2009年 10月 30日
Indonesian Textiles

写真の布はどちらもスマトラのもの。イカットやバティックは実用的なサイズであるの対して、スマトラのこうした布は幅が狭いので(所有しているものの幅は約25cm)、壁にかけたり、飾り棚に敷いたりして、室内のアクセントとして使うことが多い。よく見るとシミだらけなことが分かる通り、いずれも安物です(本当に価値のあるものだと、数千ドルもする)。
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このところ何故か古くからの友人や知人からの連絡や案内が相次いでいる。自分の生活にわずかながらゆとりのようなものが、やっと生まれかけていることを覗いていたかのようだ。以前と変わらずインターネットに対して心地悪さのようなものを感じ続けていて、このブログも終了しようかと時々思うのも相変わらず。しかし私のことを忘れずにいてくれる人がいるのならば、一度作ったパイプはもうしばらく維持し続けた方がいいのだろうか、などといったことも考える。そのような考えもあって、今月は少しあれこれ書いてみた。布に対する興味が復活してきたこともあって、何となく布を取り上げることが多かったが、まあ誰も関心は持たないだろうな、、、とは思いつつも。しかし、関心ゼロではなかったらしい。いずれにしても、布の話も本の話も音楽の話も、気の向くままに綴っているものなので、悪しからず。
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来月はまたいろいろなことを計画していて、音楽やインターネットからは今以上に遠ざかる暮らし方になりそう。ですので、更新はまた暫く休みがちになると思います。
2009年 10月 29日
Gamelan / Springsteen

アオラさんが "BALI 1928 GAMELAN GONG KEBYAR : BELALUAN - PANGKUNG - BUSUNGBIU" の国内盤サンプルを送ってきて下さったので、早速繰り返し聴いている。古のガムランの音は本当にいいなぁ。今夜は余計なことを語る気が起こりません。
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久しぶりに Bruce Springsteen の公式サイトを見て驚いた。現在進行中のツアーで、"Born To Run" などのアルバム全曲演奏を続けている。しかも事前予告して(昨年一度だけ、"Born To Run" と "Darkness On The Edge Of Town" の全曲演奏を行ったことが伏線になっているように思う)。70年代のアルバムを通して演奏されても、そこに同時代性は感じられるはずもなく、間違いなく冷めてしまうだろうと危惧するし、続出する「懐メロバンド」とある部分で同列視してしまう危険性も感じる。とは言いながら、来月1泊3日か0泊3日でどこかに飛べないものかと調べている(が、ちょっと無理みたいだ)。
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写真の布はスマトラのアンティークもの。王家で使用されていたものだと思う。スマトラの布は紅と金糸の組み合わせの見事さにため息が漏れる。バリ・ガムランの話なので、バリの布を、と思ったのだけれど、バリのアンティークの布はほとんど買っていないのではないだろうか。良質で大きなダブルイカットなどは、とてもじゃないが手が出ない。
ライトスタンドはバリのN氏がバナナペーパーなどによって製作したもので、4年前に転居祝いとして彼からいただいた(彼の工房の作品は、丁寧に作られた職人芸のかたまりのような素晴らしいものばかり。実際、超高級ホテルのスイートルームなどでも使われている)。心を温めてくれるような暖かい明かりがとても気に入っている。
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最近は、CDは買わずに送られて来たサンプルを聴くくらいだし、食器も食材もあまり買わずにもらうことが多い。それで予算を捻出して毎月旅行に出かけているような暮らしです。
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22日の夜に "My Mondo Mix" の後に綴った3本も軽く整理してアップしました。まだきちんと読み直していないので、ケアレスミスなどがあればあとで修正します。
2009年 10月 26日
メモランダム

…音楽を楽しんでいる方、ゆっくり飲みに行っている方が、正直羨ましい。。。
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・私のサイトやブログに度々登場するバリの友人Nがブログをいよいよスタート。ご存知の方が多い通り、彼はもともと文章のプロなので、今後に期待!
・ SWP からの新作 "Batonga Vol.1" の日本盤ライナーは、期待通りサカキマンゴーさんが執筆することになった。バリのガムランの方もアオラによる配給が決定。計画通り5巻まで出るようだ。
・このところ海外文学熱が止まない。昨晩はガルシア・マルケスの『族長の秋』をようやく読了。文体が予想しなかったものだったので、結構疲れた。新作、近作も粒ぞろい。原書で読んだ "The White Tiger" も読み応えがあったが、もし今年の新人賞を選ぶとすれば、『素数たちの孤独』で決定。これについては『1Q84』との、主人公ふたりの相似性も指摘を受けた。続けて読めば、そこに思いつく人は多いだろう。それにしても、イタリアからとんでもない新人が登場したものだ。あまりに感銘を受けて、「読んでみて」と周囲に語るほど。成り行きでその本は友人のひとりにあげてしまったので、買い直さねばならないはめに(?)。
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他にも諸々あるけれど、書き直し予定。ちょっと飲み過ぎで、まともな文章をまとめられない。なので、整理後にここは消去するだろうと思います(??)。
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写真は昨年泊まった、バリ、ウブドのプライベートプールつきの部屋。海外のサイトで評価1位になったホテル(だから欧州からの客が多い)の中で、主観評価して一番良い部屋だった。そろそろどこかに行きたいなぁ。
(という訳で、現在、次の海外旅行と、その次の海外旅行についてプランニング中。しかし考えてみると、今年ほど短期旅行を繰り返すはめになった年も珍しい。毎月遠出している。先日もまた北海道へ帰ったばかりだし、新幹線に1年で20回近く乗るなんてことも今後まずないだろう。)
とにかく、、、バリの音空間が懐かしい。もしかしたら、バリの村に家を建てるのが正解なのかもしれな、と、ふと、思う。
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オマケ。




今年観たライブからの4枚。これらを見ながら、写真も全然整理できていないことを反省。ところで、誰のライブかわかりますか? 正解は後日追記??
2009年 10月 22日
Kamalan N'goni / Dozon N'goni

ドゾ・ンゴニは、マリの南西部、ワスルの音楽であり、その主要楽器の名前でもある。また、カマレ・ンゴニは、ドゾ・ンゴニから派生した音楽であり、やはりその楽器の名前でもある。6弦の太くふくよかな音色と、カリニャン(鉄製のパーカッションでこすりつけて音を出す)の錆びた音色が魅力的だ。
この音楽に興味を覚えて、マリのバマコやパリのバルベス周辺で現地カセットをいろいろ探し歩いたことがある。代表的演奏家としてヨロ・ジャロ Yoro Diallo やサンバ・ジャロ Samba Diallo などがいるのだが、彼らの作品を改めて聴くと案外物足りない。コーラスやキーボードの音からスタジオ内の空疎な空気が伝わってくるからだ。つまりは欧州的なサウンドプロダクションのフィルターが強すぎるように感じられる(大胆なプロダクションで、思いっきりスペイシー&トランシーにして大成功したのが、イッサ・バガヨゴ Issa Bagayogo だとも言える)。
反対に、恐らく無名と言っていいだろう他の演奏者たちの作品は、ンゴニやカリニャンだけによる演奏で、その土着的な音にグッと引き寄せられる。現在の視点で語るならば、ここにもコミュニティー・ミュージックの強さ、ローカル・ミュージックの永続性のようなものを感じる。
そうした意味では、数年前にリリースされた Yoro Diallo の "Pekos" (Yaala Yaala Records 001) というCDはかなり興味深いアルバムだった。これもンゴニの弾き語りにカリニャンが加わる程度の単純さであり、これほど泥臭いドゾ・ンゴニはこれまでほとんど聴いた記憶がない(ただ残念なことにこのCDは、マリで売られている海賊版カセットをまたコピーした海賊版のようだ)。
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写真背景に使ったのは、マリの泥染(風)の布。ンゴニ奏者たちも、沢山のお守りを括りつけたこの布の服をまとう。マリの泥染の布は日本で買うとそこそこの値段がするのだが、アフリカで買うとずっと安い。自分もアフリカのどこかで買った黒や茶や黄色のものをどっさりもっていて、家の中の各所で使っている。ただし痛みが早いので、所詮は消耗品である。
2009年 10月 22日
Sam Karpienia

「サム・カルピエニアとアペロを共にする」を拝読。このところサムに対する関心が高まっているだけに、実に興味深い内容だった。たまたま私も彼に会ったばかりなので、若干補足的に綴ってみる。
彼やその周辺の音楽が好きな方にとっての一番の関心事は、デュパン Dupain がどうなったかということだろう。このグループの活動がすでに終了していることを知っていたものの、一応彼に再確認させてもらった。トリオでの新作を出して2週間ほどというタイミングなので、過去のバンドのことを尋ねるのは悪いなとは思いながら。やはり案の定、最初は苦笑するばかりで、何も語ってくれなかった。
しかし、打ち上げの席では「デュパンは finish した。ふたつのバンドを比べてどう思う?」と逆に質問されることに。
對馬さんへの回答を読んで意外に感じたのは、「デュパンは "L'Usina"がすべてだった」と語っていること。デュパンの作品を何度も繰り返し聴いて、ファーストはこのバンドのサウンドのテンプレートを形成した作品、セカンドはそのスタイルを繰り返した作品、そしてサードはそうしたテンプレートをベースにしてそれを2ステップも3ステップも高めた傑作を考えていたからだ。サードアルバムで遂に異次元の高みに到達しており、そのため今後のデュパンの活動がさらに期待できる、誰だってそう考えたのではないだろうか。
しかしサムにとっては、ファーストで極めてオリジナルなサウンドを作り上げたことの方が一層重要だったのであり、それは他者からの評価云々よりも重要だったのかも知れない(まあ、レーベルの経営状態や方針、グループ内の都合などの影響があったのかどうかまでは分からないのだが)。
Gacha Empega の最活動については、パリ経由の情報で、新作をレコーディングするかも知れないから質問してごらん、と入れ知恵(?)を受けていたことでもあり、訊いてみた。これにはマニュ・テロン Manu Theron が答えてくれたのだが、「昨年15回一緒にライブをやった。だけど、アルバムを出すかどうかは、サムが考えること」とのこと。そう聞いて不思議な感じがした。というのも、音楽性を考えると、Gacha Empega のサウンドはサムよりもマニュの方に近く、Gacha Empega はてっきりマニュが主導しているものと思っていたからだ。ところが、彼らと話していると、マニュがサムをリスペクトしている印象が強かった。
また、Gacha Empega だけでなく、現在いくつものプロジェクトを試していることも語ってくれた。マニュがサムのことを「とにかく深く考える男だ」と語っていた言葉も印象的だったのだが、Gacha Empega や Dupain の継続といったことを超えて、一つ所に止まらずに次の斬新な音を模索することへの関心が強いように受けとめられた。
そのことを改めて感じたのは、對馬さんに対して日本の伝統音楽への関心までも語っていること。実にブロードな男だ。しかし、サムからは「日本の音楽の音源を送って欲しい」と頼まれているのだが、「日本の音楽では雅楽と声明をよく聞くと言います。」なんて人物に一体何を紹介すればいいのだろう。悩む。
こうした求道者然としたところは、これまで彼に対して抱いていた印象と重なる。Dupain として演奏しているときの姿などを思い浮かべても、どこか人を寄せ付けない孤高でクールな人物を連想させる。ところが、実際に会ってみると至ってフレンドリーで楽しい男。對馬さんの文章を読んでも、彼の人柄が蘇ってきた。「サムと話すことに対しては、とてもナーバスになってしまい怖かった」と話すと、「どうして?」とサムにもマニュにもとても驚かれてしまった。サムってどこまでも陽気でマイペースな人物なんだなぁと、考えを改めた。そのことの証拠のひとつが、コンサートのグランドフィナーレでのこと。出演者全員がステージに揃って挨拶をしている中、彼は会場に目を向けることもなく、ずっと自分のケータイをいじっていた(先日アップした写真をよくよく見るとわかります)。全くどこまでもマイペースな男だ。
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写真は2003年にフランスのアングレームで観た、第28回 Festival Musique Metisses に出演した Dupain。しかしこの時は、Orchestra Baobab、Tiken Jah Fakoly、Daara J など、そして何より