2009年 09月 23日
Vivian
いつものごとくバルベス界隈を探索して驚いた。マグレブ系の店を覗いても、アフリカ系の店を覗いても、気になるアイテムがほとんど皆無。昨年、一昨年あたりは、ジャラルを筆頭とするレッガーダ、スタイフィー、それにエル・アンカの復刻盤(国内盤まで出たのにはびっくりした!)など、後に日本でも流通することになるアルジェリア音楽のCDを立て続けに見つけたり、セネガル音楽やマリ音楽に個人的な収穫を得たりすることができた。しかし今年は財布を開くことがほぼ絶無。たしかにバルベス/シャトールージュを訪れる度に発見が少なくなっていったのは事実なのだが、ここまで寂しい事態になるとは予想外だった。とりわけセネガルものが酷かった。一年前と較べてストックがほとんど変わっていないのだから。
その理由として考えつくのは3つ。近年のセネガル音楽が低調だから、単に現地の作品がパリで流通しなくなっているから、庶民が親しむ商品がDVDにシフトしたから、これらのいずれかである可能性が考えられる。多分全部が影響しているのではないかと思うのだけれど、セネガルに限らず新作DVDが大量に作られて安価で売られいることは事実である。そのほとんどが非常にチープな作り(なので、私は特に好きなものばかり厳選して買っているし、積極的に紹介する気にもならない)ではあるが、アフリカの市井の人々に楽しみをもたらしていることは間違いない。それは、CDやカセットを聴く以上の喜びなのだろう。
それでも持っていないアイテムを探して買って帰ったものが少しばかりある。例えば、ヴィヴィアンのカセット。ユッスーの親戚(弟の奥さんだったかな?)である彼女、ユッスーのライブでコーラスを務めることも多く、何となくユッスーの支援で音楽活動を続けているような印象を受けがちかも知れないが、彼女の作品や直に観たライブはいずれも決して悪いものではなかった。
買ったカセットは、"Man Diarra Vol.2" (2005) と "Special Live au Bataclan Cafe" (2007) の2本。前者は全くのR&B作品で結構良い仕上がり。1曲目は有名曲のカバーなのだけれど、どうしてもタイトルが思い浮かばない。後者はダカールの有名なクラブバタクランでのライブで、毎週(確か木曜日)レギュラーのチョサンとは異なるステージながら、いつもと同様 Jolof Band がバックを務めている。このバンドを従えているということがキーポイントで、Jolof Band のンバラはいつも気持ちよい。なので、もしかしたら彼女が最もンバラらしいンバラを体現し続けているひとりなのではないないだろうか。ちなみに、1曲目はユッスーの 'Li Ma Wessu' のカバーで、3曲目には Omar Pene がゲスト参加して熱唱している。
2009年 09月 21日
Abbey Road Studio / Egrem Studio
余談を挟むと、、、イギリスはメシが不味いという思い込みが強くて、イギリス出張の話がある度に固辞していた。実際に行ってみると、大衆的な店のフランス料理などはパリで食べるよりも満足できるものだったのだが。だけれど、リバプールは最悪! 短期滞在での印象にしか過ぎないけれど、ファッションセンス、休日の雰囲気、そしてキャバーンクラブ界隈で目にした Fish & Chips まで何から何までが強烈に劣悪だった。具体的にはとても書く気にはなれない。必死で探し当てたギリシア料理の店がとても良かったことが最大の救いだったくらいだ。
いや、こんな悪口を書くつもりではなかった。この時のイギリス行きはジョン・レノンに関する取材旅行だったので、Penny Lane や Strawberry Fields などを訪ね回れたことや(ジョン・レノンに思い入れのない自分にとっては何とも殺風景に映ったが)、帰り道ブリストルに立ち寄れたこと(夜が見たかった)は有り難かった。
アビーロードでは各スタジオを案内していただいたのだが、Studio One で聞いた話が最も記憶に残っている。全面改修の際にこれまでの響きを維持したくて、木版ひとつひとつにナンバリングを施した上で、スタジオフロアを分解し、改修工事を終える際にそれらの板の一枚一枚を元通りの配置に戻していったそう。そして「ここの響きは特別なんだ」と強調していた。フロアに降りた瞬間、「オーケストラを入れて演奏された 'All You Need Is Love' がここから世界中継されたのか」と感慨深くなったのだが、そうした工事の苦労話を伺ってますます感動してしまった。
その反面、サブ(コントロール・ルーム)のスピーカー配置に無理があったのは気になった(そのことはスタジオの公式サイトの写真の B&W を見れば分かります。他のスタジオのコントロール・ルームもかなり狭かったのは意外)。
そして、サブのスタジオを歩いて再び感動。ここでも60年代当時の雰囲気がしっかり残っていて、ここで4人がセッションを重ねていた姿が容易に想像できる。そう思うと、ただただ感慨深いばかりだった。
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アビーロードの写真が出てこないので、諦めてその代わりにキューバの首都ハバナにあるエグレム・スタジオを2000年に訪問したときのスナップショットをアップしておきます。
「ライ・クーダーはどこに座っていたの?」と尋ねて教えてもらったディレクターズ・チェアーにしばし腰を落ち着けながら、スタジオのエンジニアたちと語らったことが、良い思い出になっている。
(追記)
ハバナでは共産党の文化庁のようなところの音楽資料室にも入れてもらえたのだけれど、そこで勝手に SP 盤を漁ったのも楽しかった。もちろん国の財産なので、譲ってもらうことなど出来ない話なのだが、誰も管理している様子などなかったので、今はもう全てゴミとして処分されてしまっているのかもしれない。もったいない話だけれど。
ここでは、担当者が数日間探しても見つけられなかった資料(録音テープ)を、私が部屋に入った瞬間に(30秒くらいで)見つけ出し皆から驚かれた。レコードハンターのカンは違うな、と我ながら頷いたのだった。
2009年 09月 19日
『オルタナティヴ・ミュージック』
以下、雑感。
・近年の音楽的トピックとその変化、自身の音楽遍歴、そして世界を旅した記録、これらを同時進行させたスタイルが面白い。過去の音楽を単純に振り返るだけの作業に対して個人的にはそれほど興味を持てなくなっていて、そうした考えが自分を多くの音楽書から遠ざけてしまっているのだが、こうした書き方もあるのかと感心させられた。
・石田さんの持つ豊富な情報量と記憶力には日頃から驚かされているが、一見無縁のような名前やトピックが彼の脳内でウェブのように結びついて、ひとつの結論にまで辿りつく様が読んでいてワクワクする。
・写真にはほとんど興味がなく、自分自身スナップショットしか撮れないという恥ずかしい身としては、この本を読んでも、最初のうちは、冒頭の写真120枚は文章に添えられたオマケのようにしか捉えられなかった。しかし文章を読みながら写真を見返していくと、写真と文章とが対等の関係にあること、あるいは写真こそが主であることがわかってきた。なのに、ひとつのテーマごとに1枚のみというのは、見事に潔よいと思う。
・聴き飽きるほど親しんだ音楽でも、苦手と感じた音楽でも、聴かずに通り過ぎた音楽でも、改めて聴いてみようと思わせる魔力がある本。また、こうして過去を語ることが今を語ることに繋がっていることを教えられた。
自分は過去を振り返ることがあまり好きでなく、限られた時間を新しい何かを見いだすために費やしてきた面がある。それでもこのごろは過去を一度振り返って何らかの総括をする必要性も感じている。そのような意味でも刺激的な作品だった。
・これまで意識できなかったことに気がつかされることが多かった。自分がユッスーのチョサンでのパファーマンスにどこまでも拘るのには、それがコミュニティ・ミュージックの場であるからだと、今さらながら理解させられた。
・旅に出たくさせる本。読んでいるうちにベルリンの壁崩壊から20年であることに気がつく。さらに調べるとそれは11月。早速、ベルリン行きのフライトチケットを探す。20年の節目だからといって何かがあるとは全く思わないが。
・これまで読んだ音楽書で特に印象に残っている本。『大衆音楽の真実』、『音楽の未来に蘇るもの』、『黒いグルーヴ』の3冊。特に石田さんの『黒いグルーヴ』は、自分をドラムンベースやブリストル界隈の音楽にはめる契機のひとつとなった。再読しようと思い、書庫から取り出す。
・それにしても石田さんのスタンスは独得なものだと思う。次々と斬新なテーマを見いだして世界中に飛び出していき、その成果を発表することで、写真家としても音楽ライターとしても成功されている。
・サラーム海上さんや石田昌隆さんの文章を読んで、彼らのファンが多いのは当然だと思う。誰だって彼らのような旅には憧れるだろう。ならば、若者(に限らず、オヤジもオバンも)にはどんどん世界を旅して、現場を体感し、そうした中から彼らに続く語り手も現れて欲しいと願う。
・・・といろいろ書いたが、自分にとって一番大きな影響はもう一度音楽を聴き始めたこと(まだ少しだけだけれど)。そして、そのついでにまた何か書いてみてもいいかなと思ってしまったことだ。リハビリ的に、Massive Attack、Jeff Mills、Roni Size、Carl Craig、Goldie、Tricky、Caron Wheeler、それに Sandii や Faye Wong などを取っ替え引っ替えプレイヤーにセットして聴いてみた。ひと時代が過ぎて、正直少し古さも感じさせられたが、やはり名盤ばかりだ。アフリカ音楽のウェブサイトの方は、誰も書き手がいないから自分がやっていたような側面があって、その裏では実はこうした音楽に方により魅力を感じていったんだよなぁ。
2009年 09月 19日
Biguine
對馬さんがブログで取り上げているということは、メタカンパニーから日本盤が出るのかもしれないと考えて、早速メタのページをチェックすると、やはり発売が案内されていた。しかも、偶然にも発売日は明日20日。追加トラックがあるとのことなので、CDで買い直すか迷うところだ。
(メタの紹介文には、冒頭「超レアなアルバム」と書かれていた。ということは、特段珍しくない有名盤だと思い込んでいたのは自分だけなのだろうか?)
2009年 09月 17日
World Arbiter : Roots of Gamelan
自分が海外に繰り返し出掛けるきっかけのひとつはガムランに興味を持ったことだった。そのため、バリは10回以上訪れてガムランの実際の音を堪能してくることになる。しかし、地元のことを深く知るようになると、次第にバリに向かう足を鈍らせることにもなった。バンジャールという共同社会の中の繋がりが強すぎて、自分のような外部者が入っていくと無意識的に気疲れを生じてしまうのだ。もちろん毎度誰もがフレンドリーに迎えてくれて、何もトラブルはなかったのだが。
そうしたよそ者が溶け込みにくいバンジャール内の繋がりを体現している象徴がガムランだと思う。その音を聴くと言葉にできない心地よさに浸れると同時に、いつしかストレスも感じるようになった。その美しい音の背景にあるコミュニティー力に圧倒され、また村社会の難しい諸々が見え隠れもしてしまうのだ。
今でも最近のガムランはどこか心底楽しむことができないままでいる。それに対して、20世紀前半の古の音にはそのような意識をもつことがない。その柔らかな響きはどこまでも心に優しく、また時のフィルターを通って美しく昇華している。
(このシリーズ、詳細な解説にも定評がある。実は3作目以降の制作が大幅に遅延を生じている原因もその解説書作成が原因だと関係者から聞いている。前2枚はアオラ・コーポレーションがきちんとした日本語翻訳をつけたので、今回はその日本盤を待って買った方がいいのかも知れない。)