カテゴリ:本 - Readings( 223 )

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 「鈴木裕之『恋する文化人類学者』への追記(2)コリン・ターンブル」への追記。


 鈴木裕之の新著で紹介されている通り、コリン・ターンブル Colin M. Turnbull の邦訳は7冊(現在全て絶版)。そのうち持っていないのは『ロンリー・アフリカン』の他に、『アフリカの部族生活―伝統と変化』と『異文化への適応―アフリカの変革期とムブティ・ピグミー』。『アフリカの部族生活』の方は安い古本がたくさん出回っている。『異文化への適応』も古本で見つかったが、これがとても高くて手が出ない。

 と思ったら、後者の方が(またしても)自宅の本棚にあった。それも原書(英語版)で。一体いつ買ったのか?

Colin M. Turnbull "The Mbuti Pygmies - Change and Adaptation"

 早速拾い読み。『森の民』が読み物であったのに対して、こちらは学術研究書という雰囲気。英語なのでスラスラ読めるとは行かないが、イトゥーリの森周辺の写真がたくさん掲載されていて、それを眺めるだけでも楽しい。

 ところでこの英語版も猛烈に高い。わずか150ページほどの薄い本なのに 100ドル近くする。それほど稀少本でもないような気がするのだが…。(そう思って調べ直したら、新品でも安く買えるじゃないか。)




 ターンブルの代表作『森の民』は英語版と日本語版を持っている。同じ内容の本を2冊も持っていて無駄ではないかと思われるかもしれないが、そんなことはない。ひとつの理由は写真の質に大きな差があること。気軽に読める日本語版をすでに持っていても、写真を見るために原書を手に入れることには意味があると思う。

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(これだけ違う。)


 それを痛感したのは、オルハン・パムクの『イスタンブール』の英語版を見たとき。この作品はパムクの思い出話と同じくらい、大量に載せられた古のイスタンブールと彼の家族の写真が重要。それなのに、英語版と日本語版とでは写真の解像度に大差がある。邦訳書だけ見てこんなものかと思っていたので、英語版のクリアな写真を目にした時には正直驚いた。これが翻訳書の限界なのだろうか? パムクの『イスタンブール』は原書のトルコ版を是非見てみたいものだ。






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by desertjazz | 2015-02-01 16:00 | 本 - Readings

「読書メモ」2014

 このブログの記事の中で、昨年一番アクセスが多かったのはこれ。

読書メモ:マルセル・プルースト『失われた時を求めて』


 別に数えたわけではないけれど、月別の累計で毎月ダントツでトップだったので自然とそうなる(ほぼ毎日のようにトップでもあったようだ)。

 思うにこれは、『失われた時を求めて』が20世紀最高の小説と評価されているが故に、読んでみたいと思っている人が多いこと、でもまだ読んでいない人が多いこと、そしてこの小説について書いている人が案外少ないことを物語っているのかも知れない。

 その他アクセスが多かったのは、軒並み「読書メモ」ばかり。グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ『シャンタラム』トマス・ピンチョン『メイソン&ディクソン』ロベルト・ボラーニョ『2666』などをいろいろな方々が読んで下さったようだ。

 でも、これらは書評でも読書感想文でもない。1冊の本を読み終えた時に、頭の中に残っていたことを気の向くままに一気に箇条書きしただけのもの。そんなメモ書きでも参考にしている人がいるのは嬉しいこと。どうもありがとうございます。

 多少は時間をおいてから感想や考えを熟成させて何かきちんとしたものを書いてみたいとも思う。だけど、それより先に次の本との格闘が始まってしまう。




 さて今年はどういった本をどれだけ読めるだろうか。毎年目安として「完読本」(隅から隅まできっちり読んだ本)100冊を一応目標としている。けれどこれはかなりハードルが高い(昨年はとうとう100冊に遥かに及ばなかった)。ピンチョンやル・クレジオなど長くて難解な本、英語で書かれた音楽書なども含む一方、軽い小説や薄い新書などは滅多に読まないから。

 かと言って本ばかり読んでいるワケにもかない。読書以外の趣味も楽しみたいから時間のやりくりが難しい。音楽や旅や美術鑑賞や食事や酒やスポーツなどなどもバランス良く楽しみたいと思っている。

 などと言っているうちに、間もなく1月が終了。読書ペースがなかなか上がらない。



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 『失われた時を求めて』に関してはこんなことも書いている。

 ・読書メモ:2周目?
 ・プルースト前/プルースト後
 ・プルースト中


 岩波文庫版での「2周目」、当然のごとく進んでいません。






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by desertjazz | 2015-01-31 00:00 | 本 - Readings

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 今月発売になったばかりのデビッド・クアメン『エボラの正体 死のウイルスの謎を追う』を早速読了。2012年に出版された "Spillover" からエボラに関する部分を抜粋し加筆した日本版。

 過去数十年間にアフリカ各地で繰り返されたエボラのアウトブレイクや、エボラに感染しかけたウイルス研究者のエピソードなどを丁寧に紹介していている。新書1冊分程度の内容の読み物で、分かりやすく書かれているため、2013年末に西アフリカで発生したパンデミックに近いアウトブレイクでエボラに関心を持ったような人には相応しい入門書だろう。

 しかし、個人的に期待したような新しい情報はほとんどない。

 1990年代にはアフリカに繰り返し足を運んでいた。そのためザイールのキクウィト Kikwit でエボラが発生した1995年のその前後には、必要に迫られて、そして個人的関心から、エボラを含めて熱帯ウイルスに関する文献を貪り読んだ。だからなのか、この『エボラの正体』を読んでも当時得た知識をおさらいしている印象を受ける。
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 いやそれもあるだろうが、新しい情報がないと感じたのは、エボラに関する謎が20年前と変わらず謎のままな証拠でもある。エボラの宿主はどの生物なのか、エボラはいかにしてアフリカ各地に飛び火したのか、インターバルをもってアウトブレイクが起こるのは何故なのか。いずれの謎にもまた決定的な答えは出ていない。

 それでも今回知ったことがいくつか。

・「エボラ出血熱」という言い方には語弊があること。必ずしも出血が伴うわけではないので、最近は「エボラウイルス熱」と呼ばれている。

・宿主をコウモリだと狙いを定めた研究が進んでいること。地球上に住む哺乳類の種の4分の1はコウモリで(P.140)、このコウモリが真犯人である可能性の高いことについて納得のいく説明がなされている。

 うーん、一昨年に読んだジャック・ペパン『エイズの起源』もそうだったけれど、ウイルス話を読んでいると知的刺激がビシビシ飛んでくる。




 エボラのアウトブレイクが頻発するようになった要因のひとつとして、森林伐採が招いたエボラの宿主の住むアフリカの森の縮小が挙げられている。そして、アフリカ熱帯材の多くが日本に輸出されていることも「解説」で語られている。(P.194)

 藻谷浩介らによる『里山資本主義』を読むと、日本の木材(森林資源)は十分には活用されておらず、森の荒廃が放置されているようなことが書かれていた。最近の急速な円安によって輸入材の価格上昇に起因すると思われる木材製品の値上がりが始まっており、今年以降は新築住宅の値上がりも予想されている。

 両者を合わせて考えるならば、アフリカからの木材輸入を減らし、日本産の建材をより活用すべきなのではないか、といったことも考えた。






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by desertjazz | 2015-01-26 00:00 | 本 - Readings

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 鈴木裕之氏は新著『恋する文化人類学者 結婚を通して異文化を理解する』の中で、自身が翻訳したフランス人(女性)ジャーナリスト、エレン・リーの『アフリカン・ロッカーズ』(JICC、1992年/日本版は1988年の仏版に加筆)について、「マンデのポピュラー音楽をとりあげたルポルタージュだが、グリオの文化についても詳しく紹介している」(P.233)、「(ギニアの大統領だった)セク・トゥレ時代のギニア音楽についてライブ感覚豊かにレポートしている」(P.234)と書いている。この本、アルファ・ブロンディなどレゲエ系のアーティストについてが中心で、個人的にはやや物足りなかった印象があるのだけれど、そうだったかな?

 そう思って読み直してみた。うーん、面白くて一気読み。これは1990年代初頭の時点でギニアやマリ、コート・ジヴォワールなどのポップスの状況を俯瞰した見事な本だ。ベンベヤ・ジャズとデンバ・カマラ、サリフ・ケイタ、アルファ・ブロンディなどの経歴も交えながら、彼女自身が直につき合ってきた西アフリカのアーティストたちについて活き活きと綴られている。当事者たるアフリカ人たちを除けば彼女でなければ語り得ないエピソードも盛り沢山で、確かにアフリカ音楽に関する良書だと思う。

 何より個人的に一番興味を惹かれたのは、ギニアやマリの主要バンドの誕生やアーティストたちの離合集散の様についてかなり詳しく書かれていること。ベンベヤ・ジャズ、レイル・バンド、アンバサダーズ、サリフ・ケイタ、モリ・カンテ、カメルーン出身のマヌ・ディバンゴといった有名どころばかりでなく、ギニアのセク・ルグロ・カマラ(P.19)、カンテ・ファセリ(P.43)、アポロ(P.48)、ケイタ・フォデバ(P.59)、シリ・オルケストル、オルケストル・デュ・ジャルダン・ドゥ・ギネー、オルケストル・パイヨット、バラ・エ・セ・バラダン、バラ・オニヴォギ、ケレティギ・エ・セ・タンブリニ、ケレティギ・トラオレ、アマゾン・ドゥ・ギネー、ホロヤ・バンド(P.60-61)、セク・ジャバテ(P.71)、カマイェンヌ・セプテット/カマイェンヌ・ソファ(P.100-102)、マリのフォルマシオンA(P.116)、スゥペール・ビトン、ソリィ・バンバ(P.117)等々が次々と名を連ねる。さらには、エルネスト・ジェジェ(P.130)、ラバ・ソッセ、スター・バンド(P.142)、クリスチャン・ムセ(P.220)、ママドゥ・コンテ(P.221)などまでもが登場して興味津々。久し振りに読んで大変参考にもなった。

(できればセネガルに関しても詳しく書いて欲しかったところだが、この本が主にマンディング音楽に焦点を当てていることと、エレン・リーの得意領域が異なるということで、それはないもの強請りになるだろう。)

 20数年振りに読み返してこれほど面白く感じたのは、その間にギニア音楽やマリ音楽への理解が深まっていたからなのだろう。1990年代末に西アフリカを旅してギニア音楽のレーベル、シリフォンのLPの大半をコレクションし、それらを聴いて黄金期のギニア音楽の全体像を把握できたことが大きいと思う。『アフリカン・ロッカーズ』を最初に読んだ頃は、中村とうようの『アフリカの音が聴こえてくる』に掲載されたギニア音楽のレコードを眺めて「聴いてみたいなぁ」とヨダレを垂らしていたようなレベルだったので、『アフリカン・ロッカーズ』で取り上げられた諸バンドの名前を聞いてもピンと来なかったのは仕方ない。でも今はミュージシャンやバンドの名前を目にする度にそのサウンドが頭に浮かぶのだから大違いだ。

 幸いなことに最近10年ほどの間にシリフォンの CD復刻がかなり進んだ。なので、ギニア音楽に関心のある音楽ファンにとっては、それらを聴きながらこの本を読んでみることは、私にとってと同様に意味あることなのではないだろうか。





 補足


1)『恋する文化人類学者 結婚を通して異文化を理解する』と『アフリカン・ロッカーズ』はともにマンディング音楽を扱っているだけに、相補的な部分が大きい。『恋する文化人類学者』を読んだことで『アフリカン・ロッカーズ』の記述を理解できたところもあった。例えば、アルファ・ブロンディと彼の祖母が「夫婦関係」と見なされることなど。


2)現在から振り返るとセク・トゥーレの文化政策に対しては多々批判はあるだろう。しかし、1965年ころからの約20年間、中でも60年代末から76年ころまでがギニア音楽の黄金期だったと思う。シリフォンの録音の全てが傑作・名作だとは思わないが、私は今でもソリ・カンディア・クヤテやシリ・オーセンティックのレコードは大好き!






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by desertjazz | 2015-01-21 00:00 | 本 - Readings

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 鈴木裕之『恋する文化人類学者 結婚を通して異文化を理解する』の中で、著者によって愛情厚く語られるコリン・M・ターンブル。ピグミー(正確にはコンゴ東部の森イトゥリに住むピグミーのひとつ、ムブティ)研究の第一人者である彼の著書(邦訳)について、巻末の「注」で詳しく紹介されているのを見て少々調べてみた。すると取り上げられている7冊とも既に絶版。どれも出てから相当に年数が経過しているので、それも仕方ないか。

 でも、『森の民 コンゴ・ピグミーとの三年間』(原題 "The Forest People")ですら現在入手困難なのはとても残念だ。

 この本は誰もが認めるごとく、アフリカに関する書物の中でも名著中の名著。私自身もこれを繰り返し読んだおかげで、ピグミーとピグミーの音楽への興味と理解と愛情が深まっていったのだった。ピグミーに関する書籍や写真集、レコードを片っ端から買い集めて愛でるほどに。鈴木氏も「古本で見つけたら即購入、永久保存版である。」(P.245)と書かれているが、正にその通りだろう。ピグミーの音楽に関心のある人全てに読んでもらいたい一冊。

 (だからこそ "On the Edge of the Ituri Forest Congo 1952, recordings by Hugh Tracey"日本盤『イトゥリの森のはずれにて-コンゴ北東部1952』のライナーをあのように書き出したのだったし、ピグミーと共通項の多いブッシュマンにも夢中になっていったのだった。)

 私が他に持っているターンブルの本は、『ブリンジ・ヌガグ 食うものをくれ』、『アフリカ人間誌』、『豚と精霊 ライフ・サイクルの人類学』の3冊。残る3冊のうち『ロンリー・アフリカン』がどうしても見つけられない。昔、中村とうようさん(?)がどこかで紹介していたのを目にして、それで探したもののすでに絶版。昨晩もネットで探したものの、やはり見つからない。それだけ出版部数が少なかったのだろうか(他の2冊はまあいいかと思ってパスしている)。

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 いつか『ロンリー・アフリカン』を読みたいと思っているのだけれど、『森の民』もピグミーの音楽を聴きながら何度でも読み返したい。『恋する文化人類学者』を読んだがために、読みたい本がますます増える一方で困ったものだ。






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by desertjazz | 2015-01-20 00:00 | 本 - Readings

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 鈴木裕之の新著『恋する文化人類学者 結婚を通して異文化を理解する』(世界思想社)を読了。面白くてほとんど一気に読み終えてしまった。

 (毎日新聞社の記者、城島徹さんからメールでご紹介いただいて知った本。城島徹さんによる書評もあり。→ 「幸せの学び:<その118> 恋する文化人類学者」

 文化人類学者の鈴木氏がギニア出身のダンサー、ニャマ・カンテさんと結婚されていることは、昔からアフリカ音楽を聴いている人にとっては割と馴染みのある話。鈴木氏の講演の際にニャマ・カンテさんがダンスを披露する機会も多いので、そうしたステージを直に観た経験のある人も多いだろう。

 そんなお二人の出会いから結婚生活に至るまでの思い出話やエピソードをまとめたものかとも思って読み始めた。実際、鈴木氏のような貴重な体験者でなければ語れない話がユーモアを交えて語られる。また西アフリカ音楽ファンにとって参考になる情報も繰り返し登場する(ギニアにポピュラー音楽が国策として誕生した辺りは詳しく書かれており、ギニア最初(と書かれているが正しくないのでは?)のポップ・バンド Horoya Band のベーシストをニャマ・カンテの父が担当したなど、初めて知ることや忘れていたことも多かった)。

 しかし、この本はまず何よりも、これから文化人類学を志そうとする大学初年度の学生あたりを対象に書かれた「学術書」である。文化人類学の基本的概念のうちで主要なもののいくつか、あるいは文化人類学の歴史について、鈴木氏自身の結婚という実例を要所々々で対照しつつ語られる。クロード・レヴィ=ストロースやコリン・ターンブルについても魅力的に紹介されているところもいい。

 著者は最後の方で、異文化を理解することの重要性を強調している。2015年が明けても、日本各地から、そして世界中から、異文化間の対立が繰り返し報道され、ネットを通じてそうした情報が飛び交っている。そして、「対立」を煽り新たに生み出し利用しようとする勢力が伸張することに、大いに危機感を抱かざるを得ない(個人的には今年を象徴するキーワードはすでに「対立」で決まりだと思っている)。そんな時代、もう一度異文化を正しく理解し不要な対立を避けようとする努力が必要だと思う。この本はそのためのヒントも与えてくれることだろう。






 補足


1)この本の良さは、巻末の「注」(18ページにも及ぶ)が参考図書の紹介として優れているところにもある。私も若いころからアフリカやインドネシアに関心を持っていたので、ここで基本文献として挙げられて本はかなり所有/読了している。なのでこうした紹介文を読むと、どれもを再読したくなる。中には、そろそろ捨てようと思っていた本が「入手困難」と紹介されていたのでは、やっぱり捨てないでおこうかと思ってしまい困りもの。もちろん持っていない本の方が圧倒的に多く、未読な分だけより惹かれてしまう(・・・ので、ネットを利用して安い中古本を探して買い始めてしまった。本はあまり買わないことにしたのだけれど…)。


2)西アフリカやマグレブのミュージック・ビデオの中には、誰か分からないオーディエンス?がやたらと映り込んで退屈なものが多い。しかし、この本を読んで、なるほど!と謎が解けた。 同じようにアフリカのビデオの退屈さを感じたことのある人なら P.221 からだけでも読んでみると面白いと思うかもしれない。


3)鈴木裕之氏は「鈴木ひろゆき」名で訳書を2冊出している。

・マビヌオリ・カヨデ・イドウ『フェラ・クティ 戦うアフロ・ビートの伝説』(晶文社)
・エレン・リー『アフリカン・ロッカーズ』(JICC)

 『アフリカン・ロッカーズ』を久し振りに捲ってみたら、ギニアやセネガルのポップスなどについて気になることがたくさん書かれている。これは早々に読み直したい。

 彼の著書は『ストリートの歌 現代アフリカの若者文化』も持っているはずなのだけれど、なぜか見つからない…。(どこに隠れた!?)
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by desertjazz | 2015-01-18 17:00 | 本 - Readings

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 理由(わけ)あって昨年暮れからサンフランシスに滞在。そこでついでに2週間現実逃避。いい気分転換になった。

 読書も軽めのものをと思い、行きのフライトではピエール・ルメートルの『その女アレックス』を、帰りにはデオン・マイヤーの『デビルズ・ピーク』などを読んでいた。

 ルメートルの『その女アレックス』は昨年「これミス」等々で軒並み1位になった大ベストセラーのミステリー小説。それなら一応読んでおくかと思って手を出した。確かにプロットは良くできていて、こうした構造の小説は確かにこれまでなかったのかも知れない。

 一方のデオン・マイヤーは南アのミステリー作家。先に読んだ『追跡者たち』(上・下)はいくつかの謎が解消されておらず、内容も幾分散漫に感じたのだったので、読むかどうか迷った。けれども、子供に対する性犯罪の多さや、小児を犯すことで HIV が直るという迷信が流布する現状を捉えた南アの社会的小説として読んでおく意味はあるだろうと思ったのだった。そして実際読んでみると、こちらの方がずっと良かった(まだまだ詰めは甘いのだけれど。例えば、刑事と娘との関係描写が軽すぎる、など)。昨年のベスト10に入れたくなったほど。

 面白かったのは、2冊の作品が予期せず何かと共通点を持っていたこと。どちらも連続殺人事件を巡るミステリーなのだが、両者ともに子供(少年少女)に対する犯罪(殺人、性犯罪、虐待など)が小説の芯たるテーマとなっている。『その女アレックス』が犯罪者側と捜査側とがパラレルに進行するのに対して、『デビルズ・ピーク』の方は3つの話が小刻みに同時進行する。また、殺人容疑者を追った末に真犯人と事件の真相を明らかにした時、刑事が下した判断も相似形で、悲惨な話の中でここが救いになっているとも言える(刑事ドラマにありがちなエンディングではあるが)。

 数々の登場人物たちに、「生きる」意味と「死ぬ」意味も考えさせられる作品でもあった。



(午前5時羽田着のフライトで帰国し、自宅に入るなり飲み始め、ほろ酔い気分で書いています。)






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by desertjazz | 2015-01-12 07:00 | 本 - Readings

BEST BOOKS 2014

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・矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』
・高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』
・グレアム・ファーメロ『量子の海、ディラックの深淵 〜天才物理学者の華々しき業績と寡黙なる生涯〜』
・デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ『洞窟のなかの心』
・ル・クレジオ『隔離の島』
・ミシェル・ウエルベック『地図と領土』
・オルガ・トカルチュク『逃亡派 (EXLIBRIS) 』
・チヌア・アチェベ『崩れゆく絆』
・J・M・クッツェー『サマータイム』
・トマス・ピンチョン『逆光』


 2014年に読んだ本の中から、様々な理由で堪能した10冊を選んでみた。

 ピンチョン全小説やクロード・シモン『農耕詩』やジャック・アタリ『ノイズ - 音楽/貨幣/雑音』などなど(自分にとっては)やや難解な本を少しづつ読み進めることに時間がかかってしまい、思ったほどの数は読めなかった。なので新刊だけでは10冊に足りず、昨年までに出た本もいくつか混じっている。

 順不同ながら、最初の2冊がダントツ。特に矢部宏治の本は「必読」レベルだと思う。(「長年どうしても分からなかった謎が次々解けて行った。「米軍駐留は昭和天皇の要請によるもの」といったような衝撃的事実の連続。それらが公式文書に基づいてロジカルに語られるので信じるしかない。/日本(と憲法)は変えられるし、本当は変わらなくてはならない。けれども、簡単には変わらないだろう。/謎が解けた知的興奮と日本の現実に対する暗澹たる気分が交錯する。ある意味で、これまでに数多くの本を読んだ中で最高の「面白さ」。その点から、日本人必読の書という評価には同意する。」・・・Facebook より)

 傑作&快作『謎の独立国家ソマリランド』が話題になった高野秀行は、遡って『西南シルクロードは密林に消える』も読んでみた。これまた大傑作。こんな旅なんて誰ももう二度と出来ないことだろう。


 数分の暇があれば海外小説を中心に読書にふける毎日。そんな中、日本の作品もと思い、河出書房新社から刊行が始まった「池澤夏樹個人編集 日本文学全集」の第1巻『風土記』もつらつら読み始めている。






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by desertjazz | 2014-12-26 20:02 | 本 - Readings

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 村上春樹のラオス、ルアンプラパン滞在記を読む。ラウンド・ガムランの紹介もあり。ラオスには憧れを抱いていて、20年くらい前から行きたいと思いつつも、まだ行けていない。 来年あたり真剣に検討しようか?

 先月末に出た村上春樹の『セロニアス・モンクのいた風景』も早く読みたい。今月末頃には読む時間を取れるかな? でもこれを読んだら、またモンク漬けになって聴いてしまいそうだ。






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by desertjazz | 2014-10-04 00:00 | 本 - Readings

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 オリヴァー・サックス『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々』読了。オリヴァー・サックスは『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』『妻を帽子とまちがえた男』に続く3冊目。続けて『音楽嗜好症』も読みたかったが、単行本がやや高く、文庫版もすぐに出るだろうと待っていたら、やはりこの夏に出た。

 音楽に無関心だったのに突然音楽に夢中になる人、音楽を職業としていたのに突然音楽の存在に絶えられなくなる人、音楽を愛していたのに突然音楽を感じられなくなる人、さらには音楽によって自閉症が改善した人などなど、音楽と人間(脳)との深く不思議な関係を描いた全29章。


・ある音楽が脳内から離れなくなる体験は誰にでもあると思うが、それが病的症状になって生きていることさえ辛くなる症例があることは驚き。「脳の虫」とは巧みな表現。

・眼が見えないこと、耳が聞こえないことは大きな障害だが、耳が聞こえていても音楽を感じない(音の高低を判別できない、周囲の人が音楽を聞いて感動していることが理解できない、等々)という生き方も大きな悲劇だろう。

・人間にとっての音楽は単なるひとつの趣味・嗜好なのではなく、言語の誕生とほぼ同時に深い関係性を持ち続けてきた特別な存在であることがよく伝わってくる。そして、人間にとってのリズムの重要性も。人間はリズムに乗って動作する生き物である。

・記憶が失われていても、ある音楽がトリガーになって古い記憶が蘇ったり、話せない人が歌い出したり作曲したり、治療困難な症状を音楽の力によって軽減したり。

・過去の著名人や音楽者の多くがこの種の病を抱えていた可能性を指摘。また、『失われた時を求めて』を引き合いに出しての「プルースト現象」の指摘も興味深かった。

・音楽の感じ方は人ぞれぞれ。いわゆる健常者の聞こえ方/感じ方が正しいとも言えない。また健常者相互の間でも違いがあってもおかしくはない。

・サックスの過去の作品や、スティーヴン・ミズンの『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』、 ダニエル・J・レヴィティン『音楽好きな脳―人はなぜ音楽に夢中になるのか』などでもそうなのだが、音楽はなぜ/どのようにして生まれたのか、音楽は脳の中でどのような働きをしているのか、音楽嗜好症のような病はなぜ起こるのかといったことについて、結局正確なことまでは分からない。そこにもどかしさを感じるのだが、人間の身体と脳はそれだけ複雑で不思議なものだということなのだろう。


 様々ことを思いながら面白く読んだが、一番強く感じたのは自分が「音楽を感じられる」脳と身体を持って生まれてこられた幸せだった。人間の脳は本当に不思議だと思う。






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by desertjazz | 2014-09-26 17:00 | 本 - Readings

DJ
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