10月24日、東京では初の開催となった Felabration(下北沢 ADRIFT)を観てきた。
これはあらゆる点で素晴らしいイベントだったと思う。振り返ってみると、この日に感じたのは次のようなことだった。
・日本のミュージシャンたちの演奏力の高さ
・彼らのアフロビート熱とネットワークの豊かさ
・ミュージシャンたち、ダンサーたちの Fela Kuti へのリスペクト心
・Fela Kuti が作り上げた音楽の完成度の高さと生命力
・Fela Kuti の楽曲をカバーすることのポジティブな意味
・来年以降も Felabration が継続することへの期待
(感想はこれだけで十分かとも思うのだが、以下、幾分冗長になるが、自分のためにもメモしておきたい。)
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Felabration は Fela Kuti の娘 Yeni Anikulapo-Kuti が、父の記憶を世に留めその功績を讃える目的で、1988年に始めた音楽フェスティバルである。その後、毎年 Fela の誕生日(1938年10月15日)に合わせて10月に開催しており、現在では世界各地へと拡散し様々な都市でも行われている。またその内容は音楽だけにとどまらず、多様なナイジェリア文化を伝えるものへと進化している。
Felabration が日本で初めて開催されたのは2012年の大阪。それ以来大阪でほぼ毎年続けられてきた。その Felabration がいよいよ今年、東京で開かれることとなったのだ。
・・・と書いたものの、私はこれまで Felabration に参加したことがなく、その具体的なところまでは知らない。果たしてどのようなイベントなのか。主催者から声をかけられ、彼らの熱意も伝わってきたので、期待を込めて足を運ぶことにした。しかし、準備期間がとても短かったらしく、平日の夕方(22時終了厳守)という不利な条件も重なり、集客も含めて幾分かの不安は消えなかった。
当日は午前10時から会場設営とのこと。せっかくの機会なので、昼過ぎにはお邪魔してサウンドチェックから拝見しよう。そう考えていたのだが、この日は体調が優れず、加えて電車事故も重なって、会場に到着したのは18時半頃。18時からのオープニングイベントは終了し、ダンスバトルの真っ最中だった。それにしても、ものすごい人の集まりようだ。大いに盛り上がっている会場を目にして、それだけで興奮し、かつ成功を確信したのだった。
2時間で演奏したのは、'Teacher Don't Teach Me Nonsense'、'Roforofo Fight'、'Water Get No Enemy'、'Zombie'、'International Thief Thief' の5曲(演奏順は正確には覚えていない)。全て Fela Kuti の代表的長尺ナンバーだ。どの曲でも Fela のサウンドを完璧に再現し、その間にプレイヤーたちのソロを挟んでいくのだが、その演奏力の高さにまずは驚かされた。
Fela の曲をカバーすることの意味はどこにあるのだろうと、当初は真面目に考えてしまったのだが、そのコピーでさえ聴いていてゾクゾクする。それは Fela とそのバンドが作り上げた音楽が、それほどまでに素晴らしいことの証拠だろう。そしてプレイヤーたちの Fela をリスペクトする気持ちが深いだけに、サウンドがますます磨き研ぎ澄まされていることを感じた。Fela たちが創造した音楽のクオリティーと完成度とその生命力がいかに高かったことか!
以前、Fela Kuti 以降に続々と登場したアフロビートバンドが抱えるヴォーカルの問題を指摘した。だがこの日のライブは、コーラスが分厚く、ソロ演奏もたっぷりで、相次いで登場するゲスト・パフォーマーたちも最高だった。そのため、Fela Kuti のようにリード・ヴォーカルがサウンドの核であり続けるというスタンダードなアフロビートを超えようとする、新たなスタイルのプレゼンテーションともなっていたように思う。
考えてみると、Fela Kuti のライブで 'Roforofo Fight' や 'Zombie' を観たことのある日本人などまずいないはずだ(Fela Kuti は一度録音した曲は2度とステージでは演奏しなかった)。ならば Fela の代表曲をライブでリアルに追体験することには大いに意味があるだろう。(正直な感想を書くと)Fela Kuti の息子で彼の後継者でもある Seun Kuti のライブを度々観ているが、最近は彼のオリジナル曲よりも 'Water Get No Enemy' のカバーの方がいい、という別の実例もある。
忘れてはいけないのは女性ダンサー Aya Ifakemi Yem さんと Aya Ikuno Shimamura さんの存在だ。2人のぴったりシンクロしたダンスとコーラスも最高で、添え物などでは決してなく、ステージに欠かせない重要なパーツとして機能していた。そもそも大阪で Felabration をスタートさせた当事者が Aya Ifakemi Yem さんなので、それも当然か(ナイジェリアの New Shirine で観たダンサーたちが懐かしくなったりも)。
それにしても R.S.J Collectives の演奏が素晴らしかった。それがあってこそ、Fela Kuti のカバーのみで2時間5曲という構成にも関わらず、一才無駄がなく、数多いゲストのパフォーマンスもパシッとハマったのだと思う。実際多くの方々が興奮気味に「最高だった!」と語っていた。個人的にもこれほど完成度の高いアフロビートを日本で聴けたことにはびっくり! Fela Kuti の音楽に吸い寄せられた優れたミュージシャンたちが、このようなコミュニティを形成しているとは全く知らなかった。(個々のプレイも全体のアンサンブルも良かったけれど、先日、立川の AA Company presents「Afrobeat, Pan-African & Beyond Vol.2」で初めて観てぶちのめされた alto sax の Yuko Arakawa さんがこのライブでも強烈だった。彼女、ホント凄いや!)
オーディンスは皆感動していたし、プレイヤーたちも充実感に浸っていたに違いない。そうした幸せな空間と時間を誰もが共有できたのは、NYC で活動する Akoya Afrobeat の Yoshi さん、大阪の Aya Ifakemi Yem さんという Felabration Tokyo の2人の中心人物、そして NYC から日本へ拠点を移し、今回実務面まで取り仕切った元 Akoya の Yoshio Tony Kobayashi さん、そうした彼らの熱意と尽力が仲間達に伝わり強い力が生まれた結果なのだと思う。
とにかく Yoshi さんと Yoshio さんの熱い心意気には心を動かされた(NYC の Yoshi さんから深夜に突然電話がかかってきたのにはビックリ)。2人が繰り返し口にしていた「これが始まりです」という言葉が忘れられない。2人には、Fela の音楽とアフロビートへの愛着という次元を超えたものを感じている。そうした思いの込められた、立川での Yoshi さんの、下北沢での Yoshio さんの締めの挨拶が何と素晴らしかったことか!
準備期間が短かったにも関わらず、多くの人々が集まり、企画が練られていて、数々のアイディアも興味深く、さらには隅々まで気配りができていた。これは初回としては大成功でしょう! それでも2人は「色々課題も見えた」と語っていた。ならば、その反省点を踏まえて、来年以降ますます充実したイベントに成長していくことだろう。今から来年が楽しみだ。
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(奥に見える Fela Kuti の巨大な写真は、酒井透さんが展示したもの。これは Felabration Tokyo を象徴するものとして絶大な効果をもたらしていた。多くの方々がこの前で記念撮影していたことが何よりの証拠だ。その写真を入れ込みで撮ろうとステージに上がって狙ったものの、うまく行かなかった。)
(Yoshi & Yoshio)
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今回の Felabration には主催者からプレス/カメラマンとして招かれたので、一応最低限のカメラは持っていった。しかし、ステージの前に居並ぶのは、板垣真理子さん、酒井透さん、石田昌隆さん。Fela Kuti をナイジェリアで最初に取材した日本人4人中の3人だ。ならば、素人の私には出番などないと思い、さほど写真を撮らずに雰囲気を楽しんでいた(会場は身動きが難しいほど混んでいたので、時折フロアやステージ上の右隅で壁に張り付いて気まぐれに撮る程度)。
それでも、プロカメラマンの彼らと同じステージにレンズを向けるというのは、なかなか不思議な体験だった。Fela Kuti を知ってからの約40年間を振り返ってみると、遠藤斗志也さん、深沢美樹さんという Fela Kuti に関する世界的権威(最高の研究者)たちとも知り合え、また Sandra Izadore、Lemi Ghariokwu、Micheal E. Veal から突然メッセージが届くこともある。正直なところ、私は Fela Kuti を特別熱心に聴いてはこなかったし、今でも彼とその音楽をしっかり理解しているとは言い難い。それでも、Fela を取り巻く多くの重要人物と気軽に連絡し合えているのは、アフロビートの世界が案外広くないからなのだろうか。
その一方で、Felabration Tokyo に参加した方々(ミュージシャンとコーラス、オーディエンスの双方)には現役時代の Fela を知らない人も多そうだった。数年前にサカナクションの山口一郎さんが Fela Kuti に興味があるので詳しく知りたいと、彼の関係者から相談を受け、それで簡単な資料を作り(間接的にではあるが)山口さんにレクチャーしたこともあった。Fela Kuti へ関心を持ちその音楽を愛聴する人々は、今現在若年層も含めて着実に増えているのだろう。1970年代はおろか 80年代になっても Fela Kuti を聴く人は一部のアフリカ音楽愛好家に限られていた(そこに変化が生まれたのは、90年代初頭にクラブミュージック側から着目されリイシューが進んだ頃だろうか)ことを思い出すと、隔世の感が募る。
こうした諸々のことを考えると、Fela Kuti の生き様とその音楽の素晴らしさを伝える上で、Felabration の果たす役割は今後膨らみ続けることだろう。
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(※ 私の投稿記事は海外の方々にも読まれているので、Fela Kuti や Felabration は英語表記としました。Fela のカタカナ表記を自動翻訳するととんでもない意味に訳され、以前海外の音楽関係者から相次いで抗議を受けたことがあるからです。その点、ご了承ください。)
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