<フィールド・レコーディング小史>(2)
2回目の今日は、アフリカのフィールド・レコーディングの歴史とそこで使用された録音機について軽く概観します。
アフリカにおけるフィールド・レコーディングの嚆矢と言えば、イギリス生まれの音楽研究家ヒュー・トレイシーです。彼はローデシア(今のジンバブウェ)のタバコ農場で働く間に、彼の地の人々の音楽と出会い、その魅力に惹かれたことで、民族音楽の研究に進みました。トレイシーは南アフリカを拠点に長年フィールド・レコーディングを繰り返したのですが(録音数は数万曲とも言われます)、1920〜30年代にはテープ録音機はまだ実用化されておらず、最初の頃はアセテート盤などに直接録音していました。そのような大掛かりな機材は、砂漠どころか屋外に持ち出して使用することなど非現実的だったはず。ヒュー・トレイシーによる初期の録音は、恐らく演奏者や歌い手をスタジオなどに招いて録音したのだろうと思います。
磁気録音の研究は19世紀末に始まり、磁気テープも1920年代に発明されましたが、テープ録音の研究が本格化するのは1930年代のことです。そして第二次世界大戦終結後の1940年代後半になって実用開発が進み、放送局などに導入されました。磁気テープ式録音機が相次いで売り出されましたものの、それらはどれも大型なものばかりでした。ヒュー・トレイシーも1949年からテープ録音を始め、デンマークの Lyrec 社のものなどを主要な録音機として使用していたようです。
こうした録音機は単に大きいだけでなく、動かすには交流電源(イギリス製だと240V)が必要でした。そのため屋外で使用するには発電機も用意することになります。発電機は大きな音を発生させ、それは録音に際して望ましくない雑音源となります。そのためヒュー・トレイシーは、マイクを向ける録音場所と発電機との間を最低100ヤード(100メートル弱)離したそうです。つまり電源ケーブルも100メートル以上持って行ったということです。写真用のカメラは機械式であり、映像を映すシネカメラはゼンマイ動力だったので、どちらも撮影するための電源を必要としません。この点が録音と撮影の大きな違いです(もちろん夜間の撮影には照明が必要で、そのための電気は発電機から弾くことになります)。
1950年代にカラハリ砂漠で生きるブッシュマンを探し求めたローレンス・ヴァン・デル・ポストはどうだったか。彼が制作したブッシュマンの記録映画を観ると、彼の隊が持っていった録音機が写っています。おそらくこれはイギリスで1954年に製造が開始されたフェログラフ社の Ferrograph Series 2 だと思います。この録音機の定格を調べると重量は27kgとあり、こんな重いものを持って砂漠を移動した当時の苦労が偲ばれます(ヴァン・デル・ポストはイギリスのBBCから委託されて撮影を行なったので、当時BBCに納品されていたフェログラフ社の録音機と同じものを使ったのでしょう)。
Ferrograph Series 2
1950年代は可搬可能なポータブルなテープレコーダーの開発が進んだ時代でもあります。その象徴と言えるのが、1951年に発表されたスイス・ナグラ社の Nagra I です。続いて改良型の Nagra II が登場しました。これによって小型化が実現したものの、まだまだ動作は不安定だったようです。このような録音機を砂漠に持っていくことは現実的ではありません(Nagra II は乾電池・・・日本の規格だと単1・・・で駆動でき、定格は30時間と書かれています。ですが当時の乾電池の性能はそれほど良いとは思えないので、乾電池も結構消費したのでは?)。
そして1957年に、いよいよ Nagra III が登場します。これは画期的な録音機で、その後の映画やテレビの世界に革命をもたらした名機として高く評価されています。ヒュー・トレイシーもやがてこの Nagra III を使うようになりました。
Nagra III
ところで、ヒュー・トレイシーやローレンス・ヴァン・デル・ポスト、マーシャル一家といった、1950年代にアフリカでフィールド・レコーディングを行なった調査隊の自動車を写真で確認することができます(一番上の写真はヒュー・トレイシーのもの)。それらを見ると、いずれもかなり大きな車で、荷台のついたトラックに近いものです。マーシャルの場合は初期には車4台連ねたと記録に残っており、自動車に載せていくもの(テント、簡易ベッド・寝具、食料、調理道具、燃料、水、撮影機材、録音機材、発電機、等々)の多さを考えると、他の隊も同程度だったかと思います。これほど大きく重量のある車では砂深い砂漠を走ることなどとても無理です。ある程度整備された道やパンなどの干上がった平地しか走ることができません。カラハリの奥地には行きたくても行けなかっただろうと思います。
Nagra III の後も、オープンリールテープレコーダーの小型化が進み、乾電池の使用が普通になりました。長期の探索旅行ともなると、持参する乾電池も結構な量になります。ですが、発電機を必要としない電池駆動のポータブルな録音機であれば、肩にかけてマイクを手に持ち、車から離れて自由に歩き回れます。カラハリ砂漠でもブッシュマンのいるところまで歩いて行き、彼らに近づいて録音することがようやく可能になりました。
(この頃には日本のメーカー各社もポータブル機の開発を進め、製品を発表しています。面白いのはゼンマイ動力のものが開発されたことです。録音回路には電源が必要でそれは内臓電池により供給したのですが、テープを回転させる駆動部には電気を使わず、その分だけ電池の容量を減らすことができました。)
さらに、1980年代には DAT (Digital Audio Tape Recorder)が登場します。DAT は音声信号をデジタル化することで高音質録音と長時間録音を可能にしました。また DAT も小型化が進み、フィールド・レコーディングを容易にし、電池消費量の低減をもたらしました。ただし、テープ自体を無理に小さく、つまり細くて薄いものにしたため、熱や湿度に弱いなどの弱点もありました。
(DAT と前後して、コンパクトカセットや MD/Mini Disk も登場しましたが、オープンリールや DAT に比べると音質が劣るなどの理由から、フィールド・レコーディングには適せずほとんど使われませんでした。ここでは、録音機の歴史を中心に書いていますが、マイクやミキシングアンプも小型で高性能のものが次々と開発され、そのこともフィールド・レコーディングに寄与しました。)
続いてテープレスの録音機が登場します。内蔵ハードディスク HDD や SDカードなどの固体メディアに記録することで、さらなる高音質化と長時間録音が可能になりました。こうしたデジタル機器のメリットとして2チャンネルを越えるマルチトラック録音が可能なことも挙げられます(機種によって4チャンネル程度から10チャンネル以上)。この技術を活用したコンパクトなハンディレコーダーも登場します。固体メディアに記録するため、機械的な駆動部がなく内部雑音が発生せず、録音機にマイクをマウントできるようになったのです。また電池の消費量もさらに抑えられるようになりました。もちろん外部マイクを使用した方が音質は良いですが、手軽に録音できるというハンディレコーダーのメリットも見逃せないです。
ブッシュマンの録音は1990年代以降に増えています。これは DAT や SDレコーダーなどが登場したことで、移動も録音も遥かに楽になったからでしょう。また、古いフィールド・レコーディングを聴く時、録音時間が数分程度と短いことが不満なことの一つなのですが、こうした録音機が登場するよりずっと昔には、長時間録音は物理的に不可能だったので、これは仕方ありません。その点でも録音機の進化は画期的なことなのです。
マウスボウの演奏を録音するヒュー・トレイシー(撮影年不明だが、かなり後年だろう。マイクはノイマンかな? 彼はスタンドは使わず、いつも手持ちだった。)
(続く)