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カテゴリ:本 - Readings( 238 )

 陳浩基『13・67』を遅ればせながら読了。定評通り、確かに傑作。6つの中編ミステリーのプロットはそれぞれ見事だし(ことごとく、一番可能性の低いものが、実は本筋だったり)、時代を遡って繋がる構成も巧み。ただこれだけの大作なので、時々疑問も抱いたが。最後の一文は、やはりこれを狙っていたかと思ったが、やや無理を感じて、心臓が止まるほどではなく。

 香港を舞台にしたこの小説は、今年読んだ中でベストのひとつだ。マーロン・ジェイムズ『七つの殺人に関する簡潔な記録』、ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』に匹敵する(構成の緻密さでは、『13・67』も『七つの殺人に関する簡潔な記録』には遠く及ばない)。いや、石井妙子『女帝 小池百合子』も含めれば、2020年前半の4大ミステリーか?

『13・67』は優れたミステリーであると同時に、1967年から2013年までの香港の激動の時代を描くことも狙い成功している。しかし、一国二制度(一国両制度)が終結したかもしれないこんな歴史的分岐点の日の夜に、この作品を読み終えるとは、何という因果だろう。偶然以上のものを感じる。

 私にとって初めての海外は香港だった。1988年3月に香港を出発点にして中国を3週間旅した。高層ビルの隙間を通って啓徳空港に降り立った飛行機、初めて見た2階建バス、ビクトリアピークからの眺望、広州を出発したフェリーから眺めた香港の夜景、等々、とても懐かしい。

 しかし、その翌年、北京で天安門事件が勃発。当時の恋人とその友人はその北京に留学中だった。欧米からの留学生たちが自国の用意したチャーター機で出国して行くのに対して、日本の大使館は留学生の手助けは全くせず(反対に、大手メーカーなどは手厚く保護したらしい)、結局2人は自力で香港まで逃れ、それから日本に帰国したのだった。

 そう振り返ってみると、自分も危機にニアミスしていたと言えるのかも知れない。そしてその後も、そんなことの繰り返し(何度も書いていることだが)。毎日「アフリカの記憶」を綴りながら、そんなことも思い出している。

 1988年:中国 翌年、天安門事件
 1994年:メキシコ 同年、チアパス蜂起
 1996年:ザイール 直後に内戦
 1997年:エチオピア 直後にエリトリアと戦争
 2000年:ニューヨーク 翌年、911

 特に記憶に残っているのはこれら。他には何があったかな? タイを旅した後に、バンコクで大規模デモが起きたこともあった。

 そんなことを思い出させる香港なのだが、初訪問以来、全く足を運んでいない。わずかに一度、空港でトランジットしたことがあるのみ。また行きたいとずっと考えていたのだが、いつでも行ける所である分、後回しになってしまった。

 だが、「その間、本当に美味しい香港の中華料理店は台湾などに逃れたので、今香港に行っても美味いものは食べられない」と、中国通の友人に10年以上も前に諭された。2014年に始まる「雨傘革命」、今度の新型コロナ禍、そして今日成立した「香港国家安全維持法」、これらによって香港は物理的は近いが遠い場所になってしまった。いつでも行けたのだから、短く週末旅行をしておくべきだった。

 そんなことより、とにかくこれからの香港の行く末が危惧される。







by desertjazz | 2020-06-30 23:30 | 本 - Readings



 以下、Facebook からアレンジして転載。



 今度の大型連休にはジャン・ルーシュの映像作品もたっぷり観たい!

 千葉文夫+金子遊 編『ジャン・ルーシュ 映像人類学の越境者』(森話社、2019)読了。ジャン・ルーシュに関する論考10編、ジャン・ルーシュの著作4編、インタビュー1編などを収録した、ボリュームたっぷりな1冊。エチオピア音楽の研究で常に注目している川瀬慈、翻訳された『洞窟のなかの心』や7年前に観た『レイモン・ルーセルの実験室』がとても面白かった港千尋、『バリ島芸術をつくった男ーヴァルター・シュピースの魔術的人生』で知った伊藤俊治という3氏の論考を特に楽しみに読み始めた。しかし最初の伊藤氏の文章が硬質すぎて、早々に投げ出したくなることに。それでもそこを抜けた後は、面白くて一気読み。

 ジャン・ルーシュと言えば、ニジェールでの記録やパリを舞台にした映画でも有名だ(と今頃知った)が、個人的には何と言っても、マリのドゴン人による儀式シギを記録したフィルムだ。なので、一番興味深く読んだのは、千葉文夫による「グリオールとレリスのあいだに ドゴンの儀礼をめぐるルーシュの映像詩』だった。この本でも触れられている「一九九六年六月にNHK教育テレビで放送された番組「神話に生きるドゴンの民—壮大な叙事詩シギ」」(P.138)を昔観て、文字通り圧倒された(そのVTRはまだ持っていたはず)。ジャン・ルーシュの映画は、60年ごとに7年に渡って行われるシギを1967〜73年の間毎年記録した作品。これを観て、いつかドゴン人たちの住むバンディアガラの断崖に行きたいと願ったほどだ。でも、次にシギが執り行われるのは2027年、そう考えると現実味は薄いと感じたことを憶えている(このエリアは今 IS の影響が及んでおり、コロナ禍の収束が予想できない現状、ドゴンへの旅は叶いそうにない。次回のシギも撮影が計画されているようだが、果たしてどうなるか?)

 ジャン・ルーシュ本人による文章も示唆するところが多くて、なかなか読み応えがある。解釈しにくい記述も含まれるのだが。アフリカ音楽愛好家にとっては P.270/271の観察は短いながらも興味深いもののはず。映画/ドキュメンタリーの制作論、撮影/録音に関する方法論なども、その思考や問題点は今に通じるものだ。いや、そもそも、現在に至るまでのドキュメンタリー制作の基礎を作り上げた一人がジャン・ルーシュだったのだということが、この本を読むと分かる。

 ドゴンの記録は、マルセル・グリオール、ミシェル・レリスらによるダカール=ジブチ調査旅行(1931 - 1933)を継承する性格を有する。またニジェールで撮影された作品の数々も実に興味深い。なので、写真2枚目にあげた関連書籍も改めてじっくり読みたいところだ。

 それと同時に、いやそれ以上に、ジャン・ルーシュの作品(200を越えるという)そのものを観たいと考えている。今では古臭く感じる表現手法が多いだろうということは想像がつく。しかし、初めてシギを観た時に感じた荒々しさ、異世界に対する興奮が蘇ることだろうと期待する。YouTube や Amazon を検索するとそれなりに引っかかる。まずは彼の代表作を鑑賞することから始めたい。

読書メモ:千葉文夫+金子遊 編『ジャン・ルーシュ 映像人類学の越境者』、ほか_d0010432_19464602.jpg



 最近読んだ中では、ラニ・シン編『ハリー・スミスは語る 音楽/映画/人類学/魔術』も面白かった。話題になっているし、ハリー・スミスが制作した "Anthology of American Folk Music" 6CD BOX はさすがに持っているので、気になって買った1冊。

 これを読んで、その天才奇才ぶりを初めて知った。ジャズやフォークなど音楽面に止まらない多才さは驚くばかり。しかし、6つ目のインタビューに至っては完全に壊れている。狂人の独白か? 彼のフィルムも素晴らしいね。"No.1" から観始めたのだが、今度の連休、彼のフィルムも順番に観てみたいと思っている。


読書メモ:千葉文夫+金子遊 編『ジャン・ルーシュ 映像人類学の越境者』、ほか_d0010432_19542165.jpg

(この本についてはすでに各所で紹介されている通りなので、余計なことは書きません。)



 読書がようやく月10冊ペースまで上がってきた。今年読んだ中で断然面白かったのは、ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』、そしてマーロン・ジェイムズ『七つの殺人に関する簡潔な記録』。後者は2段組700ページもある大作なのに、もう2回も読んで、さらにまた読みたくなっている。まるで麻薬だ。レビュー書きたいのだが、読む方に忙しくてなかなか書けない。





by desertjazz | 2020-04-28 20:00 | 本 - Readings


読書メモ:ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』_d0010432_20085909.jpg



 これまで幾度となく書いていることだが、私がアフリカへの関心を深め、繰り返し訪れるようになったきっかけのひとつは、『カラハリ アフリカ最後の野生に暮らす』という本と出会ったことだ。これは、アメリカの動物学者、マーク・オーエンズとディーリア・オーエンズのカップルによる共著の1冊目(この後2冊出しているが、邦訳はなし)。彼らは、アフリカ南部に広がるカラハリ砂漠の真ん中(そしてボツワナ共和国のほぼ中央)にある動物保護区セントラル・カラハリ・ゲーム・リザーブ(CKGR)、その北部のディセプション・ヴァレーに長期滞在し、その体験を1冊の書物にまとめた。(原著は Mark and Delia Owens "Cry of the Kalahari", 1984)

 彼らによるディセプション・ヴァレーの描写を読んで、そこはまさに地球の最果て、自分などが想像もできない光景なのだろうと感じた。これも繰り返し書いているが「将来、自分が月に行くことはあったとしても、ディセプション・ヴァレーを訪れることは絶対ないだろう」とさえ思ったほどだ。それほどまでに、人類が簡単にはたどり着けない特別な場所なのだろうと考えたことを鮮明に記憶している。

 ところが、、、。1993年夏、ちょうど『カラハリ』を読んでいた最中、突然上司からボツワナ出張を命じられた。それも行き先は CKGR !! こんな偶然、奇跡的なことってあるのだろうか!

 同年9月、ロンドン、ヨハネスブルグ経由でボツワナ入り。私にとって初体験のアフリカ。研究者でもない自分が、なぜか CKGR のほぼ中央にあるギョムというブッシュマンの集落で3週間ほどキャンプ生活することに。それは何事にも代えがたい素晴らしい体験だった。ブッシュマンの親指ピアノに関する調査もできたし。その時の記録はスタジオ・ジブリの映画監督宮崎駿氏の目に留まり、現在容易に見ることができる。

 長いキャンプ生活を終え、ギョムからカラハリを抜けるルートは北上してマウンへ向かう道。もしかしてと思いつき、途中にディセプション・ヴァレーがあるのではとドライバーに尋ねてみた。すると考えた通り。近くを通るし、素晴らしいところのようなので、1泊キャンプすることに決まった。

 奇跡と偶然が重なってやってきたディセプション・ヴァレー、それは夢のような光景だった。風景の雄大さで言えば、多分セレンゲティやンゴロンゴロなどの方がスケールが大きいだろう(タンザニアには行ったことがないので、比較できないが)。しかし憧れの地に立った自分の目には、まるで月かどこかの異世界にたどり着いたような気分にさせる風景に映った。オーエンズ夫妻が若い日々を過ごしたディセプション・ヴァレー、その平原を眺めながら深く感慨にふけったのだった。


 そのようにして私をカラハリへと誘ったディーリア・オーエンズが、69歳にして小説家デビュー、その作品『ザリガニが鳴くところ』(原題 "Where the Crawdads Sing")がアメリカで大ベスト・セラーになっていると知って、さすがに驚いた。「えっ、彼女は今も元気なのか !?」 評判について調べてみると、もう絶賛の嵐。本当だろうか? いやそれはともかく、至急読まねば!

 早速取り寄せた。読んだ。そして圧倒された。世評があまりにも良いので訝しんでもいたのだが、全くの杞憂だった。これはゆっくり味わいたい文章が連なる小説。一気読みしたくなるが、それでは勿体ない。心臓が高鳴り続けるので、先を急げなくもなってしまう。

 何を書いてもネタバレになりそうになるのだが、何とかそれだけは避けて簡単に紹介しよう。

 1950年代、アメリカ東部ノース・カロライナ州に湿地の小屋で貧しく暮らす少女カイアがいた。時は下って 1969年、沼地で青年の死体が発見される。事故死なのか?殺人なのか? 真っ先にカイアが疑われる。

 この小説、まず自然や野生動物たちの描写が素晴らしい。特別なものがある。生き物たちにまつわるエピソードは驚きの連続だ。ディーリアは乾燥したアフリカの地でブチハイエナやブラウンハイエナを観察しているイメージを強く持っていたので、これはちょっと意外。しかし彼女は湿地に関しても極めて専門的だ。動物学者としての観察力や知識が、この小説において大変活きている。

 主人公カイアの描き方もまた巧みだ。彼女の心理描写に触れて心が震える。カイアは孤独や暴力に耐える一方で、周囲からの助けの手も繰り返し延られる。その狭間で苦しみ葛藤するカイア。読んでいるうちに、どうか彼女が不幸にならないで欲しい、そう願いつつハラハラしながら読み進めることになった。

 そして、青年が殺害されたのだとしたら、その犯人は誰? この作品は推理小説/ミステリーとしても一級品だろう。他に、黒人問題など様々なテーマをも包み込んでいる。

 『ザリガニが鳴くところ』という小説は、自然を精細に美しく描いた作品であり、人間の心の綾を深い次元で表現したものであり、面白く読めるミステリーでもある。そのような多面性を持っているところが大きな魅力だ。でもそこに止まらない。多様な読み方のできる小説なのだが、読み終える頃には、これらの一見バラバラと思えた要素が深く結びつき、全てが互いに不可欠なものであることに気がつかされる。とりわけ自然の生態の描写に意味には嘆息。実に見事な構成だ。推理小説として読んだ場合、ひとつ大きな欠点があると思いながら読んでいたのだが、それも最後の最後で一気に解消する。

 それにしても、エンディング間際で連続する大どんでん返しの衝撃。おそらくここで号泣した読者が多かったに違いない。私の犯人予想などは見事に外れたし、巧妙に貼られた伏線のいくつかにも全く気付かずに読んでいた。こんなとんでもない小説が 69歳にしてのデビュー作だとなんて! ディーリア・オーエンズにはまたしてもやられた!


 オーエンズ夫妻の共作は『カラハリ』に続く2作目も持っている。Delia and Mark Owens "The Eye of the Elephant" (1992)だ。その中に、ボツワナの川で水浴びするディーリア、あるいはマークと2人水に浸かって読書する写真が掲載されている。これを改めて見て、野生を愛する主人公カイアにはディーリア自身が投影されているのではないか、小説に登場する少年や恋人たちは若い頃のマークの思い出がヒントになっているのでは、そんなこともふと思った。


 カラハリの魅力に取り憑かれた自分は 1995年にテントとシュラフを背負って再び単身ボツワナに飛んだ。CKGR まで行くことはできなかったが、それでもカラハリの端にある国立公園で象200頭の大群を眺めたりなど、大自然を堪能してきた。

 実はボツワナをもう一度旅し、CKGR も再訪したいと思って、ここ数年リサーチを続けてきた。昨年の時点では出発目標を今年4月に定め、CKGR 内にロッジを見つけ、現地在住のドライバーを探し(ロッジ近くまでセスナで移動することも可能)、ボツワナからナミビアに抜けるいくつかのルートについても検討していた。そうした準備が間に合わず、結局旅は延期にしたが、たとえプランを固めていたとしても、今回の新型コロナウィルス禍のために、その旅は断念することになっていただろう。

 今、『カラハリ』と "The Eye of the Elephant" をめくりながら、世界が落ち着いたらもう一度カラハリへの旅を検討してみよう。そんなことも考えている。


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by desertjazz | 2020-04-10 20:00 | 本 - Readings

最近の読書

*Facebook からの転載(2)

 今年は、依頼殺到する仕事と旅行と読書に明け暮れて、音楽を聴いたり音楽について語ったりする時間がなかなか取れない。どうやら 2019年はこのまま終わりそう。それでも音楽情報はこまめに Facebook やTwitter にはアップしているのだが、Blog に整理するまでの時間が全然ない。せめてもと思い、最近のメモのいくつかをまとめて転載しておこう。


 以下、最近の読書メモを転記。



11/5


 本日の収穫

『ジャン・ルーシュ 映像人類学の越境者』と白戸圭一『アフリカを見る アフリカから見る』。白戸さんの新著をようやく購入。お元気でいらっしゃるかなぁ?

 読みたいアフリカ関連の書物もどんどん溜まってきた。


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11/19


 この夏にヴァルター・シュピース関連の文献を読み直したら、とても面白く刺激的で、その後もバリについての本を読み続けている。今月は、ミゲル・コバルビアス『バリ島』、小沼純一『魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代』、東海晴美・大竹昭子・他『踊る島バリ 聞き書き・バリ島のガムラン奏者と踊り手たち』、大竹昭子『バリの魂、バリの夢』、高橋ヨーコ+中川真『サワサワ』の5冊を再読。今日は阿部知二『火の島 ジャワ・バリ島の記』のバリ・パートを再読。ここ2週間でバリ本だけで10冊目だ。

 しばらく前にも書いた通り、10数回バリに通った後に読むことで、書かれていることの理解が深まるし、集中して大量に読むこと寄って各々の間の連関が共振し合って実に興味深い。今まで見過ごして来たことの発見も多く、今更ながらにバリの全体像が眼前に構築されて行くようだ。特筆すべきは大竹昭子さんの2冊の面白さ。彼女の旅から30年たった今読んでも、面白い。いや、今読むからこそますます意味があるのかも知れない。

 バリとインドネシアに関する文献は手元に100冊程度あるはず。この機会に全て読み直したくなっている。


『魅せられた身体』は、広い音楽知識に基づいた分だけ有益な情報も多いが、試論の域に止まっている。その『魅せられた身体』で、音を描いていることで評価されている『サワサワ』も正直ピンとこない。2冊とも初読時と感想変わらず。


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11/19


 今年これまでに読んだ中で特に良かったのは、島田周平『物語 ナイジェリアの歴史』(中公新書)。単に一国の歴史ではなく、常にアフリカ史、世界史に位置付けて書かれれている。最近の情勢に到るまでバランスよく、無駄もブレもない(だから、冒頭とラストが結びつく)。新書3冊分の内容はある、新書以上の新書だ。(フェラ・クティについての短いコラムもある。)


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11/24

 この夏、ヴァルター・シュピースについて調べ直したのを契機に始めたバリ本の再読。今日は板垣真理子『魔女ランダの島・バリ「癒しとトランスを求めて」』を一気読み。副題通り、ヒーリングやトランスに関する内容が主だったためか、初読時の印象がほとんど残っていなかったのだが、23年振りに読んで、板垣さんの取材と考察の深さに、今頃感心させられた。

 読み重ねることで、情報や記述が結びつく面白さのあることは、先日も書いた通り。板垣さんもまた、バリの音の魅力から書き始めていることにも惹かれた。バリの観光化が進むことへの懸念は20世紀初頭から叫ばれ、自分自身バリを訪ねる度にその変化を感じる。しかし、バリが持っている音の快感、空気の心地よさ(そして人の良さ)は、ずっと保たれ続けていると感じている。

『魔女ランダの島・バリ』はヴァルター・シュピースに関する文章で締められている。ここ数ヶ月のバリ読書もそろそろ一巡り、一区切りだろうか。しかし、板垣さんも触れられている、中村雄二郎『魔女ランダ考 ー演劇的知とはなにかー』も今度バリを旅する前に読んでおくべきかもしれない。でも、この本、途中で挫折してしまったんだよな。

 板垣さんの『魔女ランダの島・バリ』を読んでも、自分自身のバリ体験やバリを旅した/バリに住む友人たちから聞いたことが次々結びつく面白さがあった。「そうなんだよな」と呟いたり、「そうじゃなくて、、、」と頭をよぎったり。でもなぁ。。。

 自分が初めてバリへ旅したのは 1991年10月。それ以来(確か)13回この島を訪れている。合計の滞在日数はそろそろ200日になるだろうか。それでも、『魔女ランダの島・バリ』を読むと、自分はただ素通りしてきただけの印象を受ける。彼女のような体験、バリでは全然していないので。今度バリに行く時には最低1ヶ月は滞在すべきなのかと考えたりなどもして。いや、旅の深さはその日数によるものではないはずだろう。

 バリ本を読み重ねて、重大なことに気がついた。オランダに行くことがあれば、ヴァルター・シュピース(とインドネシア)の作品を観て来ようと決めていたのだが、2016年のオランダ旅行では、そのことをすっかり忘れていた(正確に書くと思い違いしていた?)。うーん、オランダにもまた行かなくてはいけないようだ?


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12/1


More Georgia !

 若い女性(20歳前後?)向けと思しきこんなムック "Maybe!" でもジョージア特集。試しに買ってみたら結構な情報量だ。来年の旅行に役立ちそうなページも。でも若者が旅するのに最大の障壁は、フライトの時間と価格だろうか?

 ジョージア再訪に向けて関連文献を読み漁っている。それらの中で最大の異色作はこの小説、アレキサンダー・レジャバの『手中のハンドボール』。主人公テムカとは現ジョージア(臨時代理)大使のティムラズ氏のことで、書いたのは彼の父親なのです。テムカ本人曰く「面白いよ!」とのこと。これから読みます。カバー絵はグルジア映画の紹介者としても有名なはらだたけひでさん。



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12/2

 ジェイムス・スーズマン『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』読了。ナミビアのブッシュマン(サン)を中心に、その歴史や暮らし、諸問題について詳述。その合間に現代人の生活にも疑問を投げかける。しかし、いずれにも解決策はないと思う。個人的には大変有益な本だった。じっくり書評を書きたい。

 阿部知二『火の島 ジャワ・バリ島の記』読了(再読)、そして金子光晴『マレー蘭印紀行』も読了。金子はなんて豊かで美しい日本語なのだろう。奥泉光『雪の階(きざはし)』やフローベール『ボヴァリー夫人』を連想した。

 今日は1日、エチオピアでのフィールド・レコーディング音源を聴いていた。約20年ぶりに聴き直したのだが、場末のバーの賑わいだとか、田舎の早朝だとか、労働者たちの歌だとか、改めて聴くとどれも雰囲気がいい。編集して作品にしてみようかな?

 その間も、ジョージアについてまた調べたり、アジアのいくつかのホテルとやりとりしたり、アフリカ諸国のホテルを探索したり、パリ行きの準備をしたり。頭の中で様々な音と情報が渦巻いていて、やや混乱気味。



12/2


 一昨日読み終えた、ジェイムス・スーズマン『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』で、参考文献としてこうした書籍が推薦されていた。久々パラパラ捲っているのだが、カラハリのブッシュマンは魅力的だ。2度旅したカラハリの記憶はいまだに鮮烈。再び行くことはあるだろうか?


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12/6

 しばらく前から気になり迷っていた、柳沢英輔『ベトナムの大地にゴングが響く』を買って読み始めた。この夏以降、バリのガムランについて学び直していて、同じゴングに興味を覚えたこと、秋にラオスを旅したこと、そして井口寛さんがミャンマーで録音した "VOICE OF NAGA" を聴いて、東南アジアの少数民族の伝統音楽に関心がますます深まったことで読む気になった。

 あとがきを読むと、川瀬慈さんは柳沢さんの活動も後押ししているとのこと。その川瀬さん編集の『あふりこ フィクションの重奏/偏在するアフリカ』はアフリカをフィールドとする研究者たちによる小説のような日誌のような作品集。まだ途中なのだが、思い切りアフリカへの旅に惹かれる。

 来年はアジアを巡るか、アフリカを歩くか、迷うなぁ。



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12/6

 マーロン・ジェイムズ『七つの殺人に関する簡潔な記録』も買った。厚いし、字は小さいし、高いし。だけれど、友人たちが絶賛しているので。年末の休みはこれを読んで過ごそう。
(ブッカー賞と早川には弱いのです。)

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12/7

 石毛直道『座右の銘はない あそび人学者の自叙伝』読了。アフリカやアジアの食の文化、農業の歴史などにとても興味があるので、石毛(と中尾佐助)の著作は目にとまる度に読んでいる。

 この本を読んで氏の活動の広さと多さを再確認。民博の設立過程、大阪万博実現に至る話などは貴重。ただ長年の「肩書き」を追った分だけ、面白いエピソードがごっそり抜け落ちた印象がある。それは編集後記を読むと尚更。

 現在普通に使われる「食文化」という言葉が、彼の「食の文化」という表現から生まれたことも知った。

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(フォントとサイズが揃わない。まあ、いいか?)






by desertjazz | 2019-12-07 18:11 | 本 - Readings


 オーストラリアの作家リチャード・フラナガンの『奥のほそ道』読了。1942〜43年に日本がタイービルマ間に敷設した泰緬連接鉄道の建設工事の悲惨さ壮絶さが伝わる小説。いわゆる「神の視線」的な文体に疑問を持ったが、ブッカー賞を取ったことも頷ける濃密な文章。

「傑作のなかの傑作」と評価されているようだが、それだけの作品だろうか? 終盤には凄みを感じたが、都合よく書き終えたようにも思える。それほどまでに作家自身が扱いに苦慮した大作とも言えるだろう。

 終盤には安倍(小学生)に伝えるために書かれたような文章もあったが、どこだったかな? 歴史小説でありながら、ここでの描写が近未来予言とも取れる恐ろしさを、今の日本に感じている。

 最も印象に残ったのは、人生の無意味さを語っているところだったな。自分も老いて、そのことを切々と感じる。(虚しくなるので、それ以上は語らない。)




 三浦英之『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』読了。読み始めて即座に「やばい!」と心の中で叫ぶ。アフリカ象が今後10数年で絶滅しかねない危機に瀕しているとは知らなかった。1989年のワシントン条約で象牙の国際取引が全面禁止になり、95年2度目のボツワナ旅行でチョベ国立公園の水飲み場に集まる200頭を目にして安堵したのは甘かった。その後、頭数調整とやらで輸出再開しておかしいな?とは思ったのだが。

 作品としては読み応えたっぷり。だがそれは楽しいからではない。まるでフィクションを読んでいるようでいながら、現実であることを思い出して絶望的になる。

 三浦英之の本を立て続けに読んでいるが、この著書も冴えている。アフリカゾウの未来の有無が、日本人がどう行動するかにかかっていることは、多くの人が知っておくべき。日本国内での流通も含めて象牙取引の全面禁止がどうしても必要なことが、これを読むとわかる。


 →→→ 日本政府、象牙取引を今すぐ禁止に!



 以下、余談。

 アフリカゾウはボツワナやジンバブウェで何度かずつ見ている。数メートルの至近距離からも数度。一度はロッジの屋外で食事中、テーブルの脇を悠然と通りすぎた。もう一度は、深夜寝ている部屋の柱に体をこすりつけてきた。どちらもゾウに手が届く近さで、楽しく貴重な体験だった。

 来月のアフリカ某国への出張が取りやめに。久々訪れる国(ゾウも見られるはず)、楽しみにしていたので残念! 10回目のアフリカ旅行は、どうやら自力で行くことになりそうだ。




 5月以降やっと月10冊ペース近くまで戻ってきた。







by desertjazz | 2019-07-15 17:00 | 本 - Readings

BEST BOOKS 2018

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◆ロビン・ケリー『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』
◆カール・オーヴェ・クナウスゴール『わが闘争2 恋する作家』
◆角幡唯介『極夜行』
◇ラーナー・ダスグプタ『ソロ』
◆奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』
◆スティーヴン・ウィット『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』
◇奥泉光『雪の階(きざはし)』


 今年読み終えた本の中で印象に残った10冊。順位づけはなし。リストは読んだ順。初めて出版されたのが今年でないものも一部含まれている。

 完読は86冊で、今年も100冊に届かず(毎年書いている通り「数じゃない」が、最低でもこれくらいはと自分に負荷をかけている)。1月にニューヨーク、6月からドーハ、アルメニア、ジョージア(グルジア)、10月にはマルセイユと、海外だけでも3回旅行したので、それらの準備にずいぶん時間を取られ、また旅行中も読む時間がなかった影響が大きい。

 結構豊富な年という印象だったのだが、振り返ってみるとさほどではなかったかも。決定的に面白い小説とは出会わなかった。一番楽しく読めたのは、マルセイユ滞在に合わせて読み始めたアレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯』全7冊。よくできた大衆小説だった。

 トップ3を選ぶなら、『ソロ』と『雪の階』と『日本が売られる』だろうか。特に『雪の階』は構成も文章表現も素晴らしい。場つなぎ的なささやかな挿話と思ったものまでが、重要な伏線となっている。見たことない漢字や初めて知る表現が頻出するのに、スラスラ読めてしまうから不思議。文章の美しさはフロベールの『ボヴァリー夫人』に匹敵するレベルとさえ思った。主人公、笹宮惟佐子にすっかり惚れてしまったよ。それだけに、最終章の謎解きにはかなり失望させられた。

『日本が売られる』は大変よく調べて書かれている。この本によって多くの日本人の眼が開かれたはず。矢部宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』とともに今の日本人にとって必読の2冊。

『ソロ』はまさしく「摩訶不思議な」長編小説。コーカサスとニューヨークという舞台設定に今年の自分との縁も感じた。第一楽章のクオリティが第二楽章まで続いていればもっと良かったのだが。(前作『東京へ飛ばない夜』も読んでみたが、同じ「妄想」を起点としながら、この落差はなんなんだ! これだけつまらない小説は記憶にない。)

 角幡唯介は、『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』や『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』の方が緊迫感があり深くて好きだけれど、今後は『極夜行』が彼の最高傑作と語られるのかも知れない。

 音楽書も大量に読んだ1年、『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』が圧巻だった。あくまでモンク寄りの立場から書かれたストーリーだとは思うが。

 繰り返し読んだのは、『マルセイユの都市空間 ー幻想と実存のあいだでー』ピーター・エイムズ・カーリン『ブルース・スプリングスティーン アメリカの夢と失望を照らし続けた男』。前者は「マルセイユを知り尽くす」という今年のテーマに沿って。後者は Springsteen On Broadway のおさらいも兼ねて。

 特別賞は、John Collins "Highlife Time 3" とケニアのプロダクションが出版した "Shades of Benga"(どちらもまだ読み終えていない)。ガーナの John Collins は "Highlife Time"、"Musicmakers of West Africa"、"Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" と3冊立て続けに読み終えた直後に "Highlife Time 3" が出た。これは彼の研究の集大成的な大著。よりでっかい "Shades of Benga" は以前ここで紹介した通り。

(『雪の階』は図書館で借りたので写真はなし。音楽やアフリカ関連の資料を中心に蔵書が4000冊?を超えて自宅に置き場所がなくなったこともあり、今年は図書館の利用が一気に増えた。)


by desertjazz | 2018-12-31 23:01 | 本 - Readings



 ロベルト・ボラーニョ『ムッシュー・パン』読了。彼の作品の中では一番読みやすい。しかし、肝心なところがいくつも削がれている印象。彼は小説を書き始めても、詩人のままでいたのだと思う。


 これでボラーニョの邦訳10作11冊全てを読了。2周目に行こうかな?


 ミシェル・ウエルベックも先日完読したと思ったら、間もなく新作が出すと予告された。ガルシア=マルケス全集(全小説)にも今秋1冊追加された。読みたい本はいつになっても尽きない。









by desertjazz | 2018-12-16 11:00 | 本 - Readings



 堤未果『日本が売られる』、井手英策『富山は日本のスウェーデン:変革する保守王国の謎を解く』読了。その雑感。


 堤未果は『貧困大国アメリカ』などの著作を読んで絶望的気分になった。それで、もうこれ以上そんな気分に陥りたくなくて、彼女の最新刊『日本が売られる』はしばらく買うのを躊躇していた。内容はどうやら既知のことが多いようでもあるし。しかし、やっぱり読んでおくべきと思い改めて通読したのだが、絶望を通り越して、地獄に突き落とされたような暗澹たる心持ちになってしまった。ここまで酷いとは、唖然とするばかり。読んでいると気が滅入ってくるのだが、今日本人が逃げずに真っ先に知るべきは、この『日本が売られる』と矢部宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』で明かされた内容だろうと思う。


「日本が売られる」ことの具体例については、日本の現状に関心のある人なら知っているだろうし、この本をすでに読んでいる人も多いだろうから割愛。しかしこれほどのデタラメが本当に通用するのだろうか。ここ数日の「水道法」に関しても「漁業法」に関しても、著作の中で堤が書いている通りにことが進んでいるので現実なのだろう。そう考えると恐ろしい「予言書」だ。


 無駄なインフラや軍備の整備などで借金まみれになり、産業育成のための有効な戦略を持たず、侵略戦争への反省もなく周辺諸国に敵ばかり作り、教育では場当たりなことを繰り返し予算も削減、ゼネコン延命のための環境破壊を続け、挙げ句の果てに取り返しのつかない原発事故を起こす。かねてより、この国は自滅に向かっていると考えていたが、現政権が今やっていることは、それよりもっと酷い「国の破壊」なのではないだろうか。


 やること全てが政治家や大企業などの「金」のためだとしても、しっかりした教育によって若者たちに将来稼げる知力を植え付け、また低〜中所得者層の収入をアップさせた方が、国民全体の購買力が上がって経済が循環し、長期的には金に貪欲な支配層や利権者たちも儲かり続けると思う。しかし、「金だけ、今だけ、自分だけ」が徹底している彼らには、どうやらそんな考えはないようだ。自分が死んだ後のことなど全くどうでもいいという考えが見透かされる。


 こんな現状を許しているのには、官僚やメディアなどの責任が大きいとする指摘は間違っていないだろう(もちろん彼ら/それらの全てはないにせよ)。だが、実際どこまで期待できるのか。正確な情報を基にロジカルに考え判断を下そうとしても、上から拒絶される。抵抗が過ぎると配置転換など排除されるといった話も(あるいは「消される」可能性も?)、ネットに流布し伝え聞きもする。それで、時に保身に動き、時に権力者に取り込まれ、結果忖度する者ほど生き残る(ひとつの例は最高裁判事か)。その構図は政治家についても同様なのだろう(このあたりは噂からの推測になるので詳しいことは書かないが)。


「知識人」と自称する輩たちも一緒だ。どこまで本気で言っているか理解できない嘘でも、権力者におもねった駄弁を繰り返していた方が、彼らから重用され発言力も高められる。恥を晒してでもその流れに乗った方が楽だと思う者が増えて、この悪循環は(いや、立場によっては好循環か?)ますます進みかねない。残念ながら、もう全てが手遅れなのかもしれない。


 しかし、堤未果が『日本が売られる』を通じて一番伝えたかったメッセージは、まだ諦めてはいけないということだろう。「第3章 売られたものは取り返せ」で紹介した世界各地での事例はそのためのもの。自滅・破壊への一方通行から後戻りする方法はまだあるということだ。「種子法」や「水道法」が改悪されても、各自治体が国の方針に従わない手はあるはず。例えば水道の民営化を行わなければいい(そんな単純な話でないことは分かっている。逆に水道法を口実に民営化して、表面的に自治体の予算を削減しようとするところも出てくるだろう)。これからは各都市・地方自治体と国との新たな戦いが始まる。それぞれの自治体には常識と良心と冷静さがあるはずだ。


 例えば井手英策の『富山は日本のスウェーデン: 変革する保守王国の謎を解く』で取り上げられたいくつかの町。この本はこのところスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドでお世話になっている(そして父が生まれ育った)富山県への関心から読んでみた。「『海、山、湖、川などで遊んだことがありますか』『動物を飼育したり、花や野菜を育てたりしたことがありますか』と聞かれたとき、『何度もあった』と答える子が大都市の平均よりも少なかった」(P.144)という。つまりは「豊かな自然があること」が「当たり前すぎ」なのだと分析している。そのような経済的な「豊かさ」とは異なった(羨ましい)「ゆたかさ」が富山県にはあり、それを活かす取り組みがいくつもなされている。


 守るべき個性や独自性はどの市も町も村も持っている。富山の「ゆたかさ」のように。国に従うことによって、それらが失われかねないなら、戦うしかない。日本各地が有する「歴史な遺産」や「優れた特徴」を、国による圧力・暴力からいかに死守するかが重い課題になってくるだろう。それに打ち勝つのは、庶民一人ひとりの常識と判断力と良心だ、そう信じたい。


 憲法改正、いや憲法改悪の危機が迫っているという。しかし、そこにも大きな矛盾が存在しているのではないだろうか。たとえ憲法を変えて戦争のできる国にできたとしても、国の実態が失われていては意味をなさない。このままでは人口が減り、経済力も衰えて、日本という国の存在が薄まっていくばかりだ。愛国心をいくら強制しても、国がまともに存立し得ず、国民も減ってしまっては、なんのための憲法なのか。破壊された国家に憲法は存在し得ない。アメリカに押し付けられたと言って憲法を変えようとする一方で、他のことに関しはことごとくそのアメリカの言いなり。そのことに限らず、徹底的に国を破壊しようとしている「彼ら」のやっていることには、どうも矛盾ばかりを感じる。



(ほぼ一気書き。まとまりなく、言葉足らずのところあり。悪しからず。)







by desertjazz | 2018-12-07 19:00 | 本 - Readings

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 先日ナイロビの書店から送られてきた "Shades of Benga - The Story of Popular Music in Kenya: 1946-2016" (Ketebul Music, 2017) に、さっとひと通り目を通してみた。最近ケニアで出版されたこの本、想像していた以上に大判で、全部で678ページと厚く、1冊約2.8kgあるずっしり重い豪華さ。内容も素晴らしく、ケニアのポピュラー音楽史を俯瞰するには、これ以上望みみようないと言えるほどの、最高の文献だろう。

"Shades of Benga - The Story of Popular Music in Kenya: 1946-2016" (Ketebul Music, 2017)


 第二次世界大戦終結後、兵隊たちがアコーディオンやギター、様々なスタイルの音楽を持ち込んだことで、ケニアのポピュラー音楽がスタートした話から始まる。そして、その後コンゴのミュージシャンたちやルンバから影響を受けたこと、ベンガに加えて、ルオ人のオハンガ、ヨーロッパのダンス音楽を模倣したムウォンボコ、スピリチュアル・ミュージックのアコリノ、ターラブなどのケニアの各スタイルの音楽について、さらには近年の動向に到るまで、70年間の歴史を紹介。章立ては以下の通りで、各章ごとに主要人物(ミュージシャン、レコード制作/放送関係者、等々)についても綴られている。

  01 The Pioneers
  02 Benga
  03 Rumba in Nairobi City
  04 Ohangla
  05 Mwomboko
  06 Akorino
  07 Taarab
  08 Funk
  09 Gospel
  10 Urban Expressions
  11 Hip-Hop
  12 Live Gigs
  13 Broadcasters
  14 The Smithonian Folklife Festival

 かなりの大著ながら、写真がたっぷり掲載されていて、それらを見ているだけでも楽しくて飽きない。400枚以上の写真が掲載されているようだが、全て初めて目にするものばかり。そして、一人ひとりの表情がいいんだな! テキストの方はページ全体の3分の1程度なので、読み始めたら一気かも(読み終えたら、改めてレビューを書こう)。


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当時の雰囲気が鮮やかに記録されている。(表紙は Fundi Konde)

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Tabu Ley Rochereau 若い!

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最もページが割かれているのは Samba Mapangala & Orchestre Virunga

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ターラブの女王様 Bi Kidude



 ところでこの本、豪華でデカいだけに1冊 KES 5800(5800 ケニアシリング = $58 = 約7000円)もする。今年の夏どこかの記事で紹介されているのを目にして欲しいと思い、欧州・米国・豪州のサイトや書店を当たって探してみたものの扱っているところは見当たらず。出版元にメールしても返事はなし。結局、先に入手された音楽評論家Fさんにアドバイスいただき、ナイロビの書店から取り寄せた。しかし、送料がとんでもなく高くて(本代よりもずっと高額)、アフリカ音楽を愛する有志3人で共同購入することでやっと手に入れたのだった。届いた小包は 8.8kg。何はともあれケニアから無事に届いてよかった。この本、今日本にあるのは4冊のみなのではと思う。


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 近年海外で出版されたアフリカ音楽に関する書籍は、ここ10〜20年のヒップホップなどについても詳述していて、「買わなきゃ、読まなきゃ」といつも考えている。しかし、現在の音楽シーンの変化が激しいものだから、とてもじゃないが文献は追いついていない。なので、今を知るにはネット情報がより有益なのだろう。これでは時間がいくらあっても足りないのが悩ましい。






by desertjazz | 2018-12-04 23:00 | 本 - Readings

読書メモ:アミナッタ・フォルナ『シエラレオネの真実 父の物語、私の物語』_d0010432_19381258.jpg


 アミナッタ・フォルナ『シエラレオネの真実 父の物語、私の物語』(原題:"The Devil that Danced on the Water")を読了。ブラックダイヤモンド、少年兵、武装集団による民衆虐待(四肢切断、レイプ、等々)と陰惨な印象の強い西アフリカのシエラレオネの現代史を振り返る意味で読んでみた。

 著者のアミナッタはシエラレオネ人の父とスコットランド人の母の間に生まれた女性で、現在はジャーナリストとして活躍中。その彼女の父モハメドは、かつて財務大臣を務めたものの、首相との意見対立をきっかけに政界を去る。しかしその後、無実の罪で逮捕され処刑されることに。1975年、アミナッタ10歳の時に襲った悲劇だった。

 それから25年、彼女はあらゆる資料に当たり、インタビューを重ねる(父を陥れることに与した者も多い)ことで、自分の半生を振り返り、父の晩年の姿を描き出していく。

 周辺に不穏な動きが起こる度に、イギリスやナイジェリアに逃れるなど、絶えず命の危険に晒されたアミナッタの子供時代はなんとも凄まじい。実母との別れといった辛い出来事も重なる。そして、父が殺されるに至った経緯の真相を知ろうとする彼女の忍耐力、精神力にも想像を超えるものがある。そうして浮かび上がった父モハメドの信念はただただ立派であるとしか言いようがない。単に暗澹たる話で終わらせていないところにも救いが感じられる。

 詳細な取材の結果だろうか、登場人物は割合多くて、馴染みない名前が覚えきれない。また時制が激しく現在と過去を往復するための読みにくさもある。明らかに日本語としておかしなところなど、校正がやや緩いところも残念。

 それでも、アミナッタの綴る「父の物語」「私の物語」は、シエラレオネの歴史を照射し、シエラレオネの人々にとっての「私たちの物語」を紡ぎ出すことに、ある程度まで成功している。あくまで個人史が主なので、基本知識として巻末の「シエラレオネの歴史的背景」を先に読むことをお勧めする。

(余談になるが、この辺りは、まるでブルース・スプリングスティーンが Springsteen On Broadway で 'I want to know your story, my story' と呼びかけ、「父の物語」を切々と語った情景をまた思い出してしまった。ネタバレになるので、これ以上は書かないが。)

 アフリカの悲惨な歴史、それは日本人にとって他人事に映りがちだ。この本もアフリカに対する個人的興味から読み始めた。しかし、アフリカのことを知るより、今の日本の状態についてもっと考えるべきだという思いが頭から離れなくて、何とも落ち着かなかった。堤未果が『日本が売られる』の中で「今だけカネだけ自分だけ」と表現する、無能な為政者や権力者(そして大企業の経営者も)の姿は世界共通。「口封じ」ひとつを取っても、我が国は「破綻国家」の手法を後追いしているという怖ささえ感じた。







by desertjazz | 2018-11-29 19:00 | 本 - Readings