生きていけません。これは何度か砂漠を体験した個人的経験に基づくと、日中の気温が40度を超えるような乾いた砂漠では、1日に飲料で3リットル、他に料理や洗面などのために2リットル、合わせて一人当たり1日5リットルの水が必要です。カラハリ砂漠は3月頃から9月頃までは乾季で、雨がほとんど降らず、川も湖もありません。雨季にも僅かに雨が降るだけなので、いつ旅するにしても、水は必要な分だけ持っていくことになります。
 1950年代の調査隊が何人編成であったか分かりませんが、6人としても1日30リットル。10人だったら50リットル必要です。水のない土地を10日間、旅行し滞在するとなると300〜500リットルもの水が必要となるのです。当時カラハリの奥地には水道どころか井戸さえなかったので、大量のキャンプ道具や食料、ガソリンに加えて、それだけの水を車で運ぶことになります。そうなると水を積むだけでもかなり大きな自動車が必要であり、その分だけ積んでいく燃料もさらに増えるという悪循環に陥ります。

 5番目の機材と電源ですが、これも水などと同様に重量が大きな問題となります。ローレンス・ヴァン・デル・ポストやマーシャル一家がカラハリを探索した1950年代には、録音機材はまだ非常に大きく重量もありました。またそれを動かすには発電機から電気を供給する必要がありました。次回はそうした録音機器の歴史を振り返ります。


(上の写真は 1993年に撮影した中央カラハリ動物保護区の中のメインロード。この頃には深い轍ができていたが、1950年代当時は獣道やブッシュマンの歩いた道くらいしかなく、ほとんど藪状態だっただろう。)


(続く)





by desertjazz | 2025-10-01 00:00 | Sound - Africa