Walking around Massilia - Index -

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 突然思い立ってフランス南部のマルセイユにまた行ってきました。現地でのメモや写真、SNS への投稿などをまとめて、ざっくりと書いた旅行記のような記事17本を公開。ユーロメディテラネ構想に伴う再開発・文化化に関する私感、マッシリア・サウンド・システム結成40周年、偶然知った市主催の音楽祭、トコ・ブラーズへのインタビュー(飲み歩き記)、市内各所のレコード店、レストランと食材店、等々、私的なメモ書きばかりですが、何かのご参考にどうぞ。










# by desertjazz | 2024-08-08 14:00 | 旅 - Abroad

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Massilia Blue 〉

 訪ねてくること9回目にして、初めて体験した真夏のマルセイユ。毎日ほとんど快晴で、真っ青な地中海と真っ青な空を目で楽しむ。サマータイムと日の長さもあって、夜も遅くまで青空が広がっている。

 日中の気温は連日 32〜34度と高かったが、日本に比べるとまだ空気がカラッと乾いているので、過ごしやすい。その分、ビールもワインも美味い。マルセイユのワインといえばロゼ。レストランを眺めても 90%以上の人がロゼを選んでいる。「ロゼは邪道だ」「ロゼは美味くない」と公言する Tatou と私は、ここでは変わり者? いや、マルセイユの夏は空と海の青色がグラスに反射する、白ワインがいいだろう。それもキリッと冷えた白だ。

 旧港の海の上にステージを設けて連日行われたマルセイユ市主催の無料コンサート。ステージもライトも衣装も全て青が基本。Tatou たちは藍染の服がひとつのトレードマークになっているが、他のアーティストたちも意識して青を身に纏ったのだろう。市庁舎の前に並べられたプラ(ポリカーボネイト?)製の椅子も鮮やかな青色だった。

 マルセイユの夏は、マッシリア・ブルーが良く似合う。


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〈 Marseille Euroméditerranée 〉

 マルセイユ再開発の現状はどうだったか。

 まず目を見張ったのはエクス門周辺の整備ぶりだった。エクス門まで伸びていた高速道路は中央駅で断ち切られ、それで生まれた余地にはセンスの良い公園が造成され、小さな子供を持つ家族たちにとって憩いの場になっていた。

 エクス門のその周りも、昔はゴミゴミしていて最悪の環境だったが、上記の公園とひと続きにすっきり整備されていた。広い東側のベンチにはアフリカ系の黒人たちが、終日ヒップホップを流しながらたむろしている。一見した感じでは、少々危ない雰囲気。彼らのことが気になりながらも、知り合いはいなく、きっかけもなかったので話しかけることはできなかった。

 エクス門の広場には、かつては露天商や雑貨を並べて小遣い稼ぎをする人々がいたが、今はほとんど見られない。なので幾度も目にした行政や警察からの嫌がらせも今では昔のこととなっているのだろう。トラムの停車場もできて本当に浄化されている。

 エクス門の前のカフェは昔通り。その脇から伸びる小路は、夏だからか小綺麗になった印象。だが、エクス門周辺のCD屋も気に入っていたクスクス屋もなくなってしまい、前回から大きな変化も感じられなかったので、ここの定点観測は今回で終了かな。


 エクス門周辺と同様、マグレブ/アラブ系の人々が行き交うカプチンのストリートは今も魅力的。ある意味、ユーロメディテラネに基づく再開発とは無縁な地域なのかもしれない。初めて来たときには、警察だけでなく軍隊まで動員して、強烈な手入れ(というより嫌がらせ)を受けているのを目にして憤慨したが、さすがに今はそのようなことはないのだろう。

 それでも、マルセイユに来る直前の7月7日に実施されたフランス国民議会(下院議会)選挙では、極右・国民連合(RN)が第1党になる可能性が取り沙汰され、それを危惧し阻止すべく Aya Nakamura などの著名人が投票を呼びかけていた。対抗政党の候補者調整の効果があってか、RN の躍進をギリギリで抑えられた(日本ではなぜこれができないのか?)。もし RN が政権を奪っていたら、果たしてマルセイユもどうなったことだろう。


 ひと頃は目立っていた街中の工事(まるで渋谷のようだった)はなくなり、トラム3路線の工事も終えたようで、ユーロメディテラネ関連の再開発は一区切りといった印象だった。北のアレンク一帯はまだまだこれからといった様相でもあったが。

 そうした中、近年気になっていたのは、共和国街 Rue Republique。市の中心部/旧港付近から新港エリアと真っ直ぐ伸びる通りの両側には整った建物がすっきり並ぶ(パリのシャンゼリゼのよう)。絶好の立地であるのに、なぜか活気が全くない。その理由は、鳥海基樹の『マルセイユ・ユーロメディテラネ:文化化と享楽の衰退港湾都市再生』を読んでようやく理解した。

 20世紀前半(正確にはいつだったかな?)込み入って建ち並ぶ古い建物を破壊して大通りを作ったものの、その後の周辺開発に失敗。住むのは低所得者ばかりで、裕福な人々は皆マルセイユ南部に住むようになった。一時は大手が店を構えたものの、相次いて撤退。なので、通りは閑散としており、広告看板も目にしないのだ。パリでは毎日通う Monop' の店内も汚く、商品管理も杜撰。とても同じ系列店とは思えないほどだ。

 通りの住居は老朽化が進んだものの、結局改修に手をつけられないというのは現状らしい。たとえ内装を手直ししても、貧しい人々からその経費を回収できる見込みはない。当然家賃は根上がるだろうから、彼らを追い出すとにもなる(実際、貧民層を追い出すために、電気や水道を止めるという暴挙がなされたこともあったという)。かと言って、南部のコミュニティーに移り住んだ人々が戻ってくる可能性は低い。結局放置されたままで、「誰も住んでいませんよ」と言われたのだった。


 話は少し逸れるが、弱者軽視はパリでも酷いらしく、パリ五輪を前にしてホームレスなどの貧民たちを非可視化する傾向が強まったと聞かされた。それは東京オリンピックでも全く同様だったことを思い出させる。


 再開発に最も成功しているのは、新港に沿ったハイソな雰囲気の一帯かもしれない。物資の積み下ろし基地という役割を減じつつ、マグレブ同胞やインバウンドを受け入れる拠点という機能がうまく働いているようだ。それには地中海クルーズの人気も少なからず貢献しているらしいことを今回来てみて知った。

 短い期間、断片的に歩いただけにすぎないが、マルセイユに来る度に再開発は着実に進んでいるように見え、ユーロメディテラネ構想とそれが後押しした文化化/観光活性化は成果を生み出し続けていると言えるのではないだろうか。

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〈 La Ciotat 〉

 ユーロメディテラネ構想が落としたマルセイユで興隆しつつあるツーリズムは、Tatou や Blu が暮らす、マルセイユ近郊の小さな漁港ラ・シオタ La Ciotat にも及んでいるという(ラ・シオタは、映画の父たるリュミエール兄弟が制作した『ラ・シオタ駅への列車の到着』でも有名)。バカンス客が増えて、物件価格も上昇、街の雰囲気は変わってしまった。それが嫌で街を離れていった人も多いという話はとても残念だ。

 それでも、これまでに3度訪れたラ・シオタには、穏やかで雰囲気良いという印象を持っている。今回も Tatou に誘われならがも行くことができなかったので、次回の旅ではまた訪ねていきたい。そのためにも 10回目になるマルセイユへの旅を実現しなくては。


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〈 Slopes and Stairs 〉

 鳥海基樹の『マルセイユ・ユーロメディテラネ:文化化と享楽の衰退港湾都市再生』を読み直して、前回マルセイユに滞在した時、ル・パニエ Le Panier 地区が面白いと初めて感じたことを思い出した。振り返ってみると、このエリアはまだあまり歩いていなかったからだろう。『マルセイユ・ユーロメディテラネ』を読んでここの歴史にも興味を持ったので、今回は少し歩き回ってみることにした。

 旧港の北側、ル・パニエは小高い丘になっていて、北との行き来の障壁となってきた。そこで暴力的に貫通させた道が共和国街だった(というのは先に書いた通り)。また J4 も旧港と北を結ぶのにある程度の役割を果たしているとも言えそうだ。

 今回マルセイユを歩き回って、とにかく疲れた。それは暑さのためばかりではなく、坂と階段が多いからでもあることに、今更ながら思い至った。

 パリでは度々ストライキに鉢合わせて、公共交通がほぼ全面的にストップしてしまったことがある。昔、パリ東部のライブ会場から 8km歩いてホテルに戻ったことがある。また4年前の正月には、北駅側のホテルから、Rokia Traoré 3連夜のコンサートが行われた 19区の Le Belvédère de la Philharmonie への往復も、レオナルド・ダ・ヴィンチ展が開催されたルーヴル往復も全て徒歩移動。そのため毎日 20kmくらい歩いたのだが、全く疲れなかった。それはパリ全体が(モンマルトルの丘を除くと)平坦な土地だからだ。

 それに対してマルセイユは坂道だらけだ。マルセイユの歴史を紐解くと、広い平地がなかったことから、どの都市にもあるような中央広場が作られなかったと書かれている。確かにル・パニエに限らず、中央駅に行くにも、ジュリアン広場周辺に行くにも、急な登り坂や階段は避けられない。最たるものはマルセイユのシンボル、ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院だ。ここに辿り着くには長い坂道を登らなくてはならない(普通はバスを利用するが)。

 今更ながら、マルセイユの坂と階段の多さについて改めて認識したのだが、そうした数々の坂道をのんびり歩くのもまた一興だった。それは、エリアごとに異なる個性豊かな通りの表情を楽しめるからであり、また青い大空が心地よいからでもあったのだろう。




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# by desertjazz | 2024-08-08 12:00 | 旅 - Abroad

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Record Stores in Marseille 〉

 かつてベルザンスには、エクス門 Porte d'Aix から港の方向へとゆっくり下っていくエクス通り Rue d'Aix に、ライのカセットやCDを扱う店が大小数軒存在した。またエクス門を挟んだその反対側のボン・パストゥール通り Rue du Bon Pasteur という小路の中程には、アルジェリアのローカル音楽を専門とするマルセイユのレーベル Edition Boualem が卸問屋のようなオフィスをひっそりと構えていた(スタイフィーのCDなどは、ここから直接買ったりもしていた)。

 マルセイユに初めて来た 1995/96年には、エクス通りの店を訪ね歩いて Cheb Khaled、Cheb Mami、Cheb Hasni などのカセットを買い漁った(結局聴いていないものが多い)。それ以降もこうした店々に顔を出しては新作を試聴してさせてもらったものだった。通い始めた頃はライを中心に買い求めたが、次第にレッガーダやスタイフィーあるいはよりマイナーな音楽の方に興味が移っていった。

 しかし、ボン・パストゥール通りの問屋は10年以上前に消え、カセット/CD屋も次々と店を閉じ、前回7年前に歩いた時には、とうとう1軒もなくなっていた。今回も変わりはないはずと思いながらダメ元で歩いてみたが、もちろん音楽を扱う店は全滅のままで、一番お世話になった店のひとつに至ってはシャッターを下ろしたままだった。そうした状況はパリの18区バルベスに点在していたアラブ/マグレブ音楽のカセット/CD屋とそっくりだ。

 ヴァコン通り Rue Vacon からアル・ドラクロワ通り Rue Halle Delacroix に入った広場(マルシェ)の奥にはコンゴ音楽の専門店があった。昔 El Sur Records に紹介したところ話題になった Franco と Tabu Ley の DVD "Les Vieux Orchestres OK JAZZ & AFRISA" (Salumu Production S007) はここで見つけた(タブー・レイがSF宇宙服風の衣装を着て JB ばりに踊る姿が爆笑ものだった)。だがその店もなくなってから10年以上経つだろうか。今そこは美容室になっている。

 昔はパリのバルベス〜シャトールージュの雑貨屋や美容室に、セネガル盤のCDが若干置かれていた(ニューヨークでも同様で、ハーレムまで買い付けに出かけた時には、レコード店以外も丹念にチェックして、Youssou N'Dour のセネガル盤カセットなどを買い集めたものだ)。しかしマルセイユには元々セネガル人が多いのにも関わらず、セネガルのCDを見かけることは昔からない。これはどうしてなのだろう。

 今回もアフリカ音楽のCDは全く入手できなかった。唯一の例外は Toko Blaze と散歩していて見つけたCD屋だ。カーボベルデやアンゴラなどポルトガル語圏の国の音楽を扱っているとのこと。こうした国々ではまだまだCDが制作されているのだろうか?

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 いずれにせよ、これまでマルセイユに通ったおかげで、アルジェリアなどの全く知らなかったベテランたちの渋い音楽から最新ヒットまで、数多くのミュージシャンや様々な音楽と巡り会えた。ライ全盛期には間に合わなかったものの、それでもそれなりに面白い時代に、マルセイユのマグレブ人街で音楽探しをできたのは幸せなことだったと思う。


 大型店の低調ぶりもますます顕著になっている。かつては Virgin Megastore が結構いい品揃えだったが、それはとっくに昔の話。もちろん今は店自体が存在しない。fnac も同様で、フランス南部(オクシタン)のアイテムなどはそこそこ充実していた。ただし昔からカタログが揃っていない(肝心なものがあったりなかったりする)のがここの難点。そんな fnac も訪ねる度に寂れていった印象だ。それでも今回 Massilia Sound System のLPコーナーがあったのは、さすがは地元と言えるのかも。


 対照的に面白さを感じたのは小型店だった。今回の滞在中には Google Maps で検索して、これまで知らなかった店をいくつか見つけ初めて行ってみた(Mac/iPhone 様様だ)。そうした店では、地元グループの新譜や中古LPが潤沢に扱われているのが嬉しい。IAM の Imhotep のソロアルバムがサイン入りで売られていたりなどして、思わず手が伸びかけたが、これは流石に自重。マルセイユのヒップホップ盤もまとめ買いしたかったが、まずはストリーミングで聴いてからだろう。大人気の Baja Frequencia にしても、自宅で聴くような音楽ではなかったし。

 こうした店でアフリカ音楽の中古盤LPが大量に扱われていたことは意外な発見だった。だがナイジェリアなど英語圏のものが多く、セネガル音楽に至ってはどの店でもほぼなし。これは不思議だった。ある店で尋ねると「Baobab のレコードが欲しいのかい? 人気があるから見つけるのは大変だよ」とのことだった。実際、たとえばセネガルの Ouza のアルバム "Wethe" (Jambaar JM5002, 1980) が 210ユーロで売られていて、Discogs での相場と大差ない。これが今の国際的な水準なのだろうか。

 マルセイユの音楽シーンと強い繋がりを持っている店のいくつかと出会えたのは幸運だった。Galette Records や Bonne Mere Records などは、Massilia 一派と長年深いつながりがあるようだ。店の人と Massilia や Toko の話をすると盛り上がるし、皆さんとても親切で(度々値引きしてくれたし)、本当に音楽が好きなことが伝わってきた。こうした店の人たちには気に入られたのか、珍しい客と思われたのか、あるいはマッシリアやトコと知り合いなのが効いたのか、楽しく話をさせてもらい、別れ際には「いつでも歓迎するよ!」と。特別なものと言いながら、トートバッグまでいただいたのだった。



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# by desertjazz | 2024-08-07 12:00 | 旅 - Abroad

読書メモ:山口昌男『アフリカ史』_d0010432_19393574.jpg



 山口昌男『アフリカ史』(講談社学術文庫、2023)読了。これは『世界の歴史 第6巻 黒い大陸の栄光と悲惨』(講談社、1977)を改題・復刻したもの。

 約半世紀前に書かれた歴史書であるだけに、現在では情報が更新されたもの(特に人類の起源〜古代)や使われなくなった固有名詞もあるが、一読では頭を整理しきれないほどの圧倒的情報量が詰め込まれており、アフリカの歴史をおさらいするにはとても有益だった。たとえば、宮本正興+松田素二『新書アフリカ史』(講談社現代新書)とは違った読後感があったし、より面白く読めた。
 それは単なる通史を綴るのではなく、民族や人物の特徴まで生き生きと描き、事が起こった背景や思考まで捉えているからだろう。著者の得意領域とそれ以外とで記述される分量のバランスが相当異なるが、それは一人でアフリカ全体を網羅することの限界であると同時に、この本の特長ともなっている。
 そうした姿勢が貫徹しているのには、時系列の歴史を語るよりは、歴史から浮かび上がってくる(山口が呼ぶところの)「アフリカ哲学」を論じたかったからではないだろうか。実際、現代アフリカを予言するような過去の歴史事象すら時折感じたほどである。そして当然ながら、それは最近読み始めた河野哲也『アフリカ哲学全史』の内容とも繋がっていくもののはずだ。


(*)深沢美樹さん制作の "NIGERIAN GUITAR ROOTS: Juju, Guitar Band Highlife 1936-1967" のCD解説を読んだ直後ということで、音楽に関する記述について1点だけメモ。以下の文章は厳密にはどこまで正確なのだろうか?

「十九世紀の末から二十世紀初頭にかけて、非ヨーロッパ世界とアフリカ人民大衆の接触は、西アフリカよりもむしろ南アフリカおよび中央アフリカにかけてより広く行われていたというのは、あまり知られていない事実である。たとえば文化史的に見て、西アフリカおよびコンゴからカリブ海にもたらされたカリプソのリズムが、十九世紀末にギターをともなってアフリカに帰ってきたのはこれらの地方を通してであった。今世紀[二十世紀]のはじめに、多くのアメリカの黒人の伝道師が南アフリカおよびニヤサランドに渡っていたということは、これらの事実と意味深いつながりを持っている。」P.399







# by desertjazz | 2024-08-01 19:40 | 本 - Readings

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 昨日は、深沢美樹さんが制作された大力作 "NIGERIAN GUITAR ROOTS: Juju, Guitar Band Highlife 1936-1967" のCD解説を1日かけて精読。まずは日本語本文の84ページまで。85ページ以降の「歌詞大意」は後日実際の音を聴きなが目を通したい。
 細かな文字がびっしり詰まった解説、ヨルバ音楽のジュジュとイボ系ギター・バンド・ハイライフ、それぞれのルーツと発展について詳細に調べており、圧巻の内容でとても参考になる。たっぷり掲載されたレコードの写真の数々を眺めているだけで楽しい。とにかく、レコードコレクション、情報、知識、論考、全てが凄すぎて、それ以上の言葉が出てこない。

 読み進みながら、地図で都市や町の場所を確認をしたのだが、個人的には位置関係を曖昧に覚えていたところもあったので、これは良い機会だった。
 Christopher Alan Waterman "Juju: A Social History and Ethnography of an African Popular Music"、John Collins "Music Makers of West Africa"、T. Ajayi Thomas "History of Juju Music : A History of an African Popular Music from Nigeria" などの参考文献も引っ張り出してページをめくっているうちに、これらもじっくり読み直したくなった(1990年代末にニューヨークで見つけた T. Ajayi Thomas の "History of Juju Music" は、私に Fela Kuti の発掘音源と運命的な出会いをもたらし、著者ともやり取りをしたのだった。懐かしい。Sonny Oti の "Highlife Music in West Africa: Down Memory Lane..." は持っていないので、買っておこうかな?)。

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 ところで John Collins などがパームワイン音楽の歴史について語るとき、クル人に言及して始めることが多いのだが、「クル人」は他で目にしたことがない。前からそのことが気になっていたので、少し調べてみた。
 Wikipedia によると「クル族 (クルぞく、Kru people、 クルーとも) は、リベリア内陸部に居住する民族集団。隣国のシエラレオネとコートジボワールにもいる。その歴史は、強い部族意識と、占領への抵抗の歴史である。」とのこと。一方で、「クルメン族(Krumen、Kroumen、Kroomen)は、リベリアからコートジボワールにかけての沿岸部に住む民族集団。人口は1993年の推計で48,300人、そのうち28,300人がコートジボワール側にいたとされる。」「クルメン族は、「クル (Kru)」族と呼ばれることもあるが、リベリアの内陸部に分布するクル族とは、関係はあるものの、別個の集団である。」とも書かれている。
 どうやらクル人には2系統いるらしいが、ナイジェリアのレゴスなどにパームワイン音楽をもたらしたクル人は海運労働者だったので、彼らは後者の「クルメン族」だったのだろう。そしてそのクル人は、今でもある程度の数の人々が暮らしているらしいことも分かった。だとすると、彼らは今どのような音楽を奏でているのだろうかと、少し興味が湧いた。

 さてさて、これから重厚な解説書を繰り返し読みながら、貴重な復刻録音の数々を楽しむことにしよう!








# by desertjazz | 2024-07-31 08:40 | 本 - Readings

DJ

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