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カテゴリ:旅 - Abroad( 252 )

アフリカの記憶 048

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 Uganda / Jinja - Kampala 1996

  ジンジャからカンパラへ。
  途中、大渋滞に巻き込まれる。
  ムセベニ支持者たちのラリーだ。
  大統領選挙まであと数日。


*カンパラより少し東にある町ジンジャはナイル川源流への入り口の一つ。近年は最先端のアフロポップを発信する Nyege Nyege Tapes の拠点として、また彼らが主催する音楽フェスでも注目されている。





by desertjazz | 2020-06-30 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 047

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 Uganda / Kampala 1996

  ウガンダの首都カンパラ。
  町外れの棺桶屋の少し手前に、
  小さな定食屋があった。

  メニューは2つだけ。
  チキンのスープと、
  ナイルパーチのスープ。

  どちらの味も絶品。
  毎度、チキンか魚か迷う。
  結局、両方注文してしまう。

  ここはドライバーたちが集う人気店。
  昼飯時には毎日彼らで賑わう。
  そんな一人に案内され、日々通った。

  鉄則:
  美味いもの食べたいならドライバーに訊け!



*写真はミニバスが集まるカンパラのタクシーパーク。

*アフリカ各国で色々食べた中で、この定食屋が一番美味かった。ここで食べるためだけでも、ウガンダにもう一度行きたい。

*(初めて訪れたトリノでも、紳士然としたタクシー・ドライバーに「手頃な料金で食べられる美味しいレストランは?」と尋ねて紹介してもらった店は、料理、ワイン、もてなし、全てが最高だった。イタリアは4度旅したが、ここを超えるレストランには未だ出会っていない。)






by desertjazz | 2020-06-29 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 046

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 Zaire - Burundi - Kenya 1996

 ちぎれて浮かぶ無数の雲。
 一面に広がる深い緑。
 長蛇のごとく流れる川。
 どこまでも続く熱帯の森。

 水は集まってザイールの太い河になる。
 緑は視界の反対側でイトゥーリの森とも繋がる。
 そこはピグミーたちが暮らす憧れの土地。
 上空からの眺めは飽きることがない。



*ブッシュマンとピグミーに関してはその全てに興味がある。だから、ブッシュマンと同様、ピグミーについても大量に読み、手に入るだけの録音を聴いてきた。中でも一番深い関心を持っているのは、やはりイトゥーリのピグミーだ。

*しかし、ブッシュマンの狩猟採集生活が過去のものとなったように、各地のピグミーもかつての純朴さを失いつつあると聞く。ブッシュマンもピグミーも周辺民との血の混じり合いが進み、そしてそれ以上に現代文明に影響を受け続けていることが大きいのだろう。ピグミーのポリフォニーを直に聴いてみたいと願い、その可能性を模索したが、今それを歌える人はほとんどいないそうだ。悲しいことだが、それもうつろいゆく歴史の姿なのだろう。






by desertjazz | 2020-06-28 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 045

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 Zaire - Burundi - Kenya 1996

 ザイール最終日。
 キンシャサのヌジリ国際空港を飛び立ち、
 ブンルジのブジュンブラ空港へ、
 そしてさらにケニアのナイロビを目指す。

 キンの空港の出発フロアでは、暗い空間に人々が蠢く。
 背後で何かがしなる鋭い響きが轟く。
 乗客が並ぶ列に向かって、長く太い鞭が振り打たれる。
 本物の鞭で整列を促す、衝撃的な光景だった。

 エア・カメルーンのカウンターでチェックイン。
 受付の女性が「私にチップを払わなければ発券しない」と主張。
 空港職員を呼んで説得するも、頑として態度を変えない。
 これでは乗り遅れると思った時、やっと彼女は折れた。

 ブジュンブラの手前、遥か南まで湖面が続いている。
 巨大なタンガニーコ湖だ!
 ブルンジの北隣にはルワンダ。
 2年前そこで起こった大虐殺に思いを巡らす。

 ナイロビ空港での入国審査。
 前の男で止まってしまい先に進まない。
 その中国人は英語が全く分からないようだ。
 仕方なく、中国語と英語の通訳を買って出る。

 夜、日本大使館の公使と会食。
 久しぶりの日本食に舌鼓を打つ。
 最近、大使館の車が襲われたと聞く。
 その事件で運転手は片腕を切断した。

 見るもの、聞くこと、何もが混沌としたアフリカ。
 そんな濃密な1日だったが、
 ブジュンブラ空港での駐機中に浴びた、
 眩しく熱い日差しを、今も瞼が記憶している。
 





by desertjazz | 2020-06-27 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 044

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 Zaire / Kinshasa 1996

 Night in Matonge 4

 ザイールに来てから数週間、
 ようやく芳醇なコンゴ音楽の生音に浸る。
 このまま朝まで Bana OK を聴いていたい。
 しかし、モブツの親戚氏がもう一軒行こうと誘う。

 連れられたのは、同じマトンゲにあるディスコ。
 ソファに座るなり、ナオミ・キャンベル似の美女5人に囲まれる。
 ブラックライトの下で踊る美しいブラックたち。
 その身なりだけでも、ここが高級店だと分かる。

 マトンゲにて場末感の観察が興味深い一夜。
 だが、フランコ・サウンドの余韻が耳に残る。
 美女たちの語りかけも耳を素通りするだけ。
 やっぱり Bana OK を聴いていた方が良かった。



*アフリカに限らず、海外に滞在中、女性から危ない誘いを受けることが度々ある。ホテルの部屋にいても怪しい電話がかかってくる。どれもが、何か弱みを握って強請ろうとしたり、身を売って日銭を稼ごうとしたりするもののようだ。とにかく海外では、そのような誘いを避けトラブルに巻き込まないことが鉄則。

*一方で、飲んだ帰り際、タクシー代だけでも欲しいと懇願されたこともあった。これはキンシャサでのことだったか、それともアフリカの別の国でのことだったか。記憶が定かではない。しかし、アフリカで生きる厳しさを幾度となく突きつけられたことは憶えている。

*(ブラックライトの笑える逸話は、あるミュージシャンとの対談で披露し、その第一稿では残っていたが、黒人蔑視の悪い冗談と誤解される危険性を考えて削除してもらった。)

*マトンゲを飲み歩く間、ほとんど顔パスで、支払いをした覚えがない。なので、ガイドしてくれた男がモブツの親戚だと語っていたのは多分本当なのだろう。






by desertjazz | 2020-06-26 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 043

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 Zaire / Kinshasa 1996

 Night in Matonge 3

 予定が伸びて、まだザイールにいる。
 しかも今日は土曜日だ。
 そのおかげで Bana OK を観られた。
 キン滞在の最後に至福な音楽に浸る偶然と幸運。






by desertjazz | 2020-06-25 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 042

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 Zaire / Kinshasa 1996

 Night in Matonge 2

 夜が深まると、音も人々も賑やかさを増す。
 アフリカの夜は長くて明け方近くまで続く。
 ライブも24時を過ぎてからが本番だ。
 アフリカに通い、繰り返しそれを体感した。






by desertjazz | 2020-06-24 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 041

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 Zaire / Kinshasa 1996

 Night in Matonge 1

 モブツ大統領の親戚、そう名乗る男と飲む。
 「フランコの音楽が大好きだ」と彼に話すと
 車で走り、場末のライブハウスに連れて行かれた。
 屋根もなく、お世辞にも綺麗とは言えない店だった。

 延々凡庸でスローなスタンダード・ジャズが続き、ただただ退屈。
 ところが、24時を過ぎた瞬間、突如ギアが入る。
 軽快なリズム、煌びやかなエレキギター。
 スークースのリズムに乗って踊る女と男。

 親戚氏にシマーロという人物を紹介される。
 状況がよく分からないまま一緒に記念写真を撮る。
 さらに(眼帯の?)男を指差し、
 「あいつは1952年から死ぬまでフランコの世話をしていた」と言う。

 なんだ、このバンドは Bana OK じゃないか!
 どおりで芳醇なサウンドなわけだ!



*予期せず、キンシャサの歓楽街マトンゲまで案内された時の記憶。写真の左はシマーロ、中央はモブツの親戚氏。

*1996年4月27日の日誌には、正確には「眼帯の男は、1952年以来、Franco につかえていて、ベッドも一緒だった男だということだが本当だろうか。」と綴られている。眼帯の男を見た記憶はなく、背がやや曲がった男を指差していたようにも覚えているが、はっきりしない。

*フランコ Franco は言わずと知れた、コンゴのルンバとスークース(リンガラ・ミュージック)の完成者に留まらない、アフリカ音楽の帝王。フランコは 1989年に51歳で世を去ったが、その後彼のバンド T.P.O.K. Jazz はギタリストのシマーロ Simarro が引き継ぎ、Bana OK として活動を続けた。生涯で3000曲残したとも言われるフランコは私にとって最愛のミュージシャンの一人。彼を生で観ることはできなかったが、その仲間たちの演奏を聴けただけでも幸せだった。






by desertjazz | 2020-06-23 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 040

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 Zaire / Kikwit 1996

  ホテルの食事にもそろそろ飽きてきた。
  旅仲間の一人がシェフに20ドル渡す。
  「これで一番美味しいものを食べさせてくれ」
  今夜はキクウィトの最高級料理に味つける。

  心待ちにした夕食、メインに出されたのは、
  イモ虫とキクラゲ?の炒めもの。
  イモ虫は黒と紫の縞模様で、噛むとムニッという。
  ここではこれが一番のご馳走なのだそうだ。



*相当迷ったけれど、この料理の写真は見た目が強烈すぎるので、今回の公開は自粛。(その代わりに全然関係ない子供達の写真をもう1枚。)

*自分が嫌いな食べ物、食べられない物は全くない。それでも食べなかったのは、肝炎が流行した頃に上海で出された亀の生の肝臓くらいか? それでも、このイモ虫はさすがに食べ残した。とてもじゃないが食べ物には見えないし、噛んだ時の違和感も耐え難かった






by desertjazz | 2020-06-22 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 039




 Zaire / Kikwit 1996

  ディスコで DJ システムを拝見。
  当時はカセットの全盛期。
  スークース音源も勿論カセット。
  これが K7DJ との出会いだったか?


*日誌を読み返すと Kikwit から Kasai に行った記述があった。これはあのカサイだろうか?






by desertjazz | 2020-06-21 00:00 | 旅 - Abroad