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■ Music of Bushman - 12 : Thumb Piano (2) ■


◆カラハリの親指ピアノ〜カンタとダウンゴのデング

 私がアフリカ南部のボツワナ共和国を初めて訪れたのは 1993年のこと(これは自身にとってのアフリカ初体験ともなった)。その旅に出る前から、ボツワナにも親指ピアノがあること、ブッシュマンがそれを演奏することは知っていた。実際、首都ハボローネ Ghbrone に到着し、宿泊したホテルの売店を覗くと、小さな親指ピアノが売られていて、早速旅行の記念に買ったのだった。

 それからボツワナ西部のハンシー Ghanzi に移動。この町にはハンシー・クラフトというブッシュマン手作りの品を販売する施設があって、ブッシュマンお手製の親指ピアノも並んでいて。これ幸いと思い、まとめ買いしたくなったが、旅はまだ始まったばかり。キャンプ生活の邪魔にもなるので、2つだけ選んで購入した。 

 ハンシーからは東へ移動し、セントラル・カラハリ・ゲーム・リザーブという野生動物保護区に入る。ここで2人の男を紹介された。一人はカンタという陽気な若者。もう一人はダウンゴという寡黙な幾分年配の男。何気なく彼らに「親指ピアノは弾けますか?」と尋ねると、何とできるという。そこで聴かせて欲しいとお願いした。 

 あいにく彼らは自分の楽器を持っていなかったので、ハンシー・クラフトで買った2台を差し出すと、驚くことが起きた。2人は親指ピアノを手にするなり、鉄のキーを全て外してバラバラにしてしまった。そして、あっという間に再びキーを戻していく。どうやらブッシュマン一人ひとりでキーの並びが違うようだ。その並び方について、例えば「ゲムスボックのデング」といったように名前がつけられているという。(最初の写真で、中央がカンタくんのキー・パターン、右がダウンゴさんのキー・パターン、左はハボリーネのホテルで買ったもので、キー配列は変えていない。)

*1)
 デング(ブッシュマンの親指ピアノ)ぞれそれに名前がつけられているようで、また各人の演奏する曲にも名前があるとのことだった。カンタのは「ロンバのデング」( 'r' の発音は巻き舌の [ rr ] )、ダウンゴは「クォームのデング」(最初に「キュッ」と鳴らすクリック [ / ] を発音する)、前回紹介したカリチュバは「クウィケのデング」、もう一人ウレーホ(発音は [ !ure-ho ])という男性のデングも録音させていただいたのだが、彼の曲は「エナーテ(エナーテム?)のデング」と呼ぶそうだ。


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(いつも陽気なカンタくん。缶を共鳴胴にしている。)


 面白かったのは、カンタくんの演奏。ブッシュマンの親指ピアノにはマイナー調で暗めな演奏が多いのに対して、彼の演奏は実に軽やかで明るい。しかも親指ピアノの音に合わせてハミングしたり、口笛を吹いたりする。どこかで聴いたような曲調だとしばらく考えた末に思い浮かべたのは、南ア共和国の黒人たちのポップ・ミュージック。あの跳ねるような軽やかさと相通じる明るさを感じたのだった。 

 後で聞くと、カンタくんは首都ハボローネなど(あるいは南アだったかも?)に呼ばれてステージ演奏したことがあるのだそう。なので、当然南アの都会の音楽を耳にしていてもおかしくはない。だとすれば、彼の演奏は、ブッシュマンの音楽が現代ポップの要素を取り入れることによって変化した一例とみなすこともできそうだ。何れにしても、カンタくんとたまたま出会ったことはとても幸運だった。

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(デングをつま弾くダウンゴさん)


 対してダウンゴさんの方は延々いつまでもチューニングを続けている。カンタくんもそうだったが「チーピ(キーのこと)が良くない」としきりに呟く。(前回紹介した)カリチュバさんのデングなどと比べて、ハンシー・クラフトで入手したデングも決して悪い音ではないと思う。だが、キーがスムーズに振動せず調整しにくかったり、音に豊かさが不足していたりして、やはりあくまでも土産品レベルなのだろう。

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(ハンシー・クラフトで入手したデング。デザインを施し、革紐をつけるなどして、商品価値を高めている。)



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(ダウンゴとカンタ。中央の若者が弾いているのはミュージカル・ボウの一種?)






# by desertjazz | 2022-02-12 00:00 | 音 - Africa

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■ Music of Bushman - 11 : Thumb Piano (1) ■


カラハリの親指ピアノ〜カリチュバのデング

 ブッシュマンたちの多彩な音楽の中で私が最も惹かれているのは、男がひとりつま弾く親指ピアノである。もちろん集落の皆が集まってトランシーに繰り広げられるヒーリング・ダンスには聴く度に圧倒される。けれども、一番好きなのはやっぱり親指ピアノだなぁ。

 1993年、ボツワナ共和国のカラハリ砂漠に滞在してる間、男が淡々と親指ピアノを弾く姿を幾度となく目撃した。それらのうちで特に印象に残っているのは、カリチュバという名前の、目の不自由な男のものだ。彼はいつも砂の上に腰を降ろして、ポロンポロンとひとりつま弾いていた。その姿が今でも目に焼きついている。夕暮れ時、集落に戻ってきた家畜のヤギの鳴き声に滲むその音は、何とも物悲しくて、またとても美しい情景だった。

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(デングを弾くカリチュバさん)


 アフリカ各地で伝承されてきた親指ピアノは、土地によっては祖先の霊とあるいはスピリチュアルな存在(精霊)と対話するための楽器と言われる。確かに親指ピアノの音には何とも怪しく不思議な響きがあって、天界や異界との繋がりのようなものを想像させる。しかしカリチュバさんがつま弾く姿からは、もっと別のことを感じ取った。彼はまるで自分自身と対話しているように思えたのだった。

 親指ピアノは極めてパーソナルな性質の楽器だと思う。楽器の発する音が弾く人自身に一番強く明瞭に聴こえることが何よりの証拠。弾く金属キー(稀に竹で作ったキーなどもある)も、その音を反響させるボディの面も、演奏者本人の顔を向いているのだから(ジンバブウェの親指ピアノであるンビーラ Mbira に至っては、その楽器をひょうたんやプラスチックでできた共鳴胴の中に入れて演奏するのだから、なおさらである)。

 今回、ブッシュマンの親指ピアノを収めたレコードや CD をいろいろと聴き直したが、カリチュバさんの演奏と似たものが多く、それはブッシュマンの典型スタイルのひとつと言って良さそうだ。楽器の音色は、マイナーなトーンで、ちょっとダークで、少し怖くて怪しくて、そして物悲しくてと、様々な印象を与える。口ずさむ歌も、切々とした雰囲気であり、センチメンタルな印象を醸し出す。先にも書いた通り、特に夕暮れ時の弾き語りには、胸に迫るものがあって忘れがたい(実際、録音させていただいたものを今でも聴きかえすことが多い)。

 カリチュバさんたちが持ち歩き演奏する親指ピアノは、デング Dengu(デンゴー Dengho、ドンゴー Dongho などとも)と呼ばれ、これは極めてシンプルな構造をしている。アフリカのあらゆる親指ピアノの中でも、飛び抜けてシンプルなものだろう。1枚の板切れに金属キーを並べただけと言っていいくらいなのだから。ジャラジャラ鳴るバズ音を発生させる仕組みもまたとてもシンプルである。

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(カリチュバさんのデング)


 そのような至って簡素で単純な構造な楽器なのに(あるいは、シンプルだからなのか?)、そこに物としての美しさを感じ、いつも見惚れてしまう。そして、とても美しい音、魅力的な音を響かせることも驚きだ。ブッシュマンから譲り受けたデングが手元に3つあるのだけれど、適当につま弾くだけで、とても気持ちよい音が響き渡る(いや、何か特定の曲を演奏できるわけではないのけれど、それでも適当に鳴らしているだけで楽しくなる)。

 また、弾き手によってチーピ(キー)の配列が異なることも興味深い。右上がりだったり、V字型だったり。2段だったり、3段だったり(2段、3段配列になっていても、上部のキーは共鳴用に付けられたものではなくて、実際に弾いて音を出すものだと思う)。ある特定のパターンに基づいているわけではない。でもよく見ると、自分が持っているひとつはカリチュバさんのものとほぼ一緒だ。

(1枚目の写真に並べた3つがそれらのデング。日本の湿気が良くないのか、保存の仕方が悪かったのか、キーがすっかり錆びてしまった。)

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(手前の金属の輪がジャラジャラと鳴るバス音を生む。)


 それにしても、どうしてこれほどブッシュマンの親指ピアノの音に惹かれるのだろう。シンプルな方がいいという単純な話ではない。自己完結したパーソナルな音楽が、売るために作られた音楽に勝るとも言えない。ましてや、民族音楽の類が芸術音楽や商業音楽の上にあるとも思っていない。

 民族楽器の生み出す強烈な倍音が快感をもたらすことは事実だろう。だれそれは、音楽が有する様々な特徴のひとつに過ぎない。ブッシュマンの親指ピアノのような素朴な音楽に魅力を感じさせる理由は、一体どこにあるのだろうか? 

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(焚き火で暖を取りながらデングをつま弾く男。金属缶を共鳴胴にしている。)



*1)
 日本でもどのような親指ピアノであれ、それを「カリンバ」と呼ぶことが多くなってしまった。しかし、多種類ある親指ピアノの総称として「カリンバ」を使うことは誤りである。
 親指ピアノの名称は、コンゴのリケンべ(ルバ人)やサンザ、タンザニアのリンバ(大きめのものをイリンバ、小さめのものをチリンバと呼ぶこともある)、ザンビアのカンコベラ(トンガ人)、ジンバブウェのンビーラ(ショナ人)、キューバに渡ればマリンブラ、等々と様々。これらが「カリンバ」と呼ばれることは決してない。カリンバとはあくまでも、マラウィやザンビアのトゥンブーカ人の弾くものだけを指す。
 カリンバという名称がここまで定着してしまったのには、ヒュー・トレイシーが Kalimba という名を商標登録して親指ピアノを売り出したり、アース・ウインド&ファイヤーのモーリス・ホワイトのヒット曲で知られてしまった影響が大きい。そのため長年「カリンバ」という名称が長年誤用されてきたことを残念に思う。

*2)
 最初の写真左の親指ピアノは、チーピ(キー)配列がジンバブウェ南部のンデベレ人のものとよく似ている(北部の多いショナ人のンビーラとは異なる)。それはどうしてなのかと、入手した当時からずっと疑問を抱いている。







# by desertjazz | 2022-02-11 00:00 | 音 - Africa

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■ Music of Bushman - 10 : Records of Bushman (8) ■


クラーク・ウィーラーによる21世紀の録音(3):ヒーリング・ダンスのアルバム

 クラーク・ウィーラーは CD "When We Were Free: Bushman Music of Botswana" に先駆けて、2枚のアルバムをリリースしている(ただし、デジタル・ダウンロードのみ)。

"Revolutions of Spirit: Bushman Dance Part One" (Bushman Music Initiative no number, 2013)
"Revolutions of Spirit: Bushman Dance Part Two" (Bushman Music Initiative no number, 2013)

 これら2枚はボツワナ西部の Bere に暮らすブッシュマンたちのヒーリング・ダンス(トランス・ダンス)のみをまとめたもので、全部で 27トラック(28曲)収録している。そのため、彼らのコーラスのバリエーションをたっぷり堪能できる内容となっている。

 ただ、折角このようなアルバムを作るのなら、コーラス部分のみを抜き出すのではなく、一連の流れをなるべく無編集なまま長時間収録して欲しかった。カラハリでヒーリング・ダンスを目の前で見てきた体験に即して言えば、コーラスがブレイクする合間のやり取りも興味深い。コーラスとブレイクを繰り返しが、聴いていて実に面白いのだ。そうした一連の流れ全体をじっくり聴くことによって初めて、彼らのヒーリング・ダンスの本質を捉えることができると考える。

 ブッシュマンのヒーリング・ダンスは、そのように歌の合間に何度も何度も休み(インターバル)を挟みながら、夜通し続けられる。そのインターバルでは、様々なやり取りが交わされ、その中で誰かの合図で、あるいは自然派生的にまた次のコーラスが始まる。コーラスだけでなく、そうした合間のやり取りも含めたものが一夜の治癒行為であり、また彼らも時間の経過全体を楽しんでいるように見える。なので、ヒーリング・ダンスの録音はある程度長いものを聴けば、それだけ理解が深まるはずだ。

 しかし、ヒーリング・ダンスの様子は、言葉でいくら説明しても正確には理解できないことだろう。可能ならば、映像で実際の動きを見ることが望ましいと思う。そのための良い映像資料は、どこかにあるのだろうか。


*1)
 文化人類学者、野澤豊一さんの言い方に倣えば、ヒーリング・ダンスにおいて、コーラスがなされる部分のみを切り出して鑑賞することは音楽を名詞として捉える「表象主義」に近く、コーラス間のインターバルも含めたシークエンス全体を注視することは、音楽を動詞として捉える、つまりはクリストファー・スモールが主張するところの「ミュージッキング(音楽すること)」の観察と言えるのではないだろうか。
(参考:『音楽の未明からの思考 ミュージッキングを超えて』収録の野澤豊一「序論・音楽の力(パワー)を未明の領域に探る」(アルテスパブリッシング、2021))



 これまでにも何度か書いてきたが、ブッシュマンたちが夜更かしすることは意外だった。カラハリ砂漠のブッシュマンの集落でキャンプ中のこと。夜は暗いし、寒いし、することもないから、彼らはさっさと寝てしまうのだろうと思っていた。だが、そうではなかった。

 夜、焚き火を囲んで会話を楽しむ姿を度々目にした。また、ある夜のこと。若者3人が懐中電灯を貸してくれと言ってくる。何に使うのかと思いながら手渡すと、しばらくしてウサギを捕まえて帰ってきた。何でも、懐中電灯の明かりで目くらまして捕まえたとのことだった。

 そして、焚き火を囲んで歌い叫び踊る、圧巻のヒーリング・ダンス。これは朝まで延々続けられるという。明け方まで休まず踊るなんて、まるでオールナイトで踊る現代人と一緒。いや、クラブ・カルチャーのルーツはブッシュマンだった?なんて妄想まで頭に浮かんでくるのだった。



 ブッシュマンたちの音楽は、特別な楽器を使っているわけでもなく、一聴とても素朴でシンプルなものである。ひとりでつま弾く演奏などは、各人の楽しみであり、自身の内面と対話しているようでもあり、それが生きる上で心の支えになっているようにも感じられる。また、濃密に音が重なり合うヒーリング・ダンス(トランス・ダンス)は、聴いているこちらまでもトランスに誘われるようなほどに強烈だ。

 彼らの音楽はさりげないようでいながら、じっくり聴くととても複雑であることに気がつく。そしてそれは遠く離れて暮らす私の心も揺さぶる。そんなブッシュマンの音楽、もっと知られて欲しいと思います。


(「Houcine Slaoui の徹底研究」に続いて、今回も誰も興味を持たないだろうと思いながら始めた「徹底研究・ブッシュマンの音楽」、レコード紹介を中心とする第1部はここまで。次回からは視点を少し変えて、もうしばらく続けることにします。)







# by desertjazz | 2022-02-10 00:00 | 音 - Africa

徹底研究・ブッシュマンの音楽 9: ブッシュマンの録音 (7)_d0010432_16275152.jpg


■ Music of Bushman - 9 : Records of Bushman (7) ■


クラーク・ウィーラーによる21世紀の録音(2):CD 収録トラック

"When We Were Free: Bushman Music of Botswana" (Bushman Music Initiative no number, 2017? )

(前回からの続き)

 クラーク・ウィーラー Clark Wheeler が制作したこのアルバムには、全部で 14のトラックが収録されている。2006年と 2008年にボツワナ西部のハンシー Ghanzi 近郊の3ヶ所で再録されており、内訳は以下の通り。

 ・Grootlaagte の Ju'hoansi:Tr. 5,
 ・D'Kar の Naro:Tr. 9,
 ・Bere の !Kung:Tr. 1, 2, 3, 4, 6, 7, 8, 10, 11, 12, 13, 14


Tr. 1 - Cgale ("The Wildebeest")

 女性2人によるミュージカル・ボウ dandedere(この楽器は女性だけが弾く)の演奏と歌。その様子について解説に詳しく書かれている。一人が地面に伏せたボウルの上に竿を立て、金属スプーンで弦を叩く。もう一人がボウルを上げ下げすることで、ボウルと地面との隙間を変化させて「ワウワウ」効果を生み出しているとのこと。

Tr. 2 - Ckham ("The Gemsbok")

 総勢25人からなる Bere のグループのによるトランス・ダンス。焚き火を囲んで座った女性たちがコーラスしながら手拍子を打ち、その周りを男性たちが回るという解説は、他のアルバムの時に書いたのと一緒。手拍子は6つのビートからなり、4つのメロディック・パターンを繰り返すため、24ビートのサイクルになっている。

Tr. 3 - Mat'ana Ca Ah ("I Talk To You")

 Xlaka Leneke という名前の女性が zoma という4弦楽器を弾き語る。写真を見ると、ナミビア(クン・ブッシュマン)のグアシと同様な楽器であることがわかる。弾き語りの声を聞いて男性かと思ったら女性だった(グアシは4弦または5弦であり、zoma も4弦ないし5弦であることからも、2つは同じ種類と考えて間違いなさそうだ)。

Tr. 4 - Dear ("The Ostrich")

 Bere のトランス・ダンス(トラック2の続き)。このアルバムは随所で Bere のトランス・ダンスを挟む構成になっている。

Tr. 5 - Qdwa ("The Giraffe")

 親指ピアノの弾き語り。ブッシュマンの親指ピアノは「ドンゴ dongho」と呼ばれることが多いが、セントラル・カラハリ・ゲーム・リザーブ CKGR 周辺では「デンゴ dengho」あるいは「デング denghu/dengu」が一般的なようだ。複雑なポリリズムを奏で、運指が想像つかない親指ピアノと、幾種ものクリックたっぷりな歌。本人はリラックスしているのだろうが、非常に精神集中した歌と演奏のようにも聴こえる。11分に渡るこの録音は、このアルバムで最高の聴きものだと思う。

Tr. 6 - Nqabe Chwe ("The Giraffe")

 これも Bere のトランス・ダンス。

Tr. 7 - Nqabe ("The Giraffe")

 女性による親指ピアノの弾き語り。親指ピアノはアフリカのどこでも男性の楽器だが、このタイプの親指ピアノを女性が演奏するのは珍しいのではないだろうか。

Tr. 8 - Qoma e Chweye ("The Honeybee")

 男性による親指ピアノの弾き語り。そこにもう一人が歌を添えている。本来ひとりでつま弾いて楽しむものだったのが、こうして2人で歌い演奏しているところに時代の変化を感じる。

Tr. 9 - Tcibi ("The Dove")

 8人の D'kar のグループによるトランス・ダンス。リードする男性の歌声が実に力強い。

Tr. 10 - Exai Saku Xai ("Let's Visit Our Friends")

 トラック3と同じ Xlaka Leneke による zoma の演奏。残念ながら残響が大きく、室内で録音したようで、やや不自然に聞こえる。ブッシュマンの定住集落ではブロック造りなどのしっかりした建物も建てられていて、おそらくはそうしたものの内部で録音したのだろう。屋外だと人が集まったりなどして、録音するには条件が悪かったのだろうか?

Tr. 11 - Ckham ("The Gemsbok")

 これも Bere のトランス・ダンス。

Tr. 12 - Nqabe Chwe ("The Giraffe")

 男性が演奏するミュージカル・ボウ。ワイヤーを使って中間部で軸と弦を絞り込み、弦を二分することで2つの音を出す構造など、楽器と演奏方法について詳しく解説されている。これも室内での録音のようだ。

Tr. 13 - Ckham ("The Gemsbok")

 これも Bere のトランス・ダンスである。

Tr. 14 - Manatose ("What Is The Problem?")

 最後も Xlaka Leneke がつま弾く zoma。本来は女性たちがスイカ(ツィマ・メロン)を投げ合って遊ぶスイカ・ダンスの歌だが、それをモチーフにしたものだと書かれている。音色といいメロディーといい、アイヌのトンコリを連想させることが興味深い。
 


 このアルバム、コーラスも含めて歌い手と演奏者全員の名前がクレジットされている。そのような丁寧な仕事ぶりに、制作者クラーク・ウィーラーのブッシュマンたちに対する愛情を感じた。






# by desertjazz | 2022-02-09 00:00 | 音 - Africa

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(CD が乗せられているのはブッシュマンのハンティング・キット)


■ Music of Bushman - 8 : Records of Bushman (6) ■


◆21世紀に生きるブッシュマンの文化伝承

 昔そろそろ 20世紀が終わる頃、「ボツワナ政府によるブッシュマンの再定住化がとうとう始まった」と、ある日本の文化人類学者からメールを受け取った時、これでブッシュマンの文化や音楽が潰えてしまうのだろうかと危惧したことを覚えている。実際、この知らせはカラハリをフィールドにする研究者たちに、少なからずショックを与えたようだ。いや、ブッシュマンたちが受けた影響ははるかに大きかった。

 1979年、「遠隔地開発計画」によって、カラハリ砂漠の奥で狩猟採集生活を送っていた多くのブッシュマンたちが、セントラル・カラハリ動物保護区(CKGR)の西部に新しく造られた町(村?)カデ Xade に集められた。

 そして 1997年、カデよりさらに西、CKGR の外側にニューカデ New Xade が造られ、カラハリのど真ん中ギョム Gyom などで移動生活をしていた人々を含む、グイ、ガロ、ナロと呼ばれるブッシュマンたちが CKGR から追いやられることとなった。

 これで、古から続いていた狩猟採集生活が完全に消滅するのだろうか? それに伴って彼らのヒーリング・ダンス(トランス・ダンス)も消えるのだろうか? ひとつの文化が消滅するのかもしれない。そう思ったのだった。

 だが、実際はそうとは言い切れないことに、最近あるアルバムを聴いて気がついた。

 CKGR の外でも、昔から様々なブッシュマンが生活してきた。またボツワナ国内でも、幹線道路沿いにブッシュマンの集落が点在している。そして過酷なカラハリ深部を離れた彼らも、パーソナルな音楽はもちろん、トランス・ダンスさえ楽しみ続けていた。それは、クン・ブッシュマンの録音を聴いても想像できるはずのことだった。

 ブッシュマン伝統の音楽は簡単に消え去ったりなどしない。今回取り上げるそのアルバムは、時代が 21世紀に移っても、ボツワナのブッシュマンたちが彼ららしい音楽を保ち続けている様子を伝えてくれる。

 ブッシュマンを研究している丸山淳子さんはこう書いている。「新しいものはあっさりと受け入れる一方で、古いものもけっして手放しはしなかった。」(『変化を生きぬくブッシュマン 開発政策と先住民運動のはざまで』P. iii )正にその通りだろう。


◆クラーク・ウィーラーによる 21世紀の録音(1):概説

 今年はブッシュマンの音楽を聴き返し調べ直そう、そう考えて新たな音源を探している時に出会ったのが、クラーク・ウィーラーの録音だった。

 ボツワナはブッシュマンが最も多く住む国であるのに、ここでの録音は(ジョン・ブレアリーのアーカイブスを除くと)驚くほど少ない。その観点からだけでも、このアルバムの価値は大きい。しかもなかなかな内容である。そして、ブッシュマンの音楽が 21世紀に入ってからも本質的には変わっていないことを捉えている点も重要と言える。なので、このアルバムとの出会いが、今回この「徹底研究・ブッシュマンの音楽」の連載を始めるきっかけになったようなものである。


"When We Were Free: Bushman Music of Botswana" (Bushman Music Initiative no number, 2017? )

 現在アメリカ、オハイオ州シンシナティに住むクラーク・ウィーラー Clark Wheeler が、2006年と2008年の2回に渡ってボツワナで録音した音源集。同国西部の町ハンシー Ghanzi 周辺の、話す言語も異なる、以下のブッシュマンの3つのグループ(民族)の音楽を紹介している。

 ・Grootlaagte の Ju'hoansi(ハンシーの北西、ナミビア国境に近いエリア)
 ・D'Kar の Naro(ハンシーの北東、マウン Maun 方向)
 ・Bere の !Kung(ハンシーの南東、首都ハボローネ Ghabrone 方向)

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(録音地3ヶ所。小冊子 "Bushmen Crafts" (Gantsi Craft) より引用。)


 この CD はバランス良い選曲がなされている。また、ライナーの解説もあまり長くないが、これまで書いてきたことのまとめになっており、さらに重要な指摘もされている。以下、いくつかメモしておこう。


 まず、カラハリ・ブッシュマンの暮らしにおける火の重要性について強調する。終夜続けられるトランス・ダンスにおいて、スピリチュアルな世界と交感する上でも焚き火が必要だとも。

 以降しばらく、ブッシュマンの音楽の特質について書かれている。

・ブッシュマンの音楽は(西洋音楽のような)コードに基づくものではなく、メロディック・パターンを基礎とする。
・4音ないしは5音からなるパターンで、音の上下よりも「サークル」内でのピッチ変化が特徴。
・それぞれの歌は特定のメロディック・パターンにより特徴付けられる。それは曲の間、繰り返される。
・しかしこれは単純な繰り返しではない。ひとつのピッチでのメロディーのパターンが終わると、それより下降した隣接ピッチへ移行する。それが4回繰り返され、最初の音階に戻る。
・ブッシュマンの歌は、home chord が存在しない、circular なもので、ひとつのメロディーの開始点も終了点も明確ではない。

 以上のような、ブッシュマンの音楽の「円環構造」に関する分析は重要だろう。解説は続く。

・ブッシュマンのダンスは総出でなされる。
・高度にポリフォニックであり、個々の声が異なるメロディーやラインを奏でる。
・リズムは複雑で、常にシンコペートする。
・歌は手拍子よりわずかに遅れる。
・歌のメロディーは激しく動き(音階が極端に上下するということだろう)、ヨーデル風である。

 メロディーがそうした円環構造の中で、一方向に(clockwise に)上昇ないしは下降することを再度指摘している。

・Dave Mathews がブッシュマンに歌の背景について質問すると、「それには意味はない。自分たちが言葉を持つ前からある音楽だから」と返された。(それを根拠に、ブッシュマンが地球最古の人間であることを示唆している。)


(※ ちょっと長くなってきたので、個々の収録トラックについては次回にします。)


◆時代変化に翻弄されるブッシュマン

 そんなブッシュマンたちは、今(1990年代/2000年代以降)困難に直面し、環境も生活も徐々に変化している。

 CKGR 圏外での定住を強制されたものの、砂漠での生活圏を巡って裁判が行われ、彼らの権利が一部取り戻された。そしてブッシュマンの中には、かつての居住地に帰っていく者もいた。だが、これで問題が解決したわけではない。

 年配のブッシュマンには、住み慣れた土地で昔ながらの狩猟と採集の生活を渇望する人も少なくない。繰り返された移住/定住の結果、1000人にも及ぶほどに人口が集中する集団生活の軋轢に耐えきれなかった人も多い。そうした人々(数百人程度)は砂漠に戻った。その一方、多くのブッシュマンたちは現代の技術や文化を知り好んでいる(ウィーラーは薬の魅力も指摘)。

「若者たちが、自分たちの文化が変化することを拒否する必要はない。」「ブッシュマンたちは世界から切り離されたままでいることを望んではいない。」というクラーク・ウィーラーの指摘は重要だし、日本人研究者たちの主張とも一致する。

 しかし、砂漠の中での生活も新しい村での定住生活も、いずれもが、ある程度まで政府からの食料や水の供給に依存したものとなっている。砂漠での生活圏を取り戻したと言っても、狩猟を許可されたエリアは限定されたままである。定住生活するにしても、そこでの仕事不足は深刻だ。現金収入を得たことでアルコール依存に陥る人が増えたことも、大きな問題となっている。とにかく現実は厳しい。

 現代世界の変化に激しく翻弄されながら、数々の難題に直面しつつも、たくましく生きることを求められているのが、現在のブッシュマンなのである。



*1)
 ボツワナのブッシュマンの定住化/再定住化の経緯に関しては以下の文献が詳しい。

・丸山淳子『変化を生きぬくブッシュマン 開発政策と先住民運動のはざまで』(世界思想社、2010)
・田中二郎 編『カラハリ狩猟採集民 過去と現在』(京都大学学術出版会、2001)

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 また、例えば次の文献にも短くまとめられている。








# by desertjazz | 2022-02-08 00:00 | 音 - Africa