2010年 01月 10日
FZ
(今頃になって自宅からの徒歩圏に成城石井を発見。あれこれ食材を買ったついでに、少しだけ贅沢をする気になり、NIKKA の FROM THE BARREL を買って帰り、軽く一杯やりながら聴き入る。)
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Tower Records で新譜をチェック。Malovoi の新作など、ワールドものを購入。調べてみると2ヶ月以上の間 CD を買っていなかった。いや、それどころか、今年に入ってまだ1枚も CD やレコードを聴いていないことに気がつく。ならば、買ってきたCDはさておいて、2010年をスタートするに相応しいアルバムを選んで聴いてみようと考えてみた。さて、それは何だろう? 昨年は実にいろいろなことがあって結局つまらない1年になってしまったので、今年はもっと楽しい年にしよう、もっと音楽を楽しもうと思い、飛び切り楽しく気持ちよいアルバムを選択することにした。ドゥーワップからカントリー、現代音楽まで吸収して組み立てられたザッパの音楽は、この頃が最も完成度が高かったのではないだろうか。いや一切の解析を抜きにして、FZ、Ike Willis、Ray White の3人の低音成分たっぷりのヴォイス・アンサンブルや、FZ のギターを聴いているだけで、ただただ楽しい。"Sheik Yerbouti" や "Does Humor Belong In Music?" などにも同質なものを感じるのだが。
このサウンドの太さや艶が気に入っていて、CD ではこうした音が再生されないのかも知れないと思い、未だにアナログ(のリマスター盤)で聴いている。しかし、このレコード、こんなに音が良かっただろうか? やはり、転居してリスニング環境が格段に向上しているようだ。機器の調整はまだきちんと行っていないし、プレイヤーやアンプは買い替えたいと考えてさえいるのにも関わらず。
Beyonce を聴くのも爽快だろうなと思い、'Crazy In Love' が無性に聴きたくなったのだが、探しても CD が見つからない。転居後のレコードの整理をまだ終わっていないのだった。今年もやるべきことが多そうだ。
2010年 01月 10日
賀 正
2010年 01月 08日
Readings - Africa
『南アフリカの衝撃』(平野克己、日本経済新聞出版社)読了。南アの政治、経済、歴史と、問題山積の現状についてコンパクトにまとめられている。そこから、アフリカの中での南アの特殊性も伝わってくる。自分の知らなかった事実、興味深い情報も、もちろんある。だが、何をもって「衝撃」と言おうとしているのだろう。
全体的に、著者の周辺から得られた細々した話を積み重ねた末に、大風呂敷なことを書いている印象を受ける点が気になる。そのために焦点が定まらない(『日本辺境論』よりはずっとマシかもしれないが)。新書サイズのためだろうが、用語の使い方や説明に不親切さも感じた。辛口になってしまうのは、白戸圭一の『ルポ資源大陸アフリカ 〜暴力が結ぶ貧困と繁栄〜』(東洋経済新報社)やセルジュ・ミッシェル+ミッシェル・ブーレの『アフリカを食い荒らす中国』(河出書房新社)を読んだ後だからということも否定しないのだが。
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二晩続けてアフリカの探求書を読んで思ったのは、日本のアフリカ戦略のこと。善戦している部分もあるし、見逃してしまった部分もあるのだろうが、政治・経済的には中国にとても敵わず、それはすでに手遅れとなっているのでもあろう。
(ところで、TICAD の有効性ってどうなのだろう。一昨年、TICAD市民社会フォーラムの石田洋子が書いた『アフリカに見捨てられる日本』(創成社)を読んでもどうもピンとこなかったし、TICAD IV の公式サイト/関連サイトがどれも拙く継続性もなかったことに、日本のアフリカに対する政治力の乏しさも感じさせられたのだった。)
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今年は「アフリカの年」からちょうど50年。せっかくのタイミングなので、アフリカ関連の蔵書を整理しながら、あれこれ読み返してみたい気持ちはある。特にW杯開催までは南アが注目されるだろうから、この機に『新版 南アフリカの歴史』(レナード トンプソン、明石書店)や、『南アフリカ金鉱業史―ラント金鉱発見から第二次世界大戦勃発まで 』と『南アフリカ金鉱業の新展開―1930年代新鉱床探査から1970年まで』(佐伯 尤、新評論)なども、読んでみてもいいかなとも思う。だけれど、そのような時間を確保するのは難しいことだろう。
今、調べてみたら、レナード トンプソンの本は第3版『南アフリカの歴史【最新版】』が昨年の11月に出ていた。何か内容が改められているのだろうか。だとしても、高い本なので買い直す気も(必要も)ないのだが。
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追記(コメントを受けて)
この本は日経だし、白戸圭一の本も東洋経済だった。日本では経済界が率先してアフリカに着目している?
著者は大使館で働いたこともある現ジェトロの人物なので、資料の再構成と伝聞の集積となってしまうのも仕方ないこと。ちょっとした伝聞の中にこそ、ビジネスチャンスの萌芽があるとも言えるのだろうけれど。
2010年 01月 07日
Readings - Africa
『アフリカを食い荒らす中国』(セルジュ・ミッシェル+ミッシェル・ブーレ、河出書房新社)読了。
面白い!「そんなことが起きているのか!」と思わせられる記述の連続。他数冊を併読しながらだったにもかかわらず、ほとんど1日で読み通してしまった。中国がアフリカを搾取する実態を詳らかにするだけの本だろうし、ならば読んでも気分が悪くなるだけで自分にとって必要な情報は少ないかと思って、買うことを躊躇していた。しかし、結果は全然逆で、近年出されたアフリカ関連のルポルタージュとしては最高の内容の本だと思う。
まずタイトル通り、中国がアフリカ進出を成功させている状況を、歴史的、地理的(主要国はほぼ漏らさず、しっかり現地取材している)に網羅しながら、要人や関係者へのインタビューを交えて構成されている。それと同時に、アメリカが対アフリカ戦略(軍事的にも)の抜本的変更を余儀なくされていることが語られ、またかつてアフリカの広範囲を支配(植民地化)してきたフランスがその地場をほぼ完全に失っている様を再確認させるものともなっている。つまりは現代のアフリカ情勢を知る上では必読の書と言えるだろう。
通読して理解できるのは、現在のアフリカ戦略に(特に経済的には)関しては中国が一人勝ちしているということ(中国の、したたかさと、同族意識や結束力と、金が全てでモラルなど無視するという価値観、これらには誰も敵わない)。そしてそれがアフリカ諸国と Win-Win の関係にあり、こうした状況は当面続きそうなこと。さらには、その蜜月関係の恩恵に浴しているのは、中国側もアフリカ側もごく限られた者だけだということだ。特に末端の労働者(アフリカ人も中国人も)の生き方に豊かさがもたらされることはほとんどないだろうことが伝わってくる。
ただこうして読んだだけだと気分の滅入ることは避けられないのだが、中国のアフリカ進出が地域的にはある程度まで益するものであることも語られている。例えば、インフラ整備であり、例えば、地域紛争の緩衝であったり。もちろん実態としては、不利益を招いている例もまた多いには違いないが。また、アフリカ庶民にとっての悲観的状況を招いている原因を、中国側の姿勢に一方的に問うことは間違いで、かなりの部分までアフリカ側の為政者に責任のあることも分かる。つまりは、アフリカの現状は中国にひたすら蹂躙されているのではないため、アフリカの政治家の振る舞い次第では、アフリカが本質的な再生を可能とする余地も残されていることに、微かな希望も感じる。
また、「やはり」と思わせられるのは、様々なレベルでアフリカ人と中国人との間の心的関係が全く良好でないことだ。予想できる通り(個人的にもアフリカ諸国で「悪口」を聞かされた通り)アフリカ人の中国人嫌いは強烈である。こうした関係がもたらす軋轢がいつか本格的に爆発するのではないか、それ以前にアフリカの国自身が自滅することによって中国からの投資や彼らの努力が灰燼に帰するのではないかという危惧も抱く。中国の「一人勝ち」は時限的なものなのではないだろうかと考えさせられるのだ。
(読後感が予想に反してさほど悪くないのには、構成が見事で読み応えがたっぷりな著作に仕上げられていることがまずある。現地ルポは今のアフリカのトップトピックスとなっている国々を漏らさず取り上げているし、「だったら、あのことについては書かないの?」と疑問に思ったころにその話が始まるといった具合。またあちこちに散りばめられたささやかなユーモアにも、クスッとさせられた。)
ブログで公開する文章としては、具体例を出したり引用を行ったりする方が親切なのであろうが、ここでは書評ではなく、個人的な読書メモを綴っているつもりなので、興味を持たれた方には「読んでみてください」としか言いようがない。アフリカに関するルポルタージュ/ノンフィクションとしては、『フランサフリック 〜アフリカを食いものにするフランス〜』(フランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴ、緑風出版)を読んで以来の衝撃 !! そう、確かに読み始めてすぐ「この本は、中国版のフランサフリックについて語っている」と気づいたのだった。
2010年 01月 06日
Diary & Reading
2009.12.30 (Wed)
今日から短い冬休み。とにかくいろいろあって、慌ただしく、余裕もなく、それでいて何ら実りのなかった1年が無事に終えられることに安堵する。
ヌカ床から刺すような異臭。どうやら塩が不足しているらしい。軽くメンテナンスしてから3泊の予定で外出。文庫本と新書3冊をバッグに。
夜、自由が丘のBK1をチェック。それからイタリアンレストランで乾杯。
2009.12.31 (Thu)
『関係する女 所有する男』 (斎藤 環、講談社現代新書) 読了。バリ往復の際に読み始めたものの、他の読書が忙しく、棚上げになっていた本。タイトルが内容の全てを表している。が、話を単純化しすぎているように思えるし、男が生まれる/女が生まれる話の下りは理解不能。
ここ数年、読んだほとんどの新書がテーマひとつで書き上げた「水増し本」ばかり。そもそも新書とはそんなものなのかもしれないが、それにしては高すぎる。新書を読む気がほとんど失せてきた。
誘われて群馬の高原の邑落で年越しすることになった。新幹線を降りると粉雪が舞い始める。冬には雪景色が似合う。
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2010.1.1 (Fri)
新春。昇る朝日がまぶしい。飛び切り美味しい手作りのお節料理に舌鼓。酒もサクサク進む。
マンガ『20世紀少年』(全22巻)、『21世紀少年』(上下巻)を借りて読む。初巻を読むだけで、終末までの筆運びと終わり方が見えてしまい、途中を飛ばす。やはり(誰もが)想像する展開と結末だった。こうしたものを読むのは、自分にとって時間の無駄であることを確認するだけだった。
朝日新聞に村上の『book 3』の広告。宣伝戦略が上手い。
散歩。くっきり浮かび上がった山々の稜線が美しい。晴れた正月は一年で最も美しく山並みを浮かび上がらせる。そのことが好きだ。
今朝の太陽も美しかったが、今夜の満月も美しい。
2010.1.2 (Sat)
『悼む人』(天童荒太、文藝春秋)を借りて読み終える。気持ちが悪いばかりで、書く動機として筆者は根本的に思い違いをしているのではないかと思うしかなかった。これも時間の無駄だったようで、日本文学の新作/話題作を読む必要のないことを再確認。今年は定評の定まった傑作や古典を優先して読むようにしようか。
初詣。建築や風景に眼が喜ぶ。
毎日の犬の散歩、それも起伏の激しいコースだったために、脛が張る。
昼から、濁り酒。夜は、ビール、桑酒、シードル、白ワイン、赤ワイン。連日、飲んで、喰って、寝るだけ。美味しい料理とたくさんの酒を振る舞われ、予想した以上に心地よい。なので、遠慮なくもう一泊させていただくことにする。
2010.1.3 (Sun)
今回の年越しは、微かに、そして軽やかに舞う雪を眼で愛でる毎日だった。
新幹線を4時間乗り継いで帰宅。車内ではビールを飲みながら読書。アルコールを入れると、やっぱりあまり進まず。
ジュンク堂へ。年末チェックした3冊を購入。『音楽から解き放たれるために ──21世紀のサウンド・リサイクル』(原 雅明)は内容を軽くチェックした上で、今日のところはパス。
買った1冊は、かつて須賀敦子が翻訳し先週新版が発売になった『島とクジラと女をめぐる断片』(アントニオ・タブッキ、青土社)。昨年末来、偶然のきっかけから『須賀敦子全集』(河出文庫)を読み始めている。友人のその親友の大竹昭子さんが彼女に関する著作を著していたり、今夜テレビで彼女の特番(出来は物足りなかったけれど)を放送していたりと、何かと彼女から離れられない。
その『島とクジラと女をめぐる断片』を読了。まえがきにレイモン・ルーセルの『アフリカの印象』(この本と『ルクス・ソロス』とは、未だに強烈な印象を保ち続けている)のことが書かれていて、全ては繋がっている気分になる。ただ、ちょっと肩すかしを食らったような読後感。
『アフリカを食い荒らす中国』(セルジュ・ミッシェル+ミッシェル・ブーレ、河出書房新社)も購入。読むと気分が悪くなるに違いないので躊躇したのだけれど、ざっとでも読んでおくべきかと思い、取りあえず買って読んでみることに。あとの1冊は『日本辺境論』。
2010.1.4 (Mon)
仕事始め。初日からどっぷり疲れる内容。今年もやりがいのない一年になるのか?
ル・クレジオの『海を見たことがなかった少年―モンドほか少年たちの物語』を読む。砂漠を体感した者でしか書けない文章。砂漠が恋しくなる。
『DO DO WORLD』1月号の特集は「アフロビートが世界のクラブシーンを熱くする 〜フェラ・クティの再評価から新世代のミュージシャンまで」(石田昌隆×大石 始)。初心者向けの分かりやすい内容。ディスクレビューに数カ所間違いがあったが、気にする人はいないだろう。
2010.1.5 (Tue)
移動の疲れから週末の料理の仕込みができなかった。その分、昨日今日と夜中に何品か作り置きする。眠い。
『海を見たことがなかった少年―モンドほか少年たちの物語』(J.M.G. ル・クレジオ、集英社文庫)読了。ル・クレジオの他の作品に散りばめられていた光、風、音がここでも溢れている。懐かしい自分の子供時代の記憶がよみがえる。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子様』にもどこか通じる世界であり、どこか『夜間飛行』や『人間の土地』を読んだ気分を思い起こさせもする。
2010.1.6 (Wed)
『日本辺境論』(内田 樹、新潮新書)読了。話題になっているので買ってみたが、構成も論述も雑。ほとんど例外を認めない断定的な物言いなのに、長い言い訳で始まる点もずるい(その言い訳も、突かれるであろう核心から外れたもの)。いくつかの論点には示唆するものも感じたが、3章「「機」の思想」はまるで禅問答。恐らくは時間を書けずに書き上げてしまったことが、失敗の原因のひとつなのではないだろうか。