人気ブログランキング |

アフリカの記憶 101

アフリカの記憶 101_d0010432_11213698.jpg


 Kalahari #1 : South Africa / Johannesburg 1993

 1993年9月、初めてのアフリカ旅行が始まる。成田空港からロンドン・ヒースロー、南アのジョハネスバーグを経由して、ボツワナ共和国の首都ハボローネへ。ジョバーグ付近で機内から外を見下ろすとマッチの軸先のように小さな家々が密集している。ここも黒人居住区のひとつなのだろうか。いつかソウェトを訪ねてみたい。その願いは、この2年後あっさり実現することになる。


「アフリカの記憶 017」-「アフリカの記憶 021」参照






# by desertjazz | 2020-08-26 00:00 | 旅 - Abroad

旅の追憶 #2

旅の追憶 #2_d0010432_11562307.png


 UK / London 1998

 ハバナのエグレム(旅の追憶 #1)と並んで記憶に残っているスタジオは、ロンドンのアビーロード・スタジオ Abbey Road Studios だ。

 1998年、ジョン・レノンとザ・ビートルズの取材でイギリスへ。個人的にジョンには何ら思い入れがないが、リバプールで、ジョンとポールが最初に出会った体育館、デビュー前に演奏していたキャバーン・クラブ、ペニーレイン、ストロベリーフィールズといった彼ら所縁の場所を次々と訪れる旅は楽しかった(でも、ロンドンへの帰り道、マッシヴ・アタック Massive Attack の本拠地ブリストルの街並みを一瞬見られたことの方が嬉しかった)。

 アビーロード・スタジオを訪問したのは 5月5日(火)の午前。ここでも、ハウス・エンジニアに案内され、色々話を伺った。

・一番忘れられないのは Studio One のフロアに立った瞬間。ここからあの "All You Need Is Love" が世界に向けて生中継されたのかと思うと、とても感慨深かった。「このフロアを改修する時、全ての板をナンバーリングして、工事を終えたらその番号の通りに戻したんだ。元のスタジオの響きを失いたくなかったからね」

・Studio Three には古いアップライト・ピアノが置いてあり、マイクスタンドも古いものばかり。ポールはこのピアノを弾いたのかな?、ビートルズもこれらのマイクスタンドを使ってレコーディングしたのかな?と想像が膨らむ。

・サブも1室見せていただいたのだが、思いの外狭かった。デカいコンソールの背後に B&W 500D が3本並べられているのだが、ウーファーは完全にコンソールの陰に隠れている。これでちゃんとモニターできるのかな?と疑問に思った。

 アビーロードでの写真が出てこない。多分1枚も撮らなかったのだろう。がっかりしたのは、The Beatles "Abbey Road" のアルバム・カバーで有名なあの横断歩道が、すっかり様変わりしていたこと。横断歩道のペイントが趣味良くないデザインに変えられているのだ。それで興ざめして写真を撮らなかったような記憶もかすかに残っている。


(写真はまだ見つからないので、公式ページ https://www.abbeyroad.com より借用。)







# by desertjazz | 2020-08-25 00:00 | 旅 - Abroad

旅の追憶 #1

旅の追憶 #1_d0010432_20540336.jpg


 Cuba / Habana 2000

 「アフリカの記憶 099」で World Cuicuit と "Buena Vista Social Club" について書いていて、この作品がレコーディングされたハバナのエグレム・スタジオ Egrem Studio のことを思い出した。そのエグレムを訪問した時のネガフィルムも出て来たので、スキャンしてデジタル・ファイル化してみた。"BVSC" のブックレットに掲載されている写真と比べて見たら、どれもそっくりの背景なので(同じスタジオだから当たり前だ)、なんとも懐かしい。

 2000年6月〜8月、ペレス・プラードとキューバ音楽の取材で、アメリカ、メキシコ、キューバを2ヶ月間旅行。ニューヨーク、マイアミ、メキシコシティー経由でハバナへ(NYC では、翌年崩壊する WTCビルの屋上に登り、絶景を眺めたことも忘れられない)。

 エグレム・スタジオを訪れたのは 7月27日(木)の午前。個人的興味から、ハウス・エンジニアにあれこれ質問したことを記憶している。

・ミキシング・コンソールは Amek の Mozart 40ch だった。

・MTR は Studer のアナログ 24ch(でも写真を見ると、メーターは 16ch分しかないな)。「マルチテープは高価なので、毎度使い回ししている。レコーディングの度に上書きしているので、過去の作品のマスターテープなんてないんだ」とのことだった。さすがに "BVSC" のマスターは、ニック・ゴールドが保存しているだろうが。

・エグレムでのレコーディングはワンマン・オペレーションだとのこと(アシスタントはいないということ)。ピアノのマイク・セッティングが興味深かった。

・スタジオ・フロアを歩くと床鳴りが大きい。体重を移動させると軋むほど。その点、レコーディングでは苦心したのではないだろうか。

 1997年の "BVSC" のレコーディングでは、「ライ・クーダーはサブ(副調整室)ではどこに座っていたの?」と訊ねると、「その椅子だよ」と教えてくれた。しばらくそこに座ってご満悦気分になったのだった。

旅の追憶 #1_d0010432_20543579.jpg

旅の追憶 #1_d0010432_20543860.jpg

旅の追憶 #1_d0010432_20544122.jpg

旅の追憶 #1_d0010432_20544421.jpg

旅の追憶 #1_d0010432_20544725.jpg



 この取材では、ライブをたくさん観て、著名な楽団をいくつも自らレコーディングさせていただき(録音は今でも全て保存しているが、某有名オーケストラを、体調崩し40度の高熱を我慢してレコーディングしたことが懐かしい)、多くの生き証人たちともお会いして、とても楽しい思いをした。今でも忘れられないのは、カチャーオ、モンゴ・サンタマリア、ジョニー・パチェーコ、アンセルモ・サカサスの息子、ヘネロソ・ヒメネス、などなど。ヘネロソ・ヒメネスのご自宅で聞いた話は爆笑ものだったし、モンゴ・サンタマリアの NYC のアパートでは彼の生演奏を聴かせていただいた(そのテープもまだ持っている)。モンゴさんと一緒に撮った写真も宝物だな。

 ハバナではキューバ共産党の音楽資料室(ICAIC)にも入らせていただいた。訪問の1ヶ月前にある資料の閲覧を申請していたのだが「見つからなかった」との回答。だが、私が入室して、わずか 30秒でその資料を見つけてしまった。これには一同唖然。まあ偶然なのだろうが、やっぱり自分には何かを見つけ出す嗅覚があるのだとも思う。


#

 新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るい、ライブを観られない、旅行にも行けない今、まずできることは、アーカイブスの整理と、リモート取材/リモート発信だろうと考えている。実際、プロ/アマ問わず、その傾向が見られる(詳しくは後日書いてみたい)。

 そこで拙ブログでも、「アフリカの記憶 ー 追憶/追体験する旅」を起点として「アフリカの記憶」とはまた別に、個人アーカイブスの見直しを進めることにした。だが、ネガのスキャンを始められたものの、その一方で、膨大なプライベート音源をどう整理するかにまだ迷っている。あれこれ課題が山積したままで、時間がいくらあっても足りない。






# by desertjazz | 2020-08-24 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 Technical Note_d0010432_12580557.jpg


 ネガフィルムのスキャンを始めるに際して、最初に検討したのはスキャナーの選択についてだった。ひとまずフィルムのスキャンに特化した製品を探したものの、簡易なものが多くどれも選外に。一時はフィルム対応している複合機も各社売り出していたが、最近はほとんど見かけない。現在は需要が極めて少ないだろうから、これは当然だ。結局最も高精度で使い勝手が良さそうなのは、シンプルなスキャナーだという結論に。しかし、これも今はフィルム対応機がとても少ない。最後は EPSON の GT-X980 と GT-X830 の2択になったが、どう考えても前者はスペック・オーバーかつ予算オーバー(6万円以上する)。

 それで選んだのは GT-X830。ところが問題発生。所有する Mac はどれも非対応だった。OS が新しすぎたり古すぎたりして、対応するドライバーがある世代の Mac を持っていないのだ。それでも試行錯誤して、1世代前の Mac でも何とか動かせる方法を探り出した。

 次に迷ったのは、スキャナーの設定。あれこれ細かく設定する必要があると分かったので、「全自動」ではなく「プロフェッショナル」モードで作業開始。しかし、マニュアルを読んだだけでは、ネガの状態に合ったスキャン方法がすぐにはわからず、また設定項目が多すぎてとても煩雑。しばらくは毎度的確な方法を探りながらの作業となった(それで、同じネガを幾度もスキャンし直すことにも)。

 現時点で、基本的には以下の設定で作業をしている。

・解像度 - 4800dpi(1枚 3〜5Mb程度の JPEG になる)
・退色復元 - OFF(スキャン後にアプリを使って色補正した方がずっと良い)
・ホコリ除去 - 中(ほとんど効果なし、アプリのレタッチでノイズを消す)

 高精細な写真が見られるだろうと期待して作業を始めたのだが、1990年代前半のネガは劣化が激しい。保存状態が悪かったのか、傷や汚れも目立つ。特に退色がひどい(不思議なのは、コマによってその度合いが大きく異なること)。退色は青色成分が失われる現象で、すっかり青が抜けてしまったネガについては補正には限界があった。古いロールほど補正・修正不可能なネガが多く、正直なところ、スキャナーのスペックや設定より以前の問題を感じた。全般的に、スキャンした画像よりも昔プリントアウトした写真の方が色が鮮やかで、ブログにはどちらを公開するかしばしば迷ったほどだった。

 アフリカに限らず、アジアや中米も含めて、旅先では安いという理由から現地でプリントアウトすることも多かった。ネガの状態が悪化しているのには、もしかすると、現像液が古くてその影響を受けた可能性もある。

 いずれにせよ、フィルムは20年を過ぎると劣化がかなり進むようだ。スキャン作業を始めるには、きっと少し遅すぎたのだろう。


(*写真は 1993年カラハリの1枚。退色、傷、汚れの一例。「アフリカの記憶」ではこうした写真を1枚ずつ修正・補正して公開している。)






# by desertjazz | 2020-08-23 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 ー 追憶/追体験する旅_d0010432_21171588.jpg


 昔撮影した写真をネガからスキャンしてデジタル・ファイル化したいと、ずっと前から考えていた。特に 1993年の南ア(カラハリ)取材の写真約1000カットは大半がベタ焼きだけなので、死蔵したままだ。必要な写真を探す時、それをネットにアップしたり人に送ったりする時、プリントからだと手間がかかる。ネット時代、写真をファイル化しておくことの利便性は高い。

 今度の新型コロナウイルス Covid-19 の流行のために、旅行も出張もできないし、外食や外飲みにも行きにくい。その時間を有効活用すべく、これまでできずにいたいくつかのことに手をつけた(その分、読書は極力しないことにした)。思いついて始めたことが私的アーカイブスの整理。そのひとつがフィルムのスキャン作業だ。まずは1990年代のアフリカ旅行の写真から取り掛かっているのだが、記憶にないものが実に多くて驚いた。そのため、旅の日誌や手帳(海外旅行70数回分だけで 100冊を優に超える)を確認しながら進めている。

 そうした写真を眺めている間に、このブログで1日1枚公開することを思いついた。そして始めたのが「アフリカの記憶」。写真だけにして見る人に自由に想像していただくのがいいのか、それとも何らかの説明を加えた方がいいのか、未だに決めかねているのだけれど(最近のセネガル編は日誌体にした)。実は 21年前にホームページ f-beat (Forest Beat / Desert Jazz) をスタートした時、その中で旅行記を綴ることも考えた(方針が固まらず、また忙しすぎて、結局何もできなかったが)。もしかしたらこの「アフリカの記憶」は 21年後にようやく始められた旅行記になっているかもしれない。

 実際始めてみて意外だったことがある。古い写真を見つめつつ過去の旅を振り返る行為が、自分を再び旅している気分にさせたことだ。まるで新たに旅をしているかのようでもあり、とても新鮮な体験だった。

 コロナ禍を含めて現状を冷静に見つめると、今後私が海外に行くことはない可能性が高い。少なくとも、アフリカを旅することはもうないだろう(次回でキリよく 10度目となるアフリカ旅行、南部の砂漠地帯、またはガーナ、ナイジェリアなどの西アフリカ、そのどちらかを1ヶ月程度かけて巡るつもりでリサーチを続けていたのだが)。「アフリカの記憶」は、旅に出られない状況を穴埋めするばかりでなく、それ以上の何か前向きな意味すら与えてくれているように感じる。
 
 なので、毎晩0時に1枚ずつ写真を公開することは、まず第一に自分のための作業になっている。大した旅行はしていないので、せいぜい30日か50日続けられれば良いだろうと思っていたのだが、連続100日に達した。しかし、一番記憶を記録しておきたかった本題にはまだたどり着いていない。なので、「アフリカの記憶 100」までを第1部として、もうしばらく続けてみようと思う。

 2000年頃からコンパクトなデジカメを使い出し、場合によってはフィルムも併用していたが、2004年頃を最後にフィルムからデジカメへと完全に移行した。このまま、デジカメ時代の4つのアフリカの旅について整理してもいいし、「アジア編」を開始するのもありだろう。だが、1993〜2002年の10年間に5度訪れたアフリカ、その追憶の旅はまだ終えていない。アフリカで一番の「記憶」はその過程で残された。なので、「アフリカの記憶 101」から、ひとまず再び 1993年の旅に戻ることにしよう。






# by desertjazz | 2020-08-22 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 100

アフリカの記憶 100_d0010432_18491745.jpg


 Senegal / Dakar - Île de Gorée 2002

 1990/2000年代に(正確には 1993〜2002年の10年間に)アフリカ各地で撮影した写真のネガを、専用のフィルムスキャナーでスキャンし続けている。これまでに約1600カット、作業を終えた。そしてそれらの中から1日1枚選び、パソコンで修正・補正したものを、「アフリカの記憶」と題して毎晩0時に公開してきた。その第1回目、プロローグ的な「アフリカの記憶 000」に次ぐ「001」で、特段理由もなく思いつきで選んだのは、ゴレ島の「奴隷の家」の "Door of No Return" と呼ばれる「扉」から撮影した1枚だった。

 しかし、最初のこの写真は、1999年の西アフリカ旅行の時のものなのか、それとも翌年2000年の2度目のセネガル滞在時に撮影したものなのか、分からなかった。つまりは、ゴレに行ったのはどちらの時だったのか思い出せなかったのだ。ところが、日誌を読み返しつつスキャンした写真を整理して、ゴレ島にはその両方の旅で訪れていたということに気がついた。まさかわざわざゴレに2回も行っていたとは、自分でも意外。しかも2度目の旅は 2000年ではなく、2002年だったことも判明した。

 その2度目の旅で、ユッスー・ンドゥールのライブを複数回観たことは覚えているのだが、それが2回だったか3回だったか記憶が定かでなかった。クラブ・チョサンという同じ会場でヴィヴィアンも観たことも影響しているのかも知れない。ところが日誌を確認して、正直驚いた。2002年にはわずか10日間でユッスーを4回も観ていたのだ! ヴィヴィアンも含めれば、チョサンには実に5回も行っている。

 ところで、その「扉」の写真、「アフリカの記憶 001」の 1999年のものと、この「100」の 2002年のものを比べると、構図はほとんど一緒だ。それだけショックなりインパクトなりを受けた光景だったのだろう。それなのに、そこに立った時のことはすっかり忘れてしまっている。



「記憶」とは実に曖昧なものだと、改めて思う。






# by desertjazz | 2020-08-21 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 099

アフリカの記憶 099_d0010432_14231887.jpg


 Senegal / Dakar 2002

 2002年2月、2度目のセネガル旅行を終えて帰国。それからしばらくして、ユッスー・ンドゥールの新作 "Nothing's in Vain" とオーケストラ・バオバブの再結成第1弾 "Specialist in all Styles" の日本盤ラーナーノーツの執筆依頼が、突然ワーナーミュージックから舞い込んだ。私はアフリカ音楽も好きだけれど、あくまで一人の音楽ファンに過ぎないと思っていたので、これには正直驚いた。しかし、ユッスーのようなアーティストの解説は一度書いてみたいと夢に思っていた。ならば引き受けるしかない。

 これらの2つのアルバム、制作した World Circuit の力の入れようはかなりのもの。特にバオバブには特別な熱意が感じられた。プロデューサーのニック・ゴールド Nick Gold は当初、解散していたバオバブのメンバーを集め、彼らをキューバに連れて行き、そこでレコーディングする計画を立てたらしい。しかし、ビザの問題が解決しなかったため、そのプランは断念(その代案として生まれたプロジェクトが Buena Vista Social Club だった)。それでもユッスー・ンドゥールとの共同プロデュースの下、"Specialist in all Styles" を完成させたのだった。

 ユッスーとバオバブのファイナル・マスター前らしき音が録音されたディスクが届いた時の感激、それを聴き始めた瞬間の感動は忘れられない。ライナー2本は、その2枚を繰り返し聴きながら、2ヶ月かけて徹底的に情報を集めて書き上げた。バオバブのニューアルバムはかつてのレパートリーの再演集だったので、ライナーを書く上で、ダカールで彼らのアルバムのほぼ全てを集められたことが大いに役立った。直近ダカールを旅したことが、このような形で生きてくるとは予想外。


 バオバブのニュー・アルバムのリリースに合わせて、World Circuit が制作したプロモーション・ビデオもまた贅沢な力作だった。実に 25分以上もある長尺な映像作品で、バオバブのメンバーたちがダカールの街を紹介するという内容。その4分過ぎ、ユッスーの提案によりバオバブに新加入した若手シンガーのアサン Assane Mboup がダカールのとあるレコード屋を訪ねる。そのシーンでアサンは「この店でバオバブについて学んだ(Laye Mboup のテープを買った)」と語る。


 その店の佇まい、通りの雰囲気、そして店主の顔を見てびっくり! あの親父さんだ! そこに登場したのは「アフリカの記憶 098」で写真を載せたファスの店だった。この親父さんは、実は有名人だったのか!

(旅の手帳を見返すと、店主のお名前は Assane Gueye さん/店の住所は B21。アサンも「僕と同じ名前」と店主を紹介しているので、間違いない。 ついでにメモしておくと、同じファスでは、Henri Louis Houmenou さん/ B262 にもお世話になった。皆さん、今もお元気だろうか。ダカールにまた行きたい! ・・・と書いていたら、先ほど Matthew Lavoie さんが Facebook にメッセージを下さった。Matthew さんはかつて Fass の Assane さんの店の近くに住んでおり、彼のところに通って色々教わったそうだ。そして、残念ながら Assane さんは既に亡くなられたとのこと。Assane Gueye, R.I.P. )


 その後も、バオバブたちとの繋がりは続く。2003年6月、彼らのライブを観るべく、フランスのアングレームで毎年開催される老舗の音楽フェスの取材へ。プロモーター(カンバセーション)の依頼を受けて、そこで彼らへのインタビューも敢行。ステージ演奏を初めて体験できたし(ステージ照明が崩れて本番は中止になったが)、メンバーたちとも初対面してしまった。

 そして8月にはオーケストラ・バオバブが初来日。その時、富山に飛ぶ彼らと羽田空港で偶然ばったり遭遇し(私は帰省旅行中だった)、バオバブとの縁を感じたのだった。その富山のスキヤキ公演は観に行けなかったが、渋谷クアトロで彼らと再会。そのライブはとにかく最高だった。また、フロアの最前方に立っていた若い女性が、ライブが始まる直前まで私が書いたライナーノーツを熱心に読んでいて、それが目に留まった時とても嬉しかったことも記憶している。ライブの後、メンバーたちを引導して遅い晩飯に出かけたことも懐かしい思い出だ(リード・ギターのバルテレミ Barthélemy Attisso に海鼠腸(このわた)と日本酒を勧めたら「美味い」と言って箸を進めていたなぁ)。

 さらにさらに、ニック・ゴールドが「次作の参考にしたいから、バオバブの昔のレコードを聴かせて欲しい」と連絡してきたので、アルバム10枚分くらいの音源を CD-R に焼いてイギリスに送った。どれだけ参考になったかは知る由もないが、それからしばらくしてリリースされたのが復帰2作目の "Made in Dakar" だ。

 2007年11月、その新作お披露目ライブをパリまで観に行き、メンバーたちとまたまた再会。フロアから目立たないようにサウンド・チェックの様子を眺めていたら、テナー・サックスのイッサ Issa Cissoko が目ざとく私の姿に気がつき、バンドの演奏を止めてステージを降りて歩み寄ってきた。

「どうしてここにいる?」
「君たちのライブを観たくて日本から来たんだよ」

 その瞬間、抱きしめてきた。ゴワゴワした彼のヒゲの感覚が忘れられない。その夜、楽屋で聞いた話を含めて "Made in Dakar" のライナーを書き上げ、その晩のうちに東京のレコード会社に入稿したのだった。


 こうした貴重な体験の数々、それら全ての始まりは、ダカールで彼らの古いレコードを見つけたことだったのだと思う。今思い返しても濃密な数年間だった。




* "Specialist in all Styles" のライナーノートには細かな間違いもあるので、その「完全版」ないしは詳しい「バオバブ・ヒストリー」を書きたいとずっと考えている。今年はバオバブ結成50周年なので、良いタイミングなのかもしれないのだが。






# by desertjazz | 2020-08-20 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 098

アフリカの記憶 098_d0010432_14205726.jpg


 Senegal / Dakar 2002

 ダカールのファス Fass やピキン Pikine を訪れ、市場界隈にあるレコード屋を覗くと、セネガル、ガンビア、マリ、ギニア、ナイジェリア、コンゴ、ケニア等々のヴィンテージなレコードがどっさり置かれていることがある。中には珍しいもの、貴重なものも混じっていて、思わずヨダレが出かかる。しかしこれらは売り物ではなく、カセットにコピーして売っているというのだ。

 そう聞かされて思い出したのは、別冊ミュージック・マガジン『季刊ノイズ』1号(1989年)で深沢美樹さんが書かれた記事「ハイライフの国を訪ねて」だ。深沢さんは 1984年にガーナのアクラでレコード屋巡りをした時のことについて、こう書かれている。

「お目当のレコード屋は、かなりの数(マーケット周辺だけでも4〜5軒)があった。レコード店といっても、本当に小さなものが多い。また数十枚のレコードを売っている露店や屋台風のものもあり、なかなかに楽しい。」
「(探していたE・T・メンサー)以外にもF・ケニヤなど面白そうなレコードが何枚もある。カウンターの奥には70〜80枚くらいのLPが、床の上に無造作に置いてある。ざっと選んだだけでも、欲しいLPが30枚くらいになった。さっそく全部でいくらかと尋ねると、それは売りものじゃないというつれない返事。よくよく話を聞くと、そこはレコードをダビングしたテープを売る店とのことだ。」(P.152)

 ダカールのレコード屋を巡っていて、今自分がここで体験しているのは、深沢さんが記事に書かれたことそっくりそのままだと思い至った。深沢さんがガーナを訪れてから18年経っても、西アフリカで同じ商売が続いていることを知り、感慨深く思ったのだった。

 ダカールで収穫が多かった反面、Starband のレコード数タイトルなどは、どうしても手に入れられなかった。それで私も何軒かの店にダビングを依頼してみた。すると翌日にはちゃんとカセットが出来上がっている。それが、ファスやピキンを繰り返し訪れた理由の一つだった。カセットにコピーしてもらった音源は、いずれもその後実際にレコードを入手できたが、それでも当時それらの録音を初めて聴けてとても嬉しかったことを憶えている。


(写真はファスの店のひとつ。今から推測すると、「アフリカの記憶 097」の写真の大量のカセットもまた、ダビング元の音源だったのだろうか。)





# by desertjazz | 2020-08-19 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 097

アフリカの記憶 097_d0010432_14190926.jpg


 Senegal / Dakar 2002

- 11 -

 2/24 (Sun) ダカール最終日。明け方近い 29時(午前5時)に寝入ったが、朝9時には目が覚めてしまう。

 荷物のパッキングを大まかに済ませ、ホテル代の清算へ。ここでまたまたフロントと大揉め。ここまでほとんど書かないで来たが、2回続けて宿泊したこの Hotel Nina ではトラブルが繰り返された。前回、チョサンでユッスーのライブを観る幸運をもたらしてくれたのは、ここのフロントマンだったし、今回も途中で宿泊料の値引き交渉に応えてくれた。しかし、数日前にお互い嫌な思いをするすれ違いが生じたり、近辺ではこの Nina だけ停電になったり。大量のレコードを DHL のオフィスまで運ぶ肝心な時に、エレベーターが動かなかったこともあった。今朝は1泊分多く請求して来て、クレームつけても平然としている。値段は手頃だし、利点の多いホテルだったのだが。一体、自分とは相性が良かったのか悪かったのか?(しかし、場所はとても便利だし、値段は手頃だし、他にも利点の多いホテルだったので、もし3度目のダカール旅行があるならば、またここに宿泊するかもしれない。)

 要件を全て片付けた後、時間つぶしにマルシェ・サンダガまで歩いて行ってみる。日曜日だからか、それともタバスキの翌日だからか、閑散としていてカセット屋も数件開いているのみ。それでも6本購入。

 今年のダカール訪問は2月で涼しい日が多かったが、今日は少し暑い。ホテルに戻ってシャワーを浴び、パッキングを終わらせ、ホテルの近くで夕食をとり、後は空港へ向かうのみ。

 ホテルから離れる際、余ったフィルムをフロントに差し出すと、素直に「ありがとう」と言って受け取ってくれた。アフリカの旅は毎度トラブルたっぷりだが、セネガルでもそうなった一番の原因は、多分自分がフランス語を話せないことにあると思う(それでも、レコードや音楽のこととなると、しっかりコミュニケーションが取れているから不思議だ)。


 結局またしてもサン=ルイには行けず、観光らしいこともあまりできなかった。しかし、前回 1999年の収穫と合わせて、セネガル音楽で聴くべきものはほとんどと言っていいくらいに集められた(Starband、Youssou N'Dour、Orchestra Baobab、Number One などはコンプリートに近いし、ギニアのシリフォンのアルバムの大部分や、マリの基本アルバムの相当数も手に入れられた)。そしてそれらを繰り返し聴くことで、セネガリーズ・ポップの全体像が掴めるようになった。その点では、2度のセネガルはこの上なく充実した旅になったと言えるだろう。もちろん街歩きや人々との語らいも楽しむことができたし。


 以下、余談。。。

 さて、難関になりそうだった空港でのチェックイン。やはり完敗だった。欧州路線はエクセス(追加料金)をきっちり計算されるので不安に思っていたが、果たしてその通りに。預けるバッグは、2つで 29+18=47kg。エコノミークラスなので、27kgオーバーだ。それを黙って 20kgオーバーにしてくれただけでも感謝なのだが、そこを4度拝み倒してやっと 18kgに。それでも、1kgあたり CFA 10000(1800円強)なので、トータルで 33000円。パリー東京のエクセスも加えたら、ダカールから JUMBO BOX をもう一箱送った方がずっと安かっただろうことは、間違いない。それに気がついたが、もう後の祭りだ。

 日誌のメモ書きによると、ダカールでの荷物は、DHL:25〜28kg、バッグ2つ:47kg、機内持ち込み:10+α kg で、総重量は約90kg。そしてパリでもレコードを買い漁ったので、CDG 出発時点で、エクセス 41kg、機内持ち込み 30kg とある(DHL で送った分なしでも、合計がまた90kgに増えている)。案の定、CDG でエクセス料金をたっぷり取られた。その金額を調べてみると、なんと 540ユーロ! エクセスだけで実に合計10万円以上支払っていたのか。自分にとってそれだけの価値があるレコードをアフリカから持ち帰ったのだと、当時自分に言い聞かせた記憶がある。

 2回目のセネガルの旅、1回目の時とは違ってレコードを探し続けた記憶はなかった。しかし日誌を読み返すと、どうやら1回目と同じくらい買い集めている(記録によると、パリの分も含めるとアルバムだけで496点)。「記憶」ほど曖昧なものはない。




(写真は「アフリカの記憶 094」に載せた店の内部。気になるのは上の方に積まれたカセットだ。ネガからスキャンした写真を拡大して見ると、YOUSSOU NDOUR、SUPER ETOILE、NUMBER ONE、BAOBAB、GUELEWAR、FANTA DAMBA、BONZOUMANA CISSOKO、RAIL BAND、SOULEYMAN FAYE などの名前が読み取れる。これは何だろう? ヒントは一番上に横積みされたブランクカセットかもしれない。・・・この話の続きは後日。)





# by desertjazz | 2020-08-18 00:00 | 旅 - Abroad

アフリカの記憶 096

アフリカの記憶 096_d0010432_14162904.jpg


 Senegal / Dakar - Île de Gorée 2002

 ゴレ島の船着場から、低い丘に伸びる道を歩む。
 今日は客引きがしつこくて、ちょっと鬱陶しい。
 道行き、タイコ(サバール)を叩く若者たちも。
 島の宿に泊まることもできるらしく、少し惹かれる。
 
 強い日差しを浴びながら島の反対側まで進む。
 たどり着いた先が、ピンク色に塗られた建物。
 ここはかつて暗く悲惨な歴史の舞台だった。
 「奴隷の家」は今、博物館としてその歴史を伝えている。






# by desertjazz | 2020-08-17 00:00 | 旅 - Abroad