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カテゴリ:音 - Africa( 256 )



 Youssou N'Dour の新作 "History" が 4/26 にリリース予定。Spotify、Apple Music、fanc 等でも扱うので、これはインターナショナル盤なのだろう。

 先行シングル2曲がリリース済み。昨年のセネガル盤 "Respect" にも収録されていた "Habib Faye" は、昨年亡くなった Super Etoile de Dakar のサウンドの要/ベース&キーボード奏者 Hahib を悼む曲。今回はわずかにテンポを落としたショート・ヴァージョンになっている。もう1曲 "Confession" は、美しく、壮大なアレンジと歌の力強さが印象的だ。それにしても、ますます喉の調子が良さそうだ。

 これら2曲を聴いた感じでは、今度も "Respect" などの最近のドメスティック盤とは対照的に、ンバラ度の低い、インターナショナル・マーケットを意識したソロ作になっているのだろう。

 ところで、Youssou の Facebook 中の "My Story" を読んで、彼のミドルネームが Madjiguène だと初めて知った。







by desertjazz | 2019-04-17 18:00 | 音 - Africa

Fela Kuti On Vogue

 4/8 のこと、この日 Sandra Izsadore が Facebook に投稿した写真が目にとまった。下の写真がそれ(彼女の Facebook からコピーした)。そしてそこには、'Many thanks to BibiKakare-Yusuf for sharing this with me. Vogue British cover with FELA! 1961' とコメントが添えられている。

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 これは遠藤斗志也さんが、ご自身の音楽データベースの Discography of Fela Anikulapo-Kuti に掲載した写真の別ショットではないか!? Michael E. Veal が発掘したという 1961年のカラー写真を初めて見た時にはさすがに驚いた。1961年といえばフェラ・クティがまだロンドンに留学していた時代。その頃の写真が今回また新たに公になったようだ。


 そこで遠藤さんに連絡したところ、早々に調べてくださり、またいろいろご教示いただいた。以下は、これまでに分かったことのまとめ。

・これらの写真はヴォーグ英国版 "British Vogue" の 1961年10月号のために撮られた写真。その号ではジャズ特集が組まれたらしい。Sandra がアップしたのはその1カットと思われるが、今回どこに掲載されたものなのかは不明。

・1961年のフォト・セッションについては、英国版 Vogue 2018年10月号の"Archive" というページで取り上げられている。それによると、トランペットを構えてポーズをとるフェラの隣で澄まし顔の女性は Judy Dent。当時彼女は Vogue 誌と契約し、毎号の表紙を飾っていたようだ。

・その昨年10月号のページはネット検索すると簡単に見つかる。ところが意外なことに、Sandra の写真は Archeive のページの3枚とは重複しない。つまりは、Sandra の写真が 1961年版に採用されたカットで、2018年の3枚はそれの不採用カットということだろうか。謎だ?

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・これらの写真を撮影したのは Brian Duffy。David Bowie の作品など、ロック方面でも知られたカメラマンだ。

・Vogue 1961年10月号に関しては現物を手にしてみないと明らかにならないことがありそう。そこで Ebay でなどで探したが見つけられず。まあ気長に探し求めならが、情報を待とう。

・せめて 2018年10月号だけでも入手しておこうかと思ったが、これも思いの外高くて躊躇。しかしネットを探ると、全ベージ PDF になっているのを見つけた。(イリーガルなサイトかも知れないのでリンクは貼らないが、簡単に見つけられるはず。上のページもそこからダウンロード。)一応全ページに目を通してみたが、フェラ関連の記事は P.171 のみ。残念。これなら買う必要はないね。

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・遠藤さんは、これら以外のカットもネットで見つけられたとのこと(拝見したが、フェラの顔を一番よく捉えたショットだ)。1961年のフォト・セッションの写真は、一体どこにどれだけ公にされているのだろう?


 フェラ・クティは医学留学のためにナイジェリアからロンドンに飛んだものの、音楽への志を捨てられず、トリニティー・カレッジで音楽を学ぶ。そしてKoola Lobitos を結成。その時点ですでに Vogue や Brian Duffy から注目されるなんて、フェラは若い頃から存在感が絶大だったのだろう。

 1961年、フェラ・クティ 22歳。ジャズとマイルス・デイヴィスに憧れ、トランペットのトレーニングに励んでいた頃の、若きフェラの少年のような面構えがいい。





 ところで Judy Dent は、フェラとの写真では冷たい印象だけれど、他の写真では正統派美人でいいね! 気に入って、フェラよりジュディの方を検索している。

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(参考)https://mepdf.com/british-vogue-october-2018/



(追記 4/15)

 こんな写真もあった。

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'Fela with his mother, Funmilayo Ransome-Kuti in London, 1962.'







by desertjazz | 2019-04-14 00:00 | 音 - Africa



 オーケストラ・バオバブのサックス奏者イッサ・シソッコが、今月24日、日曜日の夜に亡くなった。個人的には特別思入れの強いアーティストだったので、とても哀しい。

 彼のサックスはいつ聴いても最高に気持ち良いし、ステージで見せるパフォーマンスは豪快で楽しい。民族衣装の要素を取り入れた独特なファッションも素敵だ。そしてなにより、彼の人柄にとことん惚れてしまっていた。

 このところ、The Star Band、Laba Sosseh、Orchestre Baobab など、60/70年代のセネガル音楽について徹底研究中で、資料の中に彼の名前が出てくる度に、イッサは今どうしているんだろうと考えていたところだった。メドゥーン・ジャロ、ンデウガ・ディエンが亡くなり、バテレミ(バルテレミ)・アティッソがグループを離れ、そしてイッサがいなくなったバオバブは、もうバオバブではない。実質的にひとつの歴史が閉じたことを感じる。



 振り返ってみると、バオバブ、そしてイッサと触れ合ったここ20年は、自分にとっても想い出深いものだ。(以下の多くはこれまでにも書いたことがある。)

 アフリカ音楽への興味がいよいよ高まった1990年代、ユッスー・ンドゥールとオーケストラ・バオバブのライブを、どうしても彼らの地元ダカールで観たくて、1999年に初めてダカールに飛んだ。
 着いた初日の深夜にチョーン・セックのライブに行き、本人に紹介されてしばらく立ち話。考えてみると、彼も短期間バオバブに在籍したシンガーだった。
 とても幸運なことに、数日後ユッスーが所有するクラブ・チョサンでのそのユッスーのライブも観ることができた(これはこれまでに観たあらゆるライブの中で最高のものである)。
 しかし、もうひとつの目的、バオバブのライブ情報がどうしても得られない。それもそのはず、彼らはとうに解散していたことを後で知ったのだった。それでも、潰れたクラブや民家などを回ってバオバブの全レコードを発掘できたことは、その後バオバブの音楽を理解し、彼らとの関係を産む上で大いに有益だった。

 2002年に World Cuicuit のニック・ゴールド Nick Gold の発案からバオバブが再結成。新作 “Specialist in all Styles“ をリリース。そして、なぜかその日本盤ライナーの原稿をワーナージャパンから依頼される。それも、ユッスー・ンドゥールの新作ライナーと同時に。素人の私に声をかけてくださった、当時担当の中村さんには今でも感謝している。
 そのライナー、集めうる限りの資料を読み漁って2ヶ月かけて書き上げた力作。不正確な記述もあるが、あの時点でよくここまで書けたなと自分でも思う。



 そして翌2003年6月、フランス・アングレームの音楽フェスへ。今では考えられないアフリカ中心の豪華なラインナップに呼び寄せられて。中でも一番のお目当てはもちろんオーケストラ・バオバブ。
 日中のサウンドチェックを観ただけで気分は最高潮。だって、長年憧れだったバオバブが素晴らしいサウンドを響かせているのだから。ところが、この後ステージの照明が崩れたためにこの日のライブは中止に。残念無念。

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(Angouleme, France 2003/06/06)


 翌日はバオバブへのインタビュー。待ち合わせに現れたのは、最初にイッサ、続いてバラ・シディベ、そしてバテレミ・アティッソだった。やっぱりこの3人がグループの中心人物なのだろう。日本公演招聘元から突如依頼されたインタビューで全くの準備不足、しかもインタビューはほぼ初体験。そのため無駄な質問も多くなってしまった。(この記事を書くために録音を聞き直してみた。)
 イッサとは、彼に影響を与えたスターバンドのデクスター・ジョンソンのことや彼が初めてサックスを手にした時の話だけで時間終了。他の2人にもバンド創設時のことをたっぷり訊いている。1967年に結成したバオバブの前身バンド Standard のことにまで話が及んでいて、これは今書き続けているセネガル音楽史にとっても有益な情報だ(2時間を超えるインタビュー。ずっと通訳し続けてくれたスキヤキのニコラさんにとっては、拷問のような時間だったでしょう。ゴメンよ、でも大感謝!)

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(Angouleme, France 2003/06/07)


 2003年8月、いよいよバオバブがスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドなどに出演するため初来日。しかしこのころはまだ、福野のスキヤキに行くという発想がなかった。ところが、日本に着いてこれから富山に飛ぶ彼らと羽田空港でばったり遭遇。これにはお互いビックリ!
 そして続く渋谷クアトロでの公演。ついに観たバオバブのステージは、とにかく最高だった。短いライブ評を雑誌『ミュージック・マガジン』に執筆。私が書いたライナーを公演直前にステージ手前で熱心に読んでいる女性を見かけて嬉しかったことも鮮明に覚えている。

(渋谷公演のステージ写真を探し出して眺めているのだけれど、いずれもイッサが超カッコイイ!! ただし、これらはプロの写真家が撮影した未公開ショットばかりなので、私が勝手に公開することはできません。)

 ライブ終了後、「メンバーたちの夕食の面倒をみてくれる?」と言い残し、スタッフたちが去っていく。みんな相当疲れがたまっていたんだろうな。一人残ってくれたのはWさんだっただろうか? しかたなく、メンバー全員を引き連れて渋谷の街を練り歩くことに。恐らく不思議な光景だったことだろう。どこか美味しい店に連れていこうと考えたのだが、メンバーたちは「安く済ませたいので、ファストフードでいい」とのこと。「フルーツ食べたい」と言われて夜間に売っている店が思いつかず困ったことも覚えている。日本料理を食べたい人はいるかと訊ねて着いて来たのはバテレミとアサンの2人。バテレミは日本酒もこのわたも美味しいと言って味わっていたな。

 彼らと再会したのは 2007年11月のパリ。新作 "Made in Dakar" のお披露目ライブを観に行った時のこと。当時はニック・ゴールドと(彼は自分ではメールを打ったりなどしないそうで、正確には彼のマネージャーと)やり取りしていた関係で、このライブにもインビテーションを出していただけた。
 サウンドチェックの頃を見計らって会場に行ってみると、まさにその真っ最中で、フロアの隅で眺めていた。すると、突然演奏を止めて、イッサがステージから降りて歩み寄って来るではないか。

「なぜここにいる?」(←フランス語なので想像)
「このライブを観るために日本から来たんだよ」(←日本語)

 その瞬間、イッサが満面の笑みで抱きついてきた。私のことを覚えていてくれただけでもビックリなのに! この時頬に押し付けられた無精髭のゴリゴリした感触は一生忘れない。

 足元が怪しかったので、バテレミのギターを運んであげたり、楽屋で70年代の頃のことや新作に関していくつか質問したり(質問のために古いレコードのジャケットをカラーコピーして持って行ったら、見せた途端に皆がそれを欲しがった。自分たちのレコードすら持っていないこと、恐らくは全盛期でも経済的に豊かでなかったことに驚かされたのだった)。ユッスーとある日本人に関する超内輪話を笑いながら明かしてくれたのも、確かイッサだったなぁ。

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(Paris, France 2007/11/08)


 その後、ライブをたっぷり堪能。そして、ホテルに戻って新作 "Made in Dakar" のライナーを仕上げてメールで入稿。


 しかし、まさかこれがイッサと会う最後になってしまうとは。



 こう振り返ってみると、イッサがいたバオバブを好きになったから、ユッスーのライナーを書き、彼に会う機会を得られたのかも知れないし、バオバブを通じてスキヤキとニコラとも縁を持つことができたし、他にも多くのミュージシャンや音楽関係者とも知り合えた。ホント、色々なことが繋がっているのだなぁと改めて思う。



 イッサは1946年生まれなので、まだ72歳か73歳という若さ(Facebook には「先月会ったばかり」といった驚きのコメントや近影が載せられている)。聞くところによると、一昨年に新作 "Tribute To Ndiouga Dieng" をリリースした際には、バオバブ側が来日公演を希望していたそうだ。今年も5月にオスロ公演とパリ公演が予定されている(パリは昨年のうちにチケット完売)など、彼らの人気は絶えていない。

 なので、またいつかイッサに会えるだろうと思っていたのだが、、、。


 オーケストラ・バオバブのレコードは今でもよく聴く。その度に、毎度気持ちが高まる。そして、いつも暖かく迎えてくれたイッサ(会った回数は少ないが)、ファッション・センスに秀でたイッサ、ステージでもオフでも豪快だったイッサを思い出す。彼は良き友人たちに囲まれて、人生を楽しく過ごしたのではないだろうか。自分はこれからもバオバブを聴き続けながら、少しでも彼の生き方を見習えたら良いなと思う。


 イッサ、素晴らしい音楽の数々をありがとう。
 そして、どうぞ安らかに。

 Issa Cissokho (1946-2019) R.I.P.
 






by desertjazz | 2019-03-27 19:00 | 音 - Africa

Nico 中毒

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「ニコ中毒」再発中(ニコチンじゃないよ)。

 最近入手した Alastair Johnston 氏の労作 "Docteur Nico Discography" をパラパラめくっていて、ニコのレコードを結構持っていることを知った。コンゴ音楽はとにかくフランコが大好きな反動からなのか、ニコには特に思い入れはないのだけれど、目にしたシングル、LP、CDは全て買っていたので、相当な数になっているのかも知れない。(大量にあるそうしたレコードを少しずつ聴き直しているのだが、いやはや1曲1曲の素晴らしいこと!)

 そうした所有盤の中でも Ngoma のシングル盤はかなり珍しいらしい。ジョンストン氏のディスコグラフィーで調べてみると、大半が全くリイシューされていない録音だ。いや単にレアなだけじゃなくて、どれも聴き惚れるくらいにいいなぁ。

 ならばと思って、CD-R 化を思い立った。ノイズがひどいので、まずは自分が聴くためのマスタリングを。ニコのディスコ本、エル・スールでも販売していただけることになったなので、せっかくだからこの CD-R を特典盤としてつけてもらおう!

 ところが、トラブル発生! ProTools 用の MacBook が絶不調。ProTools も MBox も起動しない。これでは iZotope でクリックノイズを除去することすらできない。2日間苦闘したが全くダメ。最後は Trigon の Phono EQ Out を ZOOM H6 に直接繋いでレコードを Wav 化。無料の ProTools First を DL してみるが、これも不機嫌。Mac 環境整備が最優先ということか? ギリギリ最低限の編集を施して、どうにか CD-R への書き出しにまでたどり着いた。

 その間に、CD-R のスリーブも試作。ここまでやって、iZotope を使って直接 Wav のノイズリダクションをできる(ProTools なしで)ことに気がつき、やっとバチバチノイズを除去。疲れたー!!

 取り敢えず8曲だけラフにマスタリングしてみたのだが、やっぱりニコは凄い! 名ギタリスト/名バンドリーダーであるのはもちろんのこと、曲ごとに音楽スタイルもギターの音色もガラッと変わり、また曲中でもハッとするようなコードチェンジや曲調の大転換が起こる。繰り返し聴いていても、飽きずに楽しいし、ここ数日の疲れも取れてきた。

 ここまで来て、どうやらやっと CD-R をディスコ本に添付できそうだ。




(追記)Docteur Nico "Ngoma Singles Vol.1" できた。

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by desertjazz | 2019-03-21 22:00 | 音 - Africa

History of Star Band


 スターバンド The Star Band de Dakar は一体いくつあったのだろうか? かねてからそんな疑問を抱いていた。今回、セネガルのこの名門バンドに在籍した歴代メンバーの遷移を辿ることで、その答えを探ってみることにした。

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 一般にスターバンドのアルバムは12枚リリースされたとされている。Ibrahim Kassé Production / Star 盤の IK 3020〜 IK 3031 で、その後、仏 Sonoafrica / Sonodisc によりリイシューされている(ただし後で触れるように12枚全部ではないようだ)。

1) Star Band de Dakar (IK 3020)
2) Star Band de Dakar (IK 3021)
3) Star Band de Dakar (IK 3022)
4) Star Band de Dakar (IK 3023)
5) Star Band de Dakar Volume 5 : Orchestre Laye Thiam (IK 3024)
6) Star Band de Dakar Volume 6 : Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope (IK 3025 / SAF 3025)
7) Star Band de Dakar Volume 7 : Orchestre Laye Thiam / Orchestre Saf Mounadem (IK 3026 / SAF 3026)
8) Star Band de Dakar (IK 3027)
9) Star Band de Dakar (IK 3028)
10) Star Band de Daka Volume 10 (IK 3029 / SAF 3029)
11) Star Band de Dakar (IK 3030)
12) Star Band de Dakar (IK 3031)

 これらのアルバムに記載されたパーソネルを確認すると、メンバー構成がかなり変化しており、サウンド面でもアルバムによって大きな違いが感じられる。スターバンドはメンバーの入れ替わりが激しかった。もしかすると、ミュージシャンたちが一斉に脱退した直後、その穴埋めに他のバンドを連れてきて、彼らに「スターバンド」と名乗らせたこともあったのではないだろうか? その有無を検証してみたい。加えて、これら12枚は録音年もリリース年もクレジットされていないので、その特定も試みたいと考えた。


 スターバンドはイブラヒム・カッセ Ibra (Ibrahim) Kassé がダカールで結成したバンドである。彼は若い時期にしばらくフランスで過ごし、その後セネガルに帰国、いとこが経営するレストラン Le Bon Coin Parisien のマネージャーに就任した。そして1960年4月4日にセネガルが独立するタイミングで、レストランをクラブ・ミアミ Le Miami に変えるのに合わせて、ハウスバンドを作ることを思いつく。

 バンド結成に当たってそのメンバーは Guinea Jazz や Tropical Jazz などから呼び寄せたという。(スターバンドの結成を1959年とする資料もある。何れにしても、メンバー集めは1959年頃から始まっていたのだろう。また余談になるが、アフロキューバンを中心にポップス全体を「ジャズ」と称したのは、コンゴやギニア、さらには日本などとも同様な傾向だったことは興味深い。)結成時のリーダー、ナイジェリア生まれのデクスター・ジョンソン Dexter Johnson は Guinea Jazz からスカウトされ、同じく結成メンバーの一人のマディ・コナテ Mady Konaté は Tropical Jazz の中心ミュージシャンでもあった(ただし、Tropical Jazz とい名称は Star Band より後に誕生したというのが私見)。最初期のスターバンドは、英語圏、ポルトガル語圏、フランス語圏のミュージシャンの集まりで、しかもセネガル人はたった一人だったという。これは大変珍しいことで、それもあって彼らはダカールにおいてインターナショナルなグループとしての評判を高めていったのだろう。

 クラブ・ミアミ Le Miami Bar Dancing はメディナの中心エリア Av. El H. Malick SY x Rue 16 にあった。ちなみに、後年スターバンドに加入するユッスー・ンドゥールの家は、ここから数ブロック先だったと伝えられる。

 ところで、オーナーのカッセはとにかく評判が悪い。彼はバンドを我がものとして自由に振る舞い、気に入らないメンバーをクビにすることも厭わなかったという。そのため、メンバーとの対立は絶えず、ギャラの安さもあってバンドを抜けるミュージシャンが多かった(長年ギタリストとして活躍した Yakhya Fall は、最新インタビューで「Tyrant だった」と答えている)。


 各アルバムのクレジット、および様々な資料(書籍やライナーノーツ)を参照して、バンドメンバーの変遷をまとめたのが上の表だ。もちろんこれはまだまだ完全ではないので、随時追記と修正をしていきたい。(とにかく資料を当たる度に食い違いばかりで、この表は様々なデータの最大公約的なものと思ってほしい。)

 ◎はオリジナルメンバー(あるいは最初期のメンバー)。ただし文献によって食い違いがある。◯は在籍したことを意味する。枠内の数字は、そのアルバムでリードシンガーを務めた曲数。


 まずは結成直後の主要メンバーをあげておこう。デクスター・ジョンソンが脱退する 1965年(64年?)頃までの 60年代前半を便宜的に「第1期」とする。先に書いた通り、セネガル人以外のミュージシャンがずらりと並ぶ。

Star Band (Period I) 1960-1965

Dexter Johnson (sax) from Nigeria
Bob Armstrong (tp) from Liberia
Mac Kenzie (tp) from Liberia
José Ramos (g) from Cape Verde
Amara Touré (vo, timbales) from Guinea
Many Konaté (sax) from Guinea
Harrison (b) from Nigeria
Lynx Tall (per) from Senegal

 65年にジョンソンは、自身のグループ Super Star de Dakar を結成するために脱退。彼は最初にスターバンドを抜けた一人だった。同じ頃、ガンビア出身の名ソネーロのラバ・ソッセー Laba Sosseh(64年または65年加入)やパペ・セック Pape Seck(67年加入。64年とする資料もあり)が加わる。彼らが中心的役割を担った 60年代後半を「第2期」とする。ソッセーはカッセとジョンソンがスカウトしたものの、ジョンソンとカッセーの2人がスターバンドで共演した期間はとても短かった。

 この時期のメンバー構成は正確には把握できていない。中心メンバーだったパペ・セックは、ヴォーカル、フルート、サックスをこなすマルチプレイヤー。サバール・ドラムとンバラのリズムをスターバンドに持ち込んだのが彼だとされる。また、67年に彼が作詞作曲した "Mathiaky" がヒット、アフロキューバンとサバールのリズムを結びつけたこのナンバーはウォロフ語とスペイン語で歌われた。68年に脱退してからは西アフリカ諸国を渡り歩き、アビジャンで Negro Star を結成。ここでジョンソンとソセーとも合流したようだ。

 60年代の終盤には、70年にオーケストラ・バオバブ Orchestre Baobab を結成するミュージシャンたちがスターバンドに集まっていたことも注目点だろう。

 次の70年代前半を「第3期」としよう。パペ・セック、ヤヤ・フォール Yakhya Fall (g)、マゲッテ・ンジャイ Maguette N'Diaye (vo)、ドゥドゥ・ソウ Doudou Sow (vo) らが中心的存在だったようだ。しかし彼らもまた新しいグループを結成するために脱退。"Star Band 2" と名乗りたかったが、それをカッセが拒絶したため、Star Number One などの名前を冠することとなった。

 そして70年代後半の「第4期」、1975年(76年?)に若きユッスー・ンドゥール Youssou N'Dour が加入し大人気となる。(ユッスーは12歳の時からスターバンドに出入りしていたとする資料もある。彼は 1959年10月生まれなので、それは1972年頃だ。)ところが、またまた脱出劇が巻き起こる。自分たちのバンドを組みたいと考えたユッスーたちが、77年(78年?)に一斉離脱してしまう。

 これでバンドは消滅・解散と思いきや、1980年に脱退したパペ・フォール Pape Fall が 84年に復帰。イブラ・カッセは 1992年7月12日に死去するが、その後スターバンドは Kasse Star に改名、1993年にはファースト・カセットをリリースしたと伝えられる。


 以下、各アルバムの参加メンバーをざっと見てみよう。

Star Band de Dakar Vol.1 (IK 3020)

José Ramos (g)
Pape Seck or Papa Seck (vo, sax, fl, arr.)
Maguette N'Diaye (vo)
Pape Djiby or Papa Djibril Fall (vo)
Malick Ann (vo, tumba)
Badou Diallo (timbales)
Thierno (alto sax)
Moustapha N'Diaye (b)
M. Casset (arr.)

 アルトサックスの Thierno は、ハラム Xalam などでも活躍し、現在はバオバブに在籍するチエルノ・コワテだと思う。

Star Band de Dakar Vol.2 (IK 3021)

Yakhia Fall (g)
Mansor Diagne (g)
Saliou Dieye (sax, fl)
Maguette N'Diaye (vo)
Doudou Sow (vo)
Malick Ann (vo, tumba)
Badou Diallo (timbales)
Mamané Fall (tama)
Khaly Ndiaye (b)
Mar Seck (vo)
Bala Cidibé (vo)

 Bala Cidibé はバオバブのバラ・シディベ Balla Sidibe だろう。ベースはバオバブのシャーリー Charlie Ndiaye だろうか? Mar Seck と Bala Cidibé は裏ジャケットのパーソネルリストには名前がないが、盤面のレーベルにはリードシンガーとして記録されている。

Star Band de Dakar Vol.3 (IK 3022)

(以下のパーソネルの原典は不明?)

Mar Seck (vo)
Laba Sosseh (vo)
Doudou Sow (vo)
Badou Diallo (timbales)
Malick Ann (vo, tumba)
Amadou Tall (tumba)
Mamané Fall (tama)
Yakya Fall (g)
Nanjane Ndiaye (g)
Idi Kasse (b)
Magatte N'diaye (vo)

 ラバ・ソッセーが4曲、ドゥドゥ・ソウが3曲でリードをとっている。マゲッティも1曲歌っているが、オリジナル盤にはクレジットされていない。

Star Band de Dakar Vol.4 (IK 3023)

Mar Seck (vo)
Laba Sosseh (vo)
Doudou Sow (vo)
Badou Diallo (timbales)
Malick Ann (vo, tumba)
Amadou Tall (tumba)
Mamané Fall (tama)
Yakya Fall (g)
Nanjane Ndiaye (g)
Idi Kasse (b)

 Vol.3 とほぼ同一のメンバー構成だったと思われる。

 次の Vol.5 から Vol.7 の3枚では、メンバーがガラッと代わっている。これが今回解き明かそうとしている謎の発端だ。

Star Band de Dakar Vol.5 : Orchestre Laye Thiam (IK 3024)

Abdoulaye (Laye) Thiam (tp, vo, chef, arr.)
Eddy John (vo)
Yao Kuassi (g)
Amairy Lolo (orgue)
Djinhoué Félix (b)
Djiguv Diakaté (dr)
Emmanuel Sangaré (manacas)

Star Band de Dakar Vol.6 : Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope (IK 3025 / SAF 3025)

Cheikh Tall (arr.)
Idy Diope (vo)
Seydina Wade (vo)

 彼ら3人以外のパーソネルは不明。

Star Band de Dakar Vol.7 : Orchestre Laye Thiam (IK 3026 / SAF 3026) Side-A

Abdoulaye (Laye) Thiam (tp, vo, chef, arr.)
Eddy John (vo)
Yao Kuassi (g)
Amairy Lolo (orgue)
Djinhoué Félix (b)
Djiguv Diakaté (dr)
Emmanuel Sangaré (manacas)

 Vol.5 と同一メンバー。maracas はマラカスの誤記だろう。

Star Band de Dakar Vol.7 : Orchestre Saf Mounadem (IK 3026 / SAF 3026) Side-B

Barthélémy Attisso (g, chef)
Balla Sidibé (vo)
Médoune Diallo (vo)
Issa Cissoko (sax)

 全員がオーケストラ・バオバブの面々。わずか4人ながら、まぎれもないバオバブ・サウンドを聴かせる。

 続いて第4期のアルバム。ユッスーが在籍したこの時期はパーソネルがほぼ固定している。おそらく短期間で録音されたからなのだろう。

Star Band de Dakar Vol.8 (IK 3027)
Star Band de Dakar Vol.9 (IK 3028)
Star Band de Dakar Vol.10 (IK 3029 / SAF 3029)

Mar Seck (vo)
Papa Fall (vo)
Laba Sosseh (vo)
Seck Diack (vo)
Alla Seck (vo)
Youssou N'Dour (vo)
Laye Thiame (tp)
Idi Kassé (b)
Manjour M'Boup (g)
Salés Thiame (as)
Assane Thiame (tama)
Kanté Alefa Seynl (g)
Abdou Fall (tebale)
Natar Queue (toumba)
Alla Seck (maracas)

Star Band de Dakar Vol.11 (IK 3030)
Star Band de Dakar Vol.12 (IK 3031)

Youssouf N'Dour (vo)
Papa Fall (vo)
Alla Seck (vo)
Ibra Kassé (p)
Cante Alfa Seyni (g)
Nabe Baba (g)
Matar Gueye (toumba)
Rabé Fall (toumba)
Idi Kassé (b)
Abdou Fall (timbales)
Assane Thiam (tama)

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 以上のようにスターバンドのメンバー構成は激しく変わり続けてきた。それでも、改めてメンバーの変遷表をじっくり見直すと、やはりスターバンドというユニットはずっと存在し続けていたのだろうと思える。デクスター・ジョンソンの脱退、ラバ・ソッセーの一時離脱、バオバブ、ナンバー・ワン、エトワール・ド・ダカールの結成を目的とする中心メンバーの退団といったように、スターバンドは少なくとも5度にわたって大きな危機に直面した。その一方で、ホセ・ラモス José Ramos 、パペ・フォール、マー・セックのように、期間をまたいで長年活動したメンバーもいたからだ。

 バンドがずっと続いていたと考える大きな理由は他にもある。スターバンドはダカールのトップバンドであったため、ミュージシャンたちの憧れの的であり、有望なミュージシャンを採用するのに苦労はしなかったからだ。スターバンドは若手たちにとって学校のような役割も果たしたというから、若いミュージシャンたちにとってはスターバンドで鍛えられることは絶対的に有利だった。そのために、多少メンバーが逃げて行ったところでさほど痛くはなかったことだろう。

 もう一つの理由は「スターバンド」というステイタスの大きさだ。新バンドの結成を目指した誰もが、スターバンドを名乗ろうとした。自分たちこそがスターバンドなのだという自負がよっぽど大きかったのだろう。しかし「スターバンド」の命名にはカッセが絶対的権利を主張したため、それは叶えられなかった。結果、新バンドの名前に Super Star や Star Number One のように Star を残したり、Etoile de Dakar のようにフランス語表記にされたりすることとなった。

 ただし、70年にバオバブを結成するため、バルテレミ・アティッソやバラ・シディベが突然いなくなったことは、カッセにとってよっぽどショックだったらしく、クラブ・ミアミを数週間閉めたほどだったという。

 そうしたことを考えると、スターバンドは長年にわたって安泰であったと言い切れない可能性もある。表を見て一番謎なのは Vol.5〜7の3枚の内容だ。他の時期のスターバンドとはメンバーがほとんど重ならない。サウンドも、スターバンドの売りだったアフロキューバン・スタイルからかけ離れている。これらはスターバンドが活動停止していた期間を一時凌ぎするための代替バンドだったのだろうか?


 そうした疑問を解くべく、各アルバムの録音年ないしリリース年の特定を試みた。

 まず、Vol.8〜12 はユッスー・ンドゥールが参加しているので、76〜77年頃の録音であるのは明らかだ。しかし、他のアルバムがさっぱり分からない。

 最初にヒントにしたのは、Vol.7 のB面。オーケストラ・バオバブのメンバーだけなので、Orchestre Saf Mounadem はバオバブの前身バンドだったのと考えてみた。だとすると、これは彼らがスターバンドを抜ける直前、69年または70年の録音となる(ただし、サックスのイッサ・シソッコはスターバンド自体には在籍しなかったとされている)。よって、録音順にアルバムが制作されたとすると、この Vol.7 までは70年までの録音となる。

 もう一つのヒントは、Vol.1 に 1972年に加入したパペ・フォールがクレジットされていること。しかしこれは上の仮定とは矛盾する。Vol.2〜4 には 76年に脱退する Number One 組が多いことからも、Vol.4 までは70年代前半の録音と考えた方が自然だ。

 ラバ・ソッセーの経歴がよくわからないことも話をややこしくさせた。60年代後半にアビジャンなどに滞在した後については、何を読んでもニューヨークでの活動に話が飛ぶ。しかし色々調べたところ、どうやら彼は70年代初頭にダカールに戻っていたらしいことが掴めてきた(それでも、彼が率いた Super International Band や Vedettes Band の N'Dardisc 盤がいつどこで録音されたかなどについては未だに不明)。彼は Vol.3 と Vol.4 でそれぞれ4曲リードシンガーを務めているが、これらを60年代前半の録音とするには無理があるので、73年以後としか考えられないだろう。逆に彼の名前がクレジットされていない最初の2枚はそれ以前の録音、つまりは 72年頃である可能性が高い。いや、そもそも60年代にセネガルでLPは作られたのだろうか?

 以上を総合すると、Vol.5〜7 は70年代中頃、74年か75年のアルバムと考えた方が辻褄が合う。

 Vol.1〜4 も実は75年にかなり近い年に発売されたのではないだろうか。それを示す根拠がいくつかある。1999年と2002年にダカールで入手した中古盤の多くには、購入日または入手日と思われるメモがある。これが案外貴重な情報なのだ。私が大量に集めたスターバンドのレコードのうち、Vol.1 と Vol.2 の1枚ずつに ’1975’ と書かれている。レコードの元の所有者の買った日付だとすると、レコードの発売年は74年か75年だったと推測される。

 この Vol.1 と Vol.2 のファーストプレスは、一辺約32cmのやや大判ジャケットとともに、重量盤(測ってみたら 180g前後あった)なのが特徴だ。しかし Vol.3 以降については、どれも薄いレコードばかりで重量盤は全く確認されていない(Vol.4 についてはその可能性が若干あるのだが)。ところが、なぜか Vol.12 だけは全てが重量盤。しかも、レーベルは Vol.1 などとそっくりのデザインなのだ。このことは12枚のアルバムが割合短期間に制作されたことを示唆しないだろうか。

(また余談になるが、確か Bar Bossa の林さんがどこかにお書きになった文章によると、ブラジルのレコード面に名前書きなどがあるのは、レコードを持ち寄った際にそれが誰のものか分からなくなるのを防ぐためだったからなんだとか。当時はそれだけレコードが貴重だったのだろう。ダカールで入手したレコードの大部分にも名前などがはっきり書き込まれている。そのことで思い出したのは、"Roots in Reverse" で描かれたレコード・クラブ・パーティーの様子。ブラジルとまるでそっくりな光景が頭に浮かぶ。)

 今回データを整理していて、オリジナル盤には 'Vol.' といった表記が一切なく(訂正:Volume 4 にはあった)、また Vol.5, 6, 7 には Star Band の表記もないことに、今更ながら気がついた(フランスプレスの Vol.5 だけが例外)。また 'Vol.' 表記のあるリイシューにしても見つけられたのは SAF 3025, 3026, 3029 の3タイトルだけだった。他についてはいくら探しても見当たらないので、" Star Band Vol.1" 等々と題されたレコードは果たして存在したのだろうか? こうしたリイシュー盤の表記を鵜呑みにしたことで、12枚全てがスターバンドのアルバムなのだという刷り込みが強くなってしまったのかも知れない。

 そう考えるに至って、Vol.7 が 1975年頃のリリースだと確信が持てるようになってきた。と、ここまで書いたところで、Orchestre Laye Thiam や Orchestre Saf Mounadem がカッセのセカンドバンド的な存在だっとする記述に出会った(そういえば、そんなことを昔にも読んだ記憶がある)。そう考えると、いよいよ頭の中がスッキリしてきた。

 70年の脱退劇でカッセを激怒させたはずのバオバブのメンバーたちが、なぜカッセと和解できたのか、なぜカッセが彼らを録音する気になったのか、やっぱり不思議だ。1975年のアルバム5枚分の録音というマラソン・セッションを行ったバオバブが同時期、カッセのもとでも録音を行った理由がわからない。だが、カッセにとっては、相次ぐ大量脱退への対応策としてバックアップ・バンドを用意しておきたかったのだろうか。あるいは、スターバンドへの人気の高さもあって、連日クラブを営業するためにはバンド一つでは足りず、第2グループを持つ必要もあったのだろうか。考えるほどに、色々なケースが想像される。

 バオバブにしても、クラブ・バオバブでの仕事を得て、さらにはメンバーが固定化させることで、一見安定期を迎えたようだが、実際にはどうもそうではなかったようだ。(2007年のパリ公演でのこと、バオバブの楽屋でインタビューした時に、1975年の一連のアルバムをメンバーの誰もが持っていないことを知って驚いたのだった。自分たちのレコードすら買えないほど経済的余裕などなかったのだろうか?)75年に名盤 "Bamba" を完成させる Le Sahel の3人、Cheikh Tall、Idy Diope、Seydina Wade らにとっても、そうした事情は似通っていたはずだ。(この3人が揃っていることも、Vol.6 が 75年頃に録音された可能性を高める。)


 以上の分析から得られる結論。

1. スターバンドは30年を超える長き期間にわたって存続し続けた。
2. Vol.5, 6, 7 の3つのバンドはスターバンドではなく、カッセによるサブグループだった。
3. Vol.1, 2 の録音/リリースは 72年か73年、Vol.3, 4 は 73年か74年、Vol.5, 6, 7 は74年か75年、Vol.8, 9, 10 は76年頃、Vol.11, 12 は77年頃と推測する。


 こうしたことは、セネガル音楽の研究家、あるいはバルテレミやイッサなどバオバブの誰かに訊ねた方が早かったのかもしれない。でも、イッサに再会できたとしても、2003年にインタビューした時と同様、「そんなこと、もういいだろう」とばかり、またさっさと席を立ってしまうんだろうなぁ。


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References

・Discography


・Books

Richard M. Shain "roots in reverse: Senegalese Afro-cuban Music and Tropical Cosmopolitanism" (2018)
Florent Mazzoleni "Afro Pop: L'age D'or des Grands Orchestres Africains" (2011)

・Linernotes

"Star Band de Dakar" (Bellot Records, 2010)
Etoile de Dakar featuring Youssou N'Sour "Once Upon A Time in Senegal - The Birth of Mbalax 1979-1981" (Sterns, 2010)
Pape Fall and African Salsa "Artisanat" (Sterns, 2002)


 他、多数。自分がまとめたディスコグラフィーも整理し直したい。データを整理して、スターバンドのきちんとして通史を書いてみたいとも思う。(今バオバブの歴史についても調べ直しているところなのだが、両者は深く関係し合っていて面白い。)





(続く)


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追記1 (2019/03/13)

1) スターバンド在籍ミュージシャンに関して新たな情報が多数得られたので、メンバー遷移表を更新。Ver. 20190313。

2) "roots in reverse" の著者 Richard M. Shain さんから連絡。Vol.1 のパーソネルに関して「アルトサックスの Thierno は、ハラム Xalam などでも活躍し、現在はバオバブに在籍するチエルノ・コワテだと思う。」と推測したのは、その通りだとのこと。

3) "Senegal 70" (Analog Africa AACD 079) のライナーを読んでみたら、Analog Africa の Samy Ben Redjeb さんと Teranga Beat の Adamantios Kafetzis さんによる貴重な情報が満載。スターバンド関連では:

・Ibra Kassé が生まれたのは 1927年。生誕地はカオラック Kaolack。10代の時にフランスに渡り(密航し?)様々な職につく。その経歴が興味深い。彼は若い頃から相当なヤリ手だったようだ。フランス人女性を結婚し、セネガルに帰国。そして Le Bon Coin Parisien を開店(ここではいとこ云々という話は出てこない)。

・スターバンドを出入りしたミュージシャンの経歴についても多く書かれている。ただし、Aly Penda が「1971年から1975年の間、スターバンドなどで演奏した」とインタビューに答えている(P.21)一方で、1969年にスターバンドを脱退して Tropical Jazz に合流したとも書かれている(P.35)。どちらが正しいのだろう? こんな矛盾ばかりだ。

・その Tropical Jazz de Dakar はやはりスターバンドの後、1969年の結成だった。Mady Konaté のもとに、スターバンドから Sidat Ly、Aly Penda、Lynx Tall、Birame Yacine が集まったとのこと。

・Laba Sosseh は 1968年まで Super Star に在籍。その後アビジャンで Dexter Johnson とグループ名で問題を起こした逸話は面白い。

・チョーン・セック Thione Seck も 1973年に短期間スターバンドにいたらしい。

・一番重要なのは Orchestre Laye Thiam に関する Pape Diallo へのインタビュー。彼らのファーストLP(つまり IK 3024)は 1971 年か72年に録音され、セカンド(IK 3026)は 1974年頃にリリースされたと書かれている。

・もうひとつ見逃せないのは、カオラックでのコンサート後に起こった事件。演奏が良くなかったことに怒ったカッセとバンドのベテラン組とが衝突。カッセは彼らを全員クビにしたという。そこで急遽、先に加入していたメドゥーン・ジャロの他に、Standard というバンドにいたバラ・シディベ、バルテレミ・アティッソ、ルディ・ゴミスらを集めて、新たなスターバンドを組んだということ。これがオーケストラ・バオバブの出発点のひとつと考えて良いだろう。

4) スターバンドは基本的に絶えず続いていたとする推測には変わりはない。しかし、バオバブたちが1970年代半ばの録音したものを、カッセのレーベルからリリースしたとするのは、やはり不自然。"Senegal 70" のライナーを読んで、バオバブの録音(IK 3026 のB面)は1969年か70年の録音なのではと、考えが後戻りし始めた。もうひとつの可能性として例えば、LP を作るのには Orchestre Laye Thiam の録音だけでは足りないので、その穴埋めにバオバブの古い録音を持ち出した可能性も考えられるのではないだろうか?


追記2 (2019/03/13)

5) Idrissa Diop & Cheikh Tidiane Tall "Diamonoye Tiopité: L'époque de L'évolution" (Teranga Beat TBCD 013, 2010) のライナーにも重要な情報が。

・"Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope" (IK 3025) が制作されたのは 1975年だったと、イドリッサが答えている。イドリッサたちは Le Sahel とはまた別のグループを組んでいて、、2年間ミアミで演奏していた。それで、彼らの方からカッセにレコーディングを持ちかけたらしい。

・これで次の "Vol.7" (IK 3026) がリリースされたのも 1975年だったと考えて良さそうだ。

(イドリッサのファースト・アルバム "Dioubo" が N'dardisc からリリースされたのは 1969年、彼が19歳の時だった、等々、このライナーを改めて読むと、他にも興味深い記述がいくつもある。そのあたりについては後日書いてみたい。)


追記3 (2019/03/14)

6) Mar Seck "Vagabonde" (Teranga Beat TBCD 018) のライナーにも情報数多。それらに基づいて「メンバー遷移表」を更新。このライナーには60年代末のスターバンドのパーソネルが記載されていて、結成時のメンバーのホセ、ハリソン、アームストロングが残っていることがわかった。このライナーによると、イッサ・シソッコも短期間スターバンドの一員だったようだ。マー、ヤヤ、マゲッテが参加した経緯についても明かされている。
 そして、さらに有益な資料が見つかった。

(それらから得られた情報については次回に。)



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by desertjazz | 2019-03-12 00:00 | 音 - Africa

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 "Roots in Reverse" を読み終えてのメモ、今回はセネガルのレコード・レーベル、ンダールディスク N'dardisc に関する話。

 このレーベルは、1960年代後半、スターバンド脱退後の Dexter Johnson や Laba Sosseh のレコードをいつくかリリースしているので、セネガルのアフロキューバン音楽について調べるとき、自然とそれらを聴きながらの作業になる。その過程で、このレーベルは彼ら以外のレコードもいろいろ出しており、またある程度の数、自分の手元にあることにも(最近になって)気がついた。それでも、ンダールディスクは所詮はダカールの弱小レーベルに過ぎないと思っていた。

 ところが、昨日、深沢美樹さんが Facebook に投稿された記事を読んで驚いてしまった。



 ンダールディスクは、サン=ルイにあったレーベルのソポフォンを興りとし、多数のSPを制作してきたと言う。そして「ソポフォン~ンダールディスクこそセネガル音楽の老舗レーベル、名門レーベルとの感を強くしたのでした。」と結ばれている。見事な分析で、拝読して思わず唸ってしまった。しかも Radio Africa のサイトにンダールディスクのディスコグラフィーがあると書かれているではないか。早速チェックしてみると、「西アフリカを対象とした最初の業録音レーベルのひとつ」といったことさえ書かれている。このレーベルがそれほど重要視されていたとは知らなかった。



 このディスコグラフィーを見て「これもンダールディスク盤だったのか!」と知ったレコードが数枚。そうしたことにも今まで全く気がつかなかった。

 ところで、ンダールディスクの7インチとLP盤は何タイトルあるのだろう。そのような興味は以前から持っていて、今回このディスコグラフィーと自分の所有盤とを照合してみた。手元にあるLPは Idy Diop の 33-15 までで、7インチは 45.08 から 45.26 までほぼ揃っている。Radio Africa のディスコグラフィーもそれぞれ 33-15 と 45.26 で終わっており、Discogs でも同様。よって、12インチの最終番号は 33-15、7インチの最後は 45.26 だった可能性が高い。また 45.07 より前の7インチはどこにも記載されていないので、存在するとすれば相当なレア盤なのだろう。

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 このディスコグラフィーをじっと見て気づいたことがもうひとつ。前々回の記事で紹介した Sexteto Habanero と同じEPが載っている。そのレコードを見直すと 'DISTRIBUTOR EXCLUSIVO - L. FOURMENT - B. P. 2477 DAKAR' と記載されているではないか。L. Fourment はンダールディスクのオーナーで、アドレスもンダールのものだ。と言うことは、この BEFOR はンダールディスクのサブレーベルということか?(No 17.01 というナンバーは 17センチ盤の1枚目を表していると推測。)

 ンダールディスク盤に限らずセネガルのレコードには LA RADIO AFRICAINE とスタンプが押されたものがとても多い。多分70年代頃の有名なレコード店だったのだろうと想像していたが、今回の深沢さんの文章を読んで、その点に関しても合点が行ったのだった。Dexter Johnson & Le Super Star de Dakar "Live a l'Etoile" (Teranga Beat TBLP 019, 2014) のライナーの Djibril Gaby Gaye の文章にも、同様な興味深いことが書かれている。

'At the time Dexter was in Senegal, we did not have a vinyl pressing plant. We had very few record shops, for example the RADIO AFRICAINE of Bernardot in Avenue Jean Jars, close to the "a l'toile" where Dexter was playing. He did manage to record a few 45s here, but the fabrication was done in France - we never had a pressing plant here, never. N'Dardisc was doing the recordings, which were sent to France for production.'


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 ンダールディスク盤について調べていて、最近知ったことが他にもいくつか。

 45.10 は Laba Sosseh et son Orchestre Vedettes Band の7インチ。Vedettes Band はラバ・ソッセーが International Band の次に組んだバンドなのだが(数ヶ月で解散したらしい)、このクレジットを見ると何とオーケストラ・バオバブのイッサ・シソッコが参加しており、1曲ではアレンジも担当している。1967年の録音なので、もしかするとイッサの初録音だったのでは?と想像したりして。

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 "Roots in Reverse" を読んでいると、イディ(イドリッサ)Idrissa Diop (Idy Diop) のことについても書きたくなった。しかし、彼に関してはとっくに書き上げていたことを思い出したのだった。今はもうこれほど詳しくは、とても書けない。




 これらを読み直すと、彼の極初期の録音に Rio Band de Dakar がある。聴いてみたいなと思っていたら、そのンダールディスク盤が7インチ箱から出て来て、自分でもびっくり。

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 その Idrissa の最新アルバムは、昨年リリースした "L'aventurier" だ。アフロキューバンではなく、Youssou N'Dour、Kine Lam、Omar Pene、Ismael Lo などのンバラ・カバー集で、今でも元気な歌声を聴かせている。

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(続く)







by desertjazz | 2019-02-27 12:00 | 音 - Africa

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 Richard M. Shain の "Roots In Reverse" に限らずどの資料でも、セネガルにおけるアフロキューバン・オーケストラの出発点はスターバンド The Star Band であったことが強調される。なので、クラブ・オーナーとしてスターバンドを生んだイブラ・カッセ Ibra Kassé と、最初期のバンド・リーダーだったデクスター・ジョンソン Dexter Johnson の二人こそ、セネガリーズ・ポップ黎明期の大立役者であったと言えるだろう。そのデクスター・ジョンソンなのだが、詳しく書かれたバイオグラフィーも見当たらないため、彼の経歴は結構掴みにくい。ありがたいことに、"Roots In Reverse" には彼に関する情報も多いので、他の資料も参照しつつ、その辺を少し整理してみたい。


 Biography of Dexter Allui Johnson (1932-1981)


 デクスター・ジョンソンは、1932年にナイジェリアのイバダンで生まれた。父は地元の診療所のディレクター、母は教師だった。当初は父の仕事を継ぐべく医療を学んでいたものの、程なくそれをやめて Samuel Akpabot Orchestra に加入。担当楽器はドラムだけだったが、次に加入した Lile Star Band というブラスバンドではホーン楽器を担当するようになる。

 50年代しばらくラゴスのハイライフ・シーンで活動した後、リベリアのモンロビアに移動。それからマリのバマコへ移る。当時のバマコにはセネガル人プレイヤーが多数集まっており、ジョンソンは彼らと出会ったことで、1957年に今度はダカールへと活動の場を移すことにした。それはより多くの稼ぎを見越してのことだったようだ。

 ダカールにやって来たジョンソンは、最初はハイライフを演奏していた。しかし、ここはハイライフが人気の英語圏ではなく仏語圏。そのため彼の演奏は見向きもされず、それで演奏スタイルを変えていくことに。ジョンソンは、やがてギニア人ギタリスト Papa Diabaté と出会い、Guinea Jazz などで共に活動。そして Moulin Rouge Club で彼らの演奏を観たイブラ・カッセがスターバンドのリーダーにジョンソンを据えることを思い立つ。そのアイディアを受け入れたジョンソンはスターバンドを率いて活躍することになる。

 1964年、イブラ・カッセと仲違いし(と言うより、ダカールの実力者たちから説得され援助も受けてのことだったようだ)スターバンドを脱退。その後は自身が率いるバンド Superstar de Dakar やラバ・ソッセーが結成した Super International Band などで活動する(後者については実際どの程度あったのか再調査中)。1970年にはセネガルからも離れて、コート・ジヴォワールのアビジャンに拠点を移す。この頃は Manu Dibango や Boncana Maiga とも活動し、また渡米してレコーディングも行った。

 ジョンソンが亡くなったのは 1981年、享年49歳。(Teranga Beat 盤のライナーノートには、誕生日も逝去日も同じ8月26日と書かれているが、さすがにこれは間違いだろう?)彼の葬儀を執り行ったのは(前回の記事でも触れた)Daniel Cuxac だった。

 デクスター・ジョンソンのメイン楽器はテナーサックスだが、多数のブラス楽器をこなす結構なマルチ・インストゥルメンタリストだったようだ。また、彼自身が作曲することはなかったものの、大半の曲のアレンジを担当したらしい。彼はとても物静かな人物だったそうだ。しかし、配下のミュージシャンの演奏テクニックに関しては大変厳しく、周囲の人々は彼に対して尊敬と恐怖を抱いていたという。

 数々のバンドを通じてジョンソンの芳醇でまろやかなテナーサックスは愛され続けた。とにかくダカール時代の彼は多くのミュージシャンたちにとって憧れの的で、誰もがなんとか近づきたいと思ったようだ。ラバ・ソッセー Laba Sosseh もそんな若者のひとりだったのだろう。スターバンドがガンビアのバンジュルまで演奏旅行に行ったとき、ラバ・ソッセーが「歌わせてほしい」と言ってきた。その時歌った "Guatanamera" を聴いたカッセとジョンソンが、ラバ・ソッセーを気に入り、彼をスターバンドに加入させたという。二人はスターバンドを抜けた後も多くの共演を果たす。ジョンソンがアビジャンに向かったのは、ラバ・ソッセーを追ってのことだったという話も伝わっている。ただし、ダカールを離れた二人が同じバンドでプレイすることは二度となかったという。

 オーケストラ・バオバブ Orchestra Baobab のサックス奏者、イッサ・シソッコもジョンソンに憧れを抱いていた。イッサはジョンソンのテナー・スタイルを模倣したという。イッサが67年に録音に参加したレコードを持っていることに最近気がついたのだが、それを聴くと確かに彼のテナーはジョンソンそっくりだ(後日紹介予定)。セネガルのアフロキューバンは、パーカッションによるリズムを強調した激しいキューバのスタイルと比べると、ゆったりとしていてスムーズである。セネガルの音楽がそのようなサウンドを長年保ち続けたのには、ジョンソンの影響がかなり大きかったのかも知れない、などとも思う。

(2003年にオーケストラ・バオバブに初めてインタビューした際、イッサたち最初に質問したのはデクスター・ジョンソンのことだった。先日そのインタビュー・テープが自宅で「発掘」されたので、聞き直してみようと思っている。)


 Discography of Dexter Johnson


 1960年代前半、デクスター・ジョンソン在籍時のスターバンドの公式録音は存在しない。(しないはず? もしかすると SP 録音が残されていたりして?などとも想像してしまうのだが、、、。)スターバンド脱退後、セネガルで自身のバンドを率いた時代の録音はンダールディスク N'DARDISC などからリリースされている(60年代セネガルにはプレス工場がなかったので、録音テープをフランスに送って7インチのシングルやEPを作っていた)。手元にある7インチ盤と複数のディスコグラフィーとを照合した限りでは、以下で全てのようだ。リリース年は恐らく 1967〜1971年ころ。

 N'DARDISC

No 45.08 : Laba Sosseh - Dexter Johnson et Super Star de Dakar (A) La Sitiera (B) El Loco
No 45.09 : Dexter Johnson - Super Star de Dakar (A) La Mujer de Oriente / Dexter le Invita a Bailar (B) Angelitos Negros / Lejana Campina
No 45.11 : Dexter Johnson - Super Star Dakar (A) Mini Compay / La Bicicletta (B) Seul
No 45.13 : Dexter Johnson - Super Star Dakar (A) Maria Helena (B) Yo No Quiero Lios
No 45.22 : Dexter Johnson Laba Sosseh (A) Seyni Kay Fonema / Ayo Nene (B) Aminata / Come My Love
No 45.24 : Dexter Johnson - Laba Sosseh avec le Super Star de Dakar (A) Yolanda Dime Que Si (B) Caminos de Ayer

 PATHE

PF 11.602 : Dexter Johnson et Le Super Star (A) La Mujer de Oriente (B) Dexter le Invita a Bailer

 ンダールディスクはジャケ写真の雰囲気がいいので、いくつか紹介してみよう(残念ながら、ダカールで集めたものの大半はコンディションが良くないのだが)。


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 アビジャン時代にはアルバムを2枚?リリースしている。製作は Daniel M.J. Cuxac。タイトル通り、トレスやヴァイオリン(ソロとアンサンブル)をふんだんに盛り込んだ、真性キューバン・スタイルのサウンドだ(1967年12月、ニューヨーク録音?)。恐らく彼の現役時代のアルバムはこれらだけだろう。

Estrellas Africanas de Dexter Johnson "Conjunto Estrellas Africanas Volume 1" (Disco Stock LPDS 7901)
Dexter Johnson & Estrellas Africanas "Vol 2 - Manisero" (1979)

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 ジョンソンが亡くなった後の CD 時代に入ってからは、私家録音などを復刻したアルバムがいくつかリリースされている。Dakar Sound の音源は Moussa Diallo によるもので、ジョンソンが在籍した 1964年のスターバンドの録音が3トラック含まれている価値は大きい。(スリーブは記事のトップに掲載)

"Dexter Johnson & Super Star de Dakar" (Dakar Sound DKS 016, 1998)
"Starband - Superstar de Dakar - International Band featuring: Dexter Johnson" (Dakar Sound DKS 017, 1999)
Dexter Johnson & Le Super Star de Dakar "Live a l'Etoile" (Teranga Beat TBLP 019, 2014)



 ここまで書いて、次は Orchestra Baobab、そして Dexter Johnson と関わりの深かった Laba Sosseh について書く準備をしていたところに、とても興味深い情報が飛び込んできた。それを参考に早速調べているのだが、新たに色々なことが判明してきた。なので、ここに書いた内容に関しても後日追記したいと思う。


(続く)







by desertjazz | 2019-02-26 23:00 | 音 - Africa

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 Richard M. Shain "Roots in Reverse: Senegalese Afro-Cuban Music and Tropical Cosmopolitanism" 読了。キューバ音楽がどのようにパリを経由してセネガルに伝わり、それがどのようにカリブ世界に還流したか、その歴史と背景、セネガル人心への影響を詳らかにした研究書。

 以下、内容をメモ的にざっくり紹介。

 まず第1章で、キューバ音楽を短く概観し、その主要スタイルを解説する。そして第2章では、パリを舞台にキューバとセネガルをつなぐ。その過程における最初の重要曲として挙げられているが Rita Montaner の歌った "El Manisero"。1929年、彼女のパリ公演でこの曲が喝采を浴びたことが、キューバ音楽が注目される契機となったらしい。

 キューバからパリに渡ったアフロキューバン音楽は、クラブ Cabane Cubaine などで親しまれた。そこは黒人と白人が自然と交わる場だった(その点が、ニューヨークのハーレムとは異なる)。
 そうした場所に、パリ留学中のサンゴール Léopold Senghor や Socé Diop も通ったという。だがサンゴールは自身のネグリチュードにおいて文学やハイアートを重視。そのため後年セネガルの国策として音楽が支援されることはなかった(隣国ギニアとは対照的で、そこにはキューバ革命も影響したという)。
 それでもミュージシャンや大衆はアフロキューバンに傾倒した(南アを除く他のアフリカ諸国と同様)。彼らがジャズではなくアフロキューバンを選択した理由が詳述される。簡単に言うと、アフロキューバンの中に自身の民族の音楽と共通した要素を見出し、アフロキューバンを自分たちの音楽だと受け止めたから、ということだ。

 この辺りは、読んでいると自分のキューバ音楽の知識と理解度を試されているかのようだ。ありがたいことに、予備知識なしでも分かるように書かれているが。

 第3章は Afro-Cuban Record Club という交流の場を軸に、1950年代以降のダカールについて描写。この章を通して、音楽の背景にある新世代の人々のアイデンティティー形成についても詳述される。
 1920年代以降アフリカの都市部にレコードが流入することにより、欧米の音楽の受容が進んだことは良く知られるところ。人口集中と民族の混交が進んだダカールでは、50年代に次の段階としてレコード・クラブという集まりが持たれるようになった。これは10人程度の男子学生が集い、収集したアフロキューバンのレコードを持ち寄って聴いて、その内容について語り合うという場。そんなことが始まったのには Cha-Cha-Cha 人気もきっかけとなったようだ。
 彼らは雑誌などを参考にしてアフロキューバンのダンスも研究したという。また彼らにとっては、ファッションなどの洗練さも重要視すべきものだったようだ。
 レコード・クラブはやがて、女子学生も呼び込んで催されるアルコール抜きのパーティーへと変化していった。レコードが多いほど女子を集めやすいと思った話や、レア盤が何か悟られないようにラベルを削り取ったなんて逸話が面白い。
 こうした場にいた一人が、後年大プロデューサーとして名をなすイブラヒム・シラ Ibrahima Sylla だ。ダカールの店に入荷するレコードが瞬時(数時間で!)に売り切れる中、彼は外国に行く友人なども頼ってレコードを集めたため、そのコレクションは周囲の人たちに優っていた。レコード・クラブには、彼以外にも後年音楽学者などとして活躍する人物が多かった。
 
 そして実際にライブ・コンサートでアフロキューバン音楽を楽しむ時代へと移っていく。そうしたライブに直接触れる機会はまだまだ少なかったが、欧州路線を往復する船内で演奏するバンドが、ダカール停泊中に市内でもライブをすることもあったようだ。
 40年代〜50年代に建設されたサッカースタジアムを利用した大規模な(チケットが安い)コンサートと、上流階級向けにホテルでなされる(高額な)ライブとの二極化の動きも見られた。
 コンサートの需要が高まる中、レコード・クラブにいた Daniel Cuxac はプロモーターへと転身。航空会社で働いていた彼はその立場を利用してラテン諸国の関係者との間で親交を深めていったという。現在 Analog Africa を経営する Samy Ben Redjeb が、かつて国際線の搭乗員だった頃に世界中を飛び回ってレコードを買い集めたことを連想させる逸話でもある。
 本家アフロキューバン・グループの公演として何と言ってもエポックメイキングだったのは Orquesta Aragon だった。ただしそれは、サンゴールの力が弱まった 1979年にようやく実現したことだった。著者は Septeto Habanero がダカールで公演を行ったという証言も得たが、どうやら確証は掴めなかったようだ。

 こうした文章を読んでいると、1999年と2002年にダカールでレコードを探し回った際(800枚くらい買った → 訂正:「80kgくらい」の記憶違いだった)、アフロキューバンのレコードもザクザク出てきて、ダカールでのその人気ぶりが偲ばれたことを思い出す。


(追記)ダカールでレコハンした時、Sexteto Habanero のダカール盤まで見つけて、セネガルにおけるキューバのソンの人気が偲ばれたのだった。

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 第4章では、60年代〜70年代に大活躍した The Star Band、Xalam(後年の同名グループではなく、通称 'un' の方)、Orchestra Baobab、No.1、Laba Sosseh といった主要グループ/ミュージシャンの経歴について詳述。自分が知りたかったことばかり! こんな本が読みたかった! 全訳書き起こして紹介したいくらいだ。

 この章はとにかく内容豊富。例えば The Star Band に関することで、個人的に興味を抱いた記述をいくつか拾ってみると、、、(やや抄訳/意訳)

・この時代に初めて、非グリオの出自を持ったフルタイムのプロのミュージシャンが登場した。
・ラテン・オーケストラが国民意識の脱植民地化と自国の文化形成に大きな役割を果たした。特に Star Band と Laba Sosseh が重要。
・Star Band こそ、すべてのミュージシャンにとって基礎であり手本とする存在だった。とりわけ Ibra Kassé(Star Band を生んだ、ミアミ Club Miami のオーナー)と Dexter Johnson(ナイジェリア出身のサックス奏者)の果たした役割が大きい。
・通常 Star Band の結成年は 1960年とされることが多いが、ここでは1950年代末から活動していたように書かれている。
・サバールの導入とウォロフ語での歌唱が Star Band の大きな特徴だった。
・初期の Star Band は幅広いレパートリーを有していたが、演奏する音楽スタイルは次第に狭まっていった。
・本場キューバの音楽との大きな違いは2つ、。ダンサーの不在(ギャラが出せなかったことも理由のひとつ)と、パーカションが重視されなかったこと(基本的にソロ・パートはなし)。
・Dexter Johnson はナイジェリアからまっすぐセネガルに来たと思っていたが、思いのほか複雑な経歴だった。
・意外なことに、結成直後の Star Band のメンバーのほとんどがセネガル人ではなかった。(結成直後のパーソネルに関しても詳しい。)
・Star Band はメンバーの入れ替わりが激しかった('difficult person' だった Ibra Kassé との間のトラブルが主要因。具体的なことが一切書かれていないところに、その激しさと複雑さが想像される。ミュージシャンたちは、より多くの金と芸術面での自由を求めて Star Band から離れていったという)。ギタリスト Mbaye Seck のタレント・スカウトとしての役割がそれを補っていた。

 Orchestra Baobab に関しては Star Band 以上に詳しく書かれている。Dexter Johnson や Laba Sosseh の経歴も詳細。これらの紹介は別記事で書いてみたいと思う。

 第5章は、80年代に誕生した新しい音楽スタイル Salsa M'balax の興隆に押されて、アフロキューバンが低迷する過程を描く。Africando や Super Cayor についても言及している。

 そして最終章(第6章)では、復活した Baobab を再度じっくり取り上げ、またスーパーユニット Africando にまつわるエピソードを軸に、セネガリーズ・アフロキューバンの再生について語る。話の流れから、もちろん Buena Vista Social Club や Popular African Music の Günter Gretz も登場する。Baobab を蘇らせた World Circuit の Nick Gold の仕事に関しては、予想外に批判的なところも面白い。考えてみたら、Africando は大好きな Number One の生まれ変わりのようなグループだ。これまで彼らを軽視して来たことを反省させられた。

 とにかく、読みながら関連音源を聴いていると、発見に次ぐ発見。こんな時は実に楽しい! やっぱり Baobab や Laba Sosseh などに関して、稿を改めて書いた方が良さそうだ。

 著者は、独立後のセネガル人たちがアフロキューバン音楽を通じて、いかにオーセンティシティーやモダンさを求め獲得していったかについて繰り返し述べている。それがこの本の大きなポイントのひとつになっている。



 このような本を読む度に、自分はセネガル音楽が本当に好きなんだなと感じる。カリプソをほとんど聴かないのに、ハイライフは大好き。ルンバをほとんど聴かないのに、コンゴのルンバは大好き。そして、キューバ音楽はほとんど聴かないのに、セネガルのアフロキューバンは好きでたまらない。それもおかしなことのようだが、何故なんだろう?

 ところで、そのセネガルのヒップホップ、最近ますます勢いづいている南アやナイジェリアとは対照的に、今は元気がない印象で、特段情報も入ってこない。実際今どうなっているのだろうか? 来年はガーナに行こうと思って調べているのだが、久しぶりにセネガルにも行ってみたくなっている。



 (続く)







by desertjazz | 2019-02-25 00:00 | 音 - Africa

Dorothy Masuka R.I.P.

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 南ローデシア(ジンバブウェ)出身で、50年代以降に南アで活躍した女性シンガー、ドロシー・マスーカ Dorothy Masuka が亡くなったそうだ。彼女のジャイヴ感豊かな歌が好きで、昔結構聴いていた。83歳だった。

South African Jazz Legend Dorothy Masuka Has Died

 
 ドロシー・マスーカは 1935年、現在のジンバブウェの南部ブラワヨの生まれ。母はズールー人、父はジンバブウェの出(ザンビアのホテルで働いていた)。彼女は 1952年に南アに越し、翌53年にファースト・シングル "Nonstokolo" をリリース。これがヒットし後年まで彼女の代表作として愛されて来た。私もそうした 50年代の作品がお気に入り。Miriam Makeba は 1932年の生まれなので、二人はほぼ同じ時代に南アでヒットを飛ばしていたことになる。

 彼女のアルバムはとても少ない。LPはファースト・アルバムの "Dorothy Masuka and Job's Combination" (STARPLATE 001, 1981) 1枚だけかもしれない。後年の録音にはやや物足りなさもあるので、初期シングルのコンパイル盤があれば十分かな? と思いつつ、近作をチェックしてみた。昨年?リリースした "Njinje" なんて穏やかな歌がとてもいいね! この機会に彼女を偲んで、晩年の諸作も聴き直してみよう。







by desertjazz | 2019-02-24 12:00 | 音 - Africa

R.I.P. Sali Sidibe

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 マリ南西部ワスルを代表する女性歌手、サリ・シディベ Sali Sidibe が昨日2月8日に亡くなったそうだ。1959年生まれなので、多分まだ59歳。(一報が入ったばかりで、死因等は不明。)

 今夜は彼女を忍んで、世界デビュー盤 "Wassoulou Foli" (Sterns, 1993) や "From Timbuktu To Gao" (Shanachie, 1993) などを聴いている。Sterns 盤のデジタル音源の古さは否めないけれど、歌やカマレ・ンゴニ、ソク(小型の一弦リュート)の演奏は今聴いてもいい。近年の Oumou Sangare や Fatoumata Diawara に到るまで、マリの女性ヴォーカルの真髄には変化がないんだな。"Djen Magni" のリミックスなどはちょっと南アのクワイトっぽくも聴こえて、DJで使えるのでは?なんて思ったりも。Shanachi 盤は元音源はカセットなのかな? それより Sadibe と綴りが間違っているよ(酷いね)。他アーティストとのコンピレーションを除くと、彼女の CD はこの2枚だけかもしれない。だとすれば不思議な気もする。

 というのは "Wassoulou Foli" は内容良くて、日本でもオルター・ポップ/メタ・カンパニーが発売/配給したくらいだから。詳細な解説はもちろん各務美紀さん。90年代にはこうしたマリの音楽もたっぷり聴いて、彼の地への思いが膨らみ、それで1999年にとうとうマリまで旅に出たのだった。セネガルと合わせてだったので、バマコに滞在する時間しかなかったが、懐かしいな。

 さすがに Sali Sidibe のカセットなんて持っていないだろうと思いつつも、カセットを漁ると "Wassoulou Foli" の元音源のカセットが出てきた(写真右、シールドのまま)。昔は熱心に集めていたんだなぁ。




(気がつけば年が改まって2019年。最近もニュースを見つければ Twitter や Facebook で紹介していますが、サリフ・ケイタの「引退」や、Habib Faye、Khaira Arby、Oliver Mtukudzi らの訃報など残念なネタばかり。嬉しい話題が届いていないわけではないのだけれど、ブログを書く時間がなかなか取れません。まあ、たまにはまとまったものを書きたいと思っているので、今年もよろしくおつきあいいただけたらと思います。)






by desertjazz | 2019-02-09 21:00 | 音 - Africa
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