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アフリカの記憶 029

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 Zaire / Kikwit 1996

  キクウィトの朝。
  早起きして川を眺める。
  空気、光、匂い、人声、響き。
  それら全てが気持ち良い。


*この川は、クウィル川だろうか? それとも、コトコ川だろうか?

*昨年秋に過ごしたラオスの森やバリの森もちょっと連想させる風景で、アジアでの朝も懐かしく思い出す。






by desertjazz | 2020-06-11 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 028

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 Zaire / Kinshasa - Kikwit 1996

 DC-3 の機内に据えられた座席は少ない。
 椅子を取り払い、貨物用スペースを作っているからだ。
 見るからに機体はボロく、飛び立つと隙間風が吹き付ける。
 復路では目の前の雲から雷が落ち続け、冷や汗が出た。
 
 それでも、空から眺める熱帯の景色は実に楽しい。
 往復とも特段揺れることもなく安全なフライトだった。


*当時、世界各地の空港で古い機体を度々目にした。翼が取れていたりしていて、どう見ても飛びそうにないものばかり。確かキンシャサのヌジリ国際空港でも、そのような機体を見た気がする。どこの国だったか、ある空港で、どうしてあんな廃物を置き去りにしているか尋ねると、交換部品として残しているとのこと。なるほど。

*あの頃は、ソ連製ツボレフの墜落事故が多かった。なぜそんな航空機を飛ばしているのかと、これまた某国で質問した時の答え。「飛べるうちは飛ばします。墜落した時に買い替えます。」本当か?

*セスナやヘリコを含めると、これまで1000フライトくらい乗った。だが幸いにも、まだ一度も墜落したことはない。






by desertjazz | 2020-06-10 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 027

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 Zaire / Kinshasa 1996

 キンシャサのヌドロ空港から、空路キクウィトへ。
 エア・カサイの機体を見てビックリ。
 DC-3 だ!
 まだ飛んでいるのか!


*調べると、ダグラス DC-3 は、今から85年も昔、この写真の当時でも60年以上前の、1935年に開発された機体。しかし、現在でもまだ100機ほどが現役のようだ。

*エア・カサイ Air Kasai の DC-3 機はスウェーデン空軍の払い下げだそうで、航空会社もスウェーデンのものという話だった。この日の機長はベルギー人、もう一人はアメリカ人。往路は、なぜかキクウィトまでの 500km を直行せず、アンゴラ国境に近いカエンバ Kahemba を経由する大回りなルートだった。






by desertjazz | 2020-06-09 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 026

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 Zaire / Kinshasa 1996

  人口450万の巨大都市キンシャサ。
  ビルの上から、遠くまで広がる街並みを一望。
  しかし高い建物がほとんど見当たらない。
  ここは巨大な田舎町なのだろうか。


*キンシャサで特に印象に残っているのは Grand Marché の巨大さ(残念ながら写真は撮っていない)。現在、キンシャサの人口は 1000万をはるかに超える。






by desertjazz | 2020-06-08 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 025

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 Zaire / Kinshasa 1996

 キンシャサのホテルにチェックイン。
 しばし休憩してから、散策に出る。
 周辺は結構危険だと言われていたが、
 部屋の裏を流れるザイール川に誘われて。 

 用心して、最低限の服装にする。
 Tシャツと半ズボンとサンダルだけ。
 ポケットには、20ドル札1枚と1ドル数枚、
 そしてポケットカメラを忍ばせる。

 ジイドが『コンゴ紀行』で記録した川。
 コンラッドが『闇の奥』で描いた森への入口。
 フォーバスが『コンゴ河』で詳らかにした世界。
 田中真知さんが『アフリカ旅物語』で下った大河。

 ついにここに来た。
 悠然とした流れを見つめて、ただただ感慨にふける。

 「すぐ足下では、丸木舟をこぐ男、
  漁網をたぐる男、
  唄をくちずさむ男。
  CONGO側の対岸からは、
  SOUKOUS が切れ目なく流れてくる。」(当日の日誌より)

 川が撮影禁止なことは知っていた。
 しかし周りに人影はない。
 誰かに見られているはずもない。
 十分周囲を確認してシャッターを切る。

 ところが、

 肩に銃をかけた軍人が突然現れ、尋問を始める。
 一体どこから出てきたんだ?
 言葉が分からない振りをして、ひたすらとぼける。
 そのうちに軍人が3人に増える。

 「写真を撮っただろう。連行する。」(と推測)
 やばい!
 「カメラは持っていない。撮っていない。何が問題なんだ!」
 ひたすら抵抗する。

 しばらくすると、ひとりがボソッと漏らした。
 「シガレット ... 」
 「 ? タバコは持ってないよ」
 「ビール ... 」

 そうか、そういうことか。
 それで済むならばと思い、20ドル札を差し出す。
 しかし、受け取らない。
 何故だ?

 その瞬間、もう一度閃いた。

 20ドル札を引っ込め、
 1ドル札を3枚見せる。
 すると、3人揃ってニッコリ。
 嬉しそうにして、握手まで求めてくる。

 さらに一言。
 「軍人に金を渡したなどと、絶対誰にも喋るな」
 それも優しい口調で。
 そう言い残して3人は去って行った。

 話によると、当時のザイール軍人の月給は約5ドル。
 20ドルなんて大金を見たことがなくてビビったのか?
 20ドルも強請ったと告げられることを恐れたのか?
 いや、20ドルでは三等分できないので困ったのか?

 ザイールはこの後、内戦に突入。
 ザイール川はコンゴ河へと名前を戻した。
 その映像を目にする度に、ザイール兵たちのことを思い出す。
 彼らが立ち去った理由はなんだったのだろう。

 それより、今は少しでも給料上がったかな?


*コンゴ(ザイール)について読み漁り、コンゴ音楽を聴きまくっていたので、この国は憧れだった。しかし、カラハリに続いて、まさか実際来ることになろうとは。願えば叶うものだ。

*キンシャサで宿泊したのは Intercontinental Kinshasa。当時このホテルは日本の西武グループの資本下にあった。なので、SEIBU カードの宿泊ポイント(だったか?)が500ポイントついた。今ではとても考えられない話だ。







by desertjazz | 2020-06-07 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 024

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 Zaire / Kinshasa 1996

 深夜、ベルギーの首都ブリュッセルから飛び立つ。
 サベナ航空のナイトフライトは一路南へ。

 明け方、そろそろキンシャサだろうかと窓を覗くと、
 眼下にとてつもなく大きな水の流れが見えてきた。
 ザイール川か? あるいはその支流か?
 とにかく川幅が広く雄大だ。

 これからザイールの旅が始まる。
 その興奮を抱きながら、
 ひたすら目を凝らし、
 アフリカの大きさを感じていた。


*3年前のカラハリに続いて、またしても偶然が重なり、今度はザイールへ。リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』を読んだ直後に、エボラ出血熱がアウトブレイクしたキクウィトに行くことになるとは!(当時は国名をコンゴに戻す前で、川の名前もコンゴ河ではなく、まだザイール川だった。)

*当時サベナ・ベルギー航空のビジネスクラスは、何と機内食を5種類から選択できた。こんな贅沢をして大丈夫なのか?と思っていたら、案の定、しばらくして経営破綻した。

*写真に見えるのは、2つのコンゴの首都に挟まれたマレボ湖の一角、ブラザヴィルのすぐ上流あたりだろうか?

*アフリカを流れる4つの大河。そのうち、ザンベジ川は、ジンバブウェとザンビアの国境をまたぐヴィクトリア・フォールズで激しい水煙を浴びた。ニジェール川は、マリのバマコで悠然と流れる姿を眺め、ナイジェリアのニジェールデルタではマングローブ林の中を高速ボートで駆け巡った。残るはナイル川。エジプト出張で訪ねるチャンスはあったが、諸事情でキャンセルに。スーダンのハルツームにずっと惹かれているし、ウガンダのジンジャに行った時はナイルの源流の一つが近いことを思い出した。ナイル川を訪れる日はいつか来るだろうか?







by desertjazz | 2020-06-06 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 023

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 South Africa / Johannesburg 1995

 ソウェトを訪ね歩いた翌朝、ホテルをチェックアウトしようとフロントへ。ランドで支払うには現金が少し足りない。そこで両替を頼むとなぜか断られる。さらには「クレジットカードもトラベラーズチェックも午前中は使えない」の一点張り。何ともおかしな話だ。ではどうすればいいかと問うと、向かいに銀行があるから両替して来てくれと言う。

 面倒だなと思いながらも、諦めてエントランスへ。確かに通りを挟んだ目の前に銀行がある。ところが、そこから一歩踏み出した瞬間、ホテルを警備している警官に止められた。

「行くな」
「そこの銀行に行くだけだ」
「いや、ダメだ」
「たった10m。大丈夫だろ」
「絶対行かせない」
「いや行く」
「ならば付いて行ってあげる」

 実際、その警官は横断歩道を渡る間、ずっと横に寄り添っていた。何を大げさな、というのが正直なところ。米ドルをランドに換金して銀行を出ると、彼はその間も待っており、戻りもぴったり脇についていてくれた。

「ありがとう」
「もし君が一人で出て行ったら、影から10人以上の男たちが現れて、身ぐるみ剥がれていたかもしれない。僕はそんな情景を何度も見た」

 彼が話したことは、多分事実なのだろう。アフリカを離れる日に、ここに潜む危険についてもう一度教えられた。


*その時のレシートを見ると、両替したのはわずかに10ドル。しかも20%近く手数料を取られている。まあこれは授業料みたいなものか?

*ジョハネスバーグの市街を撮影した写真は、わずかにこの1枚だけだった(停車中のタクシーの中から撮ったもの)。フィルム時代、シャッターを切るのは必要最小限。この旅は、ヴィクトリア・フォールズを離れた時に、あるいはソウェトを見終えた時点で、実質的に終わっていたのだろう。

*それにしても、この写真から伝わってくるのは広場の長閑さだけ。街の危険度はエリアによるのか、それとも単にあの警官が大げさだったのか。







by desertjazz | 2020-06-05 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 022




 South Africa / Johannesburg 1995

 ジョハネスバーグの市街区、カールトンセンター近くの Holiday Inn は、1泊50ドルほどの安さ。それでも実に広々とした部屋で、それだけ南アの経済的な豊かさを感じた。

 ソウェトからの帰り、カールトンセンターに立ち寄りレコードや楽器を物色したものの、特に収穫はなし。安全を考慮して十分明るいうちにホテルに戻り、夕食を済ます(残念ながら、ワインも料理も期待外れ)。

 夕日が沈み辺りが暗くなった頃、部屋の窓から下の通りに目をやると、、、誰一人歩いていない。全く人影がないのだ。そればかりか自動車もほとんど見当たらない。時折タクシーが通り抜けるだけ。ここが世界に名だたる大都市の中心であることが信じられない。まるで廃墟。それだけこの都市は危険ということか。


*夕暮れ時にヘッドライトを灯して走り過ぎるタクシーのことは鮮明に記憶しているが、そうした写真は撮っていなかった。

*今年4月の毎週末、ほとんど無人と化した渋谷を歩く度に、ジョハネスバーグのこの恐ろしい光景を思い出した。








by desertjazz | 2020-06-04 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 021

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 South Africa / Johannesburg - Soweto 1995

 ヘクター・ピーターソン慰霊碑を訪ねた直後、ソウェト探訪中に撮った最後の1枚。世界中どこに行っても子供達の笑顔にホッとさせられる。

 この子達のポーズはカンフーを意識してか? そういえば、ハラレのストリートチルドレンも同じようなポーズを見せた。当時、ブルース・リーがアフリカ各地の子供達の間で大人気だった。







by desertjazz | 2020-06-03 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 020

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 South Africa / Johannesburg - Soweto 1995

 ソウェトの各所を廻ってから、ドライバーが最後に連れて来てくれたのは、ある慰霊碑が立つ場所だった。そこには Hector Peterson と書かれているものの、誰なのか思い浮かばない。しかし、彼が是非にと案内してくれたこと、そして 1976年6月16日という没年だけで、ソウェト蜂起の犠牲者であることは容易に推測できた。

(Hector Peterson または Hector Pieterson は、多数の死者を出した「ソウェト蜂起」の2番目の犠牲者。わずか13歳で警察に撃ち殺されたこと、銃弾に倒れ抱えられた写真が世界中に報道されたことから、ソウェト蜂起の象徴となっている。)

 ヘクター・ピーターソン Hector Peterson をネット検索すると、この写真と同じ記念碑が見つかる。しかし、どうも様子が異なる。現在この石碑は、2002年6月16日に開館したヘクター・ピーターソン博物館 Hector Peterson Museum という立派な施設の前に飾られ、悲劇の歴史を後世に伝えているのだった。


*よく見ると、記念碑のプレートには、かの有名な写真を模したイラストが彫られている。

*ミネアポリスでのジョージ・フロイド氏の死(警察による殺人)をきっかけに、今アメリカが燃えている。いや、アメリカという国が壊れかけている。1968年にマーチン・ルーサー・キング・ジュニア氏が暗殺されて以来の危機なのではないだろうか。いつまでこうした黒人蔑視と民族対立を続けるのだろう。そんなことも思った。







by desertjazz | 2020-06-02 00:00 | 旅 - Abroad