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カテゴリ:旅 - Abroad( 252 )

アフリカの記憶 078



 Senegal / Dakar - Île de Gorée 1999

 現在は博物館の「奴隷の家」を探訪。
 歴史の説明を受け、暗がりに進む。
 そこから「扉」の先の海を望む。
 大西洋からの照り返しが眩しい。

 快晴で穏やかな日曜日。
 今夜は夢に見たユッスーのライブ。
 体調を整えるべく、ゆっくり過ごす。
 そのひと時は嵐の前の静けさだった?






by desertjazz | 2020-07-30 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 077

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 Senegal / Dakar - Île de Gorée 1999

 5月9日、ダカール4日目。
 セネガルで訪れたかったのは、
 チョサン、サン=ルイ、サンダガ市場、
 そして、ダカール沖に浮かぶゴレ島。

 午前は市内のミュージアムを見学。
 それから連絡船に乗ってゴレ島へ。
 ダカールの港からもすぐ間近。
 そこは長閑な南国の島だった。






by desertjazz | 2020-07-29 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 076



 Senegal / Dakar 1999

 フェミ・クティのアフロ・ビートをたっぷり堪能。
 許可を得たので、大胆かつ自由に動き回って撮影。
 気がつけば 100カット以上撮っていた。
 もっと良いカメラとレンズを持っていればなぁ

 偶然にもこの日は "Shoki Shoki" 日本盤の発売日。
 そのことに何か宿命めいたものを感じた。
 このライブを観たことが刺激となり、
 帰国後、アフリカ音楽の HP を開設したのだった。






by desertjazz | 2020-07-28 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 075



 Senegal / Dakar 1999

 5/8 (Sat) マルシェ・サンダガ Marche Sandaga まで出かけて、その周辺でレコード探し(その顛末については後日)。16時、Le Centre Culturel Francais de Dakar へ。フェミ・クティのチケットは簡単に買えた(CFA 6000 = 約1200円)。そのまま会場内に入り、ステージを設営中の若者たちと語らう。PA スタッフもライトマンたちも、皆とても親切(帰国後、一人に礼状を送ると、すぐに丁寧な返信が届いたのにはびっくり)。

 折角なのでフェミのステージ写真を撮影できないかと思いつき、舞台監督を探して相談。すると、「そこのホテルにいるから、直接頼め」と言われる。それで言われた通り、Ganale Hotel の指定された部屋に行ってみたら、本当に目の前にフェミ本人が現れた。恐る恐る「日本から来たファンです。写真を撮らせてもらえますか?」と尋ねると、ぶっきらぼうに「いいよ」と一言。こんな簡単でいいの?? 日本では考えられないことだ。会場に戻り、最前列中央の席をリザーブし、開演を待つ。

 フェミは激しく動き回ってダイナミックなパフォーマンスを披露。フェラの2曲 "Lady"、"Shakara" も含む2時間をたっぷり楽しませてもらった。ステージ映えするハンサムなガイで、笑うとフェラにそっくり。その父譲りのアジテーションもあり、途中白人の一人とちょっとした口論になって、雰囲気が険悪になったりも。ステージは 23:30 に終了。

 週末なので(ユッスーのチョサン出演は通常、金曜日と土曜日の深夜)、念のためにチョサンに電話するも応答なし。やっぱりユッスーは今外遊中らしい。


 5/9 (Sun) 朝、ホテルのフロントの男が、「ほら」と新聞を差し出す。何かと思って覗き見たら、そこには今夜チョサンで行われるユッスー・ンドゥールのライブの広告が。何という幸運だろう! フロントマンにも「ユッスーが観たい」と一声かけておいて正解だった。

 23時にチョサンへ。入場料は CFA 2500(500円ほど)。すでにガードマンたちが立ち並んでおり、実に物々しい。一眼レフもすぐに没収される。写真を撮らせて欲しいと頼んでみたが、「取材は1週間前に申請してください」とだけ言われ、交渉の余地などまるでなし。フェミのライブとのこの違いは何なんだ(なので、この夜の写真はなし。今ならコンパクトなデジカメかスマートフォンで簡単に撮れるのだが)。クラブの内部は相当に広く、時代遅れの高級キャバレーのような佇まいだ。

 24時に前座が始まり、25時から Super Etoile de Dakar によるインスト、そして26時前にようやくユッスー御大が登場し、朝4時に終了。メモによると、1:56 〜 4:05 の2時間強のステージで、演奏したのは全部で11曲。ギター、キーボード、パーカション群の細かなビートが重なり合うインプロビゼーションは凄まじいの一言。この夜に浴びたサウンドは、自分が生涯に観たあらゆるライブの中でもベストのものだった。これを体験できただけでも、ダカールに来た価値があった。

 意外だと感じたのは、ユッスーとオーディエンスとのやりとりが一切なかったことだ。MC は全くなし。ライブを終えてしばらくの間、ステージの上でバンドメンバーたちと雑談していたが、彼に話かけるファンもいない。なので、自分もユッスーに声をかけることが憚られた。そして、ステージに横付けして待っていた車に乗ると、瞬く間に走り去って行った。その間、ほんの数分のことだった。






by desertjazz | 2020-07-27 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 074

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 Senegal / Dakar 1999

 1999年5月、通算5回目のアフリカ渡航は、ついに初めて西アフリカへ。

 ユッスー・ンドゥール Youssou N'Dour が暮らす土地を実際に歩いてみたくて、そしてユッスーとオーケストラ・バオバブ Orchestra Baobab の地元でのライブが観たくて、まずはセネガルへ。東京ーパリ往復は ANA の特典航空券で、パリーダカール&バマコーパリは JAL のマイレージを使って Air France で飛んだので、どちらも無料(空港使用料等のみ)。ダカールーバマコは今はなき Air Afrique (RK) のフライト・チケットを正規料金(¥26500)で購入。AF も RK も乗る便を決めてから JAL 新宿店のカウンターに行ったので(当時は窓口発券だった)、店員はこちらの指示に従って端末を操作するだけ。その間わずか数分で発券完了。マイレージでアフリカ便を取ったことも含めて「こんなお客さまは初めてです」と感心された。確かにこんな客は珍しいだろう。

 5/5 (Wed) 東京出発。ウィーン、パリ経由で、5/6 (Thu) の 21:27 にダカールの Yoff 空港に着陸。空港では怪しい客引きたちが寄ってくるが(空港職員風を装ってビザがないなら金が必要だと言って来たり、荷物を勝手に運ぼうとしたり)、意外と強引さはない。イミグレを抜けた先に CD 機があったので、西アフリカ CFAフラン(FCFA)を引き出し、それからタクシーで市内へ。本来は CFA 3000(CFA 100 = ¥20 として、約600円)のはずだが、5000と言ってくる。交渉して 4000まで下げるのがやっとだった。23時に街の中心部に建つ Hotel Nina にチェックイン。1階にあるバーでビール(Flag CFA 800 と Gazelle の大瓶 CFA 950)を飲んで、ホッと一息。


 5/7 (Fri) 朝起きて、まずは RK 便のリコンファーム(・・・って、若い人には何のことかわからないだろう。今や「リコンファーム」は「トラベラーズチェック」と同様、懐かしい死語だ)。午前中、路上で男3人組に声をかけられ、実に見事に詐欺に引っかかる。もう自分でも笑ってしまうくらいに巧妙だった(詐欺に会ったのは、これまで生きてきてこの一度限り。まだアフリカに来ている感覚になっていなくて、油断したのかも知れない。被害額は少なかったが、このトラブルに遭ったために、この旅は最後まで過度に警戒し続けることになったのは残念だ)。

 まずはライブ情報を探るが、「今ユッスーは国内にいないよ」と言われる。また、バオバブは数年前にすでに解散していたことを後日知ったのだった(しかしこの4年後、自分がユッスーとバオバブの作品群のライナーノーツを担当し、さらには両者へのインタビューまで任されることになるとは、当たり前ながらこの時には予想できなかった)。事前情報を全く掴めないままセネガルにやって来たのだが、滞在中どうやら大物のライブはないようだ(Baaba Maal & Dande Leniol のライブ情報や Coumba Gawlo が土曜日に Salon で演ることが多いらしいことは掴めたが)。その代わり、今夜 22時にフェミ・クティ Femi Kuti がダカール入りするらしい(・・・と日誌に書かれているが、どうやって情報を得たんだ?)。彼は本来今晩ライブを予定していたが、明日に順延されたとのこと。ならば、フェミをここダカールで観られるかも知れない。街中にはコンサートを告知する横断幕も(写真)。ともかく明日が待ち遠しい。

 今夜、ユッスー・ンドゥールが所有するクラブ・チョサン Thiossane に Lemzo Diamono が出演するとの情報を得られたので、街外れ(メディナ Medina より先、Grand Dakar のあたりか?)にあるそのチョサンまでタクシーで向かう(約15分、CFA 500〜1000が相場)。しかし着いてみると、彼らは今ガンビアに行っていてライブはないとのこと。店も閉まっている。しかし、そこで出会った若者に「チョーン・セック Thione Seck ならライブをやっているよ。観たいかい?」と言われる。勿論観たいさ! 早速彼にそのライブ・ハウスまで案内してもらう。元バオバブのチョーン・セックのライブをいきなり観られるとは、まさかの展開。しかもステージの合間に本人に紹介されて挨拶。チョーン・セックは無表情で見上げるような長身の男だった。だが、まだ時差ボケが残っていて我慢できないほど眠く、声は若々しいものの何より単調なライブに耐えられない。それで、深夜1時頃には失礼してタクシーでホテルに戻ることにした。今から振り返ると実に勿体ない体験だったのだが。






by desertjazz | 2020-07-26 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 073

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 Ethiopia / Addis Ababa 1997


 私が海外を巡り歩く時、何の因果か毎度過酷なこととなりがちである。特に 1990年代は、砂漠(カラハリ、中国西域、メキシコ、エチオピア)と熱帯(ザイール、インドネシア、など)への旅が多かったので、ある程度必然だったとも言いうるが、実際はそれ以上のものだった。中でもこのエチオピアでの彷徨は、とりわけタフさを要求されるものになった。

 旅の起点、北部の町メケレ Mekere に着くなり、強烈な腹痛と謎の発熱 38.8度(無理しすぎなのか、海外出張で40度前後の熱を出すのは度々のことなのだが)。ここからダナキル砂漠 Danakil のアファールを目指したが、聞いた話によると30年振りの大雨で、道が崩れた岩で埋まっていて思うように進めない。まるで道を切り開きながらの移動になり、目的のアファールに着く前に途中で時間切れ。ガルルタでテントを張って一晩ビバークするも、深夜に豪雨に襲われ、危うく濁流に流されそうになった。テントの位置が数メートル違っていたら、果たして今生きていたかどうか。

 翌日ようやくブラハレ Berhale に到着。メケレからわずか 120km移動するのに2日を要した。しかし、ここから先の道は軍が閉鎖していて、目的地まで辿り着けず。アファールで切り出される岩塩の通商も半年途絶えているという。確かに塩の集積地メケレの市場は寂しかった。

 ダナキルの岩漠に留まっている間も、周囲を軍人たちがうろつき回り、ミリシア(民兵)も見え隠れし、自分のような素人でも反政府組織の者が存在している気配さえ感じ取れる。実際のところ、この頃はアファール反政府組織の活動が活発な時期だったようで、振り返って調べてみると、ダナキルに来るには最悪のタイミングだった。その証拠に、帰国後ほどなくしてエチオピアとエリトリアとの間で戦争が勃発。そして、滞在していたメケレも爆撃されたことを報道で知ったのだった。

 アファールから退却してからも悪いことが続き、ここに書けるようなことは何もない。まさに「空白の旅」となり、写真を撮る余裕などほとんどない毎日だった。そのため、この「アフリカの記憶」エチオピア編に何か文章を添えるのは難しかったし、そうした気にはなれなかった。

(それと、カラハリとエチオピアの写真の何枚かは、それだけに何かを物語っているのではないだろうか。拙い写真ばかりだが、私個人としてはそのように思う。)

 それでも、エチオピアを旅することができたのはとても幸運だったし、数々の情景を今でも記憶している。4000m級の峠越えから一気に海抜下の低地まで下り降りるドライブ。その峠で停車した時に空気の薄さをリアルに実感。海面下数10mに立った感慨。デセ Dese から走り、アファールの州都アサイタ Asayta に至る茫漠とした景色。海岸から延びるハイウェイを、高速で走り抜けるジブチからの大型トラック群。病みつきになるインジェラの旨味/臭みとローカル・ラムの味わい。過酷な時空を共にしたエチオピアの仲間たちの穏やかな人柄。デブレ・ビルハン Debre Birhan の通りに集う素朴な人々。その先、デブレ・シナ Debre Sina で出会った牧場(まきば)の少年、突然現れた野生の猿たち、そして何よりアンコベル Ankober からの大絶景。ほぼ垂直に 1000m切り落ちた下のゴマ粒のような民家に目を凝らし、アフリカ大地溝帯の雄大さを実感したのが一番の感動だった。

 メケレの街で撮った写真はないし、首都アジスアベバの写真もこれ1枚だけ。アジスでレコードを探す時間も、ライブを観に行く余裕も全くなかった。エチオピアを北へ東へ南へ、1ヶ月で実に 7500kmも走行した。それでもラリベラの教会群はまだ訪れていないし、アジスでもゆっくりできていない。何より、この旅の「空白」を埋める為にも、エチオピアをもう一度訪ねたいと、ずっと願い続け、また丹念に下調べを重ねている。






by desertjazz | 2020-07-25 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 072

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 Ethiopia 1997






by desertjazz | 2020-07-24 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 071

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 Ethiopia 1997






by desertjazz | 2020-07-23 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 070

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 Ethiopia 1997






by desertjazz | 2020-07-22 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 069

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 Ethiopia 1997






by desertjazz | 2020-07-21 00:00 | 旅 - Abroad