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カテゴリ:本 - Readings( 234 )


 オーストラリアの作家リチャード・フラナガンの『奥のほそ道』読了。1942〜43年に日本がタイービルマ間に敷設した泰緬連接鉄道の建設工事の悲惨さ壮絶さが伝わる小説。いわゆる「神の視線」的な文体に疑問を持ったが、ブッカー賞を取ったことも頷ける濃密な文章。

「傑作のなかの傑作」と評価されているようだが、それだけの作品だろうか? 終盤には凄みを感じたが、都合よく書き終えたようにも思える。それほどまでに作家自身が扱いに苦慮した大作とも言えるだろう。

 終盤には安倍(小学生)に伝えるために書かれたような文章もあったが、どこだったかな? 歴史小説でありながら、ここでの描写が近未来予言とも取れる恐ろしさを、今の日本に感じている。

 最も印象に残ったのは、人生の無意味さを語っているところだったな。自分も老いて、そのことを切々と感じる。(虚しくなるので、それ以上は語らない。)




 三浦英之『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』読了。読み始めて即座に「やばい!」と心の中で叫ぶ。アフリカ象が今後10数年で絶滅しかねない危機に瀕しているとは知らなかった。1989年のワシントン条約で象牙の国際取引が全面禁止になり、95年2度目のボツワナ旅行でチョベ国立公園の水飲み場に集まる200頭を目にして安堵したのは甘かった。その後、頭数調整とやらで輸出再開しておかしいな?とは思ったのだが。

 作品としては読み応えたっぷり。だがそれは楽しいからではない。まるでフィクションを読んでいるようでいながら、現実であることを思い出して絶望的になる。

 三浦英之の本を立て続けに読んでいるが、この著書も冴えている。アフリカゾウの未来の有無が、日本人がどう行動するかにかかっていることは、多くの人が知っておくべき。日本国内での流通も含めて象牙取引の全面禁止がどうしても必要なことが、これを読むとわかる。


 →→→ 日本政府、象牙取引を今すぐ禁止に!



 以下、余談。

 アフリカゾウはボツワナやジンバブウェで何度かずつ見ている。数メートルの至近距離からも数度。一度はロッジの屋外で食事中、テーブルの脇を悠然と通りすぎた。もう一度は、深夜寝ている部屋の柱に体をこすりつけてきた。どちらもゾウに手が届く近さで、楽しく貴重な体験だった。

 来月のアフリカ某国への出張が取りやめに。久々訪れる国(ゾウも見られるはず)、楽しみにしていたので残念! 10回目のアフリカ旅行は、どうやら自力で行くことになりそうだ。




 5月以降やっと月10冊ペース近くまで戻ってきた。







by desertjazz | 2019-07-15 17:00 | 本 - Readings

BEST BOOKS 2018

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◆ロビン・ケリー『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』
◆カール・オーヴェ・クナウスゴール『わが闘争2 恋する作家』
◆角幡唯介『極夜行』
◇ラーナー・ダスグプタ『ソロ』
◆奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』
◆スティーヴン・ウィット『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』
◇奥泉光『雪の階(きざはし)』


 今年読み終えた本の中で印象に残った10冊。順位づけはなし。リストは読んだ順。初めて出版されたのが今年でないものも一部含まれている。

 完読は86冊で、今年も100冊に届かず(毎年書いている通り「数じゃない」が、最低でもこれくらいはと自分に負荷をかけている)。1月にニューヨーク、6月からドーハ、アルメニア、ジョージア(グルジア)、10月にはマルセイユと、海外だけでも3回旅行したので、それらの準備にずいぶん時間を取られ、また旅行中も読む時間がなかった影響が大きい。

 結構豊富な年という印象だったのだが、振り返ってみるとさほどではなかったかも。決定的に面白い小説とは出会わなかった。一番楽しく読めたのは、マルセイユ滞在に合わせて読み始めたアレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯』全7冊。よくできた大衆小説だった。

 トップ3を選ぶなら、『ソロ』と『雪の階』と『日本が売られる』だろうか。特に『雪の階』は構成も文章表現も素晴らしい。場つなぎ的なささやかな挿話と思ったものまでが、重要な伏線となっている。見たことない漢字や初めて知る表現が頻出するのに、スラスラ読めてしまうから不思議。文章の美しさはフロベールの『ボヴァリー夫人』に匹敵するレベルとさえ思った。主人公、笹宮惟佐子にすっかり惚れてしまったよ。それだけに、最終章の謎解きにはかなり失望させられた。

『日本が売られる』は大変よく調べて書かれている。この本によって多くの日本人の眼が開かれたはず。矢部宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』とともに今の日本人にとって必読の2冊。

『ソロ』はまさしく「摩訶不思議な」長編小説。コーカサスとニューヨークという舞台設定に今年の自分との縁も感じた。第一楽章のクオリティが第二楽章まで続いていればもっと良かったのだが。(前作『東京へ飛ばない夜』も読んでみたが、同じ「妄想」を起点としながら、この落差はなんなんだ! これだけつまらない小説は記憶にない。)

 角幡唯介は、『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』や『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』の方が緊迫感があり深くて好きだけれど、今後は『極夜行』が彼の最高傑作と語られるのかも知れない。

 音楽書も大量に読んだ1年、『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』が圧巻だった。あくまでモンク寄りの立場から書かれたストーリーだとは思うが。

 繰り返し読んだのは、『マルセイユの都市空間 ー幻想と実存のあいだでー』ピーター・エイムズ・カーリン『ブルース・スプリングスティーン アメリカの夢と失望を照らし続けた男』。前者は「マルセイユを知り尽くす」という今年のテーマに沿って。後者は Springsteen On Broadway のおさらいも兼ねて。

 特別賞は、John Collins "Highlife Time 3" とケニアのプロダクションが出版した "Shades of Benga"(どちらもまだ読み終えていない)。ガーナの John Collins は "Highlife Time"、"Musicmakers of West Africa"、"Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" と3冊立て続けに読み終えた直後に "Highlife Time 3" が出た。これは彼の研究の集大成的な大著。よりでっかい "Shades of Benga" は以前ここで紹介した通り。

(『雪の階』は図書館で借りたので写真はなし。音楽やアフリカ関連の資料を中心に蔵書が4000冊?を超えて自宅に置き場所がなくなったこともあり、今年は図書館の利用が一気に増えた。)


by desertjazz | 2018-12-31 23:01 | 本 - Readings



 ロベルト・ボラーニョ『ムッシュー・パン』読了。彼の作品の中では一番読みやすい。しかし、肝心なところがいくつも削がれている印象。彼は小説を書き始めても、詩人のままでいたのだと思う。


 これでボラーニョの邦訳10作11冊全てを読了。2周目に行こうかな?


 ミシェル・ウエルベックも先日完読したと思ったら、間もなく新作が出すと予告された。ガルシア=マルケス全集(全小説)にも今秋1冊追加された。読みたい本はいつになっても尽きない。









by desertjazz | 2018-12-16 11:00 | 本 - Readings



 堤未果『日本が売られる』、井手英策『富山は日本のスウェーデン:変革する保守王国の謎を解く』読了。その雑感。


 堤未果は『貧困大国アメリカ』などの著作を読んで絶望的気分になった。それで、もうこれ以上そんな気分に陥りたくなくて、彼女の最新刊『日本が売られる』はしばらく買うのを躊躇していた。内容はどうやら既知のことが多いようでもあるし。しかし、やっぱり読んでおくべきと思い改めて通読したのだが、絶望を通り越して、地獄に突き落とされたような暗澹たる心持ちになってしまった。ここまで酷いとは、唖然とするばかり。読んでいると気が滅入ってくるのだが、今日本人が逃げずに真っ先に知るべきは、この『日本が売られる』と矢部宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』で明かされた内容だろうと思う。


「日本が売られる」ことの具体例については、日本の現状に関心のある人なら知っているだろうし、この本をすでに読んでいる人も多いだろうから割愛。しかしこれほどのデタラメが本当に通用するのだろうか。ここ数日の「水道法」に関しても「漁業法」に関しても、著作の中で堤が書いている通りにことが進んでいるので現実なのだろう。そう考えると恐ろしい「予言書」だ。


 無駄なインフラや軍備の整備などで借金まみれになり、産業育成のための有効な戦略を持たず、侵略戦争への反省もなく周辺諸国に敵ばかり作り、教育では場当たりなことを繰り返し予算も削減、ゼネコン延命のための環境破壊を続け、挙げ句の果てに取り返しのつかない原発事故を起こす。かねてより、この国は自滅に向かっていると考えていたが、現政権が今やっていることは、それよりもっと酷い「国の破壊」なのではないだろうか。


 やること全てが政治家や大企業などの「金」のためだとしても、しっかりした教育によって若者たちに将来稼げる知力を植え付け、また低〜中所得者層の収入をアップさせた方が、国民全体の購買力が上がって経済が循環し、長期的には金に貪欲な支配層や利権者たちも儲かり続けると思う。しかし、「金だけ、今だけ、自分だけ」が徹底している彼らには、どうやらそんな考えはないようだ。自分が死んだ後のことなど全くどうでもいいという考えが見透かされる。


 こんな現状を許しているのには、官僚やメディアなどの責任が大きいとする指摘は間違っていないだろう(もちろん彼ら/それらの全てはないにせよ)。だが、実際どこまで期待できるのか。正確な情報を基にロジカルに考え判断を下そうとしても、上から拒絶される。抵抗が過ぎると配置転換など排除されるといった話も(あるいは「消される」可能性も?)、ネットに流布し伝え聞きもする。それで、時に保身に動き、時に権力者に取り込まれ、結果忖度する者ほど生き残る(ひとつの例は最高裁判事か)。その構図は政治家についても同様なのだろう(このあたりは噂からの推測になるので詳しいことは書かないが)。


「知識人」と自称する輩たちも一緒だ。どこまで本気で言っているか理解できない嘘でも、権力者におもねった駄弁を繰り返していた方が、彼らから重用され発言力も高められる。恥を晒してでもその流れに乗った方が楽だと思う者が増えて、この悪循環は(いや、立場によっては好循環か?)ますます進みかねない。残念ながら、もう全てが手遅れなのかもしれない。


 しかし、堤未果が『日本が売られる』を通じて一番伝えたかったメッセージは、まだ諦めてはいけないということだろう。「第3章 売られたものは取り返せ」で紹介した世界各地での事例はそのためのもの。自滅・破壊への一方通行から後戻りする方法はまだあるということだ。「種子法」や「水道法」が改悪されても、各自治体が国の方針に従わない手はあるはず。例えば水道の民営化を行わなければいい(そんな単純な話でないことは分かっている。逆に水道法を口実に民営化して、表面的に自治体の予算を削減しようとするところも出てくるだろう)。これからは各都市・地方自治体と国との新たな戦いが始まる。それぞれの自治体には常識と良心と冷静さがあるはずだ。


 例えば井手英策の『富山は日本のスウェーデン: 変革する保守王国の謎を解く』で取り上げられたいくつかの町。この本はこのところスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドでお世話になっている(そして父が生まれ育った)富山県への関心から読んでみた。「『海、山、湖、川などで遊んだことがありますか』『動物を飼育したり、花や野菜を育てたりしたことがありますか』と聞かれたとき、『何度もあった』と答える子が大都市の平均よりも少なかった」(P.144)という。つまりは「豊かな自然があること」が「当たり前すぎ」なのだと分析している。そのような経済的な「豊かさ」とは異なった(羨ましい)「ゆたかさ」が富山県にはあり、それを活かす取り組みがいくつもなされている。


 守るべき個性や独自性はどの市も町も村も持っている。富山の「ゆたかさ」のように。国に従うことによって、それらが失われかねないなら、戦うしかない。日本各地が有する「歴史な遺産」や「優れた特徴」を、国による圧力・暴力からいかに死守するかが重い課題になってくるだろう。それに打ち勝つのは、庶民一人ひとりの常識と判断力と良心だ、そう信じたい。


 憲法改正、いや憲法改悪の危機が迫っているという。しかし、そこにも大きな矛盾が存在しているのではないだろうか。たとえ憲法を変えて戦争のできる国にできたとしても、国の実態が失われていては意味をなさない。このままでは人口が減り、経済力も衰えて、日本という国の存在が薄まっていくばかりだ。愛国心をいくら強制しても、国がまともに存立し得ず、国民も減ってしまっては、なんのための憲法なのか。破壊された国家に憲法は存在し得ない。アメリカに押し付けられたと言って憲法を変えようとする一方で、他のことに関しはことごとくそのアメリカの言いなり。そのことに限らず、徹底的に国を破壊しようとしている「彼ら」のやっていることには、どうも矛盾ばかりを感じる。



(ほぼ一気書き。まとまりなく、言葉足らずのところあり。悪しからず。)







by desertjazz | 2018-12-07 19:00 | 本 - Readings

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 先日ナイロビの書店から送られてきた "Shades of Benga - The Story of Popular Music in Kenya: 1946-2016" (Ketebul Music, 2017) に、さっとひと通り目を通してみた。最近ケニアで出版されたこの本、想像していた以上に大判で、全部で678ページと厚く、1冊約2.8kgあるずっしり重い豪華さ。内容も素晴らしく、ケニアのポピュラー音楽史を俯瞰するには、これ以上望みみようないと言えるほどの、最高の文献だろう。

"Shades of Benga - The Story of Popular Music in Kenya: 1946-2016" (Ketebul Music, 2017)


 第二次世界大戦終結後、兵隊たちがアコーディオンやギター、様々なスタイルの音楽を持ち込んだことで、ケニアのポピュラー音楽がスタートした話から始まる。そして、その後コンゴのミュージシャンたちやルンバから影響を受けたこと、ベンガに加えて、ルオ人のオハンガ、ヨーロッパのダンス音楽を模倣したムウォンボコ、スピリチュアル・ミュージックのアコリノ、ターラブなどのケニアの各スタイルの音楽について、さらには近年の動向に到るまで、70年間の歴史を紹介。章立ては以下の通りで、各章ごとに主要人物(ミュージシャン、レコード制作/放送関係者、等々)についても綴られている。

  01 The Pioneers
  02 Benga
  03 Rumba in Nairobi City
  04 Ohangla
  05 Mwomboko
  06 Akorino
  07 Taarab
  08 Funk
  09 Gospel
  10 Urban Expressions
  11 Hip-Hop
  12 Live Gigs
  13 Broadcasters
  14 The Smithonian Folklife Festival

 かなりの大著ながら、写真がたっぷり掲載されていて、それらを見ているだけでも楽しくて飽きない。400枚以上の写真が掲載されているようだが、全て初めて目にするものばかり。そして、一人ひとりの表情がいいんだな! テキストの方はページ全体の3分の1程度なので、読み始めたら一気かも(読み終えたら、改めてレビューを書こう)。


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当時の雰囲気が鮮やかに記録されている。(表紙は Fundi Konde)

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Tabu Ley Rochereau 若い!

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最もページが割かれているのは Samba Mapangala & Orchestre Virunga

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ターラブの女王様 Bi Kidude



 ところでこの本、豪華でデカいだけに1冊 KES 5800(5800 ケニアシリング = $58 = 約7000円)もする。今年の夏どこかの記事で紹介されているのを目にして欲しいと思い、欧州・米国・豪州のサイトや書店を当たって探してみたものの扱っているところは見当たらず。出版元にメールしても返事はなし。結局、先に入手された音楽評論家Fさんにアドバイスいただき、ナイロビの書店から取り寄せた。しかし、送料がとんでもなく高くて(本代よりもずっと高額)、アフリカ音楽を愛する有志3人で共同購入することでやっと手に入れたのだった。届いた小包は 8.8kg。何はともあれケニアから無事に届いてよかった。この本、今日本にあるのは4冊のみなのではと思う。


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 近年海外で出版されたアフリカ音楽に関する書籍は、ここ10〜20年のヒップホップなどについても詳述していて、「買わなきゃ、読まなきゃ」といつも考えている。しかし、現在の音楽シーンの変化が激しいものだから、とてもじゃないが文献は追いついていない。なので、今を知るにはネット情報がより有益なのだろう。これでは時間がいくらあっても足りないのが悩ましい。






by desertjazz | 2018-12-04 23:00 | 本 - Readings

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 アミナッタ・フォルナ『シエラレオネの真実 父の物語、私の物語』(原題:"The Devil that Danced on the Water")を読了。ブラックダイヤモンド、少年兵、武装集団による民衆虐待(四肢切断、レイプ、等々)と陰惨な印象の強い西アフリカのシエラレオネの現代史を振り返る意味で読んでみた。

 著者のアミナッタはシエラレオネ人の父とスコットランド人の母の間に生まれた女性で、現在はジャーナリストとして活躍中。その彼女の父モハメドは、かつて財務大臣を務めたものの、首相との意見対立をきっかけに政界を去る。しかしその後、無実の罪で逮捕され処刑されることに。1975年、アミナッタ10歳の時に襲った悲劇だった。

 それから25年、彼女はあらゆる資料に当たり、インタビューを重ねる(父を陥れることに与した者も多い)ことで、自分の半生を振り返り、父の晩年の姿を描き出していく。

 周辺に不穏な動きが起こる度に、イギリスやナイジェリアに逃れるなど、絶えず命の危険に晒されたアミナッタの子供時代はなんとも凄まじい。実母との別れといった辛い出来事も重なる。そして、父が殺されるに至った経緯の真相を知ろうとする彼女の忍耐力、精神力にも想像を超えるものがある。そうして浮かび上がった父モハメドの信念はただただ立派であるとしか言いようがない。単に暗澹たる話で終わらせていないところにも救いが感じられる。

 詳細な取材の結果だろうか、登場人物は割合多くて、馴染みない名前が覚えきれない。また時制が激しく現在と過去を往復するための読みにくさもある。明らかに日本語としておかしなところなど、校正がやや緩いところも残念。

 それでも、アミナッタの綴る「父の物語」「私の物語」は、シエラレオネの歴史を照射し、シエラレオネの人々にとっての「私たちの物語」を紡ぎ出すことに、ある程度まで成功している。あくまで個人史が主なので、基本知識として巻末の「シエラレオネの歴史的背景」を先に読むことをお勧めする。

(余談になるが、この辺りは、まるでブルース・スプリングスティーンが Springsteen On Broadway で 'I want to know your story, my story' と呼びかけ、「父の物語」を切々と語った情景をまた思い出してしまった。ネタバレになるので、これ以上は書かないが。)

 アフリカの悲惨な歴史、それは日本人にとって他人事に映りがちだ。この本もアフリカに対する個人的興味から読み始めた。しかし、アフリカのことを知るより、今の日本の状態についてもっと考えるべきだという思いが頭から離れなくて、何とも落ち着かなかった。堤未果が『日本が売られる』の中で「今だけカネだけ自分だけ」と表現する、無能な為政者や権力者(そして大企業の経営者も)の姿は世界共通。「口封じ」ひとつを取っても、我が国は「破綻国家」の手法を後追いしているという怖ささえ感じた。







by desertjazz | 2018-11-29 19:00 | 本 - Readings

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 誰もの予想をはるかに超えるロングランとなったスプリングスティーン・オン・ブロードウェイ Springsteen On Broadway が 12月15日 12月16日(*2)にいよいよ大団円を迎える。同日 Netflix でその2時間超のステージの完全放映が予定されており、その前の14日にはアルバム "Springsteen On Broadway" のリリースも決まった。CD の日本盤には語りの部分も含めて完全対訳がつくそうだ。これまでスプリングスティーン・オン・ブロードウェイの実際についてはほとんど秘匿扱いで(映像や録音は実質未公開のまま)、実際会場でライブを体験する幸運に恵まれた人だけが知ることのできるものだった。しかしこれで話題のステージの全貌がついに明かされることになる。私が書いたリポートもいよいよ自分の思い出のための記録という役割だけを留めることになるだろう。

Springsteen On Broadway - Part 2b(短縮版)



 私は今年1月にニューヨークで Springsteen On Broadway を観るまでの間、準備作業として、そのステージのベースとなるブルースの自伝 "Born To Run" (2016) を邦訳『ボーン・トゥ・ラン』で2回精読、原書でもブルース自身が吹き込んだ Audio Book を聞きながら通読した。そのことは以前書いた通りだ。

(ちなみに、原書の英文と Audio Book の朗読とでは、2〜3ヶ所ほど食い違っている。例えば、P.314 の 'The hit factory' が朗読では 'The Power Station' に変更されている。ホント、とても細かいことだが、、、。)

 Springsteen On Broadway(以下、「ブロードウェイ」)の放映を前にして、"Born To Run" をもう一度読み返すのも悪くないが、それより Peter Ames Carlin の "Bruce" (2012) を読んでみることにした。この本はブルース・スプリングスティーンに関する最高の伝記という評価を得ているのだから、読んでおくべきだろうし、「ブロードウェイ」を振り返る上で大いに有効でもあるだろう。調べてみると 2013年12月に、ピーター・エイムズ・カーリン『ブルース・スプリングスティーン アメリカの夢と失望を照らし続けた男』という翻訳書が出ていたので、即入手。これで原書は買って無駄になったかと言うと、そうでもない。日本語版では写真は白黒だが、原書ではカラーなので、持っている意味はある。(翻訳書や写真集がもつ宿命だが、訳書はオリジナルと比較してどうしても写真が荒くなってしまうし。余談になるが、日本語版では P.468 の写真のブルースが左利きになっているというミスも犯している。)

 『ブルース・スプリングスティーン アメリカの夢と失望を照らし続けた男』(以下『ブルース』)は約570ページある大著ながら、2週間弱でじっくり精読(その間、クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』など8冊ほどを併読する活字漬け生活になった)。この本は一言で言って、ブルース・スプリングスティーン研究の決定版であり、最高の伝記だ。いや、ブルース本人が書いた「自伝」とはまた別の意味でなのだが。定評高い本なので、今さら語る必要などないのだろう(ホント、徹底的に調べてよく書かれていて、目を見張るような記述の連続で、読み始めると止まらなくなるほど)。

 なので、個人的な感想だけをいくつかメモしておきたい。

 今回『ブルース』を読んで特に感じたのは、ブルース本人による「自伝」との相補性だ。「自伝」を読んで解釈しきれなかったことも、『ブルース』に戻ることでなるほどと頷くことしきり。具体的にいちいち挙げてはいかないが(相補性を感じたのは内容全てとも言えるし、メモは取らずドッグイヤーも折込まなかったので逐一思い出せない)、両者を重ね読むことで気がつくこと理解できることが多いと感じた。もちろんそれは反対方向についても言える。例えば「自伝」で詳らかに書かれ読み手に驚きをもたらした彼の鬱に関しては、『ブルース』でもすでに随所でほのめかされていたが(P.543 には「鬱状態」と明確に書かれている)、どこかぼかしている印象を受けたのだった。

 「自伝」を読んで浮かんだ大きな疑問のひとつは、スティール・ミル Steel Mill をなぜ解散させたのかということ。ここ数年、初期のブルースに興味が膨らみ、レコード・デビュー前の音源を聴き続けているのだが、このパワートリオは本当に凄かった。それは "Chapter and Verse" (2016) でようやく正式リリースされた "He's Guilty" 1曲聴いても伝わってくる。1970年頃には一回の公演に4000人を集めるほどの人気を博したという。彼らがこの路線を進んだとしても、歴史に残るバンドに成長したことは間違いないと思えるほどだ。それが1971年を迎えて早々に解散。そして、1973年のレコード・デビューに際して、彼がスティール・ミル時代に獲得した人気は、さしてレコード売上を後押しする役には立たなかったことも解せなかった。

 それらについては、「自伝」よりも『ブルース』をじっくり読んだ方が納得行く答えにたどり着けたように感じた。解散に関しては、ひとつはブルースが内面的葛藤を抱えてしまったこと、また次のステップとして別の音楽スタイルを求めたことがあり、売上の点では、フリーホールド、アズベリーパークの街に不況と荒廃がはびこる時代背景が大きく影響したようだ。

 極めて個人的なことを一つ。自分はダニーを見たのだろうかという疑問が最近再び浮かび上がった。私がブルースのライブを初めて観たのは、2007年11月のワシントン("Magic" ツアー)。翌年4月にダニー・フェデリシは亡くなったので、そのワシントンのステージ上に彼がいたのかどうか、記憶に自信がなくなっていた。今回『ブルース』を読むことで、彼が E Street Band を去るのはその直後だったと確認できた。brucebase wiki をチェックしても確かにその通り。考えてみると、ワシントン初日には(2007年のツアー唯一のパフォーマンスとなった)"Growin' Up" に続いて、大好きな "Kitty's Back" が演奏され狂喜したのだから、ダニーのオルガンが不在だったはずはない。今は亡きクラレンス・クレモンズを含めた E Street Band フルメンバーのステージをギリギリで体験できたのだった。(ブログ等に何度も書いていることだが、この時自分はフランス旅行中で、パリからワシントンまで4日間だけ往復した。全米ツアーではなく、それに続く欧州ツアーを観に行っていたとしたら、ダニーの姿は見られなかったことになり、本当にギリギリのタイミングだった。)

 「ブロードウェイ」では、幼い頃の記憶、デビュー前の出来事、家族たち(そして盟友クラレンス)について、たっぷり時間を割いて語られる。もちろん大成功以後のことについては誰も知っている話だし、それに比べるとデビュー前の逸話や体験談の方が圧倒的に面白い。アメリカについての語りが短く感じられるほどで、911 についても具体的言及は一切ない。

 例えば、父について、母について、それぞれ1曲捧げられている。成功してから祖父母の家のそばに植えられていたブナの木を見に帰ったこと(そして、、、以降省略)も印象深い話だ。そうしたエピソードの数々はすでに『ブルース』の中で取り上げられている。母について語った後に "The Wish" を歌ったことを補足する内容も短く書かれている(P.464)。ブロードウェイでは「自分のストーリーを知りたい。あなたのストーリーを知りたい。」と語りかけていたが、彼が語りたいストーリーは概ね1980年、30歳を過ぎた頃までについてなのだろうということが『ブルース』からも伝わってくる。そうした点について「自伝」と『ブルース』を重ね読むことで、より一層深まったように思うのだ。

 家族や故郷に対する想いが始めから終わりまで一貫して流れている「ブロードウェイ」なのだが、家族との関係性の中で特に重要なのは父親への葛藤と愛だ。そのあたりについても『ブルース』の記述が頭の整理の一助になってくれた。(自分自身も父との関係がうまくいかなかっただけに、『ブルース』と「自伝」を読んでいると、自分自身について二重写しにして考えることはどうしても避けられなかった。これ以上は書かないが、、、。)

 若い頃は、ブルースの音楽のカッコ良さ、言い尽くせぬ気持ち良さ、過去の様々な音楽を統合した魅力、ダイナミックなドライブ感、独特な構成美などの虜になっていた。しかし今は、それと同時に彼の音楽の深さに心惹かれている。『ブルース』を読むと、彼の音楽には表面的に感じられる以上のものが埋め込まれていることがよく理解できる。ブルースは曲を書く理由をとことん突き詰め、魂を削るようにしてそこにメッシージを埋め込んでいる。だからこそ、私のような英語を聞き取れない者にさえも彼のサウンドが響き、メロディーの良さ、サウンドの心地よさ以上の、とてつもない懐の深さのような何かが自分の魂を揺さぶるのだ、ということに気がつかされたのだった。



 自分は決して熱心なブルース・スプリングスティーンのファンではない。例えば、『ブルース』を読んでいて、アルビー・テローン Albee Tellone 名前が度々出てくるが、その度に「誰だったかな?」と首を傾げる程度のリスナーだ。2作目 "The Wild, the Innocent & the E Street Shuffle"、3作目 "Born To Run"、5作目 "The River" は長年愛聴し続けてきたものの、 6作目 "Born In The USA" のポップさに飽きが来て、さらに "Human Touch" と "Lucky Town" が(リリース直後には)退屈に感じられ、そこでブルースからは離れてしまった。その後も彼の作品は買い続けたものの、聴き込むまでには至らず仕舞い。一度くらいはライブを観ておくかという気持ちで赴いた 2007年のワシントン("Magic" ツアー)において "The Rising" で大合唱になった時も、これは聴いたことのある曲だけれど、どうしてこんなに盛り上がるのだろうと疑問に思ったのだから、酷いものだ。2001年の「同時多発テロ」で亡くなった消防士たちへの哀歌とも言える、ブルースの代表曲のひとつなのに。

 心境が変化したのは 2016年にオークランドで "The River" ツアーを観たことがきっかけだった。愛聴する "The River" の全20曲をフルで演奏するなら是が非でも観たいと駆けつけたコンサート。それは9年前に観たステージを遥かに超える感動的なものだった。評論家などがどこかに書いているか、あるいはブルース本人が明かしているかどうか知らないが、アルバム "The River" を核にツアーを行ったのは、1980年頃にある考えにたどり着いたことが、彼にとってとても重要なターニングポイントだった証拠なのではないだろうか。30歳を過ぎて過去を振り返り認識したことの大きさ、それは『ブルース』にも「自伝」にもそして「ブロードウェイ」にも、ほとんど等しく映し出されているように思える。

 そのようにブルースの心の奥で流れ続けていた何かが私に響いたことで、私を再び彼のステージに向かわせる結果となったのかも知れない。そう考えると、"The River" ツアーを観る気になったのには、とても深い必然性を感じる。オークランドのステージでは、お目当てだった強烈なロック・ナンバーではなく、何より "Stolen Car" に言い知れぬ感動を覚えことにも納得がいく。それを追体験したくて、翌2017年にはオーストラリアに飛び、さらには今年1月、万難を排して Springsteen On Broadway まで観に行ってしまったのだろう。きっと何か特別な力が働いたのだ。ピーター・エイムズ・カーリンの『ブルース』を読みながら、ずっとそのことを反芻していた。

 やっぱりブルース・スプリングティーンの音楽には特別なものがある。



 ところで、この本を読み始めて早々に、以前読んだ記憶のある内容や文章の多さに気がついた。ふと書棚に目をやると、同じ本がもう1冊。とっくに読んでいたのだった! あーあ、またまたやってしまった。しかし、完全に忘れ去ったディテールが非常に多かったので、読み直しになったことは全く無駄ではない。それどころか、これからも繰り返し読み返す必要のあることを確認したのだった。



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(追記)

(*1)『ブルース』を読んで、ブルースが直視した弱者を切り捨てるアメリカの実情を、今の日本はそのまま後追いしているようにも感じられた。(11/26 記)

(*2)Netflix の放送は 12月16日と昨日改めて発表があった。変更になったのか? 合わせて Official Trailer も公開。観ると「やっぱりそこを使うよね」っていう思い出深い瞬間ばかり。しんみりしたあそことか、爆笑したあそことか。(11/28 記)







by desertjazz | 2018-11-26 11:00 | 本 - Readings

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 ピーター・エイムズ・カーリンの『ブルース・スプリングスティーン アメリカの夢と失望を照らし続けた男』とクロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』を、2週間かけてじっくり精読。今年の完読 71冊目と72冊目。

 まずはレヴィ=ストロース『野生の思考』。

 レヴィ=ストロースはこれまで『悲しき熱帯』(『悲しき南回帰線』)しか読んだことがなく、彼の代表作『野生の思考』くらいは、いつか読みたいと思い続けてきた。今回まとまった時間が持てたのでようやく挑戦を決意。しかしここまで難解だとは想像外だった。「本書はレヴィ=ストロースの著作の中でも格別に難解なものとして知られている。」(訳者あとがき P.362)のだそう。知らなかった!

 読みにくさの理由としては、覚えのない専門用語(それも一学者個人が定義づけし使用しているものも多い)が頻出していること、個々の単語・用語を厳密に日本語へと変換することがほぼ不可能なこと、文章が冗長で構文的にも分かりにくいことなどが挙げられる。この本は原文のフランス語で読まない限り、十分な理解などできないに違いないと思ったほどだったが、きっとフランス人にとってもこの難解さには大差ないことだろう。

 サルトルの『弁証法的理性批判』を解さず、レヴィ=ストロースの他の著書(研究書)も読まずに、この『野生の思考』に挑むことが、そもそも無謀だったのだろう。おそらく内容の1割も理解できていないに違いない。

 それでも、この書籍が書かれるより以前の「野生(野性)の思考」という捉え方が誤りであって、原生的/後進的に思える人々の多くの方が、名付けに関してははるかに複雑かつ見事な構造(といったもの)を持ち、しかもそれらが遠隔した別民族同士で共通項を有し、さらには現代人の思考との共通点や逆方向に対照する奥行きさえ持っている、等々の、論考の骨子だけはある程度把握できたと(勝手に)思っている。

 また、レヴィ=ストロースの論述を支える北米・南米・オーストラリア・メラネシアなどの文化人類学的なフォールド調査の成果の数々が実に興味深かった。どの民族も現代欧米人との接触・交流・混交が進み、彼らの文化の一部あるいは大部分が失われ、こうしたサンプル収集がもはや未来にわたって不可能であることを思うと尚更である。

 その一方で、何度読み返しても文章が把握できなかったり、本当だとは思えないようなロジックに疑問を抱いたりすることが、ほとんど全てのページにあった。息絶え絶えに読み終えて、こんなことならレヴィ=ストロースや構造主義についての概論書を先に読んでおくべきだったとも考えた。しかし、原典に取り組み、自分の限界を越えようとする中で、作品に味わいを感じることもまた、読書の醍醐味なのだろう。







by desertjazz | 2018-11-25 20:00 | 本 - Readings

  小説やアフリカ関連に読みたい本が山積で、John Collins の最新刊 "Highlife Time 3" もさっぱり進まず。なのに、気になっていた書物をフランスにまとめてオーダー。その間にもアフリカ音楽書の出版ラッシュが続く。

 以下、読んでおきたいアフリカ音楽の近刊についてメモ。

・ Africa Is Music
・ Hip-Hop in Africa : Prophets of the City and Dusty Foot Philosophers
・ Shades of Benga : The Story of Popular Music in Kenya: 1946-2016
・ You Generation !
・ Baaba Maal : Le Message en Chantant
・ Born To Kwaito : Reflections on the Kwaito Generation

 Planet Ilunga による Docteur Nico の復刻に合わせて、Alastair Johnston の "A Discography of Docteur Nico" にもそろそろ目を通しておこうか? 近いうちに最低これくらいは読んでおきたい。

 アフリカ音楽に関する文献をリストアップしたこのサイトも参考になります。








by desertjazz | 2018-10-01 23:00 | 本 - Readings

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 ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサイエンスの未来』読了。氏の前著『サピエンス全史』が現在までの人類史だったのに対して、新著は人類の未来予想に挑んだもの。全般的に面白く読めたものの、『サピエンス全史』が目を見張るような論考だった(特に前半)のに比べると、物足りなさや幾多の疑問も。

 基本3部構成で、第2部までが人類史のおさらい。そこから第3部で一つの可能性としての未来像を描く。様々な情報を駆使して論述される第2部までは今回も圧巻。いよいよ本題の第3部で論考が炸裂することを期待させる。

 しかしその最終部、『サピエンス全史』の後半に感じた失速感以上の物足りなさがあった。デイヴィッド・コープと EMI、アンジェリーナ・ジョリー、カラハリの狩猟採集民までを例に語るところにはワクワク。グーグルやフェイスブックを重視して語るデータ教にはかなりの程度、正しい現状認識なのかもしれない(人類の大半が無用者階級になってしまうという予測には、今の政治による弱者切り捨てとも通じるものを感じた)。

 やはり、予測のつかない未来について考えることに限界があるのか。終盤ほど冗長で繰り返しが多いし、ロジックの飛躍も感じる。著者が頭の整理をつけられていないようにも思えた。人類の未来に希望を持てる余地を残しているようでありながら、それらは前段部で否定してきたことばかりだったのでは。

 学術研究をベースにしていながら、なぜか哲学的雰囲気が香り続けているところが、難解に感じさせた。一度『サピエンス全史』に戻ってから、再読するのが良さそうだ。

 自分は、キリスト教的な神など存在せず、天国も死後の世界も空想だと思っている。だから、「人生など無意味」という意見にも同調する。なので、『ホモ・デウス』の描く未来が実現してしまうなら、人類の生などいよいよ空疎だなと思ってしまったのが一番の感想。




 読みたい本、読まなきゃいけない本が、ますます山積。時間がないので、この感想も取り急ぎ、軽めに。

 毎日読書を楽しめる人生は、それほど悪くないかもな??






by desertjazz | 2018-09-30 20:00 | 本 - Readings
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