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 2018年も残すところあと1ヶ月。振り返ってみると、今年はコーカサス、中でもジョージア(グルジア)とアルメニアが自分にとって大きなテーマとなった1年だった。


 昨年のベスト・ライブに選んだのは、アルメニア出身のピアニスト、ティグラン・ハマシアン Tigran Hamasyan のソロ公演(東京)。(→ http://desertjazz.exblog.jp/26352615/)それは繊細で実験性に富み、とてつもない集中力を示すものだった(続いて観に行った屋久島の森での公演は、ティグランの消耗が激しかったようで、時間がやや短かったのは残念だったが)。その余韻が残るうちに、今年の春また彼の新作が届けられた。"For Gyumri" と題されたソロ作で、5トラック収録の10インチEP盤(CD もあり)。夢の世界に誘うような美しく幽玄な調べに(特にA面の短い3曲)、彼のソロ・コンサートの光景をまた思い出す。

 ギュムリ Gyumri はアルメニア北西部の都市で、ティグランの生地である。1988年のアルメニア地震で多数の死者と甚大な被害の出た街としても知られる(当時名はレニナカン)。ティグランの最新作はその故郷を思って演奏されたものだろう。ECM からの近作2タイトル "Luys i Luso" (2015)、"Atmospheres" (2016) も素晴らしかった。そうした彼の音楽にはアルメニアの歴史と情景が刻み込まれている。ティグランが生まれ育ち、そのインスピレーションの源になっているアルメニア、そしてギュムリをいつか訪れたいと思い始めたのだった。


 コーカサス3国の中でアルメニア以上に関心を抱いていたのは、実はジョージアの方(残る一つはアゼルバイジャン)。国内各所の絶景もさることながら、ワイン誕生の国ということにより興味を惹かれた。それでジョージア行きのフライトを時々調べたりしていた。

 そんな折にチャンス到来。今春、カタール航空のキャンペーンを見つけた。ドーハ経由のカタール便を使えば、ジョージアの首都トビリシまで格安料金で往復できる。そのことをパートナーに相談すると、一言。「アルメニアにも行けるんじゃない?」 早速調べるとまさにその通り! 東京ードーハ、ドーハーエレバン、トビリシードーハ、ドーハー東京のビジネスクラス4フライト合わせて、普段の約半額の20万円台。カタール航空は One World グループなので、JALのマイレージを20000マイルほど貯められることを加味すれば実質20万円強だ。カタール航空のビジネスクラスはここ数年ランキングの1位か2位を維持している高評価フライト。これを逃す手はないと思い、コーカサス(ジョージア&アルメニア)旅行を即決した。

 出発までの間は、旅程をじっくり検討しながら、コーカサス関連の図書を手に入る限り読み漁って(島村菜津+合田 泰子+北嶋裕『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化: 母なる大地が育てる世界最古のワイン伝統製法』、木村崇+篠野志郎+鈴木董+早坂眞理『カフカース 二つの文明が交差する境界』、富樫耕介『コーカサス 戦争と平和の狭間にある地域』、廣瀬陽子『コーカサス国際関係の十字路』など硬軟様々に)、コーカサス3国の歴史や風土や建築について学ぶ日々。

 それと平行してコーカサスの様々な音楽を聴き続けた。ロサンゼルス在住アルメニア人たちのジャズ、エレバン在住の若手プレイヤーたちがネット公開する音源、そして多彩なポップスまで。それらの中で、とりわけ味わい深く聴いたのは "Nostalgique Armenie - Chants d'amour, d'espoir, d'exil & improvisation 1942-1952" (Buda Musique) というアルバムだった。大国ロシアやトルコに挟まれ、凄惨なジェノサイドを経験するなど、歴史に翻弄されたアルメニアの民。彼らの多くは世界各地に逃れることとなった。そんなディアスポラたちにはフランス(パリ、マルセイユなど)やアメリカに渡った者も多く、このアルバムにはそうした彼らの心の支えとなった音楽がコンパイルされている。古い録音ながら滋味深く、大変素晴らしい内容で毎日のように聴き入った。


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 そして6月、トランジット地のドーハに飛んで短い観光、それからエレバンへ。アルメニアとジョージアを約1週間ずつ周遊して7月に帰国した。(エレバンートビリシ間は車をチャーターして、観光しながら移動。途中ギュムリに立ち寄ることも検討したが、ルート的に無理だった。)初めて訪れるコーカサスへの旅は、美味な酒と料理、歴史深い建築群、さらには絶景の数々を堪能する素晴らしいものとなった。特にアルメニアの古い教会や修道院を訪れる度に、ティグランはこの景色を見つめる中から素晴らしい音楽を生み出したのかと感慨しきり。(その旅行記は未だ手付かずで、結局年内には書けそうにないのだが、、、。)


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 9月には再来日したティグランのコンサートへ。西宮公演のチケットを手配していたものの、関西地区を大型台風が襲い無念の中止。大阪まで来て諦め切れないので、翌日の名古屋公演の当日券を買い、ティグランの音楽をもう一度味わう。今年もギリギリで、彼の生演奏を楽しめて幸いだった。


 このようにアルメニアを追い続けた2018年。その最後に、待望のアルバムが登場した。ヴァルダン・ホヴァニシアン&エムレ・グルテキン Vardan Hovanissian & Emre Gültekin の第2作目 "Karin" (Muziekpublique) だ。

 ヴァルダンは、アルメニアのダブルリードのたて笛ドゥドゥクの奏者。エムレは、トルコのリュート系弦楽器サズの奏者で、歌も担当。この2人が10数年前に出会ってコンビを組み、そして完成させた作品が "Adana" (2015) だった。柔らかくももの哀しいドゥドゥクの音。端正なサズの調べ。両者の静謐な対話ほど心に染み入るものはない。これこそ 2016年に出会った最高のアルバムだった。

 ジェノサイドという歴史的禍根から国境を挟んで今も対立するアルメニアとトルコ。(今夏の旅行に際してはトルコ経由も検討したのだが、イスタンブールーエレバン間にはフライトは飛んでいなかった、、、というのは当然か)だが2つの国にとって、音楽的にはルーツを共通とするところが多いので、当然ながら2人の音の親和性は極めて高い。

 今回の新作のタイトル「カリン Karin」は、トルコ東部に位置するエルズルム Erzurum の街の古のアルメニア名。現在はトルコ領だが、かつてはアルメニアの土地で、ヴァルダンの祖父もここで生まれたという。近くにはアルメニアの人々の心の拠り所であり続ける高峰アララト山もそびえる。そんなことから、この Karin というタイトルは、音楽にとって国境など無意味であることの象徴にも感じられる。

 前作 "Adana" はドゥドゥクとサズを中心に、ダブルベースなど最低限の楽器だけを加えた、静謐で強い統一感を醸した作品だった。それに対して今度の "Karin" は参加ミュージシャンがぐっと増えて総勢13名。女性ヴォーカルもあって、前作の音に囚われない挑戦作となっているが、聴き始めた当初は「少々やりすぎか?」とも感じた。しかし、アレンジ面での工夫も含めて、トラックごとに多様な彩が加えられていても、サウンドの基本線は不変。決して派手さなどなく、優しさ、穏やかさ、美しさは、全く損なわれていない。淡々としたエレムの歌声もこれまで以上に聴き手を慰るようだ。自分にとっては "Karin" は今、荒んだ下界から逃れた後、深夜に心を鎮めるのに最適な音として響いている。


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 ヴァルダンとエレムの音楽は本当に素晴らしい。当然のごとく次は彼らのライブを観たいと思い、時折調べている。(日本に来てくれないだろうか?)そしてアルメニアのことも、この国の音楽についても、まだまだ知らないことばかり。より深く知るために、アルメニアとジョージアを今度はいつ旅しようかとも考えているところだ。







# by desertjazz | 2018-12-02 11:00 | 音 - Music

Coumba Gawlo "Terrou Warr"

 セネガルの女王様、クンバ・ガウロ Coumba Gawlo Seck が 12/7 に新作 "Terrou Warr" をリリース予定。30周年アルバム?のこのアイテム、通常の CD 盤の他に USB フォーマットでも発売されるようだ。何れにしても、セネガル盤なので、ユッスー・ンドゥールと同様入手しにくいのが困る。


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# by desertjazz | 2018-12-01 23:00 | 音 - Africa

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 「鞠の中村綾ちゃん」(と自分が勝手に呼んでいる)こと、西アフリカはマリ出身のシンガー、アヤ・ナカムラの第2作目が、本日パリから到着。タイトルはそのものズバリ "NAKAMURA"。しかも漢字でも「中村」と添えている。アヤちゃん、よっぽど日本びいきなんだな。

 昨年リリースされたファースト・アルバム "Journal Intime" は 2017年のベスト・アルバム第2位に選んだほどのお気に入り。なので、このセカンドもリリース直後から Spotify で聴き続けていたのだが、やっと CD でも楽しむことができた。


 ベスト・アルバムのコメントでは「声が特別良かったり、抜群に上手かったりするわけでもないのだが、」とちょっと語弊のある書き方をしてしまったが、その声が彼女の最大の魅力だと思う。軽く歌っているようでも、すっと前に出てくる伸びやかさがいいんだよな。まるでベンツに乗っている時のような「余力」を感じさせる歌声。きっと彼女の立派なボディが、その素晴らしい歌声を産む源になっているんだろう。

 さてセカンド・アルバム "NAKAMURA"。デビュー曲 "Brisé"、Fally Ipupa との "Bad Boy" 、MHD との "Problèmes" に匹敵するような飛び切りの名曲は見当たらないものの、いずれも佳曲揃い。例えば冒頭 "La Dot" や Niska と共演した "Sucette" の小気味良いフレージングからして「アヤ印」の楽しさ。PV を繰り返し観て耳に擦り込まれたシングル曲 "Copines" の軽妙なポップさも万人受けして当然。ダンサブルなトラックに身体が揺さぶられる一方で、切々とした彼女の声に包み込まれた女性らしさや独特な哀感には心が揺れる。全13曲で 38分というコンパクトさもいいな。

 アヤちゃん、この新作を引っさげて来年3月末からフランス・ツアーをスタートする。タイミングが合えば、3/30 のマルセイユ(Espace Julien)か 3/31 のパリ(L'Olympia)あたりを観に行きたいと思っていたのだが、、、各公演とも瞬く間にチケット完売! パリ公演がたったの2時間で捌けたことは、ちょっとしたニュースになっていた。ニューアルバムの曲が軒並みフランスでチャートインしたことも驚きと共に話題に。どうやら今、フランスでもアフリカ諸国でも「アヤ・ナカムラ現象」とでも呼びうることが起こっているようだ。

 2年前には日本ではほとんど誰も知らない存在だったのに、これからは日本でもグングン人気が高まりそうな予感。だけれどこれじゃ来日を期待するどころか、ヨーロッパに行ってもライブを観られそうにない。うーん、でもやっぱりアヤちゃんのステージが観たいぞ!



 (補足)

 「アヤ・ナカムラ」という名前の由来をご存じない方のために。

 アヤ・ナカムラは、アメリカNBCで放送されたテレビドラマシリーズ『ヒーローズ HEROES』の登場人物の一人、中村広(ナカムラ ヒロ)のファンで、そこから名前を取ったそう。そして、「アヤ」という名前は本名だそうです。

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# by desertjazz | 2018-11-30 18:00 | 音 - Africa

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 この頃夜になると安東ウメ子さんの『イフンケ Ihunke』をよく聴いている。それもアナログ盤で。これはドイツのクラブ・ミュージック系レーベル PINGIPUNG がプロデューサーの OKI さんに打診して、今年の夏にヴァイナル化が実現した 2LP である。

Umeko Ando "Ihunke" (Pingipung 060, 2018)

 アルバム "Ihunke" は言わずと知れた名盤。2001年にリリースされたオリジナル CD はもちろん持っており(2011年には未発表だった4曲を追加して再発売)、長年愛聴し続けている。しかし、12インチの美しいジャケットを目にした途端、どうしても欲しくなって買ってしまった。これで "Ihunke" は3枚目だ。

 しかしアナログ盤の音が期待した以上に良くて、買って正解だった。CD の音と比較すると、ウメ子さんの歌(ウポポ)も OKI さんのトンコリも、響きの細やかなところまでいっそう美しく記録・再生される。そのため、これまで慣れ親しんだ音以上に、空間的な広がりや奥行きを堪能できるのだ。CD の音も決して悪くないのだが、アナログの音に比べたら、幾分かだけ詰まって密室的に聴こえるように感じた。

 この 2LP には OKI さんへのインタビューを掲載したシートが封入されている。これは、アイヌを知らない/詳しくない外国人向けにアイヌやトンコリについて概説し、アルバム制作に至った経緯などについて書かれたものなのだが、日本人にとっても十分有益な内容だ。

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 それにしても、帯広アイヌのウメ子さん、旭川アイヌの OKI さん、樺太アイヌにルーツを持つ楽器トンコリ、これら3者が出会い、歌(ウポポ)とムックリとトンコリの音が織り重なって生み出される響きの何と美しいことか(数曲でウポポで加わっている女性たちはマレウレウの皆さんですね)。傑作という評価にも納得。自分にとっても一生ものだ。

(私は昔、白老町や、二風谷を含む平取町に住んでいたことがあるので、道南のアイヌにはある程度馴染みがある。だが、旭川や道東のアイヌ、またそれらの差異についてはほとんど何も知らない。アイヌのことをもっと知りたいな。)

 思い返すも、一度ウメ子さんの生声を聴いてみたかった。しかし彼女は 2004年に72歳で亡くなられているので、残念ながらそれは叶わない。その分残された録音を慈しみつつ聴き続けることにしよう。

 私の手元にある彼女の CD は以下の4枚。他に『ムックリと安東ウメ子』(1995年)(Wikipedia によると『安東ウメ子・ムックリの世界』1994年)といった作品もあるようなので、それもいつか聴いてみたいな。

・OKI featuring Umeko Ando "Hankapuy" (Chikar Studio CKR-0102, 1999)
・Umeko Ando "Ihunke" (Chikar Studio CKR-0103, 2001)
・Umeko Ando "Upopo Sanke" (Chikar Studio CKR-0106, 2003)
・Umeko Ando "Ihunke" (+4) (Chikar Studio CKR-0119, 2011)

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 最近はニュースに接する度にいよいよ絶望感がつのり怒りが収まらなくなる。そんな時でもウメ子さんの歌声はまるで子守唄のように私の心を鎮めてくれる。アルバム・タイトル「イフンケ」とは子守唄を意味するという。これは彼女の音楽に最も相応しい名前だろうと思う。







# by desertjazz | 2018-11-30 14:00 | 音 - Music

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 アミナッタ・フォルナ『シエラレオネの真実 父の物語、私の物語』(原題:"The Devil that Danced on the Water")を読了。ブラックダイヤモンド、少年兵、武装集団による民衆虐待(四肢切断、レイプ、等々)と陰惨な印象の強い西アフリカのシエラレオネの現代史を振り返る意味で読んでみた。

 著者のアミナッタはシエラレオネ人の父とスコットランド人の母の間に生まれた女性で、現在はジャーナリストとして活躍中。その彼女の父モハメドは、かつて財務大臣を務めたものの、首相との意見対立をきっかけに政界を去る。しかしその後、無実の罪で逮捕され処刑されることに。1975年、アミナッタ10歳の時に襲った悲劇だった。

 それから25年、彼女はあらゆる資料に当たり、インタビューを重ねる(父を陥れることに与した者も多い)ことで、自分の半生を振り返り、父の晩年の姿を描き出していく。

 周辺に不穏な動きが起こる度に、イギリスやナイジェリアに逃れるなど、絶えず命の危険に晒されたアミナッタの子供時代はなんとも凄まじい。実母との別れといった辛い出来事も重なる。そして、父が殺されるに至った経緯の真相を知ろうとする彼女の忍耐力、精神力にも想像を超えるものがある。そうして浮かび上がった父モハメドの信念はただただ立派であるとしか言いようがない。単に暗澹たる話で終わらせていないところにも救いが感じられる。

 詳細な取材の結果だろうか、登場人物は割合多くて、馴染みない名前が覚えきれない。また時制が激しく現在と過去を往復するための読みにくさもある。明らかに日本語としておかしなところなど、校正がやや緩いところも残念。

 それでも、アミナッタの綴る「父の物語」「私の物語」は、シエラレオネの歴史を照射し、シエラレオネの人々にとっての「私たちの物語」を紡ぎ出すことに、ある程度まで成功している。あくまで個人史が主なので、基本知識として巻末の「シエラレオネの歴史的背景」を先に読むことをお勧めする。

(余談になるが、この辺りは、まるでブルース・スプリングスティーンが Springsteen On Broadway で 'I want to know your story, my story' と呼びかけ、「父の物語」を切々と語った情景をまた思い出してしまった。ネタバレになるので、これ以上は書かないが。)

 アフリカの悲惨な歴史、それは日本人にとって他人事に映りがちだ。この本もアフリカに対する個人的興味から読み始めた。しかし、アフリカのことを知るより、今の日本の状態についてもっと考えるべきだという思いが頭から離れなくて、何とも落ち着かなかった。堤未果が『日本が売られる』の中で「今だけカネだけ自分だけ」と表現する、無能な為政者や権力者(そして大企業の経営者も)の姿は世界共通。「口封じ」ひとつを取っても、我が国は「破綻国家」の手法を後追いしているという怖ささえ感じた。







# by desertjazz | 2018-11-29 19:00 | 本 - Readings

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 誰もの予想をはるかに超えるロングランとなったスプリングスティーン・オン・ブロードウェイ Springsteen On Broadway が 12月15日 12月16日(*2)にいよいよ大団円を迎える。同日 Netflix でその2時間超のステージの完全放映が予定されており、その前の14日にはアルバム "Springsteen On Broadway" のリリースも決まった。CD の日本盤には語りの部分も含めて完全対訳がつくそうだ。これまでスプリングスティーン・オン・ブロードウェイの実際についてはほとんど秘匿扱いで(映像や録音は実質未公開のまま)、実際会場でライブを体験する幸運に恵まれた人だけが知ることのできるものだった。しかしこれで話題のステージの全貌がついに明かされることになる。私が書いたリポートもいよいよ自分の思い出のための記録という役割だけを留めることになるだろう。

Springsteen On Broadway - Part 2b(短縮版)



 私は今年1月にニューヨークで Springsteen On Broadway を観るまでの間、準備作業として、そのステージのベースとなるブルースの自伝 "Born To Run" (2016) を邦訳『ボーン・トゥ・ラン』で2回精読、原書でもブルース自身が吹き込んだ Audio Book を聞きながら通読した。そのことは以前書いた通りだ。

(ちなみに、原書の英文と Audio Book の朗読とでは、2〜3ヶ所ほど食い違っている。例えば、P.314 の 'The hit factory' が朗読では 'The Power Station' に変更されている。ホント、とても細かいことだが、、、。)

 Springsteen On Broadway(以下、「ブロードウェイ」)の放映を前にして、"Born To Run" をもう一度読み返すのも悪くないが、それより Peter Ames Carlin の "Bruce" (2012) を読んでみることにした。この本はブルース・スプリングスティーンに関する最高の伝記という評価を得ているのだから、読んでおくべきだろうし、「ブロードウェイ」を振り返る上で大いに有効でもあるだろう。調べてみると 2013年12月に、ピーター・エイムズ・カーリン『ブルース・スプリングスティーン アメリカの夢と失望を照らし続けた男』という翻訳書が出ていたので、即入手。これで原書は買って無駄になったかと言うと、そうでもない。日本語版では写真は白黒だが、原書ではカラーなので、持っている意味はある。(翻訳書や写真集がもつ宿命だが、訳書はオリジナルと比較してどうしても写真が荒くなってしまうし。余談になるが、日本語版では P.468 の写真のブルースが左利きになっているというミスも犯している。)

 『ブルース・スプリングスティーン アメリカの夢と失望を照らし続けた男』(以下『ブルース』)は約570ページある大著ながら、2週間弱でじっくり精読(その間、クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』など8冊ほどを併読する活字漬け生活になった)。この本は一言で言って、ブルース・スプリングスティーン研究の決定版であり、最高の伝記だ。いや、ブルース本人が書いた「自伝」とはまた別の意味でなのだが。定評高い本なので、今さら語る必要などないのだろう(ホント、徹底的に調べてよく書かれていて、目を見張るような記述の連続で、読み始めると止まらなくなるほど)。

 なので、個人的な感想だけをいくつかメモしておきたい。

 今回『ブルース』を読んで特に感じたのは、ブルース本人による「自伝」との相補性だ。「自伝」を読んで解釈しきれなかったことも、『ブルース』に戻ることでなるほどと頷くことしきり。具体的にいちいち挙げてはいかないが(相補性を感じたのは内容全てとも言えるし、メモは取らずドッグイヤーも折込まなかったので逐一思い出せない)、両者を重ね読むことで気がつくこと理解できることが多いと感じた。もちろんそれは反対方向についても言える。例えば「自伝」で詳らかに書かれ読み手に驚きをもたらした彼の鬱に関しては、『ブルース』でもすでに随所でほのめかされていたが(P.543 には「鬱状態」と明確に書かれている)、どこかぼかしている印象を受けたのだった。

 「自伝」を読んで浮かんだ大きな疑問のひとつは、スティール・ミル Steel Mill をなぜ解散させたのかということ。ここ数年、初期のブルースに興味が膨らみ、レコード・デビュー前の音源を聴き続けているのだが、このパワートリオは本当に凄かった。それは "Chapter and Verse" (2016) でようやく正式リリースされた "He's Guilty" 1曲聴いても伝わってくる。1970年頃には一回の公演に4000人を集めるほどの人気を博したという。彼らがこの路線を進んだとしても、歴史に残るバンドに成長したことは間違いないと思えるほどだ。それが1971年を迎えて早々に解散。そして、1973年のレコード・デビューに際して、彼がスティール・ミル時代に獲得した人気は、さしてレコード売上を後押しする役には立たなかったことも解せなかった。

 それらについては、「自伝」よりも『ブルース』をじっくり読んだ方が納得行く答えにたどり着けたように感じた。解散に関しては、ひとつはブルースが内面的葛藤を抱えてしまったこと、また次のステップとして別の音楽スタイルを求めたことがあり、売上の点では、フリーホールド、アズベリーパークの街に不況と荒廃がはびこる時代背景が大きく影響したようだ。

 極めて個人的なことを一つ。自分はダニーを見たのだろうかという疑問が最近再び浮かび上がった。私がブルースのライブを初めて観たのは、2007年11月のワシントン("Magic" ツアー)。翌年4月にダニー・フェデリシは亡くなったので、そのワシントンのステージ上に彼がいたのかどうか、記憶に自信がなくなっていた。今回『ブルース』を読むことで、彼が E Street Band を去るのはその直後だったと確認できた。brucebase wiki をチェックしても確かにその通り。考えてみると、ワシントン初日には(2007年のツアー唯一のパフォーマンスとなった)"Growin' Up" に続いて、大好きな "Kitty's Back" が演奏され狂喜したのだから、ダニーのオルガンが不在だったはずはない。今は亡きクラレンス・クレモンズを含めた E Street Band フルメンバーのステージをギリギリで体験できたのだった。(ブログ等に何度も書いていることだが、この時自分はフランス旅行中で、パリからワシントンまで4日間だけ往復した。全米ツアーではなく、それに続く欧州ツアーを観に行っていたとしたら、ダニーの姿は見られなかったことになり、本当にギリギリのタイミングだった。)

 「ブロードウェイ」では、幼い頃の記憶、デビュー前の出来事、家族たち(そして盟友クラレンス)について、たっぷり時間を割いて語られる。もちろん大成功以後のことについては誰も知っている話だし、それに比べるとデビュー前の逸話や体験談の方が圧倒的に面白い。アメリカについての語りが短く感じられるほどで、911 についても具体的言及は一切ない。

 例えば、父について、母について、それぞれ1曲捧げられている。成功してから祖父母の家のそばに植えられていたブナの木を見に帰ったこと(そして、、、以降省略)も印象深い話だ。そうしたエピソードの数々はすでに『ブルース』の中で取り上げられている。母について語った後に "The Wish" を歌ったことを補足する内容も短く書かれている(P.464)。ブロードウェイでは「自分のストーリーを知りたい。あなたのストーリーを知りたい。」と語りかけていたが、彼が語りたいストーリーは概ね1980年、30歳を過ぎた頃までについてなのだろうということが『ブルース』からも伝わってくる。そうした点について「自伝」と『ブルース』を重ね読むことで、より一層深まったように思うのだ。

 家族や故郷に対する想いが始めから終わりまで一貫して流れている「ブロードウェイ」なのだが、家族との関係性の中で特に重要なのは父親への葛藤と愛だ。そのあたりについても『ブルース』の記述が頭の整理の一助になってくれた。(自分自身も父との関係がうまくいかなかっただけに、『ブルース』と「自伝」を読んでいると、自分自身について二重写しにして考えることはどうしても避けられなかった。これ以上は書かないが、、、。)

 若い頃は、ブルースの音楽のカッコ良さ、言い尽くせぬ気持ち良さ、過去の様々な音楽を統合した魅力、ダイナミックなドライブ感、独特な構成美などの虜になっていた。しかし今は、それと同時に彼の音楽の深さに心惹かれている。『ブルース』を読むと、彼の音楽には表面的に感じられる以上のものが埋め込まれていることがよく理解できる。ブルースは曲を書く理由をとことん突き詰め、魂を削るようにしてそこにメッシージを埋め込んでいる。だからこそ、私のような英語を聞き取れない者にさえも彼のサウンドが響き、メロディーの良さ、サウンドの心地よさ以上の、とてつもない懐の深さのような何かが自分の魂を揺さぶるのだ、ということに気がつかされたのだった。



 自分は決して熱心なブルース・スプリングスティーンのファンではない。例えば、『ブルース』を読んでいて、アルビー・テローン Albee Tellone 名前が度々出てくるが、その度に「誰だったかな?」と首を傾げる程度のリスナーだ。2作目 "The Wild, the Innocent & the E Street Shuffle"、3作目 "Born To Run"、5作目 "The River" は長年愛聴し続けてきたものの、 6作目 "Born In The USA" のポップさに飽きが来て、さらに "Human Touch" と "Lucky Town" が(リリース直後には)退屈に感じられ、そこでブルースからは離れてしまった。その後も彼の作品は買い続けたものの、聴き込むまでには至らず仕舞い。一度くらいはライブを観ておくかという気持ちで赴いた 2007年のワシントン("Magic" ツアー)において "The Rising" で大合唱になった時も、これは聴いたことのある曲だけれど、どうしてこんなに盛り上がるのだろうと疑問に思ったのだから、酷いものだ。2001年の「同時多発テロ」で亡くなった消防士たちへの哀歌とも言える、ブルースの代表曲のひとつなのに。

 心境が変化したのは 2016年にオークランドで "The River" ツアーを観たことがきっかけだった。愛聴する "The River" の全20曲をフルで演奏するなら是が非でも観たいと駆けつけたコンサート。それは9年前に観たステージを遥かに超える感動的なものだった。評論家などがどこかに書いているか、あるいはブルース本人が明かしているかどうか知らないが、アルバム "The River" を核にツアーを行ったのは、1980年頃にある考えにたどり着いたことが、彼にとってとても重要なターニングポイントだった証拠なのではないだろうか。30歳を過ぎて過去を振り返り認識したことの大きさ、それは『ブルース』にも「自伝」にもそして「ブロードウェイ」にも、ほとんど等しく映し出されているように思える。

 そのようにブルースの心の奥で流れ続けていた何かが私に響いたことで、私を再び彼のステージに向かわせる結果となったのかも知れない。そう考えると、"The River" ツアーを観る気になったのには、とても深い必然性を感じる。オークランドのステージでは、お目当てだった強烈なロック・ナンバーではなく、何より "Stolen Car" に言い知れぬ感動を覚えことにも納得がいく。それを追体験したくて、翌2017年にはオーストラリアに飛び、さらには今年1月、万難を排して Springsteen On Broadway まで観に行ってしまったのだろう。きっと何か特別な力が働いたのだ。ピーター・エイムズ・カーリンの『ブルース』を読みながら、ずっとそのことを反芻していた。

 やっぱりブルース・スプリングティーンの音楽には特別なものがある。



 ところで、この本を読み始めて早々に、以前読んだ記憶のある内容や文章の多さに気がついた。ふと書棚に目をやると、同じ本がもう1冊。とっくに読んでいたのだった! あーあ、またまたやってしまった。しかし、完全に忘れ去ったディテールが非常に多かったので、読み直しになったことは全く無駄ではない。それどころか、これからも繰り返し読み返す必要のあることを確認したのだった。



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(追記)

(*1)『ブルース』を読んで、ブルースが直視した弱者を切り捨てるアメリカの実情を、今の日本はそのまま後追いしているようにも感じられた。(11/26 記)

(*2)Netflix の放送は 12月16日と昨日改めて発表があった。変更になったのか? 合わせて Official Trailer も公開。観ると「やっぱりそこを使うよね」っていう思い出深い瞬間ばかり。しんみりしたあそことか、爆笑したあそことか。(11/28 記)







# by desertjazz | 2018-11-26 11:00 | 本 - Readings

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 ピーター・エイムズ・カーリンの『ブルース・スプリングスティーン アメリカの夢と失望を照らし続けた男』とクロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』を、2週間かけてじっくり精読。今年の完読 71冊目と72冊目。

 まずはレヴィ=ストロース『野生の思考』。

 レヴィ=ストロースはこれまで『悲しき熱帯』(『悲しき南回帰線』)しか読んだことがなく、彼の代表作『野生の思考』くらいは、いつか読みたいと思い続けてきた。今回まとまった時間が持てたのでようやく挑戦を決意。しかしここまで難解だとは想像外だった。「本書はレヴィ=ストロースの著作の中でも格別に難解なものとして知られている。」(訳者あとがき P.362)のだそう。知らなかった!

 読みにくさの理由としては、覚えのない専門用語(それも一学者個人が定義づけし使用しているものも多い)が頻出していること、個々の単語・用語を厳密に日本語へと変換することがほぼ不可能なこと、文章が冗長で構文的にも分かりにくいことなどが挙げられる。この本は原文のフランス語で読まない限り、十分な理解などできないに違いないと思ったほどだったが、きっとフランス人にとってもこの難解さには大差ないことだろう。

 サルトルの『弁証法的理性批判』を解さず、レヴィ=ストロースの他の著書(研究書)も読まずに、この『野生の思考』に挑むことが、そもそも無謀だったのだろう。おそらく内容の1割も理解できていないに違いない。

 それでも、この書籍が書かれるより以前の「野生(野性)の思考」という捉え方が誤りであって、原生的/後進的に思える人々の多くの方が、名付けに関してははるかに複雑かつ見事な構造(といったもの)を持ち、しかもそれらが遠隔した別民族同士で共通項を有し、さらには現代人の思考との共通点や逆方向に対照する奥行きさえ持っている、等々の、論考の骨子だけはある程度把握できたと(勝手に)思っている。

 また、レヴィ=ストロースの論述を支える北米・南米・オーストラリア・メラネシアなどの文化人類学的なフォールド調査の成果の数々が実に興味深かった。どの民族も現代欧米人との接触・交流・混交が進み、彼らの文化の一部あるいは大部分が失われ、こうしたサンプル収集がもはや未来にわたって不可能であることを思うと尚更である。

 その一方で、何度読み返しても文章が把握できなかったり、本当だとは思えないようなロジックに疑問を抱いたりすることが、ほとんど全てのページにあった。息絶え絶えに読み終えて、こんなことならレヴィ=ストロースや構造主義についての概論書を先に読んでおくべきだったとも考えた。しかし、原典に取り組み、自分の限界を越えようとする中で、作品に味わいを感じることもまた、読書の醍醐味なのだろう。







# by desertjazz | 2018-11-25 20:00 | 本 - Readings

 Youssou N'Dour & Le Super Etoile de Dakar のニューアルバム "Respect" が 11/28 にリリース!


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(追記1)11/30 リリースに延期されました。

(追記2)今日アップされたユッスーの最新ビデオクリップを観る限り、新作 "Respect" には、今年4月25日に突然亡くなった Super Etoile de Dakar のベース/キーボード奏者 Habib Faye を悼む曲が収録されているようだ。(12/2 記)







# by desertjazz | 2018-11-24 10:00 | 音 - Africa

Retirement of Salif Keita ?

 サリフ・ケイタ Salif Keita が音楽界からの引退を表明 !?


 10月にリリースした “Un Autre Blanc” がサリフ・ケイタのラスト・アルバムになるようだ(CD発売は11月下旬の予定)。Another White というタイトルに象徴されるのはアルビノの権利保護というテーマ。サリフの声がとても良いなど、充実した内容なので、個人的には今年のベスト・アルバム候補に挙げていたところだった。


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# by desertjazz | 2018-11-19 15:00 | 音 - Africa

 ウアムリア奈津江さんが、ベルベル系シャウイの伝説的歌手アイッサ・ジェルムーニ Aissa Djermouni と彼のアルジェリア盤CDを紹介され話題になった。それ以来、私も彼直系の音楽により注目するようになっている。マルセイユのベルザンスでは、そうしたシャウイ系のCDが色々手に入る。情報が乏しくて、ベルベルの中でも誰がシャウイ系なのか判断がつかない面もあるのだが、ライのルーツとも繋がるようなベルベルの土着的な伝統音楽をいくつか取り上げてみたい。

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 1995年にリリースされた "Anthologie Du Rai" は充実したコンピレーションだった。その中でライのオリジネーターとして紹介された、リミティ Rimitti とシェイク・エル・ハマダ Cheikh El Hamada に次いで取り上げられていたのが、シェイク・エル・ママチ Cheikh El Mamachi だった(Vol.1 のジャケットには彼の顔写真?)。葦笛ガスバとフレームドラム(ベンディール?)だけを伴奏にコブシたっぷりに歌われる、アクの強さやアーシーな感覚は一緒なのだが、アイッサの方が遥かに荒々しい歌だ。恐らくママチの方が随分後年の録音なのだろうと推測されるのだが、いかんせん全く関連資料が見つからない("Anthologie Du Rai" の解説にもフランス語への歌詞抄訳があるのみ)。呪術的でありながら、実に味があって、今度のマルセイユ探索の大きな収穫となった。

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・Cheikh Mohamed El Mamachi "Fi Had Majlisse" (Edition Fraternelle no number)
・Cheikh El Mamachi "Vol.1" (Edition Fraternelle No.369)
Cheikh El Mamachi "Vol.3" (Edition Fraternelle No.06)
・Cheikh Mohamed El Mamachi "Vol.4" (Edition Fraternelle No.430)
・Cheikh Mohamed El Mamachi "Vol.7" (Edition Fraternelle No.402)
・Cheikh Mohamed El Mamachi "Tayara" (Edition Fraternelle No.410)
・Cheikh Mohamed El Mamachi "Vol.12" (Edition Fraternelle No.420)
・Cheikh Mohamed Mamachi "Krim El Glaub Wajbi" (Edition Fraternelle No.432)


 シェイク・エル・ママチの CD がこれだけ出ているのなら、シェイク・エル・ハマダもあるはずで探してくるべきだったと、帰国後に気がついた。ハマダの録音は"Anthologie Du Rai" 以外にもいくつかのコンピレーションに1〜2曲ずつ収録されているが、まとめて聴きたい歌い手だ。Spotify で検索してみると6タイトルあり、どれもいい。これらの CD は次回のフランス滞在で探してみたい。


 ミロウド・エル・ヴィアラリ Cheikh El Miloud El Vialari も良かった。ハマダやママチと比較するとずっと端正な歌い口。録音も良く、動画もネットに複数アップされているので、現役の音楽家なのかも知れない。シンプルな繰り返しのようでありながら、時折ゾクッとする瞬間が来る。

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・Cheikh El Miloud "Kissat El Hadj" (Edition Noudjoum Wanchariss CD77)
・Cheikh Miloud Vialari "Vol.1" (Edition Noudjoum Wanchariss CD79)
・Cheikh El Miloud El Vialari "Vol.3" (Edition Noudjoum Wanchariss CD125)
・Cheikh El Miloud Vialari "Vol.4" (Edition Noudjoum Wanchariss CD147)
・Cheikh El Miloud Vialari "Vol.5" (Edition Noudjoum Wanchariss CD148)


 今回買ったカビールやシャウイといったベルベル系音楽CDで、まだ聴いていないものが手元に数十枚。アルジェリアの音楽は知るほどに奥が深く興味深い。しかし、とにかく各音楽家に関する情報がなくて、紹介しにくいことに困っている。その点、ウアムリアさんの書かれた記事『カビールとシャウイ 注目を集めるアルジェリアのベルベル系音楽』(ミュージック・マガジン2008年1月号 P.84-89)や彼女のブログ『ビバ!アルジェリア』は大変参考になった。だが、より詳しく知るためには、フランス語でも構わないので適当な文献が欲しいところでもある。

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 (続く。残りの未紹介のアルバムについては、また別の機会に。)






# by desertjazz | 2018-11-07 00:00 | 音 - Music
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