Star Band 研究(10)

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 Star Band de Dakar について、1960年代のメンバー構成の移り変わりがおおよそ明らかになり、Laba Sosseh が 1973年に復帰したらしいことも判明して、長年疑問だった "Vol.3" と "Vol.4" に彼の名前がクレジットされている疑問も溶けた(Laba は 1960年代の終わり頃にコートジボワールのアビジャンに移ったのだが、そこで活動を続けたと書かれたものがあるだけで、1970年代前半の動向が全く不明だった)。これで残る謎は、1976年にリリースされた "Vol.9" (IK 3028) の冒頭トラック "Mariama" のヴォーカリストが Laba Sosseh とクレジットされていることだ。Star Band に復帰した Laba は果たしていつまでバンドに留まっていたのだろうか。

 結論を先に書いてしまうと、、、分からなかった。(*1)


 遅ればせながら、Star Band 最初期のヴォーカリスト Amara Touré の CD "Amara Touré 1973 - 1980" (Analog Africa AACD 078) のことに気がつき、今日取り寄せてライナーを読んでみた。すると、やはり Dexter Johnson と Amara Touré は Guinea Jazz Band から Ibrahim Kasse に引き抜かれたのだが、それは 1958年だと書かれている。Dexter が Star Band に加入したのは、これまで 1957年ないしは1960年だろうと書いてきたが、いよいよ正確な年を確定できなくなってきた(前回書いたように、Star Band の誕生は、メンバーが固まった時だとか、名前が決まった時だとか、解釈次第で変わってくるので、確定させる必要もないだだろう)。

 このライナーには Orchestra Baobab の Issa Cissoko のインタビューも掲載されているのだが、Issa は「1963年に Dexter Johnson の代わりに Star Band に入った」と発言している。Dexter が脱退したのは 1965年(または 64年)のはずなので、これは彼の記憶違いだと思う(Issa がかなり早い時期に Star Band に加入したというのは、これまで知らなかった貴重な情報だ)。また Amara は 1968年頃にアビジャンに行き Dexter Johnson に合流したと前回(第9回)で書いたが、このライナーによると、彼は 1970年にカメルーンのヤウンデのバンド Black and White に誘われて、トラブルを起こしてばかりのリードシンガー Lynx Tall(Star Band などで活動したパーカッション奏者と同名だが、別人?)と交代する形で加入したと書かれている。だとすると彼はアビジャンで短期間過ごした後、再び別の国に移動したということなのだろうか。


 Dexter Johnson と Laba Sosseh の関係について少し遡ると、前回も参照した Richard D. Shain "Roots in Reverse - Senegalese Afro-Cuban Music and Tropical Cosmopolitanism" (Wesleyan, 2018) には、アビジャンへ先に行ったのは Laba ではなく Dexter だったと書かれている。1968年にアビジャンで大成功した彼を見て、Laba もアビジャンに向かったというのだ。

 1960年代後半にアフリカ各地でショービジネスが盛んになる中、アビジャンはコンゴのキンシャサ、南アのジョハネスバーグと肩を並べるエンタテイメント産業の3大拠点のひとつと見做されるようになったらしい。それに対してダカールにはレコード会社が N'Dardisc くらいしかなく、ここで活動していたのではローカルな存在で終わりかねない。より広いマーケットを獲得するためにはアビジャンという別の都市に移動する必要もあるだろう。そのようなビジネスパーソンの思惑と、ミュージシャンの願いが合致した一例が、Dexter Johnson と Laba Sosseh の行動だったと見做せそうだ。

 実際、彼らのアビジャン進出を後押ししたのは、Daniel Cuxac(セネガル人)と Aboudou Lassissi(両親がナイジェリア人とコートジボワール人)というエンターテイメント業界の大物2人だった。後年には Cuxac と Lassissi のそれぞれのレコード会社の助力で、彼らのアルバムもリリースされることになる。

 Dexter が 1968年にアビジャンに移ったという証言は、1969年8月のダカールでのライブ録音(Teranga Beat がリリースした "Live a l'Etoile")が存在することと矛盾するが、おそらく Dexter も Laba も2つの都市を往復していたのではないだろうか。

 グループ名についても整理しておくと、Super Star de Dakar は Star Band を脱退した2人が新しく結成したバンド、Super International Band (of Dakar) は Laba がアビジャンで組んだバンド、Laba Sossseh et son Orchestre Vedettes Band は Laba が単身ダカールに戻って Issa のグループと一緒にレコーディングした時のバンド、そして Laba Sosseh y Su Conjunto は Dexter と完全に袂を分けた後の Laba のバンド、どうやらこのように分けられそうだ。


 さて詳細不明なままの 1970年代に Laba Sosseh が参加した Star Band の録音なのだが、何を読んでもそのようなことにはほぼ全く触れられていない。アビジャン時代の後は、1977年にファースト・アルバムをリリースしたこと、1980年に渡米して人気を博したこと、そして Africando へのゲスト参加を含む晩年のことに話が終始している。(*2)

 まあそれも当然だろう。Star Band と Super Star を経た後の Laba Sosseh の経歴に関しては、Star Band への復帰等々といったダカールでの細かな動きよりも、ニューヨークに飛んでからの活躍や、Orquesta Aragón と共演したことなどの方がずっと重要だからだ。

 アビジャン時代、ニューヨーク時代ことは Richard D. Shain "Roots in Reverse" を筆頭に様々なところで詳しく書かれており、Star Band とは無関係なので省略。以降は Star Band と関わることだけを、想像も交えながら少々書いてみよう。

 まず 1976年頃にも Star Band で歌っていたとしても、そうした機会は少なかったのではないだろうか。1976年といえば、それまで人気の高かったアフロキューバン音楽に代わって、新しい音楽スタイルであるンバラの勢いが増した時期である。Youssou N'Dour が Star Band に加入したことなど時代の変化を感じ取り、Mar Seck は Star Number One へ、そして Laba も Star Band での役割は少なくなったと考えてバンドを離れたのではないか。

 実際 Laba は、彼の歌声と音楽をより求める声に応じて、翌年 1977年にアビジャンでアルバムを制作し、1980年にはニューヨークへ渡る。そして拠点を移したことで、世界的にも評価を高め、新たな人気をより広く得ることになった。(*3)


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 しかし 1980年代も終盤に差し掛かると、ニューヨークでの彼の人気も下り始める。SAR Records からリリースしたアルバムは、自作曲が多いこともあってかノリが悪く聴こえる。それで彼はニューヨークに見切りをつけて、ダカールとバンジュルに戻ることになった。その頃ダカールでは、Pape Fall の活躍もあって少しばかりラテン人気が戻っていたようだ。


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 そして Laba は、20世紀の終わりに "El Maestro" (1999) と "El Maestro 2 - 40 Ans de Salsa" (2000) という2本のカセットを発表する。これらを基に "40 Ans de Salsa..." (2002) という CD もリリースされた。フルートやヴァイオリン、ストリングス風のシンセが入るなど、Orquesta Aragón を意識したようなサウンドにもなっている。何より参加しているミュージシャンがいい。サックスは Orchestra Baobab の Thierno Koite、タマは Super Etoile de Dakar の Assane Thiam といったように Star Band でも活躍した面々を含めてダカールのミュージシャンたちがずらりと並ぶ。このアルバムはタイトル通り、Laba Sosseh の40年に及ぶキャリアを総括する作品であると評価する声もある。


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 2001年には、いずれも Star Band 出身の Pape Fall、Mar Seck、Yahya Fall、Issa Cissoko らとキューバ遠征し、アルバム "Los Afro-Salseros de Senegal en La Habana" (Popular African Music PAM 407, 2001) も制作。さらに翌 2002年には、かつて Star Band の名ヴォーカリストだった Pape Seck や Medoune Diallo が結成したスーパーユニット Africando(プロデューサーはかつてアビジャンで一緒に多くの仕事をした? Boncana Maiga だ)から声をかけられ、彼らの4作目 "Balona!" に参加。


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 Laba Sosseh は、盟友 Dexter Johnson たちを裏切りもした、ちょっと嫌な奴だったのかも知れないとも思った。しかし 2007年9月20日亡くなるまでの間は、Star Band 時代からの仲間たちに囲まれて音楽活動をできたようだ。セネガンビアあるいはアフリカ最高のサルセーロトして、きっと幸せな晩年だったことだろう。


##


(*1)発掘復刻アルバム "Amara Touré 1973 - 1980" (Analog Africa AACD 078) のライナーノートの中で Jennie Loiseau と Samy Ben Redjeb は、相当な人数のセネガルのジャーナリスト、プロデューサー、ミュージシャンたちに取材した上で、1970年代の Star Band については良く分からないと書いている。

(*2)1970年代前半?に N'Dardisc から1枚、1970年代後半か 80年代初頭に Disques から3枚アルバムが出ているが、いずれも Super Star や Laba Sosseh y Su Conjunto のシングル集である。この記事の一番上の写真が、それらのうちの2枚のジャケット。

(*3)個人的には、アフリカのアーティストがストレートにサルサを歌う作品にはあまり興味がないため、Laba Sosseh のレコードは特に集めていない。それでも所有している中では、アビジャンで出会ったキューバ出身のミュージシャン Monguito(Orquesta Broadway や Johnny Pacheco のバンドにも在籍した)と一緒に制作したサルサ・アルバム Salsa Africana Vol.1" (Sacodis LS-26, 1980) などは、なかなか聴き応えがある。






# by desertjazz | 2023-09-24 20:00 | 音 - Africa

Star Band 研究(9)

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 Star Band de Dakar のアルバム12枚を久しぶりに聴き終えたところで、バンドメンバーの変遷について調べ直し、改めて検討してみた。まだまだ分からないことばかりなのだが、ひとまず何度目かの中間報告ということで、Dexter Johnson (Tenor Sax, Alto Sax)と Laba Sosseh (Vocal) の2人を中心にもう一度整理してみよう。


 初期の Star Band に関しては、そもそもいつ誕生したのか正確な時期が分からなくなってきた。読むものによって書いていることが異なるからである。

 まず Dexter Johnson の経歴を振り返りながら、Star Band の結成過程について振り返ってみたい。

 Dexter Johnson & Le Super Star de Dakar "Live a l'Etoile" (Teranga Beat TBLP 019) のライナーノートによると、1932年8月26日、ナイジェリアのイバダンに生まれた彼が最初に手にした楽器はドラムだった。それからサックスに持ち替え、地元でいくつかのバンド経験を経た後、多くのミュージシャンが集まるマリのバマコに移る。そこで優秀なミュージシャンにはダカール出身が多いことを知り、今度は 1957年にダカールに移動する。ここでは Shanghai Bar、Guinean Jazz Club、Moulin Rouge といったクラブを渡り歩く。Guinea Jazz Band に在籍していたのは、名前から推測して Guinean Jazz 時代なのだろう。彼のことはすぐに噂になり、早速演奏を観に行った Ibrahim Kasse が気に入って、自分のクラブのバンドのリーダーとして彼を招いたのだという。これも 1957年のことだったらしい。

 この当時のバンド・メンバーがアルバム "Live a l'Etoile" のライナーノートに紹介されている。

 Mady Konate - Leader, Alto Sax
 Bob Armstrong - Trumpet
 Amara Touré - Vocals, Timbales
 José Ramos - Guitar
 Mbousse Mbaye - Maracas, Guiro, Vocals
 Lynx Tall - Tumba, Vocals

 Star Band については「Ibrahim Kasse が 1960年のセネガル独立を記念して結成した」と簡潔に紹介されることが多いが、「1959年に Star Band を結成することを思いついてメンバーを集めた」といった書き方をしているものもある。だが、"Live a l'Etoile" のライナーでは、Star Band の原型が生まれたのはそれより早かったように読める。それは、CD "Starband - Superstar de Dakar - International Band featuring Dexter Johnson" (Dakar Sound DSK 017, 1999) の年表に掲載されている Star de Senui(1956年結成?)のことで、そこに Dexter が加入してリーダーが入れ替わったのかもしれない。

 いずれにしても一連の流れの中で Ibrahim Kasse が 次第に Star Band の構想を固めていったのであろうから、結成年などを厳密に特定することは難しいし、そこまでの必要もないだろう。

 なお、結成当時の名称は単に Starband または Star Band であり、Star Band de Dakar となるのはずっと後だったかもしれない。


 いくつか文献を読み直した上で一番の謎は、Richard D. Shain "Roots in Reverse - Senegalese Afro-Cuban Music and Tropical Cosmopolitanism" (Wesleyan, 2018) に書かれていることだ。

・Laba Sosseh は、1965年(の2月)にガンビアが独立する際の記念イベントで演奏するため Star Band がバンジュルに遠征した時、Dexter Johnson と Ibrahim Kasse にスカウトされた。(P.84)
・Dexter Johnson は 1964年に Star Band から抜けた。(P.60)

 このふたつのことは矛盾していないだろうか。これでは Dexter が Star Band を抜けた後に、Laba をバンドに加入させたことになる。

(付け加えると、当時 Laba Sosseh が在籍していたのは、後年 Super Eagles と名乗る African Jazz だったらしい。)

 Dexter Johnson も Laba Sosseh も初期の Star Band を代表するミュージシャンであり、またその後結成した Super Star de Dakar は2人がリーダーを務める双頭バンドだった。そうしたことから、当然2人は Star Band の同僚であり、Ibrahim と諍いになったことで 1964年に脱退した2人が Super Star を結成したものだと思い込んでいた。

 しかし、いくつかの疑問点は留保して、Dexter が Star Band を脱退したのが 1964年、Laba が加入したのが 1965年だったとするならば、話は幾分整理しやすくなる。つまり2人が Star Band に同時に在籍していた期間はなかったと考えるのだ。Laba は 1943年3月12日生まれなので、65年に加入したとしてもまだ21歳か22歳だ。

 実は Dexter Johnson 時代の Star Band の録音に Laba が歌っているものがないことに気が付き、不思議に思っていたのだけれど、これでその疑問も消える。この連載記事の前回(第8回)の中で、始めは「ひとつは 1964年頃に録音された Dexter Johnson と Laba Sosseh 時代のもの」と書いたのだが、どうやらそうした時期がなかったらしいと思いついて、その部分を修正したのだった。


 いつくかの文献を参照する限り、Dexter Johnson は 1964年に Star Band から脱退した(どうやら Ibrahim と揉めてクビにされたらしい)。そして仲間たちと新たなバンドを結成するのだが、Star Band とは名乗れなかったために Super Star de Dakar という名前にしたようだ。

 一方の Laba Sosseh も 1965年または66年に Star Band を抜け、すぐに Super Star に加入している。彼らは A l'Etoile というクラブで毎晩演奏し続けた。ダカールの音楽シーンは、本当に「星」が好きな人たちばかりだ。

(Etoile は星を表すフランス語。Star Band、Super Star de Dakar、Star Number One、(Super) Etoile de Dakar、Etoile 2000。Star Band から派生したバンドはこのように星にこだわる名前ばかり。Star Number One に至っては、最初の名前は Star Band 1 だった。)

 Dexter Johnson が脱退したのは、Laba が加入した直後の 1965年だったならば話の辻褄が合うのだが。そう思いながら、さらに資料に当たってみた。すると、充実したコンピレーション 2CD "Afro Latin Via Dakar" (Syllart, 2011) のライナーノートを読み直して、フローラン・マッツォレーニ Florent Mazzoleni が「1965年に、2人は別の有名ダンスホール l'Etoile で演奏するため脱退した」といったように書いていることに気がついた。そうでなければ事実関係に整合性が取れないため、個人的にも2人は短期間 Star Band で活動した後、1965年に脱退した可能性が高いと考えている。


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 1966年には Dexter も Laba も既に Star Band を去っていたので、やはりこの頃バンドは結構混乱していたようだ。以下、Super Star などでパーカッション奏者として活動した Salla Kasse のインタビューに基づいて整理してみよう。

 1966年、Le Sabor から Xalam に移った Salla Kasse は、今度は Laye Thiam に誘われて Cheikh Tidiane Tall と一緒に Star Band に加入した。だとすると 60年代の中頃は Laye Thiam や Cheikh Tidiane Tall が Star Band の主軸だったと考えられる。これで、Star Band de Dakar の "Vol.5"、"Vol.6"、"Vol.7" のA面は、この頃の録音である可能性が高くなった。

(*この記事を書き終えて何度か読み返している間に、Florent Mazzoleni のライナーに気がつき、また修正していたら、今度は "Senegal 70" (Analog Africa AACD 079, 2015) のブックレットに掲載された Laye Thiam 関連のインタビューを見つけた。それによると、Laye Thiam が Star Band に在籍したのは 1965年からの5年間だった。その後、自身のバンド Orchestre Laye Thiam を結成するために Star Band を脱退。ファースト・アルバム(Star Band "Vol.5" のことと思われる)は 71年または72年に録音(放送局のスタジオで行った)。セカンド・アルバム(同じく "Vol.7" のA面だろう)は 1974年頃にリリースされ、同じ年に Laye は生まれ故郷のコンゴに戻ったという。これを読む限り、1969年以降の Saf Mounadem との関係性が分からなくなるのだが、Laye Thiam が Saf Mounadem のメンバーであったのではなく、Laye Thiam たちと Orchestre Saf Mounadem とが交互に Miami に出演する形態だったのかも知れない。いずれにしても 1965年に始まる彼らの Ibrahim Kasse との関係が、Laye Thiam、Cheikh Tidiane Tall、Idy Diop、そして Saf Mounadem のレコーディングに繋がったと考えられるだろう。)

 Salla Kasse は Star Band に2年間在籍し、68年に Xalam に戻るが、すぐに Super Star へ移った。この頃に最古参のひとり Amara Touré もバンドを離れたというから、Star Band は分裂状態だったのだろう。それで生じた穴を埋めたのが、Orchestre Saf Mounadem(Orchestre Baobab)だったワケだ。これで 1960年代の Star Band の遍歴がほぼ明らかになった。

(ハラム Xalam というバンドはふたつある。ここで登場した Xalam は、セネガル音楽がアフロキューバンのコピーからンバラへと進化する過程で重要な役割を果たした Idy Diop も在籍したバンドで、70年代後半以降にジャズ・フュージョン系のサウンドで人気を博した Xalam とは一応別グループとみなされいる。そのため、大名盤 "Daïda" (Musiclub – LPX MUS 005, 1975) までを(あるいはその前までを?) Xalam (un) と呼んで、後年の2番目のバンド Xalam (2) とは区別している。)


 さて、その後の Super Star なのだが、1969年に Laba Sosseh はコートジボワールのアビジャンへ向かう。当時アビジャンでも Super Star の評判が高まっており、彼は何らかのオファーを受けたようなのだ。そこで、密かにパーカッションの Aziz Ndiaye、Pacheco (Salou Dieye) らを引き連れ、オリジナルの Super Star だと偽ってアビジャンに移動した。これはリーダーだった Laba が利益を独り占めするための行動で、彼は Super Star をぶち壊したと、Salla Kasse は痛烈に批判している。1969年8月に録音された "Live a l'Etoile" のクレジットには Laba の名前がないので、この時点で既に Super Star から離れていたのだろう。

(Laba がアビジャンで結成したのは Super International Band で、アビジャン出身で Guniea Band から最初期の Star Band に参加した Amara Touré もそこに加わったとも書かれている。)

 一方、Salla Kasse, John Gomis, William ら残されたメンバーたちは、Laba のポジションに収まるシンガーを探し、オーディションで Maissa Ngoma を採用する。そして 1969年8月にマリの Kaye 経由でアビジャンへ向かった("Live a l'Etoile" の素晴らしいライブ録音はギリギリのタイミングで残されたことになる)。

 昔、Dexter Johnson が Laba Sosseh に続いてアビジャンに移動したことを読んだ時には、Dexter は今度は別のマーケットで Laba と一旗あげようと考えて彼を追ったのだと思った。しかし事実は全く違っていたようだ。もしかすると Dexter たちは、自分たちこそが本家だという自負と意地があって Laba と同じアビジャンに拠点を移したのかもしれない。実際、それ以降 Dexter と Laba が一緒にプレイすることは決してなかったという。

 その後、Dexter はアビジャンで Daniel M.J.Cuxac の助力を得て、ニューヨークで "Estrellas Africanas" を録音したり、Manu Dibango や Boncana Maïga とバンドを組んだりする。そして 1981年に死去。それまでの間、セネガルに戻ることは一度もなかった。


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 一方の Laba Sosseh なのだが、Super Star を離れて以降については、アビジャン時代のこと、77年にニューヨークに飛んだこと、その後 2007年に亡くなるまでアメリカを拠点に活動を続けたことが多く語られる。しかし、彼の活動範囲は意外と広かったようだ。

 まず 60年代後半から70年代前半の間に Laba Sosseh y Su Conjunto、Laba Sosseh y Super Conjunto、Super International Band、Issa Cissoko との Laba Sossseh et son Orchestre Vedettes Band などの名義でレコードをリリースしている。最後の2つのバンドは合わせて半年しか活動が続かなかったようだ(Issa Cissoko は Saf Mounadem に加入する前には Vedettes Band を率いていたらしい)

(先に引用した "Afro Latin Via Dakar" の Florent Mazzoleni によるライナーには、「1966年に2人はアビジャンに移り住み、Super International Band を結成し、Aziz、Pape Fall ら、さらにはアイボリーコーストのミュージシャンたちを採用した」といったように書かれている。Super Star がアビジャンに移って、より International 化したということか? 2人がわざわざ別名義を名乗った理由はこのことだったのかも知れない)。

 1972年に(再度?)アビジャンに移動したという記述もある(これについては確証がないのだが)。N'Dardisc のシングル盤をチェックすると、それぞれ 1970年と 1974年に録音したと考えられるものがあった。それらのことから、彼は 1970年前後にはアビジャンとダカールを往復していたと仮定することができないだろうか。1969年以降のアビジャン時代のことがほとんど伝わってこないのだが、所詮 Dexter ら中心メンバーの大半を置き去りにしてきたのだから、音楽的に成功しなくても当然だっただろう。それでダカールに戻り、Super Star 時代からレコードを出している N'Dardisc での制作を続けたように思える。

 また、今さら Dexter に頭を下げて Super Star を復活させるワケにもいかず、それで Star Band にも復帰したのではないだろうか。少なくとも 1970年代初頭にはダカールにいて、Star Band でも活動していたと考えるのは自然なことのように思える。もしそうであれば、Doudou Sow、Mar Seck ら(Number One 組)と歌い分けるアルバム Star Band de Dakar "Vol.3"、"Vol.4" の存在に納得がいき、これらはやはり 70年初頭の録音だったことになる。

 この記事の始の方で取り上げた Richard D. Shain の "Roots in Reverse" では、Laba Sosseh について8ページ強割かれている(PP.83-91)。それにも関わらず、65年に脱退した以降の Star Band との関係については全く触れられていなかった(と記憶している)。しかし三度 Florent Mazzoleni によるライナーから引用すると「1973年に Star Band に復帰した Laba Sosseh」ということが書かれている。やはりそうだったのだ(この記事を確証できる資料を探そう)。Florent は「Star Band のファースト・アルバムは 1971年」とも書いている。

 Laba のその後の動きも結構活発で、その辺りについてもある程度整理できてきた。調べてみると、世界中あちこちへ飛び回って落ち着かない。故郷のバンジュルを離れてからは、美味しい話があるとすぐに飛びつき、まるで渡鳥のような生涯だったように見える。

 Dexter Johnson も Laba Sosseh も優秀なミュージシャン/アレンジャーとして名門バンドを支えた。しかし、いつも物静かで紳士的だった Dexter に対して、Laba はより活動的で、時には仲間を裏切ることも厭わない積極性を持った人物だったのかもしれない。何と言っても Star Band のガンビア公演の際に自ら売り込んで歌ったくらいなのだから(今回も長くなったので、詳しい内容については次回にしよう)。


 それにしても、久しぶりに Super Star de Dakar の録音を色々聴いたが、いいものが多いなぁ〜。


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(追記:Laba Sosseh y Su Conjunto や Super International Band に関して誤りが判明したので、その部分を修正しました。2023.09.24)






# by desertjazz | 2023-09-23 06:00 | 音 - Africa

Star Band 研究(8)

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 Star Band de Dakar のアルバム群を聴き直して、改めて痛感したのは録音の悪さだ。特にヴォーカルが酷い。恐らく長年クラブのステージで使い古してボロボロになったマイクで録音したのだろう。Yakhya Fall も痛切に批判している通り、Ibrahim Kasse はケチってクラブでもライブでも良い機材を用意しなかったようだ。ベースギターの代わりに6弦ギターの弦を2本抜いたもので、"Thiely"、"Senegambia" などの代表曲を録音したことも明かしている。歴史的意味のある録音なのに残念だ(iXotope を使っての修復さえとても無理なレベルである)。

 もっとまともな録音はないのだろうか、と思ったワケでもないのだけれど、今回色々調べていて Star Band の録音が Ibrahim Kasse のレコード以外にもあることを思い出した。

 ひとつは 1964年頃に録音された Dexter Johnson 時代のもの。"Starband - Superstar de Dakar - International Band featuring Dexter Johnson" (Dakar Sound DSK 017, 1999) に3曲収録されており、恐らく Dexter が Ibrahim にクビにされるより少し前の録音だろう。50年代末に ORS (Radio Senegal) のエンジニアとして働き、その後、自身のクラブ Le Sangomar を経営し、数々の出張録音をこなした Moussa Diallo によるものだ。それだけに録音状態はまずまず。しかもステレオ録音である(正確には、左右に偏った/中抜けした 2ch 録音と言った方がいいだろうか)。

 まあ Star Band は時期によってほとんど別のグループであり、これらにしてもその後多くの録音を残した Super Star de Dakar と実質的に同じバンドなので、有り難がる程ではないのかもしれないが。ちなみに収録曲は、"Yallah Yana" (Lead Vocal : Biram and Boubou)、"St. Louis Sierra" (Vo : Amara Toure)、"Bolero Kunta" (Vo : Cheikh M.) の3つで、ヴォーカルとサウンドの多様さを感じさせるものとなっている。

 もうひとつは、Mar Seck の "Vagabonde : From Super Cap-Vert to Number One - Unreleased Recordings 1969-1980" (Teranga Beat TBCD 018, 2013) である。Pape Seck 、Mar Seck、Pape Djiby Ba といった Number One 組の布陣による 1973年の録音が聴ける。収録されているのは、"Tira Tira"、"Borom Gal"、"Taba Yo Simo" の3曲。なぜかギターは Yakhya Fall ではなく Mansour M'Boup。Malick Ann は Malick Hann と表記されている。

 Ibrahim Kasse の死後に継続した Kasse Star も一応 Star Band だと思い、そのカセットを探したが見つからなかった。その代わりに? ネット検索すると Alioune Kasse et Le Kasse Stars のカセットが数本出てきた。そうか、Mar Seck がバンドを離れた後は、Ibrahim Kasse の息子(とは当人の弁)Alioune Kasse が Star Band を引き継いだのだった(Alioune Kasse は日本ではほとんど話題にならず、近年の活動も伝わってこないので、もう誰も憶えていないだろう)。


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# by desertjazz | 2023-09-22 08:00 | 音 - Africa

Star Band 研究(7)

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 Star Band de Dakar の最後の2枚 "Vol.11" (IK 3030) と "Vol.12" (IK 3031) は、Mar Seck が Number One に移り、ヴォーカル陣は Alla Seck、Pape Fall、Youssou N'Dour という3人体制となっている。彼らの中でも Youssou N'Dour の人気は飛び抜けていたと語られており、彼を中心としたバンドになっていたことはジャケット写真からも伺える。中央でマイクを構える Youssou の左に立つのは、ギタリストの Canta Alfa Seyni だろう。

(余談になるが、Youssou は 'Youssouf' と、最後に f を加えたスペリングになっている。彼には数回サインをもらったことがあるが、それらも全て 'Youssouf' と綴られている。)

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 Star Band 後期のアルバムは、現在も Super Etoile de Dakar で Youssou と一緒にプレイし続けるタマ奏者の Assane Thiam が在籍していることもひとつのポイントだ。オーナーの Ibrahim Kasse は初期のアルバムでピアノ(オルガン?)奏者とクレジットされることもあったが、これらのアルバムではベース奏者として参加しているのが面白い(どちらもプレイヤーのギャラを渋ったか?)。そのベースの音はレコードでも割とはっきり聞こえ、堅実な演奏に終始している印象だ。

 この時期はレパートリーのアフロ・キューバンのカバーもあって、ンバラ時代の一歩手前と言えるだろうか。

 Star Band 最終期のレコードについて、今回はここ数日間調べてひとつの曲に関して気がついたことだけを書いておこう。

「Star Band 研究(2)」の中で、「Vol.1 B面最後の "Thiely" は Du Grand Combo の曲となっている。しかしこれは明らかに "Moliendo Café (Coffee Rumba)" のカバーだろう。」と疑問を呈した。"Thiely" という曲は 1971年に発表され、直ちに Star Band 最大のヒットになったらしいのだが。


 今回 Star Band の "Vol.11" を聴き直して、B面1曲目 が "Thieli" という似たタイトルの曲であることに気がついた(作者は Midina Sabah となっている)。これは "Vol.1" の曲の再演だろうか。そう思って聴き比べたのだが、明らかに別曲だ。


 ところで、Youssou N'Dour たちが脱退して結成した Etoile de Dakar も聴き直し始めているのだが、その最初の1枚 "Etoile de Dakar Vol.1 - Xalis" (A. Diaw DA 001) に "Cely" という曲があり、これが "Vol.11" の "Thieli" と全く同じ曲なのだ。


 Gran Gombo(Grand Combo のことだろう)の作曲、Papa Seck のアレンジと書かれている。Pape Seck は "Vol.1" の "Thiely" のリード・ヴォーカルでもある。ということは、ファースト・アルバムに Le Grand Combo の曲としてクレジットされた "Thiely" は、誤って収録された別の曲だったのだろうか? 正体不明の "Thiely" なのだが、どうやら "Vol.11" などで聴ける曲の方が本物?の Thiely のようだ。

 この曲に関しては、Yakhya Fall もインタビューの中で語っている。「私が Star Band に在籍した6〜7年の間に "Thiely"、"Simbonbon" など全部で6枚のアルバムを作った」 これを読んで最初何のことかと思ったのが、Star Band のアルバムにはどれもタイトルがないので、それぞれを収録された代表曲で呼んでいたのだろう。つまり "Thiely" はアルバム1枚目、"Simbonbon" は2枚目ということだ。在籍期間が6〜7年だったというのも Pape Seck ら Number One 結成組の在籍期間と一致する。つまり 1970〜76年の Star Band は Number One の前身グループだったと再確認できたことになる(だとすれば、Orchestre Laye Thiam や Orchestre Cheikh Tall et Idrissa Diope が70年代に「代理バンド」であった可能性はぐっと低くなる)。

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# by desertjazz | 2023-09-21 08:00 | 音 - Africa

Star Band 研究(6)

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 Star Band de Dakar のアルバム最後の5枚は、Youssou N'Dour の初録音を含む彼の最初のレコード群なので、個人的にはずいぶん探して手に入れた。これらは、Vol.8〜10 と Vol.11, 12 とに分けられる。それは両者でメンバーのクレジットが異なっていて、録音が行われたのは別の時期だと考えられるからだ(ジャケット・デザインの違いも、そのことに準じている。Vol.11, 12 の画像は次回掲載予定。しかし5〜7枚目もそうだったが、毎度 Ibrahim Kasse の写真をはめ込んでいるのが鬱陶しい。彼は相当自意識の強い男だったようだ。レコード番号の IK も彼のイニシャルを意味しているのだろう)。

 これらのアルバムに関しては(初期のアルバム群と同様に)、Vol.8〜10 に Laba Sosseh がクレジットされていることが最大の謎である。1964年に脱退した彼の録音が、どうしてこのような後年のアルバムに含まれているのだろう。ところが改めて確認すると、彼が歌っているのは "Vol.9" の "Mariama" 1曲のみだった。Ibrahim Kasse は古い録音を1トラックだけ加えたのだろうか。それとも他の歌手と取り違えたのだろうか。70年代前半と後半とでギターの音色が違うので(Yakhya Fall の方がワウワウが深く感じる)、それをポイントに比較してみたのだが正直よく分からなかった。この曲は確かに Laba Sosseh が、その独特な声で歌っているように聴こえる。彼は 70年代の一時期、Star Band に戻っていたと都合よく考えたくもなるのだが、そのようなことは読んだことがない。やっぱり謎だ。

(*これを書いている最中、Laba Sosseh が 70年代後半以降にダカールで録音したと思われるアルバムがいつくか出てきた。どうも彼はセネガルと他の国々との間を頻繁に往復していたようだ。詳しいことは後日。)

 Vol.8〜10 に Mar Seck が参加していることにも混乱させられた。しかも "Vol.8" で2曲、"Vol.9" では5曲もリード・ヴォーカルを担当している。1976年に結成された Star Number One のヴォーカリストでもあった彼が Youssou N'Dour と同時期に在籍していたことが謎だった。しかし、前回引用した Teranga Beat がリリースした CD "Vaganode" の彼のインタビューを読んでその謎は解けた。

 Mar Seck は Barthélémy Attisso に誘われて 70年に Star Band に加入したという。しかしその直後、メンバーの大半が脱退して Baobab を結成。Star Band のヴォーカリストは Medoune Diallo と自分の2人だけになってしまった。しかも程なくして Medoune まで Baobab に移籍。取り残される形になった彼は、旧知のギタリスト Yakhya Fall に、さらには Maguette Ndiaye に声をかけて Star Band を再建したのだという。そんな逸話を知った上でその後の経緯を考えると、Mar Seck こそ Number One 誕生の最大の立役者のようにも思えてくる。

 しかし彼は、76年に Number One を結成する時に誘われたものの Star Band に残った。どうやら Ibrahim Kasse への恩義を感じてのことだったらしい。そのようなわけで、76年に 17歳で加入してきた Youssou N'Dour と同時期の録音があるのだ。ところが、Youssou とバンドメイトだった期間も2年で終わる。78年に遅れて Number One に加入したからなのだが、それは Pape Seck を慕ってのことだったらしい。その後、Star Band を離れた Youssou からも新バンド Etoile de Dakar に誘われたが、それを断って Number One に残った。しかし、バンド内の不和が高まって Pape Seck が脱退。Mar Seck は繰り返し肩透かしを食らう宿命にあったようだ。

 Mar Seck が慕ったその Pape Seck に関して、興味深いことを知った。Baobab の Issa Cissoko のテナーサックスは Dexter Johnson のものと音色もフレージングも良く似ていると思っていたが、Pape Seck も Dexter Johnson を敬愛するひとりだったという。彼はヴォーカリストであるよりもサックス・プレイヤーでありたくて、Dexter Johnson に憧れていた。実際いくつかの曲で聴ける彼のサックスも Dexter Johnson に似たテイストだ。そうしたことから Dexter のバンドに加わりたくて、60年代末に彼を追いかけたものの、その少し前に Dexter はアビジャンに拠点を移してしまった。Dexter の元でサックスの力をつけたいという彼の願いは叶わなくなってしまった。そんな Pape Seck が、Star Band や Number One ではメインのヴォーカルを担当し、さらには Africando を結成して世界的大成功を果たしたのだから、なんとも不思議な巡り合わせだ。

 話を Mar Seck に戻すと、彼は Africando が結成される時にも声をかけられていたのだそう。これも彼が Pape Seck とは特に兄弟意識が強かったからなのだろう。残念ながら、この誘いは病気を理由に断ったらしいのだが。

 Star Band に関して(というよりセネガルの音楽について)調べていて、理解を難しくさせる理由のひとつが、似た名前の多いことだ。どちらも Star Band で歌った Pape Seck と Pape Fall の2人にも混乱させられた(両者とも Pape とも Papa とも綴られるので、なおさらややこしい)。

(*追記:Guelewar と Dieuf-Dieul de Thies に在籍したギタリストの名前も Pape Seck (Pape Abdou Aziz Seck) だ。)

 Pape "Serigne" Seck は Star Band や Number One を率いたヴォーカリスト&テナーサックス奏者。Pape Fall は Star Band に最後まで残り、それを看取ったヴォーカリスト。Pape Fall は 1995年に Star Band を解散後(実は Star Band の歴史はそこでは終わっていなかった? そのことについては第8回に書こうと思います)、Pape Fall and African Salsa を結成し、2002年に唯一?のアルバム "Artisanat" をリリースしている。

 ・ Pape Fall and African Salsa "Artisan" (Sterns STEW47CD, 2002)

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 Star Band から改名した Kasse Star について確認するために、このアルバムを聴き直したところ、Baobab の Bala Sidibe がセカンド・ヴォーカルとコーラスとして参加していることに気がつき、嬉しくなってしまった。90年代以降 Boabab はメンバーが離散する中(Issa Cissoko と Thierno Koite は Youssou N'Dour et le Super Etiole de Dakar へ)、Bala は Baobab を維持し続けた。翌年2003年に Nick Gold によって Baobab は大復活を果たすのだが、その直前、往年のアフロキューバン・バンドを守り続けた Pape Fall と Bala Sidibe の2人には共感し合うものがあったのかもしれない。

 そんな2人が歌う "Artisanat" は良いサルサ・アルバムだ。しかし Bala がバッキングする声は最高なのだが、曲によっては浮いていると言えばいいのか、取り残されていると言えばいいのか。どんなに魅力的な声でも一人で頑張っているのでは、厚みがなくスカスカに感じられる(ミックスにもよるのだろうが)。Star Band も Number One も Orchestra Baobab も常に強力なヴォーカリストを5〜6人ほど擁した。そこまでの人数が必要なのかとも思ったが、曲ごとに歌い手が変わる音楽的な多様さ、リード・ヴォーカルたちが歌い交わす迫力、そして重厚なコーラスが煽る切迫感を生むためにはある程度の人数が必要だ。"Artisanat" で Bala Sidibe がいくら元気に歌っても貧弱なサウンドだと感じてしまうのは、そうした理由からなのだろう。


(YouTube にこの曲の動画がいくつかアップされているが、どれも音が悪い。その分 Bala Sidibe のバッキング・コーラスの浮いた感が薄まっているのだけれど、、、。)






# by desertjazz | 2023-09-20 08:00 | 音 - Africa

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