人気ブログランキング |

カテゴリ:音 - Africa( 260 )

d0010432_21375030.jpg


 Richard M. Shain の "Roots In Reverse" に限らずどの資料でも、セネガルにおけるアフロキューバン・オーケストラの出発点はスターバンド The Star Band であったことが強調される。なので、クラブ・オーナーとしてスターバンドを生んだイブラ・カッセ Ibra Kassé と、最初期のバンド・リーダーだったデクスター・ジョンソン Dexter Johnson の二人こそ、セネガリーズ・ポップ黎明期の大立役者であったと言えるだろう。そのデクスター・ジョンソンなのだが、詳しく書かれたバイオグラフィーも見当たらないため、彼の経歴は結構掴みにくい。ありがたいことに、"Roots In Reverse" には彼に関する情報も多いので、他の資料も参照しつつ、その辺を少し整理してみたい。


 Biography of Dexter Allui Johnson (1932-1981)


 デクスター・ジョンソンは、1932年にナイジェリアのイバダンで生まれた。父は地元の診療所のディレクター、母は教師だった。当初は父の仕事を継ぐべく医療を学んでいたものの、程なくそれをやめて Samuel Akpabot Orchestra に加入。担当楽器はドラムだけだったが、次に加入した Lile Star Band というブラスバンドではホーン楽器を担当するようになる。

 50年代しばらくラゴスのハイライフ・シーンで活動した後、リベリアのモンロビアに移動。それからマリのバマコへ移る。当時のバマコにはセネガル人プレイヤーが多数集まっており、ジョンソンは彼らと出会ったことで、1957年に今度はダカールへと活動の場を移すことにした。それはより多くの稼ぎを見越してのことだったようだ。

 ダカールにやって来たジョンソンは、最初はハイライフを演奏していた。しかし、ここはハイライフが人気の英語圏ではなく仏語圏。そのため彼の演奏は見向きもされず、それで演奏スタイルを変えていくことに。ジョンソンは、やがてギニア人ギタリスト Papa Diabaté と出会い、Guinea Jazz などで共に活動。そして Moulin Rouge Club で彼らの演奏を観たイブラ・カッセがスターバンドのリーダーにジョンソンを据えることを思い立つ。そのアイディアを受け入れたジョンソンはスターバンドを率いて活躍することになる。

 1964年、イブラ・カッセと仲違いし(と言うより、ダカールの実力者たちから説得され援助も受けてのことだったようだ)スターバンドを脱退。その後は自身が率いるバンド Superstar de Dakar やラバ・ソッセーが結成した Super International Band などで活動する(後者については実際どの程度あったのか再調査中)。1970年にはセネガルからも離れて、コート・ジヴォワールのアビジャンに拠点を移す。この頃は Manu Dibango や Boncana Maiga とも活動し、また渡米してレコーディングも行った。

 ジョンソンが亡くなったのは 1981年、享年49歳。(Teranga Beat 盤のライナーノートには、誕生日も逝去日も同じ8月26日と書かれているが、さすがにこれは間違いだろう?)彼の葬儀を執り行ったのは(前回の記事でも触れた)Daniel Cuxac だった。

 デクスター・ジョンソンのメイン楽器はテナーサックスだが、多数のブラス楽器をこなす結構なマルチ・インストゥルメンタリストだったようだ。また、彼自身が作曲することはなかったものの、大半の曲のアレンジを担当したらしい。彼はとても物静かな人物だったそうだ。しかし、配下のミュージシャンの演奏テクニックに関しては大変厳しく、周囲の人々は彼に対して尊敬と恐怖を抱いていたという。

 数々のバンドを通じてジョンソンの芳醇でまろやかなテナーサックスは愛され続けた。とにかくダカール時代の彼は多くのミュージシャンたちにとって憧れの的で、誰もがなんとか近づきたいと思ったようだ。ラバ・ソッセー Laba Sosseh もそんな若者のひとりだったのだろう。スターバンドがガンビアのバンジュルまで演奏旅行に行ったとき、ラバ・ソッセーが「歌わせてほしい」と言ってきた。その時歌った "Guatanamera" を聴いたカッセとジョンソンが、ラバ・ソッセーを気に入り、彼をスターバンドに加入させたという。二人はスターバンドを抜けた後も多くの共演を果たす。ジョンソンがアビジャンに向かったのは、ラバ・ソッセーを追ってのことだったという話も伝わっている。ただし、ダカールを離れた二人が同じバンドでプレイすることは二度となかったという。

 オーケストラ・バオバブ Orchestra Baobab のサックス奏者、イッサ・シソッコもジョンソンに憧れを抱いていた。イッサはジョンソンのテナー・スタイルを模倣したという。イッサが67年に録音に参加したレコードを持っていることに最近気がついたのだが、それを聴くと確かに彼のテナーはジョンソンそっくりだ(後日紹介予定)。セネガルのアフロキューバンは、パーカッションによるリズムを強調した激しいキューバのスタイルと比べると、ゆったりとしていてスムーズである。セネガルの音楽がそのようなサウンドを長年保ち続けたのには、ジョンソンの影響がかなり大きかったのかも知れない、などとも思う。

(2003年にオーケストラ・バオバブに初めてインタビューした際、イッサたち最初に質問したのはデクスター・ジョンソンのことだった。先日そのインタビュー・テープが自宅で「発掘」されたので、聞き直してみようと思っている。)


 Discography of Dexter Johnson


 1960年代前半、デクスター・ジョンソン在籍時のスターバンドの公式録音は存在しない。(しないはず? もしかすると SP 録音が残されていたりして?などとも想像してしまうのだが、、、。)スターバンド脱退後、セネガルで自身のバンドを率いた時代の録音はンダールディスク N'DARDISC などからリリースされている(60年代セネガルにはプレス工場がなかったので、録音テープをフランスに送って7インチのシングルやEPを作っていた)。手元にある7インチ盤と複数のディスコグラフィーとを照合した限りでは、以下で全てのようだ。リリース年は恐らく 1967〜1971年ころ。

 N'DARDISC

No 45.08 : Laba Sosseh - Dexter Johnson et Super Star de Dakar (A) La Sitiera (B) El Loco
No 45.09 : Dexter Johnson - Super Star de Dakar (A) La Mujer de Oriente / Dexter le Invita a Bailar (B) Angelitos Negros / Lejana Campina
No 45.11 : Dexter Johnson - Super Star Dakar (A) Mini Compay / La Bicicletta (B) Seul
No 45.13 : Dexter Johnson - Super Star Dakar (A) Maria Helena (B) Yo No Quiero Lios
No 45.22 : Dexter Johnson Laba Sosseh (A) Seyni Kay Fonema / Ayo Nene (B) Aminata / Come My Love
No 45.24 : Dexter Johnson - Laba Sosseh avec le Super Star de Dakar (A) Yolanda Dime Que Si (B) Caminos de Ayer

 PATHE

PF 11.602 : Dexter Johnson et Le Super Star (A) La Mujer de Oriente (B) Dexter le Invita a Bailer

 ンダールディスクはジャケ写真の雰囲気がいいので、いくつか紹介してみよう(残念ながら、ダカールで集めたものの大半はコンディションが良くないのだが)。


d0010432_11483249.jpeg

d0010432_11484442.jpeg

d0010432_11490490.jpeg


 アビジャン時代にはアルバムを2枚?リリースしている。製作は Daniel M.J. Cuxac。タイトル通り、トレスやヴァイオリン(ソロとアンサンブル)をふんだんに盛り込んだ、真性キューバン・スタイルのサウンドだ(1967年12月、ニューヨーク録音?)。恐らく彼の現役時代のアルバムはこれらだけだろう。

Estrellas Africanas de Dexter Johnson "Conjunto Estrellas Africanas Volume 1" (Disco Stock LPDS 7901)
Dexter Johnson & Estrellas Africanas "Vol 2 - Manisero" (1979)

d0010432_23135244.jpg

d0010432_23135386.jpg



 ジョンソンが亡くなった後の CD 時代に入ってからは、私家録音などを復刻したアルバムがいくつかリリースされている。Dakar Sound の音源は Moussa Diallo によるもので、ジョンソンが在籍した 1964年のスターバンドの録音が3トラック含まれている価値は大きい。(スリーブは記事のトップに掲載)

"Dexter Johnson & Super Star de Dakar" (Dakar Sound DKS 016, 1998)
"Starband - Superstar de Dakar - International Band featuring: Dexter Johnson" (Dakar Sound DKS 017, 1999)
Dexter Johnson & Le Super Star de Dakar "Live a l'Etoile" (Teranga Beat TBLP 019, 2014)



 ここまで書いて、次は Orchestra Baobab、そして Dexter Johnson と関わりの深かった Laba Sosseh について書く準備をしていたところに、とても興味深い情報が飛び込んできた。それを参考に早速調べているのだが、新たに色々なことが判明してきた。なので、ここに書いた内容に関しても後日追記したいと思う。


(続く)







by desertjazz | 2019-02-26 23:00 | 音 - Africa

d0010432_15070922.jpg



 Richard M. Shain "Roots in Reverse: Senegalese Afro-Cuban Music and Tropical Cosmopolitanism" 読了。キューバ音楽がどのようにパリを経由してセネガルに伝わり、それがどのようにカリブ世界に還流したか、その歴史と背景、セネガル人心への影響を詳らかにした研究書。

 以下、内容をメモ的にざっくり紹介。

 まず第1章で、キューバ音楽を短く概観し、その主要スタイルを解説する。そして第2章では、パリを舞台にキューバとセネガルをつなぐ。その過程における最初の重要曲として挙げられているが Rita Montaner の歌った "El Manisero"。1929年、彼女のパリ公演でこの曲が喝采を浴びたことが、キューバ音楽が注目される契機となったらしい。

 キューバからパリに渡ったアフロキューバン音楽は、クラブ Cabane Cubaine などで親しまれた。そこは黒人と白人が自然と交わる場だった(その点が、ニューヨークのハーレムとは異なる)。
 そうした場所に、パリ留学中のサンゴール Léopold Senghor や Socé Diop も通ったという。だがサンゴールは自身のネグリチュードにおいて文学やハイアートを重視。そのため後年セネガルの国策として音楽が支援されることはなかった(隣国ギニアとは対照的で、そこにはキューバ革命も影響したという)。
 それでもミュージシャンや大衆はアフロキューバンに傾倒した(南アを除く他のアフリカ諸国と同様)。彼らがジャズではなくアフロキューバンを選択した理由が詳述される。簡単に言うと、アフロキューバンの中に自身の民族の音楽と共通した要素を見出し、アフロキューバンを自分たちの音楽だと受け止めたから、ということだ。

 この辺りは、読んでいると自分のキューバ音楽の知識と理解度を試されているかのようだ。ありがたいことに、予備知識なしでも分かるように書かれているが。

 第3章は Afro-Cuban Record Club という交流の場を軸に、1950年代以降のダカールについて描写。この章を通して、音楽の背景にある新世代の人々のアイデンティティー形成についても詳述される。
 1920年代以降アフリカの都市部にレコードが流入することにより、欧米の音楽の受容が進んだことは良く知られるところ。人口集中と民族の混交が進んだダカールでは、50年代に次の段階としてレコード・クラブという集まりが持たれるようになった。これは10人程度の男子学生が集い、収集したアフロキューバンのレコードを持ち寄って聴いて、その内容について語り合うという場。そんなことが始まったのには Cha-Cha-Cha 人気もきっかけとなったようだ。
 彼らは雑誌などを参考にしてアフロキューバンのダンスも研究したという。また彼らにとっては、ファッションなどの洗練さも重要視すべきものだったようだ。
 レコード・クラブはやがて、女子学生も呼び込んで催されるアルコール抜きのパーティーへと変化していった。レコードが多いほど女子を集めやすいと思った話や、レア盤が何か悟られないようにラベルを削り取ったなんて逸話が面白い。
 こうした場にいた一人が、後年大プロデューサーとして名をなすイブラヒム・シラ Ibrahima Sylla だ。ダカールの店に入荷するレコードが瞬時(数時間で!)に売り切れる中、彼は外国に行く友人なども頼ってレコードを集めたため、そのコレクションは周囲の人たちに優っていた。レコード・クラブには、彼以外にも後年音楽学者などとして活躍する人物が多かった。
 
 そして実際にライブ・コンサートでアフロキューバン音楽を楽しむ時代へと移っていく。そうしたライブに直接触れる機会はまだまだ少なかったが、欧州路線を往復する船内で演奏するバンドが、ダカール停泊中に市内でもライブをすることもあったようだ。
 40年代〜50年代に建設されたサッカースタジアムを利用した大規模な(チケットが安い)コンサートと、上流階級向けにホテルでなされる(高額な)ライブとの二極化の動きも見られた。
 コンサートの需要が高まる中、レコード・クラブにいた Daniel Cuxac はプロモーターへと転身。航空会社で働いていた彼はその立場を利用してラテン諸国の関係者との間で親交を深めていったという。現在 Analog Africa を経営する Samy Ben Redjeb が、かつて国際線の搭乗員だった頃に世界中を飛び回ってレコードを買い集めたことを連想させる逸話でもある。
 本家アフロキューバン・グループの公演として何と言ってもエポックメイキングだったのは Orquesta Aragon だった。ただしそれは、サンゴールの力が弱まった 1979年にようやく実現したことだった。著者は Septeto Habanero がダカールで公演を行ったという証言も得たが、どうやら確証は掴めなかったようだ。

 こうした文章を読んでいると、1999年と2002年にダカールでレコードを探し回った際(800枚くらい買った → 訂正:「80kgくらい」の記憶違いだった)、アフロキューバンのレコードもザクザク出てきて、ダカールでのその人気ぶりが偲ばれたことを思い出す。


(追記)ダカールでレコハンした時、Sexteto Habanero のダカール盤まで見つけて、セネガルにおけるキューバのソンの人気が偲ばれたのだった。

d0010432_13475872.jpeg

d0010432_13480421.jpeg



 第4章では、60年代〜70年代に大活躍した The Star Band、Xalam(後年の同名グループではなく、通称 'un' の方)、Orchestra Baobab、No.1、Laba Sosseh といった主要グループ/ミュージシャンの経歴について詳述。自分が知りたかったことばかり! こんな本が読みたかった! 全訳書き起こして紹介したいくらいだ。

 この章はとにかく内容豊富。例えば The Star Band に関することで、個人的に興味を抱いた記述をいくつか拾ってみると、、、(やや抄訳/意訳)

・この時代に初めて、非グリオの出自を持ったフルタイムのプロのミュージシャンが登場した。
・ラテン・オーケストラが国民意識の脱植民地化と自国の文化形成に大きな役割を果たした。特に Star Band と Laba Sosseh が重要。
・Star Band こそ、すべてのミュージシャンにとって基礎であり手本とする存在だった。とりわけ Ibra Kassé(Star Band を生んだ、ミアミ Club Miami のオーナー)と Dexter Johnson(ナイジェリア出身のサックス奏者)の果たした役割が大きい。
・通常 Star Band の結成年は 1960年とされることが多いが、ここでは1950年代末から活動していたように書かれている。
・サバールの導入とウォロフ語での歌唱が Star Band の大きな特徴だった。
・初期の Star Band は幅広いレパートリーを有していたが、演奏する音楽スタイルは次第に狭まっていった。
・本場キューバの音楽との大きな違いは2つ、。ダンサーの不在(ギャラが出せなかったことも理由のひとつ)と、パーカションが重視されなかったこと(基本的にソロ・パートはなし)。
・Dexter Johnson はナイジェリアからまっすぐセネガルに来たと思っていたが、思いのほか複雑な経歴だった。
・意外なことに、結成直後の Star Band のメンバーのほとんどがセネガル人ではなかった。(結成直後のパーソネルに関しても詳しい。)
・Star Band はメンバーの入れ替わりが激しかった('difficult person' だった Ibra Kassé との間のトラブルが主要因。具体的なことが一切書かれていないところに、その激しさと複雑さが想像される。ミュージシャンたちは、より多くの金と芸術面での自由を求めて Star Band から離れていったという)。ギタリスト Mbaye Seck のタレント・スカウトとしての役割がそれを補っていた。

 Orchestra Baobab に関しては Star Band 以上に詳しく書かれている。Dexter Johnson や Laba Sosseh の経歴も詳細。これらの紹介は別記事で書いてみたいと思う。

 第5章は、80年代に誕生した新しい音楽スタイル Salsa M'balax の興隆に押されて、アフロキューバンが低迷する過程を描く。Africando や Super Cayor についても言及している。

 そして最終章(第6章)では、復活した Baobab を再度じっくり取り上げ、またスーパーユニット Africando にまつわるエピソードを軸に、セネガリーズ・アフロキューバンの再生について語る。話の流れから、もちろん Buena Vista Social Club や Popular African Music の Günter Gretz も登場する。Baobab を蘇らせた World Circuit の Nick Gold の仕事に関しては、予想外に批判的なところも面白い。考えてみたら、Africando は大好きな Number One の生まれ変わりのようなグループだ。これまで彼らを軽視して来たことを反省させられた。

 とにかく、読みながら関連音源を聴いていると、発見に次ぐ発見。こんな時は実に楽しい! やっぱり Baobab や Laba Sosseh などに関して、稿を改めて書いた方が良さそうだ。

 著者は、独立後のセネガル人たちがアフロキューバン音楽を通じて、いかにオーセンティシティーやモダンさを求め獲得していったかについて繰り返し述べている。それがこの本の大きなポイントのひとつになっている。



 このような本を読む度に、自分はセネガル音楽が本当に好きなんだなと感じる。カリプソをほとんど聴かないのに、ハイライフは大好き。ルンバをほとんど聴かないのに、コンゴのルンバは大好き。そして、キューバ音楽はほとんど聴かないのに、セネガルのアフロキューバンは好きでたまらない。それもおかしなことのようだが、何故なんだろう?

 ところで、そのセネガルのヒップホップ、最近ますます勢いづいている南アやナイジェリアとは対照的に、今は元気がない印象で、特段情報も入ってこない。実際今どうなっているのだろうか? 来年はガーナに行こうと思って調べているのだが、久しぶりにセネガルにも行ってみたくなっている。



 (続く)







by desertjazz | 2019-02-25 00:00 | 音 - Africa

Dorothy Masuka R.I.P.

d0010432_11451295.jpg


 南ローデシア(ジンバブウェ)出身で、50年代以降に南アで活躍した女性シンガー、ドロシー・マスーカ Dorothy Masuka が亡くなったそうだ。彼女のジャイヴ感豊かな歌が好きで、昔結構聴いていた。83歳だった。

South African Jazz Legend Dorothy Masuka Has Died

 
 ドロシー・マスーカは 1935年、現在のジンバブウェの南部ブラワヨの生まれ。母はズールー人、父はジンバブウェの出(ザンビアのホテルで働いていた)。彼女は 1952年に南アに越し、翌53年にファースト・シングル "Nonstokolo" をリリース。これがヒットし後年まで彼女の代表作として愛されて来た。私もそうした 50年代の作品がお気に入り。Miriam Makeba は 1932年の生まれなので、二人はほぼ同じ時代に南アでヒットを飛ばしていたことになる。

 彼女のアルバムはとても少ない。LPはファースト・アルバムの "Dorothy Masuka and Job's Combination" (STARPLATE 001, 1981) 1枚だけかもしれない。後年の録音にはやや物足りなさもあるので、初期シングルのコンパイル盤があれば十分かな? と思いつつ、近作をチェックしてみた。昨年?リリースした "Njinje" なんて穏やかな歌がとてもいいね! この機会に彼女を偲んで、晩年の諸作も聴き直してみよう。







by desertjazz | 2019-02-24 12:00 | 音 - Africa

R.I.P. Sali Sidibe

d0010432_21441318.jpg


 マリ南西部ワスルを代表する女性歌手、サリ・シディベ Sali Sidibe が昨日2月8日に亡くなったそうだ。1959年生まれなので、多分まだ59歳。(一報が入ったばかりで、死因等は不明。)

 今夜は彼女を忍んで、世界デビュー盤 "Wassoulou Foli" (Sterns, 1993) や "From Timbuktu To Gao" (Shanachie, 1993) などを聴いている。Sterns 盤のデジタル音源の古さは否めないけれど、歌やカマレ・ンゴニ、ソク(小型の一弦リュート)の演奏は今聴いてもいい。近年の Oumou Sangare や Fatoumata Diawara に到るまで、マリの女性ヴォーカルの真髄には変化がないんだな。"Djen Magni" のリミックスなどはちょっと南アのクワイトっぽくも聴こえて、DJで使えるのでは?なんて思ったりも。Shanachi 盤は元音源はカセットなのかな? それより Sadibe と綴りが間違っているよ(酷いね)。他アーティストとのコンピレーションを除くと、彼女の CD はこの2枚だけかもしれない。だとすれば不思議な気もする。

 というのは "Wassoulou Foli" は内容良くて、日本でもオルター・ポップ/メタ・カンパニーが発売/配給したくらいだから。詳細な解説はもちろん各務美紀さん。90年代にはこうしたマリの音楽もたっぷり聴いて、彼の地への思いが膨らみ、それで1999年にとうとうマリまで旅に出たのだった。セネガルと合わせてだったので、バマコに滞在する時間しかなかったが、懐かしいな。

 さすがに Sali Sidibe のカセットなんて持っていないだろうと思いつつも、カセットを漁ると "Wassoulou Foli" の元音源のカセットが出てきた(写真右、シールドのまま)。昔は熱心に集めていたんだなぁ。




(気がつけば年が改まって2019年。最近もニュースを見つければ Twitter や Facebook で紹介していますが、サリフ・ケイタの「引退」や、Habib Faye、Khaira Arby、Oliver Mtukudzi らの訃報など残念なネタばかり。嬉しい話題が届いていないわけではないのだけれど、ブログを書く時間がなかなか取れません。まあ、たまにはまとまったものを書きたいと思っているので、今年もよろしくおつきあいいただけたらと思います。)






by desertjazz | 2019-02-09 21:00 | 音 - Africa

No words ...

オリヴァー・ムトゥクジが亡くなったなんて、ショックすぎる!


by desertjazz | 2019-01-24 00:13 | 音 - Africa

d0010432_13104570.jpg


 アインデ・バカレ Ayinde Bakare やトゥンデ・ナイチンゲール Tunde Nightingale といったヴィンテージなジュジュ・サウンドが好きなので、先日エル・スールがナイジェリアから直輸入した、ジュジュを代表するミュージシャンのひとり、J. O. アラバの Evergreen Musical Company 盤 "Works of J. O. Araba & His Randy Blues 1922-1989" 2CD を買って聴いている。

 Christopher Alan Waterman の "Juju: A Social History and Enthnography of an African Popular Music" (Chicago Press, 1990) などによると、J. O. Araba こと Julius Oredola Araba は 1922年5月24日、ラゴスの生まれ。彼がギターを弾き始めたのは 1930年。Tunde King などの第二次世界大戦前のジュジュに影響を受けた後、Joseph Olanrewaju Oyesiku とともに、Toy Motion(Toy はマリファナを意味する)という新しいジュジュのスタイルを開拓。1950年代から60年代初頭を中心に活躍した。ちなみに J. O. アラバはボクシングのタイトル・ホルダーでもあったと書かれている。

 他のジュジュ・スタイルが「シングル・ピッチ・メロディック・パターン」だったのに対して、Toy Motion は「ハーモニック・メロディック・パターン」。これはパームワイン・ミュージックからの引用だという。

 彼のグループ The Rhythm Blues は4人編成で、1955年の結成。楽器構成は、ギター、アギディボ、サイドドラム、マラカス。どの曲も、エレキギターを除く3人のパーカッションのコンビネーションや、ヴォーカル&コーラスのやり取りを聴いていると楽しい。大型親指ピアノの低音楽器アギディボの奏者はなんと Fatai Rolling Dallor だった! 彼らは60年代初頭の幾つかの重要イベントで演奏し、その地位を確たるものにしたようだ。その後は目立った活動は減ったようで、アラバは 1989年9月15日に亡くなっている。

 J. O. アラバの単独アルバムはあっただろうかと思って棚を探ってみたが見つからない。ネットで検索しても出てこないので、制作されたことはないのかも知れない。レコードとしては、Philips の10インチ盤 "Catchy Ryhthm from Nigeria Vol.1"、同 "Vol.2"、Rounder 盤 "Juju Roots 1930s-1950s" に1曲ずつ収録されている。また彼の録音を収録したコンピレーションCDも数タイトル出ている(例えば "Awon Ojise Olorun: Popular Music in Yorubaland 1931-1952" など)。

d0010432_13163531.jpg

 Evergreen 盤としては "Evergreen Hits of 20 Music Masters of Our Country Nigeria" (HRS 005) に "K'elegbe Me Gbe" を収録。ここには彼に関して簡単な解説も付いていた。また "20 Evergreen Hits of 3 Music Masters of our Country - Nigeria" (HRS Vol.16) にも4曲収められている。

d0010432_13163721.jpg




 以下、余談を少々。

 フェラ・クティが J. O. アラバの曲をカバーしているというのは興味深い事実かも知れない。フェラはファーストLP "Fela Ransome Kuti and His Koola Lobitos" (1968?) で J. O. アラバの "Araba's Delight" を演奏している。アラバはフェラのフェイバリットだったのだろうか?

d0010432_13171539.jpg

 フェラ・クティの録音は全曲自作ナンバーだという印象があるかも知れないが、彼の未復刻音源の中には、あるジャズのスタンダード・ナンバーをカバーしたものがある。しかし、フェラのトランペットは相当に下手で、これは復刻するまでの価値はないかも?(手元にその録音はあるが、それを勝手に公開することもできないし。)

(さらに余談になるが、晩年のフェラのライブを観た方々が「フェラの最高傑作」と断言されながらも、公式録音の残されなかった幻の曲 "C. S. A. A. (Condom Stalawagy and Scatter)" の録音、正確には隠し撮りされた?59分間のビデオ、も今年ついに入手した。)

 このフェラのファーストLPは自分にとってとても思い出深い1枚だ。フェラの初期に関してまだ情報の乏しかった1990年代末に、世界的にほぼ全く知られていなかったこのレコードの存在を突き止め、それがひとつのきっかけとなって 60年代のフェラのリイシューが本格化したからだ(今流通しているリイシュー盤も全てその時に「再発見」した音源のコピーが使われていると思われる)。そして、ヒュー・トレイシー音源のリイシューにいち早く気がつき日本に紹介したのも1999年だった。

 私がアフリカ音楽についてネットで書くようになってから来年に20年になる。その間に紹介したもののうちでは、フェラのファーストとヒュー・トレイシーのリイシューが、最も世間に役に立っただろうと自己評価している。逆の言い方をすると、この20年間、それらを超える発見も活動もできていないということ。それが自分ではとても物足りない。そろそろまた何か驚くような「発見」をしたいと願うものの、ここ10年ほどはさほど音楽を聴かなくなっているので、残念ながら、なおさらそれが難しくなっている。

d0010432_13233497.jpg
このレコードは勿論復刻盤。バーゲンプライスだったので、記念?に買ってしまった。








by desertjazz | 2018-12-16 12:00 | 音 - Africa

d0010432_14200046.jpg



 何と、カラバル(カラバリ)音楽のコンピレーションがリリースされていたとは! 完全に見落としていたこのアルバムを慌てて取り寄せて、繰り返し聴いている。

 2005年春に旅したナイジェリアでは色々な体験をした。フェミ・クティを観に行ったニューシュライン New Shrine ではフェラ・クティの長女に面会してご挨拶。レゴスにある書店兼レコード店 Jazzhole では、Bobby Benson "Taxi Driver" の世界初CD化した Evergreeen Music 盤を発見し、また Fatai Rolliong Dollar の復帰を知って彼のそのリバイバル・アルバムも入手。しかし、それらを遥かに超える驚きは「カラバリ音楽」との出会いだった。

 ナイジェリア南東部も音楽の盛んな土地で、イボ・ハイライフ Igbo Highlife(代表格は Chief Stephen Osita Osadebe、Oliver De Coque、Sir Warrior、Celestine Ukwu、Nico Mbarga、Oriental Brothers など)やイジョ・ハイライフ Ijaw Highlife が特に有名だ。そして中心都市ポートハーコートから周辺の地方へ目を向けると、カラバル Calabar などの(ヨルバやハウサに比べると少数派民族の)人々による音楽の存在に気がつく。例えばデルタ地帯へと進んで行った際に、移動の途中に見つけたカセットショップに立ち寄って King Robert Ebizimor や Chief Barrister S. Smooth といったローカル・ミュージックのスターたちを知ったのだった。

d0010432_16221092.jpeg

d0010432_16234281.jpeg


 ナイジェリア南東部のハイライフ・ミュージックは、ローカルなものほどサウンドのストリームが(単調というのではなく)スムーズだという印象を持っている。Pereama Freetown and His Youth Stars Band of Nigeia などは個人的にかなりお気に入りで、いくつかのアルバムは名盤だと思っている。

 カラバルの住むデルタ地帯をさらに深部へと進み、小さな町や村で発見したのがカラバリ(彼の地では Kalabari と呼ばれていた)の音楽だった。チープでドライな響きのエレキギター、シンバル程度のドラムが刻むリズム、それにコーラスだけという実にシンプル、と言うよりスカスカな音楽。それがとてもプリミティブで呪術的に聴こえ、文字どおり圧倒されてしまった。そんなカラバリのカセットを路上の店などで探しまくって少数ならが入手。驚きはそれで終わらない。デルタ末端に近い川沿いの村でのこと。バラック小屋のような酒場を訪ねると、DJがそうしたカセットをプレイし、それに合わせて人々が踊っていたのだ。

d0010432_16242875.jpeg

d0010432_16243053.jpeg


 入手したカセットの中では Opuso Cultural Society of Ke-Kalabari やシェブロンの原油支配に抗議する Ebenezer Cultural Band of Kalabari が特に凄かった! それらは CD-R に焼いて今でも時々聴いている。こんな強烈な音楽、もっと聴きたい。ポートハーコートにはロンドンなどから国際便が飛んでいるので、もう一度訪ねてみたいと思っているのだが、今のところ実現できそうにない。

d0010432_14200378.jpg


 そんなカラバル(カラバリ)の音楽なのだが、もっと都会的な録音を集めたアルバムが2年前にリリースされていたことを今頃知った。CD も出ていたが、オーダーしたのは LP2枚組の方。

"Calabar-Itu Road: Groovy Sounds From South Eastern Nigeria (1972-1982)" (Comb & Razor, 2016)

 残念ながら、私が探し求めているカラバリ・サウンドからはスタイル的に遠く、ハイライフやファンクなど都会的なトラックが中心である。ラゴスなどからの影響を受けたサウンドの多様性が感じられる(フェラっぽいナンバーも収録されている)ものの、全15曲中にこれと言って極め付きのものは見当たらない。しかし、1曲目 Isadico Dance Band of Nigeria の "Mbre Isong" の冒頭にちょっとだけカラバリ流の土着的なコーラスが感じられる。だとすると、もしかすれば本格的なカラバリ・サウンドをリイシューされる可能性もあるということか? 凄惨なビアフラ戦争からそれほど時間が経過していない1972年という時点で、ローカルのポピュラー音楽の録音がなされていたことを知ったのも収穫になった。

  Record Store Day 用にプレスされた?この2枚組(2000セット限定らしいが、完売するはずないだろう)には、ナイジェリア南東部リバー州に関するガイドブック(全44ページ)が付属していて、主要ミュージシャンについても紹介されている。これを拾い読みしていると、またまたポートハーコートに飛んで行きたくなってしまうのだった。



 ナイジェリア南東部には(ハイライフ系に分類されることもある)「ナンブラ北部の音楽でめっちゃ地元密着型」の Egwu Ekpili という音楽もある。今年の7月に名古屋のNさんが多々ご教示くださったので、ここに引用して整理しておこう(Nさんについてのプライベートな情報部分は割愛)。

・きっかけは高橋健太郎氏がツイッターで Christopher Asah and His Seven Seven Group of Enugwu Ugwu Nijoka "Enunka" を取り上げたこと。ナイヤビンギに似ていると感想を綴られていたが、私はこれを聴いてカラバリとの類似性を感じた。

・「この Christopher Asah もそうだけど、(彼はこっちではセブンセブンって言えば誰でも(この Egwu Ekpili 聞いてる人達には)わかる感じです)イボ語で Egwu(エグゥ)=音楽、 Ekpili(エピリ) はこういう楽器の名前。 これはナイジェリアでもわかっている分だと最古の楽器と言われてるらしい。」

d0010432_16190303.jpg


・「もともとはこの Ekpili を使った音楽が Egwu Ekpili と言われていたのが、今ではこういったタイプの音楽全般を指して Egwu Ekpili と呼ばれています。先程アップした写真の Ekpili はかなり古いタイプで、太鼓的に叩いて使うのではなく中に手を入れて揺らして音を発生させる感じらしい。今使われてる Ekpili はちょっと写真見つけられなかったけど、手に持つ感じでシャカシャカ音というかそんな感じの音を出すものらしいです。」

・「(私Dがシェアした)CD屋のウェブサイトにも Egwu Ekpili のミュージシャン達がずらっと並んでいましたが、この音楽はかなり局地的に聞かれてる感じで、場所はアナンブラ州北部のオマンバラ川流域が中心。だから、アナンブラ人でも南部の人は聞かないし(好きな人はいるかも)。他州の人、例えばイモとかは文化も違うからモロッコ?誰、みたいな感じになると思う。」

d0010432_16263740.jpeg
(Morocco のカセットも持っていた。)


・「代表的なミュージシャン Chief Ozoemena Nsugbe(オゼメナ・ンスベ)、Morocco Maduka(モロッコ・マドゥカ)、Christopher Asah(クリストファー・アサー aka セブンセブン)、Chief Onwuzuluike Udemgba(オヌズルイケ・ウデンバ)などなど。歌ってる内容は、イボ伝統の大切さとかもあるけど、実は、地域の名士や金持ちは歌手にお金を払って自分の為に歌を作ってもらう文化があるので、人の名前のタイトルだとだいたいそういう歌であの人は偉大とかあれしたこれしたとかそんな感じ。」

・「アナンブラ州でもオマンバラ川流域と書いたけど、だいたいここら辺です。左に太いリバーナイジャが見えるけどその右側の川流域。オマンバラ川が変化してアナンブラという州の名前になりました。」(地図参照)

d0010432_15415594.png


・「あと、今ちょっと残念だなと思ってるのは、Ekpili 音楽の後継者がなかなかいなくて、存命で元気なのがモロッコくらい、若い人はどうしても音楽やるなら今の音楽(その方が稼げる)という方向になってしまう。郷土音楽の存続という課題があると思う。」


 Egwu Ekpili の CD はこのサイトを通じて購入可能のようだ。Christopher Asah / His Seven Seven もリストにある。試しに買って見ようかとも思うのだが、現在はネットで聴ける音源もそれなりにあるようだ。




 ナイジェリア音楽も探求し始めると全くキリがない、、、。







by desertjazz | 2018-12-08 14:00 | 音 - Africa

Coumba Gawlo "Terrou Warr"

 セネガルの女王様、クンバ・ガウロ Coumba Gawlo Seck が 12/7 に新作 "Terrou Warr" をリリース予定。30周年アルバム?のこのアイテム、通常の CD 盤の他に USB フォーマットでも発売されるようだ。何れにしても、セネガル盤なので、ユッスー・ンドゥールと同様入手しにくいのが困る。


d0010432_09420288.jpg






by desertjazz | 2018-12-01 23:00 | 音 - Africa

d0010432_17575989.jpg


 「鞠の中村綾ちゃん」(と自分が勝手に呼んでいる)こと、西アフリカはマリ出身のシンガー、アヤ・ナカムラの第2作目が、本日パリから到着。タイトルはそのものズバリ "NAKAMURA"。しかも漢字でも「中村」と添えている。アヤちゃん、よっぽど日本びいきなんだな。

 昨年リリースされたファースト・アルバム "Journal Intime" は 2017年のベスト・アルバム第2位に選んだほどのお気に入り。なので、このセカンドもリリース直後から Spotify で聴き続けていたのだが、やっと CD でも楽しむことができた。


 ベスト・アルバムのコメントでは「声が特別良かったり、抜群に上手かったりするわけでもないのだが、」とちょっと語弊のある書き方をしてしまったが、その声が彼女の最大の魅力だと思う。軽く歌っているようでも、すっと前に出てくる伸びやかさがいいんだよな。まるでベンツに乗っている時のような「余力」を感じさせる歌声。きっと彼女の立派なボディが、その素晴らしい歌声を産む源になっているんだろう。

 さてセカンド・アルバム "NAKAMURA"。デビュー曲 "Brisé"、Fally Ipupa との "Bad Boy" 、MHD との "Problèmes" に匹敵するような飛び切りの名曲は見当たらないものの、いずれも佳曲揃い。例えば冒頭 "La Dot" や Niska と共演した "Sucette" の小気味良いフレージングからして「アヤ印」の楽しさ。PV を繰り返し観て耳に擦り込まれたシングル曲 "Copines" の軽妙なポップさも万人受けして当然。ダンサブルなトラックに身体が揺さぶられる一方で、切々とした彼女の声に包み込まれた女性らしさや独特な哀感には心が揺れる。全13曲で 38分というコンパクトさもいいな。

 アヤちゃん、この新作を引っさげて来年3月末からフランス・ツアーをスタートする。タイミングが合えば、3/30 のマルセイユ(Espace Julien)か 3/31 のパリ(L'Olympia)あたりを観に行きたいと思っていたのだが、、、各公演とも瞬く間にチケット完売! パリ公演がたったの2時間で捌けたことは、ちょっとしたニュースになっていた。ニューアルバムの曲が軒並みフランスでチャートインしたことも驚きと共に話題に。どうやら今、フランスでもアフリカ諸国でも「アヤ・ナカムラ現象」とでも呼びうることが起こっているようだ。

 2年前には日本ではほとんど誰も知らない存在だったのに、これからは日本でもグングン人気が高まりそうな予感。だけれどこれじゃ来日を期待するどころか、ヨーロッパに行ってもライブを観られそうにない。うーん、でもやっぱりアヤちゃんのステージが観たいぞ!



 (補足)

 「アヤ・ナカムラ」という名前の由来をご存じない方のために。

 アヤ・ナカムラは、アメリカNBCで放送されたテレビドラマシリーズ『ヒーローズ HEROES』の登場人物の一人、中村広(ナカムラ ヒロ)のファンで、そこから名前を取ったそう。そして、「アヤ」という名前は本名だそうです。

d0010432_20412398.jpeg







by desertjazz | 2018-11-30 18:00 | 音 - Africa

 Youssou N'Dour & Le Super Etoile de Dakar のニューアルバム "Respect" が 11/28 にリリース!


d0010432_10192066.jpg


(追記1)11/30 リリースに延期されました。

(追記2)今日アップされたユッスーの最新ビデオクリップを観る限り、新作 "Respect" には、今年4月25日に突然亡くなった Super Etoile de Dakar のベース/キーボード奏者 Habib Faye を悼む曲が収録されているようだ。(12/2 記)







by desertjazz | 2018-11-24 10:00 | 音 - Africa
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31