カテゴリ:本 - Readings( 226 )

  小説やアフリカ関連に読みたい本が山積で、John Collins の最新刊 "Highlife Time 3" もさっぱり進まず。なのに、気になっていた書物をフランスにまとめてオーダー。その間にもアフリカ音楽書の出版ラッシュが続く。

 以下、読んでおきたいアフリカ音楽の近刊についてメモ。

・ Africa Is Music
・ Hip-Hop in Africa : Prophets of the City and Dusty Foot Philosophers
・ Shades of Benga : The Story of Popular Music in Kenya: 1946-2016
・ You Generation !
・ Baaba Maal : Le Message en Chantant
・ Born To Kwaito : Reflections on the Kwaito Generation

 Planet Ilunga による Docteur Nico の復刻に合わせて、Alastair Johnston の "A Discography of Docteur Nico" にもそろそろ目を通しておこうか? 近いうちに最低これくらいは読んでおきたい。

 アフリカ音楽に関する文献をリストアップしたこのサイトも参考になります。








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by desertjazz | 2018-10-01 23:00 | 本 - Readings

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 ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサイエンスの未来』読了。氏の前著『サピエンス全史』が現在までの人類史だったのに対して、新著は人類の未来予想に挑んだもの。全般的に面白く読めたものの、『サピエンス全史』が目を見張るような論考だった(特に前半)のに比べると、物足りなさや幾多の疑問も。

 基本3部構成で、第2部までが人類史のおさらい。そこから第3部で一つの可能性としての未来像を描く。様々な情報を駆使して論述される第2部までは今回も圧巻。いよいよ本題の第3部で論考が炸裂することを期待させる。

 しかしその最終部、『サピエンス全史』の後半に感じた失速感以上の物足りなさがあった。デイヴィッド・コープと EMI、アンジェリーナ・ジョリー、カラハリの狩猟採集民までを例に語るところにはワクワク。グーグルやフェイスブックを重視して語るデータ教にはかなりの程度、正しい現状認識なのかもしれない(人類の大半が無用者階級になってしまうという予測には、今の政治による弱者切り捨てとも通じるものを感じた)。

 やはり、予測のつかない未来について考えることに限界があるのか。終盤ほど冗長で繰り返しが多いし、ロジックの飛躍も感じる。著者が頭の整理をつけられていないようにも思えた。人類の未来に希望を持てる余地を残しているようでありながら、それらは前段部で否定してきたことばかりだったのでは。

 学術研究をベースにしていながら、なぜか哲学的雰囲気が香り続けているところが、難解に感じさせた。一度『サピエンス全史』に戻ってから、再読するのが良さそうだ。

 自分は、キリスト教的な神など存在せず、天国も死後の世界も空想だと思っている。だから、「人生など無意味」という意見にも同調する。なので、『ホモ・デウス』の描く未来が実現してしまうなら、人類の生などいよいよ空疎だなと思ってしまったのが一番の感想。




 読みたい本、読まなきゃいけない本が、ますます山積。時間がないので、この感想も取り急ぎ、軽めに。

 毎日読書を楽しめる人生は、それほど悪くないかもな??






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by desertjazz | 2018-09-30 20:00 | 本 - Readings

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(「最近ブログの更新ないですね」と言われたので、今日の Facebook を丸ごとアップ。Twitter と Facebook には毎日鮮な情報をアップしていますが、相変わらずブログにじっくり書く余裕の毎日です。)


「わたしに近づいてきて、何があなたの心を乱しているのかと訊く司祭たちもいた。わたしは告解し、祈りを捧げた。だが不眠は隠そうとしても顔に表れてしまった。実際そのころはほとんど眠れなくて、ときに三時間、ときには二時間という具合だった。」(ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』P.68/69)

 自分もまさに今そのような状態。色々なことが重なり、それが影響しているようで、午前3時頃には目が覚めてしまって、あとはもう眠れない。

 こんなでは何を読んでも頭に十分に入って来ないし、書こうとすることもまとまらない。最近話題の J.M. クッツェー『モラルの話』もコルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』もさほど面白くなく、どこが評価されているのか理解できなかった。(『地下鉄道』が大きな話題になるところに、終わることのない黒人問題がある。)

 読書メモもさっぱり書けなくなってしまった。最近読んだ中で断然面白かったのは、奥泉光『雪の階(きざはし)』だが、これも感想もまだだ。約600ページあり、改行も少なく、読めない感じ、初めて知る表現の連続なのに、何故かスラスラ読めてしまう不思議さ。気がつけば3日半で読み終えた。さりげないエピソードと思ったものが、いずれも後々語られることに伏線になっているなど、緻密な構成に嘆息。主人公の美女、惟佐子には会ってみたくなった。架空の存在なのに。いや、登場する男どもと同様、抱きたくなってしまったくらいだ。最後第5章の謎解きには正直かなり白けた。時代設定は 226事件の前後、それなのに現在への警鐘とも受け止められた。絶賛されていることに納得。

(絶賛されていると言えば、映画『カメラを止めるな!』 全くしょうもない中味なのだが、構成・演技・編集なども含めて考えるところが多くて、未だに頭の中で反芻している。なぜなのだろう?)

 今週は、田子内進『インドネシアのポピュラー音楽 ダンドゥットの歴史 模倣から創造へ』(今年完読50冊目)、阿部年晴『アフリカ神話との対話』(51冊目)を読了。

 前者はダンドットそのものを詳述するのではなく、19世紀末以降のインドネシアやマレーシアの政治/社会状況を背景に「ムラユ(マレー)」音楽がどう変化し、ダンドットの誕生に至ったのか語るところに刺激を受けた。読み物というより論文調。東京大学大学院に提出した博士論文を基にしているとのことで、どうりでしっかりした論調なわけだ。図書館で借りてきたが、これは手元に置いて参照したい。検索すると著者の論文は PDF でネットに読めるようになっているので、しばらくはこれで十分だろう。知らなかったアーティストの音源をネットで探して聴き、ノスタルジックな気分にもなれた。

 後者はアフリカ諸地域に継承されてきた神話の概略説明が中心。肝心の対話が言葉足らずに感じられて、やや疲れた。実際の対話は読み手に預けられたと解釈する余地もあったが。ドゴン文献が買って持っているママだったことを思い出す。

 そして今朝も3時頃に目が覚めてしまい、観念して、ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』を一気読み。今年完読52冊目。(今日は岩波ホールで、テンギズ・アブラゼ監督作品「祈り」三部作「祈り」「希望の樹」「懺悔」を観るつもりだったが、超寝不足につき断念。)

 ロベルト・ボラーニョはしばらく前に『2666』で日本でも知られるようになったチリの詩人/小説家。自分もそのブームに乗せられて、『2666』、『通話』、『野生の探検たち』、その後に出た「ボラーニョ・コレクション」全8巻で、『売女の人殺し』、『鼻持ちならないガウチョ』、(続く『(改訳)通話』はどうも改訳とまでは言えないらしいのでパス)、『アメリカ大陸のナチ文学』、『はるかな星』まで読み終えたところで中断。下書き/実験作のような語り尽くさない/解き明かさない独特な文体に物足りなさを覚えたので、もういいかと思ってしまった。しかし友人に「『チリ夜想曲』が一番」だと強く勧められて(この話、興味深いので、もっと具体的に書いていいのかな?)、ボラーニョ再開。この作品は最後まで改行が全くないので、本の厚さから見込める以上に時間がかかった。しかし改行なしの意味と効果にはすぐに気がつかされる。ひとつには、夢の中で連続する想念かのようだということ。ボラーニョは一作ごとにスタイルが異なる。そこも大きな魅力なのだと思う。

 ボラーニョの邦訳未読は残り2作。ならば読み終えてしまおうと思い、近所の図書館から『第三帝国』を借りてきて読み始めた。この作品、書き出しはとてもいいぞ!

 年初はニューヨーク行きという重大ミッションがあったこともあり進まなかった読書。4月/5月には23冊読了まで持ち直したものの、コーカサス旅行があって再びペースダウン。今年も年間100冊はとても無理。しかし、インプット以上に問題なのは、アウトプットの方だ。幸い本業の方ではそこそこアウトプットし続けらているが、それだけでは物足りないと思ってしまう。自分の力量を超えた贅沢なのかも知れないけれど。

(一気の殴り書きにして失礼。)





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by desertjazz | 2018-08-30 20:11 | 本 - Readings

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 地中海に面するフランスの港町マルセイユはこれまで何度訪れただろう。きちんと数えたことがなかったので調べてみた。

 最初が 1995年12月〜1996年1月。その後 2006年1月、2006年10月、2009年3月、2012年10月、2015年10月、2016年11月と、計7回滞在している。(Fiesta des Suds に観に行ったのはわずかに3回と意外と少ない。それより、寒い時期にしか訪れていないことに今気がついた。)

 20年以上昔に出張で初めて訪れた時(マグレブ移民に関するものでヒップホップも取材した)には、まさか繰り返し来ることになるとは全く想像もしなかった。そうなったのには、やはり Massilia Sound System を筆頭とするオクシタン音楽(と Fiesta des Suds と Babel Med Music )との出会いが大きい。

 そんなマルセイユ、行くほどにどんどん好きになる。そしてこの街についてもっと知りたい。そう思って、深沢克己『マルセイユの都市空間 ー幻想と実存のあいだでー』(刀水書房、2017年)を読んでみた。

 楽に読めるかと思いきや、とにかく文章が硬いし、回りくどい。特に近世までについて書かれた第三章までが(自分がフランスの歴史に疎いために、数多い固有名詞についていけなかったこともあるが、一文一文が長すぎて流れが悪いと感じた)。それでもギリシア人の流入に始まる2600年の歴史は把握できたし、入り江ラキュドンが港(現在の旧港)へと変化して行く様や、主要道の変貌する様子などは興味深く読めた。時代ごとに織り込まれた地図が理解を助ける。旧港入り口の両側に立つ、見慣れたサン=ジャン要塞とサン=ニコラ要塞が、実はパリ政府がマルセイユに睨みを効かせるものだったのは!

 現在のマルセイユの姿は、都市計画の大失敗の結果なのだとか。フランスの他の都市とは違って、ここには中央広場も特別な観光スポットもない。ラ・マジョール司教座大聖堂にしても、共和国通りにしても、エスク門の凱旋門にしても大失敗作で、人々は全く愛着を持っていないとのこと。だから、どこもいつも閑散とした雰囲気で全く存在感がないのか。大笑い! そしてその失敗の歴史は現在の都市計画にも受け継がれているのかもしれない。(最近マルセイユに行かれた方ならそう感じられるかも?)

 日々海外の小説などを読みふけっているが、そこにマルセイユが予期せず登場する頻度がとても高い。マルセイユはそれだけ歴史的にも重要な街なのだろう。しかしそれ以前に「マルセイユがまた呼んでいる」と思ってしまう。恋しいマルセイユ、今度はいつ行けるのだろうか? できれば次回は夏がいいな。







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by desertjazz | 2018-05-22 18:00 | 本 - Readings

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 塚田健一の著作を集中的に読んでいる。先日の『アフリカ音楽学の挑戦―伝統と変容の音楽民族誌』に続いて、『世界は音に満ちている』 (2001年) と『文化人類学の冒険 人間・社会・音楽』(2014年) を一気読み。ガーナやザンビアを中心としたアフリカの音と音楽を巡る考察を期待して読み始めたのだが、1993年以降月刊誌に連載したエッセイをまとめたものだった。内容は多岐に及び、『世界は音に満ちている』では日本への深い憂慮にも至る。

「日本は明治期に持ち前の器用さでほかに類を見ないほどの速度で短期間にその近代化を成し遂げ、西洋文化をたくみに摂取してきた。ところが、どうも日本人はこの明治期の「西洋」という衝撃に対して、自分を表現するよりも、むしろそれに「のみこまれる」ことになかに精神的な安堵を見いだしてきた観がある。(...) この近代日本精神史のなかに見え隠れするごまかしが結局集団としての日本人を西洋に対して根源的に自信のない国民にしてきたと僕は考えている。」(P.166)

「(...) 複数民族とはいえ、日常的にそうした共生感覚をほとんどもち合わせていない日本と日本人は、そして一国のなかで他民族と共生することを暗に拒んでいるようにさえ思える日本と日本人は、いつしかそのためにたいへんな精神的・物理的代償を支払わねばならなくなるかもしれない (...)」(P.180)

「では「日本人は社交が下手」という海外での定評はどうなのだろう。そのぎこちなさこそ、まさに歴史のなかで他民族と共存・共生することを学んでこなかった民族の精神的風土が創りあげたものなのだとぼくは考えている。」(P.183)

 電車の中での携帯電話による「かなりプライベートなゴシップ」のやり取りを観察して、「その共同体に生きる人々にとっては、その共同体の外に住む人々はあっていないも同然の存在、見えて見えない存在なのだろう。そうした共同体の自己中心主義あるいは自己完結性は、たぶん今日の若い人々の生活感覚をまことによく反映したものなのだろうと思う。」(P.210)

(音/音楽に関しては、パリのオペラ、ジャコモ・マイヤーベーアの「アフリカの女」をとっかかりにしたワールドミュージック都市パリについて (P.40) や、バリの竹細工ピンジャカンと欧州のカリヨンとのサウンドスケープ的同質性について (P.56) などに興味を覚えた。)

 続編作『文化人類学の冒険 人間・社会・音楽』においても、「国際的な場で通用するような会話力や社交術、国際常識やエチケットなどを身につけた人材を、日本が今後あらゆる分野でどんどん輩出するようにならないと、日本は世界の趨勢から完全に取り残される、ということを言いたいのである。世界のリーダー格気取りでいると、気がついた頃には中国にも韓国にも先を越されて、日本はいずれ世界のなかで「平凡な三流国」に転落してしまうだろう。」(P.104-105)

 研究書ではなく、著者が感じたことを綴ったエッセイである分、果たしてそうかな?と思う指摘も多いが、氏の危惧するところは現状ますます悪化しているように思う。特に「平凡な三流国」に転落するという予言には完全同意。いや、すでに転落している?



 塚田健一はかつて、クラシック音楽の成立以降、音楽を「演奏する側」と「聴く側」に分離してしまったことを批判的に書いていたことを思い出した。その点で自分は彼の論から多分に影響を受けていると言えるだろう。

 この機会に『アフリカの音の世界 音楽学者のおもしろフィールドワーク』 (2000年) 、『アフリカ音楽の正体』(2016年) 、坂本龍一との共著『commons: schola vol.11 - Traditional Music in Africa』(2012年) も読み直してみよう。







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by desertjazz | 2018-05-21 22:00 | 本 - Readings

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 ガーナに関するネタが続いた流れで、今年2月に読んだ小説のご紹介。

 ヤア・ジャシ Yaa Gyasi は1989年ガーナ生まれの女性作家(現在はアメリカ在住)で、『奇跡の大地』は彼女のデビュー作。出版以来、世界各国で話題になっているとのこと。

 ファンティとアシャンティという(現在ガーナという国の土地に生きる)アカン人の2つの系統に属する、2つの家系の人々、主要人物に限ってもおよそ20人の、200年を超える壮大な年代記。ファンティとアシャンティの、奴隷貿易を通じた両者の関係、対立・戦闘、そこに深く関わるイギリス人(実際主人公の多くは白人との混血でもある)、そして奴隷として送られたアメリカ。そうした時代の流れに翻弄された人々の壮絶な物語は自ずとアレックス・ヘイリーの『ルーツ』を連想させる。

 約20人の主人公たちは、主人公たるだけのエピソードを持っているのにも関わらず、語り尽くされていない感が強い。それなりにしっかり描かれているのだが、通読すると筆致が浅い印象を受ける。ただの歴史の羅列に感じられるのだ。なので、邦訳で400ページ近い作品でありながら、最低でもこれの3倍のテキスト量は必要だったし、それだけの作品になりうる素材を揃えられていたと思う。(ただし、デビュー作で大長編を書くだけの環境はなかっただろうと思う。また、それだけの大作をものにする筆力が彼女にあるかどうかも未知数だ。)

 この小説のエンディングは、伏線の張り方から考えて、これしかない。いや、想定以下だった(なので、彼女の筆力は未知数だと感じた)。もっと深みを持たせる方法があったはず。

 それでも、内容豊富な充実作。ハイライフ・ミュージック含めて、ガーナ音楽に関心があるならば、ここで書かれている歴史的背景くらいは知っていて損はないと思う。



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 今年1月にニューヨークでブルース・スプリングティーンの Springsteen On Broadway を観る前後に読んでいたのは、この『奇跡の大地』や、ロビン・ケリー『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』、タナハシ・コーツ『世界と僕のあいだに』など、偶然にも黒人奴隷の末裔の作品が多かった。(スプリングティーンのプレミア・チケットを得て以来、NYC が呼んでいる?)ニューヨークなどで暮らす黒人たちの苦闘を読み続けて、アメリカという差別社会で生きることを語ることは終わりのないテーマなのだろうと考えさせられたのだった。






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by desertjazz | 2018-05-10 14:04 | 本 - Readings

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 塚田健一『アフリカ音楽学の挑戦 伝統と変容の音楽民族誌』(2014) を読了(完読は今年31冊目)。

 ザンビア北西部に住むルヴァレ人の、少年たちの通過儀礼で歌い奏でられる音楽を中心とした研究と、ガーナ沿岸部ケープコーストなどに住むファンティ人の宮廷音楽に関する研究、それのこの両者から演繹される論考。ルヴァレ音楽に関しては、精密な採録楽譜に基づきながら、そのリズム、ハーモニー、歌詞等々について論を展開する。学術論文に近い筆致であるだけに、一見当たり前のことをくどく語られている気分になるのは仕方ないところ。地理的にヒュー・トレイシー Hugh Tracey の採録やマイケル・ベアード Michael Baird の調査と結びつくものも期待したが薄かった。それでも、ルヴァレ人と我々(日本人、欧米人)との音楽の異同の捉え方が異なる理由を論駁するあたりは面白かった。

 しかし、この本に興味を持った理由は後半のガーナ。「第12章 宮廷音楽ハイライフ様式の成立」を読みたかったから。そうでなければ、こんな高価な本など買うわけがない(と言いつつ、3年以上放置したままだった)。ファンティの宮廷音楽が幾段階の過程を経て、ポピュラー音楽ハイライフ的要素を受容し、大衆から絶大な人気を博していく様子が詳述される(より正確には、元々12拍子だった宮廷音楽が、近年興隆したカルチュラル・グループの影響を受けて、ハイライフ・リズムと近似した4拍子クラーベ・リズムを取り込んだ楽曲を生み出していく)。ファンティの宮廷音楽には歌を伴うのに対して、内陸部アシャンティ宮廷音楽は演奏のみで歌がないことにも興味を覚える。

「第11章 伝統的「著作権」意識の変容」も一読の価値あり。ジョン・コリンズのどの著作でも、ガーナとナイジェリアの音楽家協会の歴史と活動を取り上げていることとも響き合うように感じた。この本、ハイライフ以外についても彼の研究を頻繁に参照している。例えば、「ガーナでは、独立のはるか以前の二十世紀前半に「伝統的な」形式で娯楽音楽などさまざまな音楽ジャンルが新たに生み出されていたことをコリンズは明らかにしている」、「コリンズによれば、伝統と近代といった対立的な区分は西洋世界の創作であって、アフリカでは伝統的音楽はつねに創造され、再創造されてきたという」(ともに P.331)など。

(個人としても、世界中を旅して歩いて、著名ミュージシャンのものを含めて多数の歌と演奏を録音してきている。中には貴重なものも多く、「自由に使って構わない」と言われているものもあるが、非西洋圏における「著作権」に関して戸惑いがあるままなので、そうした録音は基本的に公開していない。)

 あとひとつ。アフリカのポピュラー音楽に興味があるので、日々関連文献を探しているのだが、新著(主にアメリカでの出版物)には、音楽そのものについてより、その社会性について論述するものが多いように感じていた(それで買うことを躊躇することが多かった)。『アフリカ音楽学の挑戦』を読むと、確かにその傾向はあるようで、「(...) それらが音楽の分析からほとんど完全に離れて音楽の社会史研究になっている (...) 」(P.40)、「アフリカ音楽史の歴史においては、(...) 構造的アプローチは (...) 社会史的アプローチにとって代わられ (...) 」(P.336) と書かれており、その理由にも触れられている。こうした傾向がもたらされたのには、他の理由も浮かぶとともに、アフリカ音楽を社会の中に位置付けて考える意味と必要性についても再考させられたのだった。



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 塚田健一さんの本はほとんど読んでいないかなと思いながら、書架をチェックしてみたら、『アフリカの音の世界』、『アフリカ音楽の正体』、スコラの『アフリカの伝統音楽』(スコラのプロジェクトとは少々関わりを持っていて、それとは別に献本いただいていた)の3冊は読んでいた。『アフリカ音楽の正体』は、ドラムで会話するという都市伝説?を打破した(慣用句はやりとり可能だが、あらゆる会話のやり取りは不可能)ところに、やっぱりと頷く。ルヴァレに言及した部分もあって、色々忘れているので、再読しようと思いながら、塚田さんの他の著作『文化人類学の冒険』『世界は音に満ちている』も手配した。






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by desertjazz | 2018-05-10 14:03 | 本 - Readings

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 塚田健一の『アフリカ音楽学の挑戦 伝統と変容の音楽民族誌』を読了(この本については別途紹介)。その参考文献リストをチェックしながら、前回の記事で取り上げなかった、ジョン・コリンズ John Collins の著作について調べてみた。

 それらのうちの1冊 "West African Pop Roots" (1992) が書架から出て来たので拾い読み。これはコリンズの最初の?著作 "African Pop Roots: The Inside Rhythm of Africa" (1985) に追補したものらしく、彼のその後の著作はこれを出発点として内容を膨らませていったようだ。「西アフリカ」とは言え、彼の著作全般が英語圏西アフリカ音楽に傾倒しているのと同様、ここでもガーナを中心に記述を展開している(英語圏だからなのか?南アにも一章割かれている他、リベリアの章も興味深い)。

 そのことを補うべく、仏語圏西アフリカに関しては Flemming Harrev が "Francophone West Africa and theJali Experience" の章を代わりに書いている。"The Lion" をリリースして世界進出するまでの Youssou N'Dour を中心にセネガル音楽史について語られていて、Youssou のダカールでのライブの情景や彼へのインタビューを読んで今から約30年前のことが懐かしくなってしまった。

John Collins "African Pop Roots: The Inside Rhythm of Africa" (W. Foulsham and Co., 1985)
John Collins "West African Pop Roots" (Temple University Press, 1992)

 ジョン・コリンズについては、彼がコンサート・パーティーに関して執筆した論文 "The Ghanaian Concert Party : African Popular Entertainment at the Cross Roads" もあったのだが、これを読むには著者本人にリクエストする必要があるらしい。興味はあるが、そこまでして読む必要はないかもしれない。

 John Collins "The Ghanaian Concert Party : African Popular Entertainment at the Cross Roads" (Ph. D. Dissertation, State University, 1994)




 ガーナのハイライフに関してはこんな著作も見つけた。今年7月に出版予定。どんな内容の本なのだろうか?

Nana Abena Amoah-Ramey + A.B. Assensoh (Foreword) "Female Highlife Performers in Ghana - Expression, Resistance, and Advocacy"


(仏語西アフリカのポップに関しては、昨年パリで入手した Florent Mazzoleni "Afro Pop: L'age D'or des Grands Orchestres Africains" が圧倒的に充実していると考えている。読んで紹介したいところなのだが、フランス語なのでいつ読み終えられるのか定かではない。)





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by desertjazz | 2018-05-10 14:02 | 本 - Readings

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 今年はジャズに関する書物や海外の小説を中心に読書しているところなのだが、アフリカ音楽については、ガーナ及びナイジェリアのハイライフ・ミュージックとパームワイン・ミュージックに関する文献を集中的に読んでいる。そのきっかけとなったのは、昨年暮にジョン・コリンズ John Collins の新刊 "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" (奥付は 2016年となっている)が出版されたこと。ジョン・コリンズは長年ガーナで音楽活動(ミュージシャンあるいはプロデューサーとして)と音楽研究を続ける白人。彼はフェラ・クティとも親交が厚く、77年頃には共同でフェラのドキュメンタリー映画の制作も行なっていた(映画はご承知の通り未完成)。彼の著作 "Fela: Kalakuta Note"(KIT Publishers 2009年と Wesleyan University Press 2015年の2つのエディションがある)は以前このブログでも紹介した。

 ジョン・コリンズの筆によるまとまった記事を初めて読んだのは、ミュージックマガジン社の『ノイズ』創刊号に掲載された「西アフリカのポピュラー音楽 ハイライフ、パームワイン・ミュージックの歴史」(1989)だった。雑誌原稿としては異例とも言える全20ページもある長文で、ハイライフとパームワイン・ミュージックについて日本語で書かれたものとしては今現在も最高の文献だと思う。最初読んだ時にはさっぱり分からず、この音楽のどこが面白いのか理解できなかったことが今では懐かしい。この記事に続けて掲載された深沢美樹さんの「ハイライフの国を訪ねて」と合わせて一体何度読んだことだろう。(ところで、「西アフリカのポピュラー音楽」の英文元原稿はどこかにあるのだろうか?)

 アメリカに注文した "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" が届くまでの間、まず同じジョン・コリンズの "Highlife Time" (1994 & 1996) と "Musicmakers of West Africa" (1985) を読んでみた。前者は昔ガーナを旅した知人(音楽ライター)が見つけてきたことで知った本。コピーを取らせてもらったものの、なかなか通して読む機会がなかった。コピーではなく現物の本の方が読みやすいと思い至って、探し続けること約20年。ガーナ国内のみでの出版だったので、なかなか見つけられない。それを最近ようやく入手できたものの、その後は未読のままだった。後者の本も同様にネットで見つけたが、以降読む機会が失っていた。

 ようやく通して読んだこれら2冊、ハイライフ文献の決定版を期待した "Highlife Time" にしても、「西アフリカ」と題しながら英語圏諸国に限定した内容の "Musicmakers of West Africa" にしても、正直物足りなかった。読み終えて気がついたのだが、E. T. Mensah を筆頭に数々の時代の証人たちへのインタビューを中心に構成されているところなど、2冊はかなり重なる部分がある。ガーナとナイジェリアの音楽の歴史についてある程度頭の整理ができたのは確かだ。しかし、インタビューはさほど面白くないし(とにかくコリンズの質問が・・・)、著者周辺(交友のあったミュージシャンたち)の話題にも偏りがち。ガーナとナイジェリアのミュージシャン・ユニオンや各ミュージシャンの表彰歴といった話にもさほど興味が湧かない。

 それでも貴重な記録ではあり、細かな情報に気になるものは多かった。例えば "Musicmakers of West Africa" を読んでいて目に止まったのがこの写真(P.19)。深沢美樹さんがコンパイルした CD "Palmwine Music of Ghana" でも大きく取り上げられた Kwaa Mensah が何と女装している。Kwaa Mensah もコンサート・パーティーでは時にはこんな姿で演奏したらしい。ガーナのコメディアンがミンストレルを真似して白黒メイクした写真などは時々目にするが、これは初めて見たかも。

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 そしてコリンズの最新刊 "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" を通読。当然ながら過去の著作との重複は多いものの、「パームワン・ミュージック」や「ハイライフ」という名前の由来も含めて、より詳しく丁寧に書かれている印象だ。主要ミュージシャンたちの経歴紹介も充実している。"Highlife Time" も "Musicmakers of West Africa" も今では入手がほぼ不可能なので、それらの内容を踏まえた上でコリンズが書いた彼の研究の集大成、正に「決定版」になったと言えるだろう。とても平易な英語で書かれているので、英語が得意でない自分でもサクサク進み、ほぼ2日で読み終えた。冗長なインタビューは省かれており、興味深いエピソードが並んでいて読み物としても面白い。熱心なアフリカ音楽ファンにとって一読する価値はあるかと思う。

 例えば、読み進めて興味を惹かれたのは、戦争との関係。19世紀末にイギリス軍がガーナに駐留し、そのブラスバンドの存在がハイライフ・ミュージックを生むきっかけの一つになったことからも、アフリカ音楽は元々戦争とは縁が深かったのだけれど、、、。

・第二次世界大戦中、連合国軍によりガーナからインドとビルマに送られたファンティ人兵士は「日本人を追い出せ」ばかりに戦わされた。(P.11/12)

・ナイジェリアのダンスバンド・ハイライフが衰退する決定的要因はビアフラ戦争だった(レゴスのハイライフ・ミュージシャンの多くが東部出身だったため)。

・ナイジェリアの Bobby Benson の乗っていた船はドイツ軍の攻撃を受け大西洋上を漂流、32日後に救助されカーボベルデへ、そこでギターを教わる。さらにイタリアを経てイギリスへ、ここで多くの楽器を学ぶ機会を得た。(P.133)

 さらに、こんな興味深い記述もある。

・ギニアで Sékou Touré が authenticité 政策の下、自国のポピュラーバンドと州立バンドを養成したきっかけは E.T.Mensah の演奏を聴いたことだった(・・・と最近知った)。(P.131) 

 ジョン・コリンズは他に "E.T.Mensah: King of Highlife" (1986)という本も出しているが未入手。しかし、この内容をリライトしたものが4枚組CD "E. T. Mensah & The Tempos - King of Highlife Anthology" (2015) のブックレットに解説(約60ページ!)として掲載されているので、最早不要だろう。


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 "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" を読む前には、"Palmwine Music of Ghana" 2CD をじっくり聴きながら、深沢美樹さんが書かれた長い解説書も読み込んだ(今頃、、、)。

 その深沢さんの解説、ハイライフとパームワイン・ミュージックに関する日本語文献としては、先に触れた「西アフリカのポピュラー音楽 ハイライフ、パームワイン・ミュージックの歴史」以来の内容の濃さなのではないだろうか。かなりのアフリカ音楽愛好家にとっても、これさえ読めば十分なほどで、ジョン・コリンズの書著作は必要ないくらい。実際の録音を聴きながら歴史をたどれるのもいい。

 アフリカ音楽を聴き始めた頃、ダンスバンド・ハイライフとギターバンド・ハイライフがどうして同じくハイライフと呼ばれるのか解せなかったし、文脈によってハイライフもパームワイン・ミュージックも意味にブレを感じて頭の中が混乱した。実は「ハイライフ」も「パームワイン・ミュージック」も、広義の意味(ジャンル全体を指す)で使われる場合と狭義の意味(特定のスタイルを指す)で使われる場合があって(Juju や Konkoma についてもにたようなことが言える?)昔はそのことに十分な理解が及ばなかった。深沢さんの解説は広義/狭義の両面性を踏まえて書かれている点がさすがだと思う。

 ところで、深沢さんの解説で知ったこのサイトが楽しすぎる! まずは厳選された40曲 Highlife music selection (40 songs) を一気聴き。これは堪らない。全400曲まとめて一気に聴いてしまいそうになった。


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 ハイライフ関連の文献としては Nate Plageman "Highlife Saturday Night" (2013) がジョン・コリンズよりも詳細に書かれているので、真っ先に読むべきなのろう。そう思ってこの本も読み始めたところだ。深沢美樹さんがCD解説の参考文献に挙げていた Catherine M. Cole "Ghana's Concert Party Theatre" (2001) もどんな内容だろうと思って買ってみた。これはハイライフ・ミュージックが生まれる契機のひとつとなったガーナの「コンサート・パーティー」に関する書物。こんな本まで書かれていることが驚きだ。以前ここで紹介した Koo Nimo の伝記 "Six Strings and A Note" (2016) はまだ未読。いつ読めるのかな?


John Collins "Musicmakers of West Africa" (Three Continents Press, 1985)
John Collins "E.T.Mensah: King of Highlife" (Off The Record Press, 1986)
John Collins "Highlife Time" (Anansesem Publications Ghana, 1994 & 1996)
John Collins "Fela: Kalakuta Note" 1st Edition(KIT Publishers, 2009)
John Collins "Fela: Kalakuta Note" 2nd Edition(Wesleyan University Press, 2015)
John Collins "E. T. Mensah & The Tempos - King of Highlife Anthology" (RetroAfric, 2015)
John Collins "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" (Cassava Republic, 2016)

Nate Plageman "Highlife Saturday Night - Popular Music and Social Change in Urban Ghana" (Indiana University Press, 2013)
Catherine M. Cole "Ghana's Concert Party Theatre" (Indiana University Press, 2001)
E. Obeng-Amoako Edmonds"Six Strings and A Note - Legendary Guitarist Agya Koo Nimo in His Own Words" (Ink City Press, 2016)


 こんな風にアフリカ音楽について読んでいると、その度に謎が解け、疑問が生まれ、また課題が広がり、そして音の聴こえ方が変わる。楽しいね!







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by desertjazz | 2018-05-03 00:00 | 本 - Readings

 昨年から今年の年初にかけては、数度の外遊やクロ・ペルガグ来日のことで忙しく、満足な読書ができなかった。それらの山を超えた今は一息ついて、ある程度まとめて読めるようになってきている。探してみると、面白い本、読まなくてはいけない本と次々に出会ったこともあって、最近は3日に1冊のペースでせっせと読んでいる。

 ジャズ本や小説を中心に読んでいるのだけれど、今年はかなりの豊作になる予感。ロビン・ケリー『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』、カール・オーヴェ・クナウスゴール『わが闘争2 恋する作家』、ラーナー・ダスグプタ『ソロ』、ヤア・ジャシ『奇跡の大地』、 角幡唯介『極夜行』あたりは年間ベスト10に残る有力候補。それぞれ読書メモを綴っておきたいとは思いつつも、その前に次の本に取り掛かってしまって後回しになりがちだ。


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 最近読んだカーレド・ホッセイニの『そして山々はこだました』も良かった。(以下、4/26 の Facebook に加筆して転載。)


 アフガニスタン出身の小説家カーレド・ホッセイニの第3作『そして山々はこだました』を読了。4月はこれで11冊完読。

 ホッセイニのデビュー作『君のためなら千回でも』は最初から1/3までに限れば傑作だった。特に、読み手が誰しも心に隠し持っている傷を突くような心理描写が見事。それ以降は筆力が落ちるが、それでも絶賛に値する作品だった。それに対して2作目『千の輝く太陽』は退屈。この作家はここまでかと思わされることに。

 それで期待せずに読んでみたこの3作目、1作目に匹敵するほどの素晴らしさだった。登場人物たちの心理描写も個性的な文章表現も鮮やか。構成が考え抜かれていいて、細やかに張り巡らされた数多い伏線にため息(登場人物、エピソード共に幾分多すぎて、誰なのか後で明かすことが多いことに起因する読みにくさもあったのだが)。作中、誰もが大きな不幸や不運に見舞われ、安寧な生活や夢が奪われる。それでも読後感が悪くないのは、それぞれが家族や血縁の絆を見出し、生きる喜びを掴み、そこに読み手の生き方にも返ってくるものがあるからだろう。

 残念だったのはラストの重要なシーン。ある意味、突然「神の視座」からの描写になっていて、小説として成立していないと思った。「忘れた方が幸せなこともある」という冒頭の掌編に戻る、作品の重要なテーマでもあるだけに、他の描き方はなかったのだろうか。

 カーレド・ホッセイニはこれで完全復活。この作品は再読したくなる濃さで、彼の最高作かも知れない。4作目の発表も待たれる。







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by desertjazz | 2018-05-02 00:00 | 本 - Readings

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