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◆ Felabration Tokyo 2024 開催決定!

Fela Kuti + Celebration = Felabration

Celebrating Afrobeat Culture

Celebrating the Afrobeat legend, Fela Anikulapo - Kuti



Felabration は Fela Kuti の娘 Yeni Anikulapo-Kuti が提唱して 1988年に始まった。
Fela をリスペクトする人々、Afrobeat を愛する人々が、Fela の誕生日に合わせて毎年秋に集う。

日本でも 2012年以降、本家公認イベントとして大阪で開催されてきた。
その Felabration が遂に東京にやってくる。
10/24(Thu) - 下北沢ADRIFT

イベントを司どるのは、Akoya Afrobeat のパーカッション奏者 Yoshi Takemasa。
Kuti Family からも認められた、日本を代表するダンサーの Aya Ifakemi Yem。
Yoshi はこの日のために、はるばる NYC から参上。


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ライブを担うのは、大編成ユニットの R.S.J Collectives。
そこに Akoya の Yoshi 'Tony' Kobayashi と Yoshi Takemasa も加わる。
今回も本格的な Afrobeat で存分に踊らせてくれることだろう。


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そして、もう一つのサプライズ!
長年 Fela Kuti のアルバム・カバーを制作してきた Lemi Ghariokwu もデザインで協力。


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昔から Fela Kuti とゆかりのある人たち、
不正と戦い続けた Fela に共鳴する人たち、
Afrobeat をひたすら熱愛する人たち。
そうした面々が集結し Fela Kuti を祝福する素晴らしい夜が待っている。

1ヶ月後の 10/24、下北沢で会いましょう!


< ↓ 詳細はこちら ↓ >








# by desertjazz | 2024-09-24 00:00 | Sound - Festivals

New Disc : Thandiswa Mazwai \"Sankofa\"_d0010432_15570405.jpg



 南アフリカ共和国のサンディスワ・マズワイ Thandiswa Mazwai の新作 "Sankofa" (King Tha Music, 2024) がとてもいい。中でも Nduduzo Makhatini がピアノで参加している 'kulungile' が素晴らしい!



 遅ればせながら、ミシェル・ンデゲオチェロ Meshell Ndegeocello の昨年作 "The Omnichord Real Book" を今頃聴いみたら(グラミーを獲得したこのアルバム、傑作級ですね!)、11トラック目の 'THA KING' で、無伴奏でキレイなクリック発音が耳をとらえた。一体誰かと思ったらサンディスワだった。

 サンディスワは 1990年代に人気を博したクワイト四人組ボンゴ・マフィン Bongo Maffin の紅一点。当時は "The Concerto" (1998) 収録のダンサブルでイケイケな 'Amadlozi' くらいしか聴いていなかった。しかし改めてヒット曲を拾い聴きしてみたら、どれも軽快で気持ちいいサウンドばかりだった。2003年11月29日には、南アフリカ共和国のケープタウンで開催されたエイズ撲滅チャリティ・コンサート "46664" に出演したので(日本でも CD と DVD が発売された)、欧米や日本にはそれを通じてボンゴ・マフィンとサンディスワ・マズワイのことを知った人もいるかもしれない。

 ボンゴ・マフィンはアルバム6作をリリース。それからサンディスワはソロ活動に移り、最初のアルバム "Zabalaza" (2004) が大ヒット。 その後、"Ibokwe" (2009)、"Belede" (2016) をリリース。そして今回の "Sankofa" がソロ4作目。彼女は今どうしているかと思いついて調べて、この新作に気がついた次第だ。

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 ジョハネスバーグ、ダカール、NYCでレコーディングしたという今回のアルバム、ジャズ(サックスもいい)からコーサの民族楽器、さらには Simmy のようなシルキーさまでをブレンドした心震わせるサウンドにすっかり引き込まれてしまい、半ば興奮しながらリピート中。スティーブン・ビコやミリアム・マケバの肉声?を大胆に混ぜ込んだのは、先達たちへのリスペクトか。クワイト時代と比較すると、とても落ち着いた深みのあるサウンドで、大いなる変身を遂げている。ミシェル・ンデゲオチェロに「彼女は天才」と言わせるくらいなのだから大したものだ。


 そのミシェル・ンデゲオチェロとは今回が初共演ではなく、"The World Has Made Me The Man Of My Dreams" (2007) の中の1曲 'Article 3' に作曲とヴォーカルでクレジットされている。パンク/ニューウェーブ風の小品で、ドラムは Deantoni Parks、ギターは Pat Metheny(ただし個人的には、この曲もアルバム全体もさほど良いとは思わなかった)。

 全然知らなかったのだけれど、サンディスワ・マズワイはミリアム・マケバと比較されるほど評価が高いのですね。残念ながら、このアルバム、フィジカルが見つからない。現在、南アでは CD のリリースがほとんどないらしいので、これも出ていないのだろう(?)

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# by desertjazz | 2024-09-22 19:00 | Sound - Africa

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◇マイク・モラスキー『ジャズピアノ その歴史から聴き方まで』(上・下)(岩波書店、2023)読了。

 モラスキーの著作を読むのは『戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ』(青土社、2005)以来。今回の大部2冊は内容をピアノに限定したものではなく、ジャズピアノを通じたジャズ史として読むことができる。ジャズピアノのテクニックと聴き方を主題に語られるが、ピアニストの生まれ育ちや、重要なサイドメンについても紹介されている。

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 読み応えがあったのは、アール・ハインズ、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、テディ・ウイルソン、アート・テイタムの5人についてたっぷり解説しているところ。それと、ユニゾン奏法、ブロックコード奏法、ロックハンド奏法といったテクニックの説明。アート・テイタムのどこが評価されているのか長年分からないでいたのだが、これを読んでその凄さに納得(アルベジオの多用には、流石に古さを感じたが)。自分は楽器を演奏しないので、ユニゾン奏法の難しさや、ロックハンド奏法の具体例など、こうしてピアニストに解説されなければ認識することはなかっただろう。何より興味深く思ったのは、この本を読んで左手の動きをより意識して聴くようになったことだ。

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 自分の好きなピアニスト、マッコイ・タイナー、レッド・ガーランド、そしてハービー・ニコルスについても詳しく書かれていて参考になる。有名なピアニストには、左利きや指に障害のある奏者が意外と多いことも知った。

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 その都度、紹介音源を聴きながら読んだのだが、かつての巨匠たちの代表作は概ね手元にあったものの、聴いてこなかった作品や聴き込んでいない作品も多い。若い頃に無理してでももっとレコードを買っておけばよかったと少々後悔。その一方で、新しい音楽をもう少し知りたいとも思うのだけれど。

 不便に感じたのは、アルバムジャケットなどは掲載せず(そもそも全ページ文章のみで、写真は全くなし)、動画の URL なども基本的に不記載なために、音源によっては見つけるのに手間取ったり見つけられなかったりしたこと。ネット検索すれば簡単に探せるはずと判断し、またこれ以上ページを増やせなかったからなのだろうが(2巻で800ページ強)。

(ひとまず1週間かけずに一気読みして、今2周目。詳しい感想は、再読後に気が向いたら。

 → 追記:結局10日ほどで2度通読。ドード・マーマローサ Dodo Marmarosa のようなあまり名前を聞かないピアニストも高く評価している。誰だったかと思って調べて、チャーリー・パーカーの Dial Session のピアノだったことを知った。色々忘れている。それで Dial Session を聴き始めたら面白くて、結局全録音を一気に聴き直してしまった。)


 マイク・モラスキー『ジャズピアノ その歴史から聴き方まで』を読んでいる間、こうした CD も聴いていた。

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 巨匠たちそれぞれが最高だったと言われる録音と歴史的ライブって、時期がほぼ重なっているのですね。"From Spiritual..." はもう少し早い印象だったのだけれど、チャーリー・クリスチャンもカーネギーに立っているので、そんなはずはなかった。それにしても、30年代後半から40年代初頭はすごい時代だったんだな!

 ・Teddy Wilson (with Billie Holiday) 1935-1939
 ・Count Basie (Decca) 1937-1939
 ・Duke Ellington (The Blanton - Webster Band) 1940-1942
 ・From Spiritual to Swing (Carnegie Hall) 1938/1939
 ・Charlie Christian (Minton's Playhouse) 1941

 これら5セットだけで CD 19枚。素晴らしすぎて、聴き始めると、他を聴く時間がなくなってしまう。


 牧野直也の「ポスト・ジャズからの視点」、『リマリックのブラッド・メルドー』に続く2冊目はいつ?と思っていたら、2022年にとうに出ていた。『<ポスト・ジャズからの視点 II>  チャーリー・パーカー伝 全音源でたどるジャズ革命の軌跡』という執筆に13年かけた大著。早速読み始めたが、580ページ超あるので先は長そうだ。

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# by desertjazz | 2024-09-07 23:00 | Book - Readings

徹底研究・ブッシュマンの音楽 17 : ブッシュマンの録音 (10)_d0010432_22413993.jpg


■ Music of Bushman - 17 : Records of Bushman (10) ■


◆ 1970年代のボツワナにおける貴重な録音

"Musiques & Traditions du Monde : Pygmées & Bochimans"(CBS 80212、1976)

 これまでにリリースされたブッシュマン(サン)のレコードのうち、入手できず長年探していた最後の1枚を遂に手に入れた。これは中村とうよう『アフリカの音が聞こえてくる』(ミュージック・マガジン、1984)の「ピグミーたち」の項で紹介されている(P.170/171)のを目にして以来、40年間一度も見たことがなかったレコードである。それをたまたま見つけることができたのだが、幸運なことに何とジャケットもレコードもピッカピカの超ミント。おそらく数回しかレコードに針を落としていないのではないだろうか?

 このレコードは変則的な構成になっている。A面の全部とB面最初の1トラックが、ガボンのバカ・ピグミー Baka Pygmy の録音で、B面の残り6トラックがボツワナのブッシュマンの録音である(だから『アフリカの音が聞こえてくる』のピグミーのところで取り上げられていた)。

 困ったことに、録音内容に関する情報が非常に少ない。まず録音年なのだが、バカ・ピグミーの録音が 1973年2月で、レコードのリリースが 1976年であることから、ブッシュマンの録音も 1970年代前半だろうと推測される。次に録音場所についてなのだが、最初の4トラックがクン(!Kung)・ブッシュマンのものと書かれているので、これらはボツワナの北西部、ナミビア国境に近い地域で録られた可能性が高い(クンの多くはボツワナ北西部とナミビア北東部で暮らしている。'Lone Tree' のそばとも書かれているが、オカバンゴ地帯には昔から、ポツンと1本だけ立っているためにそう呼ばれる木がある)。最後の2トラックは Mabebé での録音と記されている。地図でその場所を確認すると、ボツワナ北部のほぼ中央、オカバンゴ・デルタの東の端あたりだったので、これらもクンの音楽だろうと思う。

 このアルバムのブッシュマンの録音を行ったのは、フランスの Hubert de Fraysseix という人物。彼は Research director at CNRS and director of the Musiques & Traditions du Mondecollection とのこと(CNRS : The Centre National de la Recherche Scientifique / National Center for Scientific Research)。どうもフランスの公的機関?によるリサーチで録音されたもののようだが、どういった目的でなされたのだろう。

 各トラックとも「小さなアンサンブル」「大きなアンサンブル」「男性デュオ」「闘い」「女性の小さなアンサンブル」といった具合に、各パフォーマンスに加わった人たちの規模を示すだけで、具体的な曲名、音楽の主題や内容などには全く触れていない。そのことから想像すると、これは元来レコード化を目的とした録音ではなかったとも考えられる。それでも録音状態はいい。


 収録トラックは次の通り。

 Musique Des Bochimans !Kung Du Botswana

  B2) Petit Ensemble 3:10
  B3) Grand Ensemble 4:30
  B4) Duo D'Hommes 1:48
  B5) Combat 2:35

 Musique Des Bochimans De La Région Mababè

  B6) Petit Ensemble De Femmes 3:05
  B7) Petit Ensemble De Femmes 3:40

 B2 は女性たちによるコーラスとハンドクラップ(手拍子)。参加しているのは4〜5人くらいだろうか。こうした類の音楽は、どのブッシュマンでも女性だけで行われる(男の咳払いが聞こえるが、参加はしていないと思う)。その歌い方は、特に歌詞のないヨーデル風である。ピグミーのポリフォニーコーラスと同様、ユニゾンのコーラスではなく、一人ひとりが異なるメロディーを口ずさむためとても複雑な響きで、それがモワレ状に広がっていくところが魅力的だ。輪唱的な特徴も感じられ、アイヌの女性コーラスのウポポ(あるいはウコウク)を連想させもする。
 ハンドクラップは基本4拍子だが、全員がジャストなビートを打つのではなく、一人が裏打ちを入れることで複雑なものにしている。最後、全員同じタイミングでハンドクラップを止めて突然終わる。ブッシュマンのコーラスとハンドクラップを聴く度に、どのようなきっかけで息を合わせて終わるのか不思議なのだが、音を聴いただけではその仕組みがよくわからない。

 B3 は典型的なヒーリング・ダンスだろう。ブッシュマンの集落では、時々住民が全員参加して夜通しヒーリング・ダンスが行われていた(現在も継承されているかは不明)。ヒーリング・ダンスでもコーラスとハンドクラップは全員女性である。彼女たちは焚き火を囲んで車座になり、手を打ち鳴らして歌い続ける。
 これは4拍子のリズムで、B2 よりもテンポがかなり速い。ハンドクラップはほぼ全員同じパターンだが、コーラスは皆バラバラのタイミングで異なるフレーズを口ずさんでいる。また、コーラスとは別に一人の女性が時々全く別の叫び声を上げている。
 そうした女性たちの周囲を、男たちが力強くステップを踏みながら回り続ける。一人吠えるような声を発しているのは、病人に対してヒーリングを施すヒーラーである(途中から別の男の叫びも加わって賑やかだ)。テンポは途中から幾分ゆっくりになっていき、最後、ハンドクラップがダブルカウントになってピタリと終わるところが実に見事だ。
 ヒーリング・ダンスはブッシュマンたちにとって最高の楽しみだという。数分間コーラスとダンスで盛り上がり、その後ひと休みしながらの賑やかな談笑の時間に。それらを交互に繰り返しながら、ヒーリング・ダンスは明け方まで続けられる。

 B4 は男性2人の歌で、互いにほとんど異なるメロディーを別々のタイミングで口ずさんでいる(時々全く同じにもなる)。こうした歌は記憶になく、かなり珍しいのではないだろうか。2人とも「ウォー」「ウェー」などと発声しているが、その言葉には特に意味はなさそう。なんとものどかな雰囲気の歌だ。

 B5 は「闘い」と題されており、数人の男たちが短い叫びを交わし合っている。まるで野獣が牙を向いて吠えているようで、これはライオンのような猛獣たちの戦いを模しているのかもしれない。歌というより、武道か何かで気合を入れる声、あるいは狩猟の時に獣を追い立てる声を聞いているようでもある。ハンドクラップが聞こえるので(4拍だが最後の4拍目は休止している)、女性たちも参加しているのだろう。この類の録音も他では聴いた記憶がない。

 B6 は、女性たちのコーラスとハンドクラップ。ハンドクラップはハチロクのリズムを生んでおり、全員一緒のタイミングで打っているように聞こえるが、よく聴くと一人が裏打ちを入れており、それが変化を生み出している。

 B7 も B6 と同じメンバーによるものだろう。全部で5人くらいだろうか。今度は4拍子のリズムだ。一人が口ずさむフレーズに対して、他の女性たちが同じフレーズを返しており、コール&レスポンスのようになっている。B6 と B7 はステレオ感のある録音のため、各人の歌の特徴が捉えやすい。


 レコードやストリーミングで聴くことのできるブッシュマンの録音は元々少なく、1970年代のものに限れば他にないはず。そうした観点からは、このアルバムの録音は貴重な記録と言えるだろう。短めの録音が6つだけというのは物足りなくもあるが、ブッシュマンのヴォーカル音楽の典型をいくつか紹介しており、それらの多様性も感じられて面白い。

 アフリカ狩猟採集民の音楽といえば、まずピグミーのものが有名だが、ブッシュマンの音楽も同様に素晴らしい(両者に共通点の多いことも興味深い)。なので、ブッシュマンの音楽ももっと広く知られてほしい。このレコードの音源はインターネット上で公開されていないだろうか?


 なお、アルバムのジャケットは表も裏もブッシュマンのものである。また、ブックレットにもブッシュマンの子供たちを写した写真が1枚大きく掲載されている。


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 これで、ブッシュマンに関しては、オフィシャルにリリースされた録音を全て聴くことができた。第4回で取り上げた "Instrumental Music Of The Kalahari San" (Folkways Records FE 4315, 1982) だけはまだ未入手なのだが(マーケットには1枚出ているが、4万円!)、この音源はネットで聴けるし、私の関心の中心はヒーリング・コーラスと親指ピアノ(デング)であ理、求めていた音源が全て手元に揃ったので、これで一区切りつけて次に進めるだろう。


(ピグミーに関するオフィシャルな音源も多分全て?入手できたはず。ブッシュマンの次にはピグミーの全録音を整理したいと考えているのだけれど、ピグミーはムブティ、エフェ、アカ、バカと4つに分類されるなど種類が多く、またリリースされたレコードも相当数あるので、ブッシュマンと比べるとずっと難しそうだ。)








# by desertjazz | 2024-09-06 19:00 | Sound - Bushman/San

読書メモ:中村隆之『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』ほか、環大西洋的論考の諸作_d0010432_14163038.jpg



 中村隆之『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』(人文書院、2022)読了。

 中村隆之さんの書かれたものをここ最近よく読んでおり、この本もたっぷり楽しめた。全編書き下ろしだろうと思って手にしたところオムニバスだったのだが、それでも時期の離れた原稿がうまく並べられて構成されていて、流れがとてもいい。マルティニック(マルティニーク)島やグアドループ島の黒人たちの、植民地状況への抵抗、それを支える思想などについて理解しながら、5日間で読み通してしまった(ゆっくり読もうと思っていたのにも関わらず、先が気になってしまって)。


 今年はアフリカとカリブ海の歴史や思想について学び直そうと考えて、中村達『私が私が諸島である カリブ海思想入門』(書肆侃侃房、2023)、マリーズ・コンデ『生命の樹 あるカリブの家系の物語』(平凡社、2019)、山口昌男『アフリカ史』(講談社、2023)、河野哲也『アフリカ哲学全史』(ちくま新書、2024)などを読んでみた(昨年は復刻したマンゴ・パーク『ニジェール探検行』なども)。『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』も、そうした流れで選んだ1冊である。

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 『アフリカ哲学全史』や『環大西洋政治詩学』を読むことで、レオポール・セダール・サンゴール、エメ・セゼール、フランツ・ファノン、エドゥアール・グリッサンなど名前は知っているものの、きちんと理解していなかった重要人物たちに関して頭の整理をできたことは大きい(それにしても、マルティニックという小さな島から偉大な作家や優れたミュージシャンが相次いで登場したのはどうしてなのだろう)。

 ネグリチュードがフランスに集ったフランス植民地の若者たちが打ち立てた概念であることもあって、従来より、そうした仏語圏の詩人・作家や政治家に関する研究が先行している観がある。そうしたことを指摘しつつ、英語圏カリブ文学を研究し、英語圏カリブのフランス語圏に劣らない重要性、歴史や現状について著した『私が私が諸島である』は興味深い。ただ、常に仏語圏の研究を参照点としながらも、英語圏の特殊性が何かというところまで捉えきれていない印象を受けた(フランス語圏とは異なり、カリブの英語圏の島々には労働力を補うためにインド人が多数移民していることをこれを読んで知った。読後時間が経っており、著者の中村達さんは最近各所で評価されているようなので、この本は再読すべきだろう)。

 もう一人の中村さんのことに話を戻そう。フランス語文学や音楽を含めたアフリカ文化などを専門に研究されている中村隆之さんの存在に気がついたのは(遅ればせながら)約2年前。アラン・マバンク『アフリカ文学講義 植民地文学から世界 - 文学へ』の翻訳やオレリア・ミシェル『黒人と白人の世界史ー「人種」はいかにつくられてきたか』の解説を読んで、良い仕事をされていると感じたのだった。それで、結構な数出ている彼の著書を少しずつ読んでいるところだ。

 しかし、中村さんへの興味の契機となったのは、なんと言っても彼があるフランスの歌手について著した『魂の形式 コレット・マニー論』だった。細田成嗣さんが編集された『AA 五十年後のアルバート・アイラー』に圧倒されて以来、カンパニー社の本はほぼ全て読んでいるのだが、この『魂の形式』はどうするか正直しばらく迷った。コレット・マニーなる歌手は全く知らなかったので。ところが読んでみたら、これが圧倒的に面白かった(フランスのジャズ界との関係なども初めて知る興味深いことばかり)。実はこの頃はまだ、アフリカやカリブの研究者である中村氏と同一人物だとは気がついていなかったのだが。

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 そして、岩波書店の『世界』(2023年8月〜2024年1月)で連載された「ブラック・ミュージックの魂を求めて」を読んで中村さんへの興味が決定づけられた。アフリカから奴隷として連れ去られた人々が、アメリカやカリブでどのように音楽を支えとして生きてきたか、それが現代の音楽までどのように通じているのか。全6回という長くないテキスト量に、音楽を主軸とした広い世界観と長い歴史観が見事に描かれていたのだった。

 中村隆之さんの著作に惹かれる理由は、視点の興味深さ、研究の精緻さ、論考の深さなどに圧倒されるからだ。可能な限りあらゆる資料に目を通し、作品を読み/聴き、対象とする人物に、まるで旧知の仲であるかのように肉薄する。そのレベルが尋常じゃないのだ(振り返ると、グリッサンやフォークナーへの迫り方は、コレット・マニーの時も一緒だ)。そうした内容もさることながら、文章の読みやすさにも感心してさせられる。加えて、文章に間違いがなく、誤植やケアレスミスもほとんどない。一体どれだけ時間をかけて丁寧に書かれているのだろう。

(・・・余談になるが、最近専門書を読んでいてスムーズに進まないことが多い。内容を十分に理解できないことは自分の責任だとしても、何度読み返しても意味が掴めない文章、明らかに日本語としておかしな文章、延々同じ語尾を繰り返してリズムの悪い文章、極端に長い一文、基本的事項の誤り、読点の位置が悪い、助詞が間違っているなどして正しい意味を掴むのに苦労する文章、そうしたものがとても目に付く。そうした本に限ってケアレスミスも多い。最近は編集者は校正までしないのだろうか? 例えば中村とうようさんや、友人の作家たちは、内容の深いものをとても読みやすく書く。こうしたスキルは結構重要なのではないだろうか。)

 河野哲也『アフリカ哲学全史』と『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』はどちらもクロード・マッケイを重要人物として挙げている。やはり彼の代表作『バンジョー』くらいは読んでおかなくてはいけないか。
 昔マッシリア・サウンド・システム Massilia Sound System のリーダーのタトゥー Tatou がムッスーT Moussu T e Lei Jovents を結成した直後、マッシリアとは別のグループを始めた理由をタトゥー本人に直接尋ねたことがある。それに対して彼は、クロード・マッケイの『バンジョー』を読んで、かつてマルセイユの港にはアメリカやカリブから来た黒人の船乗りがいて、彼らがバンジョーで奏でるオペレッタなどがあることを知った。そこからムッスーTを着想したのだと語ってくれた。それでマッシリア・サウンド・システムのギタリストのブルー Blu がバンジョーを弾き始めたのだった。
 だが、『バンジョー』は訛った英語で会話がなされるので、英語が不得手な自分には少々手強く、一向に進まない。いつか日本語訳が出ることを期待しているのだが(訳しにくいし、売れないだろうな)。

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 『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』は装丁の美しさも魅力である。しばらく前に読もうと思い実際の本を探したのだが、図書館にも近所のどの書店にもなかった。高いので迷ったが、結局内容を確認せずに買ってみたら、これが正解。この本に限らず、『第二世界のカルトグラフィ』(共和国、2022)などもデザインと装丁がよく、それだけで手元に置いていて嬉しくなる。

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 さて、『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』を読んで、グリッサンやシャモワゾーも読みたくなったものの、そのような時間は取れるのだろうか。ところが、書棚には 1995年に翻訳されたパトリック・シャモワゾー+ラファエル・コンフィアン『クレオールとは何か』(平凡社、1995)が並んでいた。1990年代初頭には、マラヴォワ Malavoi やカリ Kali の音楽を熱心に聴き、いつかマルチニックやグアドループを訪ねてみたいと考えながら、このような本も読んだのだった。しかし、「エピローグ フランス海外県ゼネストの史的背景と<高度必需>の思想」を読んで、カリブの美しい楽園というイメージが生やさしすぎることを痛感させられた(東琢磨『全--世界音楽論』の書名はグリッサンを真似たものだと気がついたりも。このことは著者自身が「はじめに」に書いていた)。

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 ところで、専門家でも研究者でもない私がこうした類の書物を読むことに意味があるのだろうか。あくまで個人的趣味、知的好奇心を満たす楽しみで十分だと思っている。だが、アフリカやカリブの音楽を聴く上での心構えとして、こうした知識は持っていた方がいいと思う。そして、それらは意外なところで結びつき合い、新たな視点も与えてくれる(実際、レコードの解説や雑誌の原稿を書く際に生きてくる)。

 『環大西洋政治詩学 二〇世紀ブラック・カルチャーの水脈』で、植民地政策が人種差別を生み出したこと、差別する者がそれを意識していないことを繰り返し解説している。そして、それと全く同様な構図が日本にも当てはまること、それが今の日本におけるヘイトスピーチ/弱者への差別を生み出していることを認識させられた。

 続いて、石田昌隆さんの新刊『ストラグル STRUGGLE - Reggea meets Punk in the UK』(TypeSlowly、2024)を読んだ(石田さんの本は毎度面白く、今回も一気読み)。英語圏カリブ(ジャマイカなど)とUKとの関係が、仏語圏カリブとフランスとの関係と、植民/被植民という観点から捉えるとそっくりだと感じた。その本の「Chapter 1 ウィンドラッシュ世代の移民 UKにおけるレゲエとパンクの出会い」は、最後に The Special AKA の「傑作」"In The Studio" の中の1曲 'Racist Friend' の一節を取り上げている。

 「あなたの友人が人種差別主義者なら縁を切れ」

 そういうことなのだ。人種差別は他人事ではなく、無自覚であってはいけない。そのことを心に刻み、自身の行動を考える上でも、「読んで考える」必要があるのだと思う。

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 中村達さんは『私が諸島である カリブ海思想入門』の終盤で、先代の作家や学者には、ジェンダーやフェミニズムやクィアに関する視点が欠けているという批判の高まりについて書かれている。中村隆之さんも、ジェンダーやセクシュアリティの視点の不十分さについて、反省を込めて指摘されている。最近そのような潮流があるのだろうか。しかし、あらゆる研究も前世代からの積み重ねによって進む物であり、最初から一気に全てを網羅するようなものなどあり得ない。なので、そのような批判にこそ無理があるようにも感じた。
 だが、それを許してしまうと、無意識的に植民地化/奴隷化を行っていた人々に対しても「そうした時代だった」と前時代性を理由に許容してしまうことにもなりかねない。そのことを深く認識しているからこそ、2人の中村さんには、前向きな反省と自己批判があるようにも思った。


##


(考えてみると、カリブーフランス、カリブーUKという関係性は、マグレブーフランスとの関係性とも共通する点が多い。特にかつての植民地アルジェリアとの関係においてそれは顕著で、私が1995年〜96年にマルセイユに移民問題の取材で滞在した時にも「対立」が顕著だった。その時を含めてマルセイユに都合9回通っているのも、マグレブ移民社会の定点観測やオクシタン/カタルーニャ問題への関心が少なからずあるからだ。今年7月に久しぶりにマルセイユを歩いた時にも、そうしたことを意識した。
 ところが、今回マルセイユで様々な人たちと語り合った中で最も印象に残ったのは、トルコによる虐殺からマルセイユに逃れてきたアルメニア移民と、1970年代に彼らが起こした凄惨なテロに関する話だった。ニューヨークに渡ったアルメニア移民の生み出した豊かな音楽、2011年に旅したマレーシアのペナン島のアルメニアン・ストリート、そして 2018年に旅したアルメニアの首都エレバンから見上げた(トルコに奪われた)聖なる高山アララトを思い出したながら、重い話を伺ったのだった。そのようなことは、また別の機会に。)







# by desertjazz | 2024-09-02 14:00 | Book - Readings

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