R.I.P. I Ketut Suwentra

 バリ島の友人から急報。ジェゴグ楽団 スアール・アグン Suar Agung のリーダー、スウェントラ I Ketut Suwentra 氏が本日14時に肺ガンで亡くなったとのこと。アグン村の彼のご自宅を訪れて、巨竹ジェゴグの音を実体験できたことは良い思い出です。スウェントラ夫妻とは度々会ってお話しできたことも嬉しかった。急逝されたことは、とても残念です。合掌。



 追記

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 これは約20年前に体験した、スウェントラさんのご自宅での演奏風景(自身の Website からコピーしてきたので、画質が悪い。ちゃんとスキャンし直さなくては、、、)。スアール・アグンのライブは、昨年、目黒のパーシモンで観たのが最後になってしまった。お邪魔かと思って、あの時は挨拶しにも行かなかったが、最後にもう一度お会いしておけばよかった。







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# by desertjazz | 2018-05-10 21:15 | 音 - Music

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 ガーナに関するネタが続いた流れで、今年2月に読んだ小説のご紹介。

 ヤア・ジャシ Yaa Gyasi は1989年ガーナ生まれの女性作家(現在はアメリカ在住)で、『奇跡の大地』は彼女のデビュー作。出版以来、世界各国で話題になっているとのこと。

 ファンティとアシャンティという(現在ガーナという国の土地に生きる)アカン人の2つの系統に属する、2つの家系の人々、主要人物に限ってもおよそ20人の、200年を超える壮大な年代記。ファンティとアシャンティの、奴隷貿易を通じた両者の関係、対立・戦闘、そこに深く関わるイギリス人(実際主人公の多くは白人との混血でもある)、そして奴隷として送られたアメリカ。そうした時代の流れに翻弄された人々の壮絶な物語は自ずとアレックス・ヘイリーの『ルーツ』を連想させる。

 約20人の主人公たちは、主人公たるだけのエピソードを持っているのにも関わらず、語り尽くされていない感が強い。それなりにしっかり描かれているのだが、通読すると筆致が浅い印象を受ける。ただの歴史の羅列に感じられるのだ。なので、邦訳で400ページ近い作品でありながら、最低でもこれの3倍のテキスト量は必要だったし、それだけの作品になりうる素材を揃えられていたと思う。(ただし、デビュー作で大長編を書くだけの環境はなかっただろうと思う。また、それだけの大作をものにする筆力が彼女にあるかどうかも未知数だ。)

 この小説のエンディングは、伏線の張り方から考えて、これしかない。いや、想定以下だった(なので、彼女の筆力は未知数だと感じた)。もっと深みを持たせる方法があったはず。

 それでも、内容豊富な充実作。ハイライフ・ミュージック含めて、ガーナ音楽に関心があるならば、ここで書かれている歴史的背景くらいは知っていて損はないと思う。



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 今年1月にニューヨークでブルース・スプリングティーンの Springsteen On Broadway を観る前後に読んでいたのは、この『奇跡の大地』や、ロビン・ケリー『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』、タナハシ・コーツ『世界と僕のあいだに』など、偶然にも黒人奴隷の末裔の作品が多かった。(スプリングティーンのプレミア・チケットを得て以来、NYC が呼んでいる?)ニューヨークなどで暮らす黒人たちの苦闘を読み続けて、アメリカという差別社会で生きることを語ることは終わりのないテーマなのだろうと考えさせられたのだった。






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# by desertjazz | 2018-05-10 14:04 | 本 - Readings

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 塚田健一『アフリカ音楽学の挑戦 伝統と変容の音楽民族誌』(2014) を読了(完読は今年31冊目)。

 ザンビア北西部に住むルヴァレ人の、少年たちの通過儀礼で歌い奏でられる音楽を中心とした研究と、ガーナ沿岸部ケープコーストなどに住むファンティ人の宮廷音楽に関する研究、それのこの両者から演繹される論考。ルヴァレ音楽に関しては、精密な採録楽譜に基づきながら、そのリズム、ハーモニー、歌詞等々について論を展開する。学術論文に近い筆致であるだけに、一見当たり前のことをくどく語られている気分になるのは仕方ないところ。地理的にヒュー・トレイシー Hugh Tracey の採録やマイケル・ベアード Michael Baird の調査と結びつくものも期待したが薄かった。それでも、ルヴァレ人と我々(日本人、欧米人)との音楽の異同の捉え方が異なる理由を論駁するあたりは面白かった。

 しかし、この本に興味を持った理由は後半のガーナ。「第12章 宮廷音楽ハイライフ様式の成立」を読みたかったから。そうでなければ、こんな高価な本など買うわけがない(と言いつつ、3年以上放置したままだった)。ファンティの宮廷音楽が幾段階の過程を経て、ポピュラー音楽ハイライフ的要素を受容し、大衆から絶大な人気を博していく様子が詳述される(より正確には、元々12拍子だった宮廷音楽が、近年興隆したカルチュラル・グループの影響を受けて、ハイライフ・リズムと近似した4拍子クラーベ・リズムを取り込んだ楽曲を生み出していく)。ファンティの宮廷音楽には歌を伴うのに対して、内陸部アシャンティ宮廷音楽は演奏のみで歌がないことにも興味を覚える。

「第11章 伝統的「著作権」意識の変容」も一読の価値あり。ジョン・コリンズのどの著作でも、ガーナとナイジェリアの音楽家協会の歴史と活動を取り上げていることとも響き合うように感じた。この本、ハイライフ以外についても彼の研究を頻繁に参照している。例えば、「ガーナでは、独立のはるか以前の二十世紀前半に「伝統的な」形式で娯楽音楽などさまざまな音楽ジャンルが新たに生み出されていたことをコリンズは明らかにしている」、「コリンズによれば、伝統と近代といった対立的な区分は西洋世界の創作であって、アフリカでは伝統的音楽はつねに創造され、再創造されてきたという」(ともに P.331)など。

(個人としても、世界中を旅して歩いて、著名ミュージシャンのものを含めて多数の歌と演奏を録音してきている。中には貴重なものも多く、「自由に使って構わない」と言われているものもあるが、非西洋圏における「著作権」に関して戸惑いがあるままなので、そうした録音は基本的に公開していない。)

 あとひとつ。アフリカのポピュラー音楽に興味があるので、日々関連文献を探しているのだが、新著(主にアメリカでの出版物)には、音楽そのものについてより、その社会性について論述するものが多いように感じていた(それで買うことを躊躇することが多かった)。『アフリカ音楽学の挑戦』を読むと、確かにその傾向はあるようで、「(...) それらが音楽の分析からほとんど完全に離れて音楽の社会史研究になっている (...) 」(P.40)、「アフリカ音楽史の歴史においては、(...) 構造的アプローチは (...) 社会史的アプローチにとって代わられ (...) 」(P.336) と書かれており、その理由にも触れられている。こうした傾向がもたらされたのには、他の理由も浮かぶとともに、アフリカ音楽を社会の中に位置付けて考える意味と必要性についても再考させられたのだった。



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 塚田健一さんの本はほとんど読んでいないかなと思いながら、書架をチェックしてみたら、『アフリカの音の世界』、『アフリカ音楽の正体』、スコラの『アフリカの伝統音楽』(スコラのプロジェクトとは少々関わりを持っていて、それとは別に献本いただいていた)の3冊は読んでいた。『アフリカ音楽の正体』は、ドラムで会話するという都市伝説?を打破した(慣用句はやりとり可能だが、あらゆる会話のやり取りは不可能)ところに、やっぱりと頷く。ルヴァレに言及した部分もあって、色々忘れているので、再読しようと思いながら、塚田さんの他の著作『文化人類学の冒険』『世界は音に満ちている』も手配した。






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# by desertjazz | 2018-05-10 14:03 | 本 - Readings

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 塚田健一の『アフリカ音楽学の挑戦 伝統と変容の音楽民族誌』を読了(この本については別途紹介)。その参考文献リストをチェックしながら、前回の記事で取り上げなかった、ジョン・コリンズ John Collins の著作について調べてみた。

 それらのうちの1冊 "West African Pop Roots" (1992) が書架から出て来たので拾い読み。これはコリンズの最初の?著作 "African Pop Roots: The Inside Rhythm of Africa" (1985) に追補したものらしく、彼のその後の著作はこれを出発点として内容を膨らませていったようだ。「西アフリカ」とは言え、彼の著作全般が英語圏西アフリカ音楽に傾倒しているのと同様、ここでもガーナを中心に記述を展開している(英語圏だからなのか?南アにも一章割かれている他、リベリアの章も興味深い)。

 そのことを補うべく、仏語圏西アフリカに関しては Flemming Harrev が "Francophone West Africa and theJali Experience" の章を代わりに書いている。"The Lion" をリリースして世界進出するまでの Youssou N'Dour を中心にセネガル音楽史について語られていて、Youssou のダカールでのライブの情景や彼へのインタビューを読んで今から約30年前のことが懐かしくなってしまった。

John Collins "African Pop Roots: The Inside Rhythm of Africa" (W. Foulsham and Co., 1985)
John Collins "West African Pop Roots" (Temple University Press, 1992)

 ジョン・コリンズについては、彼がコンサート・パーティーに関して執筆した論文 "The Ghanaian Concert Party : African Popular Entertainment at the Cross Roads" もあったのだが、これを読むには著者本人にリクエストする必要があるらしい。興味はあるが、そこまでして読む必要はないかもしれない。

 John Collins "The Ghanaian Concert Party : African Popular Entertainment at the Cross Roads" (Ph. D. Dissertation, State University, 1994)




 ガーナのハイライフに関してはこんな著作も見つけた。今年7月に出版予定。どんな内容の本なのだろうか?

Nana Abena Amoah-Ramey + A.B. Assensoh (Foreword) "Female Highlife Performers in Ghana - Expression, Resistance, and Advocacy"


(仏語西アフリカのポップに関しては、昨年パリで入手した Florent Mazzoleni "Afro Pop: L'age D'or des Grands Orchestres Africains" が圧倒的に充実していると考えている。読んで紹介したいところなのだが、フランス語なのでいつ読み終えられるのか定かではない。)





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# by desertjazz | 2018-05-10 14:02 | 本 - Readings

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 今年はジャズに関する書物や海外の小説を中心に読書しているところなのだが、アフリカ音楽については、ガーナ及びナイジェリアのハイライフ・ミュージックとパームワイン・ミュージックに関する文献を集中的に読んでいる。そのきっかけとなったのは、昨年暮にジョン・コリンズ John Collins の新刊 "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" (奥付は 2016年となっている)が出版されたこと。ジョン・コリンズは長年ガーナで音楽活動(ミュージシャンあるいはプロデューサーとして)と音楽研究を続ける白人。彼はフェラ・クティとも親交が厚く、77年頃には共同でフェラのドキュメンタリー映画の制作も行なっていた(映画はご承知の通り未完成)。彼の著作 "Fela: Kalakuta Note"(KIT Publishers 2009年と Wesleyan University Press 2015年の2つのエディションがある)は以前このブログでも紹介した。

 ジョン・コリンズの筆によるまとまった記事を初めて読んだのは、ミュージックマガジン社の『ノイズ』創刊号に掲載された「西アフリカのポピュラー音楽 ハイライフ、パームワイン・ミュージックの歴史」(1989)だった。雑誌原稿としては異例とも言える全20ページもある長文で、ハイライフとパームワイン・ミュージックについて日本語で書かれたものとしては今現在も最高の文献だと思う。最初読んだ時にはさっぱり分からず、この音楽のどこが面白いのか理解できなかったことが今では懐かしい。この記事に続けて掲載された深沢美樹さんの「ハイライフの国を訪ねて」と合わせて一体何度読んだことだろう。(ところで、「西アフリカのポピュラー音楽」の英文元原稿はどこかにあるのだろうか?)

 アメリカに注文した "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" が届くまでの間、まず同じジョン・コリンズの "Highlife Time" (1994 & 1996) と "Musicmakers of West Africa" (1985) を読んでみた。前者は昔ガーナを旅した知人(音楽ライター)が見つけてきたことで知った本。コピーを取らせてもらったものの、なかなか通して読む機会がなかった。コピーではなく現物の本の方が読みやすいと思い至って、探し続けること約20年。ガーナ国内のみでの出版だったので、なかなか見つけられない。それを最近ようやく入手できたものの、その後は未読のままだった。後者の本も同様にネットで見つけたが、以降読む機会が失っていた。

 ようやく通して読んだこれら2冊、ハイライフ文献の決定版を期待した "Highlife Time" にしても、「西アフリカ」と題しながら英語圏諸国に限定した内容の "Musicmakers of West Africa" にしても、正直物足りなかった。読み終えて気がついたのだが、E. T. Mensah を筆頭に数々の時代の証人たちへのインタビューを中心に構成されているところなど、2冊はかなり重なる部分がある。ガーナとナイジェリアの音楽の歴史についてある程度頭の整理ができたのは確かだ。しかし、インタビューはさほど面白くないし(とにかくコリンズの質問が・・・)、著者周辺(交友のあったミュージシャンたち)の話題にも偏りがち。ガーナとナイジェリアのミュージシャン・ユニオンや各ミュージシャンの表彰歴といった話にもさほど興味が湧かない。

 それでも貴重な記録ではあり、細かな情報に気になるものは多かった。例えば "Musicmakers of West Africa" を読んでいて目に止まったのがこの写真(P.19)。深沢美樹さんがコンパイルした CD "Palmwine Music of Ghana" でも大きく取り上げられた Kwaa Mensah が何と女装している。Kwaa Mensah もコンサート・パーティーでは時にはこんな姿で演奏したらしい。ガーナのコメディアンがミンストレルを真似して白黒メイクした写真などは時々目にするが、これは初めて見たかも。

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 そしてコリンズの最新刊 "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" を通読。当然ながら過去の著作との重複は多いものの、「パームワン・ミュージック」や「ハイライフ」という名前の由来も含めて、より詳しく丁寧に書かれている印象だ。主要ミュージシャンたちの経歴紹介も充実している。"Highlife Time" も "Musicmakers of West Africa" も今では入手がほぼ不可能なので、それらの内容を踏まえた上でコリンズが書いた彼の研究の集大成、正に「決定版」になったと言えるだろう。とても平易な英語で書かれているので、英語が得意でない自分でもサクサク進み、ほぼ2日で読み終えた。冗長なインタビューは省かれており、興味深いエピソードが並んでいて読み物としても面白い。熱心なアフリカ音楽ファンにとって一読する価値はあるかと思う。

 例えば、読み進めて興味を惹かれたのは、戦争との関係。19世紀末にイギリス軍がガーナに駐留し、そのブラスバンドの存在がハイライフ・ミュージックを生むきっかけの一つになったことからも、アフリカ音楽は元々戦争とは縁が深かったのだけれど、、、。

・第二次世界大戦中、連合国軍によりガーナからインドとビルマに送られたファンティ人兵士は「日本人を追い出せ」ばかりに戦わされた。(P.11/12)

・ナイジェリアのダンスバンド・ハイライフが衰退する決定的要因はビアフラ戦争だった(レゴスのハイライフ・ミュージシャンの多くが東部出身だったため)。

・ナイジェリアの Bobby Benson の乗っていた船はドイツ軍の攻撃を受け大西洋上を漂流、32日後に救助されカーボベルデへ、そこでギターを教わる。さらにイタリアを経てイギリスへ、ここで多くの楽器を学ぶ機会を得た。(P.133)

 さらに、こんな興味深い記述もある。

・ギニアで Sékou Touré が authenticité 政策の下、自国のポピュラーバンドと州立バンドを養成したきっかけは E.T.Mensah の演奏を聴いたことだった(・・・と最近知った)。(P.131) 

 ジョン・コリンズは他に "E.T.Mensah: King of Highlife" (1986)という本も出しているが未入手。しかし、この内容をリライトしたものが4枚組CD "E. T. Mensah & The Tempos - King of Highlife Anthology" (2015) のブックレットに解説(約60ページ!)として掲載されているので、最早不要だろう。


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 "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" を読む前には、"Palmwine Music of Ghana" 2CD をじっくり聴きながら、深沢美樹さんが書かれた長い解説書も読み込んだ(今頃、、、)。

 その深沢さんの解説、ハイライフとパームワイン・ミュージックに関する日本語文献としては、先に触れた「西アフリカのポピュラー音楽 ハイライフ、パームワイン・ミュージックの歴史」以来の内容の濃さなのではないだろうか。かなりのアフリカ音楽愛好家にとっても、これさえ読めば十分なほどで、ジョン・コリンズの書著作は必要ないくらい。実際の録音を聴きながら歴史をたどれるのもいい。

 アフリカ音楽を聴き始めた頃、ダンスバンド・ハイライフとギターバンド・ハイライフがどうして同じくハイライフと呼ばれるのか解せなかったし、文脈によってハイライフもパームワイン・ミュージックも意味にブレを感じて頭の中が混乱した。実は「ハイライフ」も「パームワイン・ミュージック」も、広義の意味(ジャンル全体を指す)で使われる場合と狭義の意味(特定のスタイルを指す)で使われる場合があって(Juju や Konkoma についてもにたようなことが言える?)昔はそのことに十分な理解が及ばなかった。深沢さんの解説は広義/狭義の両面性を踏まえて書かれている点がさすがだと思う。

 ところで、深沢さんの解説で知ったこのサイトが楽しすぎる! まずは厳選された40曲 Highlife music selection (40 songs) を一気聴き。これは堪らない。全400曲まとめて一気に聴いてしまいそうになった。


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 ハイライフ関連の文献としては Nate Plageman "Highlife Saturday Night" (2013) がジョン・コリンズよりも詳細に書かれているので、真っ先に読むべきなのろう。そう思ってこの本も読み始めたところだ。深沢美樹さんがCD解説の参考文献に挙げていた Catherine M. Cole "Ghana's Concert Party Theatre" (2001) もどんな内容だろうと思って買ってみた。これはハイライフ・ミュージックが生まれる契機のひとつとなったガーナの「コンサート・パーティー」に関する書物。こんな本まで書かれていることが驚きだ。以前ここで紹介した Koo Nimo の伝記 "Six Strings and A Note" (2016) はまだ未読。いつ読めるのかな?


John Collins "Musicmakers of West Africa" (Three Continents Press, 1985)
John Collins "E.T.Mensah: King of Highlife" (Off The Record Press, 1986)
John Collins "Highlife Time" (Anansesem Publications Ghana, 1994 & 1996)
John Collins "Fela: Kalakuta Note" 1st Edition(KIT Publishers, 2009)
John Collins "Fela: Kalakuta Note" 2nd Edition(Wesleyan University Press, 2015)
John Collins "E. T. Mensah & The Tempos - King of Highlife Anthology" (RetroAfric, 2015)
John Collins "Highlife Giants: West African Dance Band Pioneers" (Cassava Republic, 2016)

Nate Plageman "Highlife Saturday Night - Popular Music and Social Change in Urban Ghana" (Indiana University Press, 2013)
Catherine M. Cole "Ghana's Concert Party Theatre" (Indiana University Press, 2001)
E. Obeng-Amoako Edmonds"Six Strings and A Note - Legendary Guitarist Agya Koo Nimo in His Own Words" (Ink City Press, 2016)


 こんな風にアフリカ音楽について読んでいると、その度に謎が解け、疑問が生まれ、また課題が広がり、そして音の聴こえ方が変わる。楽しいね!







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# by desertjazz | 2018-05-03 00:00 | 本 - Readings

 昨年から今年の年初にかけては、数度の外遊やクロ・ペルガグ来日のことで忙しく、満足な読書ができなかった。それらの山を超えた今は一息ついて、ある程度まとめて読めるようになってきている。探してみると、面白い本、読まなくてはいけない本と次々に出会ったこともあって、最近は3日に1冊のペースでせっせと読んでいる。

 ジャズ本や小説を中心に読んでいるのだけれど、今年はかなりの豊作になる予感。ロビン・ケリー『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』、カール・オーヴェ・クナウスゴール『わが闘争2 恋する作家』、ラーナー・ダスグプタ『ソロ』、ヤア・ジャシ『奇跡の大地』、 角幡唯介『極夜行』あたりは年間ベスト10に残る有力候補。それぞれ読書メモを綴っておきたいとは思いつつも、その前に次の本に取り掛かってしまって後回しになりがちだ。


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 最近読んだカーレド・ホッセイニの『そして山々はこだました』も良かった。(以下、4/26 の Facebook に加筆して転載。)


 アフガニスタン出身の小説家カーレド・ホッセイニの第3作『そして山々はこだました』を読了。4月はこれで11冊完読。

 ホッセイニのデビュー作『君のためなら千回でも』は最初から1/3までに限れば傑作だった。特に、読み手が誰しも心に隠し持っている傷を突くような心理描写が見事。それ以降は筆力が落ちるが、それでも絶賛に値する作品だった。それに対して2作目『千の輝く太陽』は退屈。この作家はここまでかと思わされることに。

 それで期待せずに読んでみたこの3作目、1作目に匹敵するほどの素晴らしさだった。登場人物たちの心理描写も個性的な文章表現も鮮やか。構成が考え抜かれていいて、細やかに張り巡らされた数多い伏線にため息(登場人物、エピソード共に幾分多すぎて、誰なのか後で明かすことが多いことに起因する読みにくさもあったのだが)。作中、誰もが大きな不幸や不運に見舞われ、安寧な生活や夢が奪われる。それでも読後感が悪くないのは、それぞれが家族や血縁の絆を見出し、生きる喜びを掴み、そこに読み手の生き方にも返ってくるものがあるからだろう。

 残念だったのはラストの重要なシーン。ある意味、突然「神の視座」からの描写になっていて、小説として成立していないと思った。「忘れた方が幸せなこともある」という冒頭の掌編に戻る、作品の重要なテーマでもあるだけに、他の描き方はなかったのだろうか。

 カーレド・ホッセイニはこれで完全復活。この作品は再読したくなる濃さで、彼の最高作かも知れない。4作目の発表も待たれる。







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# by desertjazz | 2018-05-02 00:00 | 本 - Readings

Baloji in Tokyo 2 Stages

 ずいぶん時間が経ってしまって今さらなのだが、3月に初来日したバロジ Baloji(コンゴ生まれベルギー在住のヒップホップ・シンガー)の東京公演はとても楽しかった。3/22(木)代官山・晴れ豆、3/24(土)アンスティチュ・フランセ東京ともに、重たい一眼レフカメラなど持って行かずに、少しだけスナップを撮る程度にして、もっぱら音に身体を預けてスウィングすることを楽しんできた。(なので、以下↓、良い写真は全然ない。)


◆3/22(木)代官山・晴れ豆

 バロジの日本初ライブは、東京のとても小さな箱で、少ない客を前にしたパフォーマンスを観るという、ある意味貴重な体験だった。帯同メンバーはドラムとギターの2人だけで、曲によってはPCカラオケも使っていた。それでもバロジは上機嫌で熱演。スークース(ルンバ・コンゴロワーズ)をやれば、ドラムとギターだけでも立派にスークースのノリになって感心、と思ったらギターはフランコの OK Jazz でも活躍した Dizzy Mandjeku だった。

 初めて会ったバロジは、予想外に長身。そして、とってもナイスガイだった。

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◆3/24(土)アンスティチュ・フランセ東京

 これまでも Moussu T e lei Jovents、Jupiter & Okwess International などを招いた毎年恒例の無料ライブ。今日はベースとキーボードが加わってメンバーは5人に。揃いのスーツ姿で登場したオシャレな男たちによるステージ、曲もサウンドも気持ちいいし、バロジのパフォーマンスも楽しく、何よりコンゴのルンバをベースにしたヒップホップなだけに、自然と踊れる良さがある。Dizzy Mandjeku のギター・プレイからは、1996年にザイールのキンシャサの歓楽街マトンゲで OK Jazz のライブを観て Simaro に会った時のことも思い出す。

 公演の告知が遅かったのにも関わらず、音楽ファンがかなり集まった。私が会った中では、新潟、富山、金沢からバロジを観るためにだけに上京した友人・知人も。今春の欧州ツアーも前評判上々でロンドンはすでに完売。そんなバロジが日本にやって来たのは奇跡に近い。でも来日を知らず悔しい思いをしている人も多そうだ。

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 おそらく色々な方々がリポートを書かれているだろうから、ここでは少しだけ。

 ちょうど2公演の間の 3/23 に彼の新作 "137 Avenue Kaniama" がリリースされた。この作品、CDの収録時間をフルに使った3部構成の大作。今回のライブは、そのアルバムの第一部に収められたポップでダンサブルなナンバーを中心とするものだった。両日共に1時間という短い持ち時間だったのことによる判断だと思うのだが、ライブを堪能しながらももっと聴きたかったというのが正直な感想。

 後日 "137 Avenue Kaniama" をじっくり聴いて、その思いがますます強まった。第二部、第三部の構成力、緊張度も素晴らしく、自身がプロデュースしたという PV を観ても彼の溢れる才能が感じられる。早く再来日を果たして、彼のもっと別の面も直に観てみたいものだ。


 そうした感想を抱いた人って、かなりいるんじゃないだろうか? 写真をあまり撮らない分、コンパクトカメラ(SONY RX100V)でビデオを少々撮影して、その一部を Twitter と Facebook にアップした。すると、晴れ豆の1本は瞬く間に視聴回数が2000を超え、アンスティチュ・フランセ東京のうちの1本に至っては最初の24時間で2500回、48時間で4500回を数え、数日で5000回に達した。バロジは日本でもそれだけ注目されている証拠だろう。

(その動画、ここにどうやって貼ったらいいんだ? そろそろ YouTube に登録すべきか? 友人諸氏は画質が幾分良い Facebook で観てください。)


 私がアップした写真やビデオはバロジ本人の目に留まり、気に入ってくれたようで、彼の Facebook と Twitter でも引用された。その流れで彼としばらくメッセージをやりとり。「またすぐに日本に来てね」と伝えると、彼はこんなメッセージを返してきた。

 'Can’t wait to comeback in Japon for real I just love it deeply'

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 日本での本格的なコンサートを熱望する気持ちは、どうやらバロジ本人も全く一緒のようだ。







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# by desertjazz | 2018-05-01 00:00 | 音 - Africa

"Little One" - 1 to 10000

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 先日、入手アルバムの総数が10000に達した。長年音楽を聴いている割には少ない? 本もたくさん読みたいし、美味しい酒も飲みたいし、1年に数回は旅行にも行きたい。なので、レコード買うのも音楽を聴くのもほどほどに抑えている。

 買ったりもらったりしたアルバム(レコード、CD、カセット)は1枚目から、入手日、価格、購入店を記録し続けている。さほど買わないだろうと見越して、10インチ、7インチ、映像作品(ビデオ、LD、DVD、BL、など)については記録していない(が、これらも大量に所有することになるとは!?)。基本的に入手盤は売ったり処分したりせず、2枚組以上やボックスも相当数あるので、LPとCDだけでも1万数千枚手元にある計算だ。

 記念すべき10000点目はシカゴの最新作、ライブ5枚組 "Chicago Live : VI Decades Live - This Is What We Do -"。これを10000点目にしたのには、最初の1枚目がシカゴだったこともある。高校生の時に友人がプレゼントしてくれた "Chicago XI" が自分にとっての1枚目(ハジレコ)。

 さて "VI Decades Live"。さほど期待せずに聴いてみてビックリ! 録音は King Crimson の "Earthbound" 並?に悪いのだが、1978年に事故死したギタリスト、テリー・キャス Terry Kath 在籍時のライブの素晴らしいこと。初期のシカゴはテリーを中心とするインプロビゼーション集団だったのだということを改めて確認した。選ばれた音源はヒット曲を並べるのではなく("Hard To Say I'm Sorry" ですら収録されていない)、彼らのインプロビゼーションにフォーカスすることを狙って制作されたアルバムだと感じた。(組曲も含めると)16分を超えるトラックが4つもあるほど。あるいは初期の代表曲やヒット曲を並べると自然とこうした流れになるという見方もできるかもしれないが。

 ところでハジレコ "Chicago XI" は今でもよく聴く大愛聴盤。テリーが書いた "Mississippi Delta City Blues" や、珍しくトランペッターのリー Lee Loughnane が書いた "This Time"、ゲストの Chaka Khan が強烈なヴォーカルを披露する "Take Me Back To Chicago" もいいが、何と言っても "Little One" の素晴らしさがアルバム最大の聴きどころ。シカゴの長い歴史の中でも恐らく最も美しい曲だろう。

 面白いのは "Little One" の作者がドラム奏者のダニー Danny Seraphine だということ(Rufus の David "Hawk" Wolinski との共作)。シカゴといえば、まずはテリー中心のバンドと見なされ、超名曲を一番書いているのはボビー Robert Lamm であり、初期のヒット曲を数多く書き、ステージの盛り上げ役でもあるトロンボーン担当のジェームス James Pankow が目立っていた。なので地味な印象だったダニーがこんな素敵な曲を書いたのは意外だった。結束力の強さで知られるシカゴというバンドを彼が突然馘になった理由と合わせて、"Little One" が書かれた経緯について知りたいと思い、彼の自伝 "Street Player" (2011) を買ってみた。まだ一部しか読んでいないのだが、"Little One" のこともしっかり書かれているようなので楽しみ。

"Little One" を歌っているのはテリーで、生まれたばかりの彼の娘への呼びかけとなっている。'Ooh my little one, I am sorry for the pain you've felt' なんて歌詞もあるのだけれど、、、まさかそれが現実になるとは。1978年1月、娘が2歳になる前に「拳銃の暴発事故」でテリーは突然亡くなる。

 その娘 Michelle Kath Sinclair は当然父の記憶を持たない。そんな彼女は父の実像に迫ろうとテリーのドキュメンタリー映画の制作を決意し、数年前にクラウドファウンディングで資金を募っていた。そのことをすっかり忘れていたのだが、いつの間にか映画 "The Terry Kath Experience" は完成し、最近 Blu-ray も市販された。


 この映画、テリーの未亡人がプライベート・ムービーをかなり保存していて、ファンにとっては見応えある作品になっている。特にカリブーランチの様子や、最後にギター(テリーの代名詞的存在だったあのギター)を「発見」するシーンはいいな。事故死した経緯についても当然詳しく語られる。興味深かったのは、ジミ・ヘンドリックスとテリー・キャスが一緒にアルバムを制作するアイディアがあったこと、そして死の直前から彼のソロ・アルバムをシカゴの象徴でもあるホーンズ抜きで制作することが具体化していたこと。どちらも聴いてみたかった。

 この映画を通じて感じたのは、やはりシカゴはテリー・キャス中心のバンドだったということ。私の音楽人生最大のアイドルはボビー・ラム(ロバート・ラム)であり、シカゴも彼を中心に聴きがちだが、それとは別に、彼らのサウンドの核はテリーのギターと声だったことは認める。

(1984年にシカゴが来日した際、ボビーに会ってサインもいただけた。それはユッスー・ンドゥールに会った時よりも嬉しかった。私にとっての最大のアイドルは、ユッスーでもなく、スプリングティーンでもなくて、やっぱりボビーなんだと思う。)

 ダニーの自伝 "Street Player" がテリーの事故死の話から始まることからも、シカゴの中心はまずはテリーだったことが窺われるし、"VI Decades Live" を聴いてもテリーのアグレッシブでソウルフルなプレイが強烈で、同じ印象を受ける。Disc 5 はドイツでのライブのDVDなのだが、これを観ても、テリーとダニーを繋ぐラインがライブサウンドの中心であることが伝わってくるなぁ。


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(ライブ盤の写真もテリーがメイン。)


 シカゴは結成50年を超え、来年はレコード・デビュー50周年になる。今でも多くのファンに愛され、コンサートの度に大勢の観客を集めることは良いことだ。けれども、未だにテリーの残した音楽を聴き続けている人間なので、今のシカゴには興味が湧かない。でもデビュー50年を機にもう一度くらいライブを観ておこうかな?




 Quadrophonic Mix (4ch Mix) Box も高いが買って持っている。だけど、どのようなサラウンド・システムを組むか迷い続けており、まだ聴けていない。

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# by desertjazz | 2018-04-30 15:00 | 音 - Music

R.I.P. Habib Faye

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 ユッスー・ンドゥールの盟友、Super Etoile de Dakar のベース奏者/キーボード奏者/プロデューサー/アレンジャーのアビブ・フェイ Habib Faye が世を去った。4月25日、パリの病院で病気治療中(病名は明かされていない → 肺への感染症だったらしい)に亡くなったと伝えられる。ユッスーとバンドメンバーたちは次のコンサートをキャンセルし、セネガルに帰国して喪に服しているとのこと。今セネガルはこの突然の悲しみに包まれていることだろう。

 ユッスーたちにとってアビブの存在はとても大きかった。彼らのサウンドが世界的に評価されたのには、アビブの巧みなサウンド・プロダクションとアレンジに負うところも大きかったと思う。ライブの場においても彼がステージのセンターにどっしり構えているだけでとても安心感があった。

 私がこれまで体験したあらゆるライブの中でのベスト1は、1999年にダカールのクラブ・チョサン(ユッスー所有のライブハウス)で観たユッスーだった。ユッスーのパフォーマンスはもちろんのこと、それに匹敵するほど(あるいはそれ以上に)アビブのパーカッシブなキーボードを中心とする重層的なサウンドに圧倒された。

 どうやら彼のパフォーマンスを楽しんだのは、昨年11月のパリが最後になってしまったようだ。まだ52歳(53歳、54歳と書かれた記事もある。wiki によれば 1965年生まれ。)というのは若すぎる。今夜は彼のソロ・アルバムでその歌心あるベース・プレイを聴いている。


 Big Thanks ! and Rest in Peace, Habib.




 追記(4/28)

 Habib Faye の遺体が27日にダカールへ移送された様子が報じられている。


 Habib Faye の死因は「肺への感染症」だったらしい。

 Habib Faye の参加作品は大量にあるけれど、自身のリーダー作はこの2枚だけ? Habib Faye Quartet のライブ盤 (2004) はセネガルのみでのリリース。どうしてこんなCDまで持っているのだろう。Youssou、Angelique Kidjo、Manu Dibango らがゲスト参加した "H2O" (2009) は Weather Report を連想させるサウンドだ。


 追記2 (4/28)

 Habib Faye の誕生日は 1965年11月22日だった。なので、享年は53ですね。








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# by desertjazz | 2018-04-27 22:00 | 音 - Africa

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(※ 公演を観たリポート本編を書き出したら、優に10000字超え。原稿用紙30〜40枚分。記憶を呼び覚まし、ネット記事や自伝も参照しつつ、ステージを再構成してみた。かなり詳細に書いたので、明かしすぎだろうかと思い、それを編集してこの短縮版を作成。「完全版」は 6/30 に Springsteen On Broadway 全公演を終わった後で公開するか、ネットでは非公開のままにしようかと考えている。)


2018年1月30日

 夕方 Walter Kerr Theatre 前の様子を見に行く。今日も冷えて、今夜の気温は氷点下8度の予想。それでも、入出口付近には熱心なファンが集まっている。寒空の下、ブルースと言葉を交わしたりサインをもらったりするために待つまでの元気もないので、一旦ホテルに戻る。


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 19時10分、まだ早いと思いながらも落ち着かなくて、会場の雰囲気をゆったり味わいたいし、物販も見ておこうと思い、開演50分前に会場へ。セキュリティーゲートがかなり厳重。カメラや録音機、飲料のチェックというより、銃器類の持ち込みを防止するのが目的らしい(それにしても、28日に観たミュージカル『ハミルトン』ではボディチェックすらなかったのとは大違いだ)。ガードや劇場スタッフたちからかけられる "Please enjoy the show" という言葉が嬉しい。

 Springsteen On Broadway は、カメラや録音機の持ち込みは禁止。なので、ほとんど手ぶらで出かけた(この記事の写真の多くはカメラをホテルに置きに戻る前に撮ったもの)。持って行ったのは、財布とチケットと咳止め用ののど飴くらい。スマートフォンも持っていないので、以下、場内の写真も録音も勿論ビデオもなし。オフィシャルの写真が公開されているので、わざわざ撮る必要などないだろう。


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(これは 1/27 の様子)

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 シアターの中に入り、まずはステージを見に行く。真っ黒で、何らセットも飾るものもない。左右の隅に機材トランクが数個ずつ積まれているのみ。中央には1本のマイクスタンド。上手には YAMAHA のピアノ。Steinway & Sons でもないし、グランドピアノでもない。そしてセンターと上手それぞれの脇に水の入ったグラスが置かれている。たったそれだけ。チケット代 850ドルにしては何ともそっけない。

 案内の女性に促されて自分の席を確認。そして、、、心臓が止まりそうになった。何だよ、この席は! まっすぐ視線の先にピアノ椅子が垂直の位置に置かれている。その間に遮るものは何もない。まるで手の届きそうな距離だ。BEST AVAILABLE は本当だった。

 その後は物販をチェックし(40ドルするポスターやTシャツが飛ぶように売れて行く)、2階席と3階席からの眺めがどんな様子かも確認。狭い場内で空きスペースを見つけてしばらくまったりした後、開演10分前に席につく。

 さあ、いよいよ待ちに待った瞬間だ!




20時05分

場内が暗転し、短いアナウンスが流れる。

Good evening, Ladies and Gentlemen.
Welcome to Walter Kerr Theatre and Springsteen on Broadway.
The performance is about to begin.


#1 : Growin' Up

今夜の主役ブルース・スプリングティーンが下手から登場。
黒のTシャツ、黒のジーンズ姿。
おなじみの Takamine のエレアコ・ギターを手にして。
それを迎える大歓声。

ステージ中央に立つブルース。
精悍な顔つき。穏やかな眼差し。凛々しい立ち姿。
研ぎ澄まされた空気感を醸し出す、その存在感に圧倒される。
照明の効果だろうか、顔の彫りと鋭い表情がくっきりと浮かび上がっている。
ここまでかっこよかったか、これほどハンサムな男だったか。
そう心の内で呟く。
このステージで必要なのはブルース・スプリングスティーンという男ひとりだけ。
いかなるセットも必要なかったことに、ようやく気がつく。

DNA ... , your natural ability, study of craft, development of and devotion to an aesthetic philosophy ... balls.
Naked desire for... fame? ... love? ... admiration? ... attention? ... women? ... sex? ... a buck?

冒頭いきなり、balls(キンタマ?)で1発目の笑い。
下ネタで笑いを取りつつ、名声や愛やセックスへの剥き出しの情熱など、80000人の熱狂的オーディエンス(80,000 screaming rock 'n' roll fans)と face to face で向き合うのに必要なものを並べていく。
一言ずつ明瞭に、噛みしめるように、ゆったりと語る。
なので、英語のヒアリングが大の苦手な自分でも案外聞き取れる。
(ほぼ自伝 "Born To Run" の文章そのままなのだから、当たり前か?)

そして、若い頃の思い出を披露しながら、今日語る目的を明らかにしていく。

I come from a boardwalk town where almost everything is tinged with fraud.
So am I.

「俺はボードウォークタウンの出で、そこはほとんど全てが詐欺にあって囚われたようなものだった。俺もそうだ。」
(この部分、自伝日本語版では「何もかもが少しばかりインチキで染まった」と訳されていた。)

In 1972, I was a any race-car-driving rebel,
I was a guitar player on the streets of Asbury Park ...

「俺はまだありふれたアーティストだった。」

But I had 4 clean aces.

「俺には若さがあった。ハードコアなバーバンド経験があった。素晴らしいバンド仲間がいた。そして、俺は Magic Trick を持っていた。」

I'm here tonight to provide proof of life ...

(ここまで "Born To Run" の Foreword 参照。)

この言葉を受けて、"Grown' Up" の聴き馴染んだイントロのアルペジオを紡ぎ出す。

中間部の語りで、

I have never held an honest job in my entire life.
I've never have any hard labor.
I've never worked nine to five.
I've never work five days a week ....
Until right now.

「正規に働いたこともないし、週5日働いたこともない、、、。今までは。」( Until right now と言って爆笑を誘ったのは、今ブロードウェイで週5日ステージに立っていることを指したのだろう。)

何ら全く個人的体験を持たないうちに曲を書き始めた話。

子供時代は、クリスマスや誕生日やバケーションといった特別な日を除くと、ブラックホールだった。

black hole of
homework, church, school,
homework, church, school,
homework, church, school,
green beans,
green beans,
green beans,
green beans,

(ブルースは豆が嫌いだったのか?)

そんなブルースが1957年、新しい世界を知る。
「7歳のガキに革命が襲った。」(絶叫)

want more life,
more love,
more sex,
more ... ,
more ... ,
more ... ,
most of all more rock 'n' roll.

自伝で多用され Audio Book で耳に馴染んだ言葉を連ねる表現を、今夜もしばしば聴くことになる。
最後の more rock 'n' roll でグッと来てしまった。

再びギターをつま弾きながら、母とギターにまつわる逸話。
(親父によると fucking guitar 。ギターを構えたポージングも受けを誘う。)
ギターを手に入れたが、2週間で断念。
ジャーーン!と、荒っぽいストローク。
7歳だったのでネックを握れなかった。
笑いに次ぐ笑い。

「俺は新しいヒーローについて学んだ。
 俺は彼と同じ2本の腕と2本の足と2つの目を持っていた。
 でも、、、。」

そのようなことを語りながら、再び "Growin' Up" の歌に戻る。

Bye Bye New Jersey !!

ラストコールまで13分以上。

今日ステージに立つ意味を明示し、幼少時の音楽とギターとの出会いについて語る。
笑い話を連発し、オーディンスを一気に引き込む、見事な導入部だ。
(分かりやすい話をゆっくりと話してくれたので助かった。)
ここまででもう気持ちよくて感動的で、すっかり感慨に耽ってしまった。

(この調子で綴って行くと取り留めなくなる。これ以降はなるべく簡潔にしよう。)


#2 : My Home Town

ブルースは上手のピアノへと移動。
最初は立って、それからピアノ椅子に腰掛け、客席を向いて語る。
正に自分の真正面にブルースがいる。
1階中央エリア4列目一番右のここは、確かにベストの席だ。
同じ最右ながら、3列目でも5列目でもわずかに角度がずれる。
まるでブルースが自分に語りかけてくるような気分に自然となる。

Everybody has a love hate relationship with the hometown.

ホームタウンとの関係を語るブルース。
幼い頃はここから逃げ出したかった。

I'm a Mr. Born To Run.
I'm a Mr. Thunder Road.
I was born to go.

New jersey ..... ,
It's death trap.
It's suicide rap.

"Born To Run" の歌詞の一節を織り込んだここで、当然大受け!

「俺はこの街から出て行く。決して戻らない。」

Go.
Go.
Go.
Go .....
I left ten minutes from home town.

大爆笑の連続。

ピアノでシンプルなコードのリフレインをつま弾きながら語り出す。
ムードが一気に変わる。
子供の頃に住んでいた家。
そばに立っていた木。
暖かい日差し。
両親のこと、祖母のこと。

I really grew up surrounded by guards, neighbors and my relatives. 

なぜかここで笑う人もいるのだが、自分はじんわり来てしまった。
そしてこの一節が重要な伏線であり、ステージの終盤に至って、大きな意味を持っていることに気づかされる。

家のそばにあった教会。
結婚式、葬式、墓場。
妹のこと、スプリングティーン家のこと。

Heartbreaking town, Freehold, New Jersey.

この言葉を受けて、自身のホームタウンについて歌い始める。


#3 : My Father's House

ステージ中央に戻り、父について語る。
父がついた仕事の名前を一つ一つ順に挙げていく。
それがとても多い。

親父が通っていたバー。
そこに迎えに行かされた時のこと。
自伝 "Born To Run" で読み親しんだ逸話が、笑いを織り込みながら、たっぷり時間をかけて語られる。

ギターとハモニカで弾き語り。

特に印象深かったのは2つの言葉。

I was looking for the voice, ... , to tell the story and sing my song.
I chose my father's voice.

As was a child, I can't understand my father's pressure.

若い頃、自分が歌うに際して、親父の声を選んだこと。
ガキだった自分には、キッチンテーブルに伏せて動かない親父が抱えているプレッシャーを理解できなかったこと。
対立の多かった父について暖かく語る。


#4 : The Wish

再びピアノに移動し、今度は母について語る。

「母については全く違う話になる。
 母は父とはまるで対照的だった。
 母は明るくてハッピーで、、、。
 母は病気とは無縁で、不満を漏らすこともなかった。」

「学校が嫌いだった。ロックスターがそうであるように。ジミ・ヘンドリックスが学校好きだと思うかい?」なんて小話を挟みつつ。

母のオフィスを訪ねた時のこと。
ヒールの響き。(ここでまた自伝を思い出す)
母への賛辞が続く。

そしてピアノの弾き語り。

この曲は聴き覚えがなく、曲名すら浮かんで来なかった。
(ホテルに戻ってからネットでトラックリストを見つけ出し、アルバム "Tracks" の収録曲だとようやく知る。)
最初の方の Japanese Guitar というフレーズが耳に残る。
(今夜は曲ごとにギターを持ち替えていたが、全て Takamine だった。ピアノも Yamaha。Japanese ばかりだ。オフィシャルの写真で見慣れた、ボディをデコレートしたギターを見られなかったのはちょっと残念。)


 ここまで4曲のシークエンス、個人的な思い出話とそれを受けた歌の内容とがしっかり結びついていて、素晴らしい流れを生み出している。なので、歌われる曲の歌詞をしっかり読み込んでおくべきだったのかも知れない。

 語りでこれでもかというくらい笑わせておいて、話の後半からそれを引き継いだ歌にかけてはしんみりさせる。語る時のブルースは想い出に浸るような表情で、それに聞き入るうちに自分も夢見心地なる。最高のストーリー・テラーだ。

 ときおり視線を遠くにやり、頭の中で言葉を探るような表情になる(これはもちろん演技)。おそらくプロンプターを確認してもいるのだろう。実は1階席と2階席の境目、つまり2階席の手すりの前、それとピアノの上にモニターが設置され、セリフがスクロールして表示される。2時間15分という長い独演なので、こうした準備もしておいたに違いない。ただし、実際ブルースがそれらに頼っている様子はなかった。

 自分にとってはここまでの約45分間が特に印象に残った。この後、次第に語りは短く、テンポが早くなって行く。語りについて行くのが難しくなった部分も多い。


#5 : Thunder Road

19歳の時、深夜に良い気分で歩いていたら、ポリスに止められた話。
(外出禁止令?)
両親がカリフォルニアに越した話。
妹の妊娠と結婚の話から、カウボーイハットとロデオの話で笑いを誘う。

家族はいなくなり、金もなく、未来などなかった。
それでも、自由を感じていたようだ?

短い語りの後に、ギター弾き語り。
昨年の 2/9 シドニー2日目、アンコールを終えた後、アコギを抱えて再登場し、 "Thunder Road" を弾き語ったシーンを思い出す。


#6 : The Promised Land

20歳、様々なステージで演奏する機会を得た。
(この列挙が最高! アホみたいなステージにも立っていて痛烈! 自伝にはここまで書かれていなかったかも?)

23歳、ラジオから流れる音楽を聞きながらフラストレーションを抱いていた。
「俺だってこいつらくらいに上手いのに。なぜ俺じゃないんだ。」

Answer ....

その答えといい、ブルースのおどけた「ジャージー・ダンス」といい、場内大受けだった。

「1971年に Next Big Thing を探しに、誰がニュージャージーに来るっていうんだ?」

「一度だけ本当のチャンスがあった。俺のガールフレンドがクラブにある男(業界の実力者?)を連れて来た。小さなステージだったけれど、全力で、マジソンスクエアガーデンに立っているかのようにプレイした。夜9時から深夜3時まで5セット、プレイした。」

「『君たちはまだ契約を取っていない最高のバンドだ。』そう言った彼は、俺のガールフレンドと寝て、去って行った。」

場内大爆笑。
笑いが収まらない。
どうしてこんな面白い笑い話ができるのだろう。

その後、ブルースはニュージャージーを離れることに決めた。
ティンカー・ウエストたちとカリフォルニアへ。
サンフランシスコでのコンテストに向けて。
3日かけて西海岸へ。
72時間のドライブの話。
ティンカーの犬の話。
運転免許の話。

途中、砂漠で見た風景の美しさ。
(美しい眺めが本当に記憶に残っているようだ。)

ほぼ自伝に沿った内容の話が語られる。

演奏の後半、オフマイクで歌うのだが、ブルースがすぐ目の前なので肉声がしっかり届く。


#7 : Born In The U.S.A.

1980年、再び大陸横断旅行。
小さな街の書店で見つけたペーパーバック。
"Born on the fourth of July"(『7月4日に生まれて』)
その著者と偶然出会う。
ベトナム戦争のこと。
戦争で死んだかつてのバンド仲間たちのこと。

(さすがに笑いは一切挟まず、シリアスに語る。)

1969年、マッド・ドッグ、ヴィニ・ロペスと3人で兵役を逃れた話。

I do sometimes wonder,
who went in my place?
Somebody did.

「俺の代わりに誰が行ったのだろう?」

自伝の中でもとりわけ印象的だった、この問いかけるフレーズが痛切に心に響く。
( "Born To Run" の ’Chapter 15 "Earth" P.103 参照。)

12弦ギターをボトルネックを使ってブルージーにワイルドに弾き語る。
とにかく音がでかい!
演奏に限って言えば、この曲がハイライトのひとつ目。
ブルースの怒りさえ感じる壮絶なプレイだった。
とにかく凄かった。


#8 : Tenth Avenue Freeze-Out

ピアノへ移動。
ほぼ初めからピアノを弾きながら語る。
一気に明るい調子に。
この切り替えも見事だ。

1 + 1 = 3

one plus one は two じゃない。
one plus one は three だよ。
("Born To Run" の Chapter 33 "The E Street Band" 参照。)

陽気に歌い語り呼びかけ、オーディンスも巻き込んで行く。
バンド仲間たちの名前を歌い込む。
そして、クラレンスの思い出をたっぷり語る。

So losing him is like losing a rain.

See you next time round, Big Man!

ブルースがクラレンスを本当に好きだったことが改めて伝わる。
(Chapter 73 "Losing the Rain" 参照。)

終始暖かく和やかな雰囲気で、普段のライブと同様の盛り上がりになった。


#9 : Tougher Than The Rest

She is the queen of my heart.
She always shine on me.

Stone Pony でパティの歌を初めて聞いた時の思い出。
その一節目は、

♪ I know something about love
Oh, Oh !

( Oh, Oh は「この娘、なかなかだな」ってニュアンスを含んだ呟き。)

ここでパティを呼び込み曲へ。
ブルースのピアノ弾き語りに、パティがコーラスをつける。


#10 : Brilliant Disguise

Trust をキーワードにした話。
妻パティを褒め感謝することばが続く。
(パティはしばらく前にインフルエンザに罹り、数日休んだと伝えられたが、もうすっかり元気な様子。彼女が休んだ間は "Long Time Comin' " が演奏されたらしい。)

二人仲睦まじくギター2本で演奏。


二人による2曲の間、自分ものんびり聴いて耳休め。
(正直なところ、あまり面白みを感じなかった。)

この演奏の後、パティは退場。


#11 : Long Walk Home

終盤のここからはシリアスなトーンに。

「昔俺は俺のロックショーに来る人たちのことは信じちゃいなかった。」という言葉から始めて、アメリカの時代状況について話を進める。

「相互理解のためには音楽もちょっとした役には立つ。ちょっとだけだけれどね。」

「アメリカのあちこちに行ったけれど、しばらくの間目にすることのなかったような酷い状況が蘇っている。」

マーティン・ルーサー・キングも引き合いに出しながら、それではいけないと静かに訴える。
(小声で呟くように感傷的に語るので、正確なところまでは聞き取れず。)

Come too far, work too hard, to allow that to happen.

ここで大きな拍手。アメリカ人たちが互いに共感し合えることなのだろう。
「俺たちはここまでやってきた。懸命に頑張ってきた。対立よりも融和と前進を。」
そんなメッセージを感じる語りだった。
(それは今の日本の状況にも、基本的にそのまま当てはまるはず。)

話は2分ほどで割と短くまとめて、ギター弾きならが曲へ。


#12 : The Rising

意外にも前置きは一切なく、"Long Walk Home" から "The Rising" へと移る。
いや、この曲について、9.11 について、アメリカの聴衆に何かを語る必要など最早ないのだろう。
あるいは "Long Walk Home" の前段で語り切ってしまったのかも知れない。

昨日 WTC の跡地を訪れたのは、ニューヨークでこの曲を聴く心構えを用意しておきたかったから。
スタジアム・ライブとはまた異なったトーン。
2000年に WTC の上から眺めた青空の美しさが頭の中で蘇る。


#13 : Dancing in the Dark

最初からフィナーレを予感させるような調子の語り。

「俺は典型的なアメリカ人だ。
 アメリカの全てのストーリーを知りたい。
 自分自身のストーリーを知りたい。
 そして、あなたのストーリーを知りたい。
 俺は自分自身について知りたい。
 どこから来たのか。
 どこへ行くのか。
 俺の家族のヒストリーを知りたい。」

互いのヒストリーを共有し合う。
それが、自身と他者との関係性、みんなの家族血族との関係性に繋がる。

This is what I presented to you my long and noisy play.
As my magic trick.
I want, I want, I want to ROCK very your soul. (SHOUT!)

ステージの最初で「俺は Magic Trick を持っている」という言葉を思い出す。

ヒストリーを知り、それを語り合う。
みんなも俺のライフを豊かにしてくれている。
そう吐露する。
これこそが、ブロードウェイで語る意味であり、ブルースが一番伝えたかったことなのだろう。

I've done that, and I hope I've been a good traveling companion for them.

ここで大喝采 !!

母とダンシングシューズ!
緊張感ある話の後に、ちょっとした一言で一気にムードを変えて "Dancing in the Dark" に持っていく構成は本当に上手い。

途中 I need your reaction と左手で手招きして観客を煽る。


#14 : Land of Hope and Dreams

前曲 "Dancing in the Dark" と直つなぎ。
メドレーというより2つの曲が一体となっていた。
それにしても凄まじいギタープレイだった。
ギター1本でこんな音楽を創造できるというのは驚きでしかない。
ギターのストロークとブルースの叫びとがひとかたまりとなって襲ってくる。
ただただ圧巻、鳥肌が立つくらいに。
この数分間こそ、"Born in the U.S.A." を超える今夜のハイライトだった。
その証拠に、演奏が終わった瞬間、一斉にスタンディング・オベーションが起こった。
(翌日 31日にはスタンディング・オベーションにはならなかった。音もやや小さく感じた。)
そして、拍手がなかなか鳴り止まない。
この1曲を生で聴けただけでも、今夜ここに来た価値があったと思えるほどだった。

これで場内の誰もが興奮したのだろう、あちこちでスマートフォンでの撮影が始まった。
まあ、その気持ちは分からないでもない。
しかし、撮影を止めなさいと警告するライトが飛び交い、少々落ち着いて観られなくなったのは残念だった。


#15 : Born To Run

「11月のある夕方、子供の頃に住んでいた場所を訪れた。ストリートは空っぽで、すっかり静かになっていた。近くにあった教会はなくなっていて、(そこで行われるはずの)葬式も結婚式もない。思い出の木も切り倒されてなくなっていた。」(ここで、場内から嘆きのため息。)

眼を閉じ、胸に手を当て、「何かが終わったことを感じる。でも、フィーリングやソウルは残っている。昔見た景色、明るい日差しは失われずに胸の中に止まっている。」

そして、亡き家族や、親類、友人たちを次々に挙げていく。
「俺は多くの ghosts や guards に守られている。」

(多分、"Born To Run" の Chapter 73、P.504 の 'On a November evening during... ' 以降の文章そのままの朗読だったと思う。)

こうして話は、最初の方で語った幼少時代、多くの家族親類たちに守られていたこと、砂漠で目にした美しい光景へと戻っていく。
見事に円環を描くストーリーだ。

そして歌うのは "Born To Run"。
やっぱり最後はこの曲か。

穏やかにバラード風に弾き語る。
思いのほか短いパフォーマンスで、感動に浸る間もないほど。
エンディングでギターのボディを叩いてリズムを取るところで、ステージの照明が落ちる。


22時20分 

至福の時間が過ぎた。


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 事偽りなく、至福の2時間15分だった。まずは無事に観終えられたことにひと安心。そして、事前情報を避けた分だけ、想定していなかったことや想像を超えることが多く、純粋な心持ちで楽しめた。本当にここに来て良かったと思った。

 Springsteen On Broadway を実際に観るまで消え去らなかった不安は、果たして自分の英語力でブルースの語りをどこまで理解できるのかということ。レパートリーの演奏が短く、ほとんど語りばかりだったら、全くついていけなくなるのではないか? そんな危惧を抱いていた。しかし、曲演奏は全体の4割程度あり、語りの間もギターやピアノを爪弾くことがしばしば。なので、多少分からない部分があっても、音を楽しみ続けられる。2時間強、英語のヒアリングに集中する必要はなく、思っていたほどは疲れなかった。何より、ブルースがゆったり明瞭に語ってくれたことに救われた。

 ブルースが自伝を出版し、それに続いて自伝に基づくブロードウェイ公演を行うと知った時、彼は回顧的になっている、人生の集大成に向かっているかも知れない、そのように思った。また、披露すべきレパートリーが多すぎるために3時間プレイしても4時間プレイしても語る時間が取れない。そこで、語りたかったことを伝えるステージを模索した結果が、On Broadway なのだろうかと考えたのだ。

 しかし、今回彼のステージを見て、そうした推測は思い違いだと知らされた。ブルース・スプリングスティーンは新たな表現方法を探し求めている。

 振り返ってみると、ブルースは自身が語る意味を明瞭に示していたと思う。
「俺はアメリカ全体のヒストリーを知りたい。自分のヒストリーを知りたい。みんなのヒストリーを知りたい。」
「人にはそれぞれのヒストリーがあって、それらを分かち合うことで、互いを理解し合い、家族、親族、仲間たちとの絆が深まる。」
「みんなのヒストリーを聞かせてもらうことが、俺のためになる。だから、今日俺は自分のヒストリーを語った。」
 そんな内容のメッセージを受け取った。

(メッセージを正確に伝えたかったがために、アドリブを封印し、プロンブターを使用するという、彼らしからぬステージングを選んだのか?)

 だからこそ、若い頃の思い出話が中心になったのだろうと思う。1970年代中盤以降の成功譚については誰もが知っている。そんな話をわざわざ持ち出す意味はない。(また、対立を深め合うよりも、アメリカの自然や普通の景色の美しさを思い起こす方が重要だと伝える意図も感じた。)

 彼のストーリーが回顧的であったのには、単に思い出を懐かしんでいる以上の意味があると思う。結局人間は原点に戻って行くのだと思う。大抵人は故郷を懐かしみ、いつか帰りたいと願う。ブルースの場合は嫌っていた故郷から離れることができず、今は反対に愛着を持っている。生まれ育った環境を振り返ることで、自分の生き方を再確認するのが人間という存在なのだろうか。

(個人的なことになるが、自分が12歳まで住んでいた北海道の山中の田舎町を、2年前に約40年振りに訪れてみた。それは自分にとってとても意味のあることだった。そんなことも思い出させられた。)

 このような感想はあくまで自分勝手なもの。実際ブルースが何を考えていたかは分からない。なるべく情報は持たずに観たかったので、事前に関連記事を読むことは一切しなかった。それが今でも続いている。ネットの記事等で公演での実際の「語り」を探した程度で、彼のインタビュー記事すらひとつも読んでいない(On Broadway が始まって以降のインタビューはあるのだろうか?)。

 自分が受け止めた内容、耳に刻んだフレーズが、どれだけ正しいか自信がない(なので聞き間違いや記憶違いが多いだろう点は、どうかご容赦を)。聞き取れなかった言葉、理解できなかった話も多い。なぜ笑いが起こるのか分からなかったところも多かった。それでも、はっきり伝わってくるメッセージは多かった。正確に全てを聞き取れなくても、どんな話をしているのか大体わかった。それには自伝を繰り返し読んでおいたこと、さらに Audio Book を聞いて耳慣らしをしておいた効力が出た。

 そう、これを書いていて気がついたのだが、ステージでは随所で自伝 "Born To Run" 中の文章がほぼそのまま語られた。もしかしたら大部分が著書からの引用だったのかも知れない。そうだとしても、大部の本の内容を2時間強にまとめ、関連する曲を挟んでいくことで、自伝とはまるで別の作品が構成されているようにさえ感じられるのが不思議だ。

 そして何より、ブルースの声そのものの気持ちよさ、語りの心地よさが、理解の及ばないところを補い上回った。たとえ歌詞が分からなくとも、音楽が人を感動させるように。笑い話の方が言葉として頭に残りやすかったので、それらを中心とした語りの紹介になったが(結果としてなるべく本筋は隠すよう配慮したつもり)、本音を吐露するような言葉にとても温かさがあって、今でも心に残っている。笑いの絶えない時間だったが、英語ネイティブな人たちにとっても、ハートウォーミングな話やシリアスな話題の方が記憶に残ったのではないだろうか。

(もちろんブルースの語ったことを正確に全て知りたい。そう思ってトランスクリプト/書き起こしをネットで探してみたのだが、当然ながらそんなものは見つからなかった。プロンプターを使っていたのだから、彼の語りの全文をいつか公開してもらえないだろうか。より望ましいのは映像作品としてリリースすること。この素晴らしい Springsteen On Broadway を映像記録として残すプランはないのだろうか? 正直、ビデオで観ても、現場で体験した感動にはとても及ばないとは思うのだが。それでも、ビデオででも構わないから、全てのファンに観て欲しいステージだったし、多くのファンが観たいステージに違いない。)

 語りの素晴らしさにも増して感動したのは、"Born in the U.S.A." と "Land of Hope and Dreams" でのギターと歌(とりわけギター!)だった。特に "Land of Hope and Dreams" のギターこそ、最大のハイライトだったと思う。この1曲だけでも 850ドルの価値があったと言いたくなるほどだ。

 いや 850ドルというチケット・プライスはやっぱり高い。それでも、このステージを観てしまった今は、「観た」か「観ていない」かでしか、自分の中で価値の線引きをできなくなってしまっている。正にプライスレスな体験だった。

(もう一度観ることができないかと思って転売サイトを調べると、結構な数のチケットが売られている。どうやら転売は防ぎ切れなかったようだ。しかしチケットの価格は、一番安い3階後方の75ドルの席でも定価の約20倍、1000ドル以上の値がついている。1階中央エリアは3000ドル台。最終日6月30日の1列目に至っては7000ドル以上だ。狂ってる。)

 2016年、アメリカ・オークランド、2017年、オーストラリア・シドニー、2018年、アメリカ・ニューヨーク。3年連続でブルース・スプリングスティーンを観てその真摯な姿に触れたことにより、彼の音楽を聴いて楽しいとか、気持ちいいとかいった次元を通り過ぎてしまった。ブルースは心底信頼し尊敬できる男だと確信した。自分にとってはそのことが重要だ。

 ブルース・スプリングスティーンは、シンガーとしても、ギタリストとしても、ソングライターとしても、サウンド・クリエイターとしても、そしてストーリー・テラーとしても、とてつもない高みに達している。今ブルースは表現者としての極点にいると思う。

 そんなブルース・スプリングスティーンと同時代に生き、彼の肉声を目の前で受け止める機会を与えられた自分は、本当に幸せ者だ。生涯忘れられない体験に恵まれたことを感謝するのみ。


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# by desertjazz | 2018-02-25 23:03

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