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 拙著『Kalahari / Dengu』の中で書ききれなかったことの一つは、かつてカラハリ砂漠というフィールドでの録音はどのように行われていたのかという考察です。そこで<フィールド・レコーディング小史>と題し、少々補足して書いてみます(全3回の予定)。



<フィールド・レコーディング小史>(1)


 アフリカにおけるフィールド・レコーディングは、これまでどのように行われてきたのか。特にカラハリ砂漠においてはどうだったのか。そうした歴史を少し振り返ってみます。

 今回「カラハリ三部作」を作りながら改めて感じているのは、ブッシュマンの音楽に関する資料の少なさです。大学や研究機関、映画会社、テレビ局などが、カラハリを探索して記録した映像や音声はそれなりに残っていると思うのですが、私のような素人では容易に探り当てることができません。
 ブッシュマンの音楽のレコードも意外と少なく、それらの大半はボツワナ北西部とナミビア北東部にまたがるエリアで録音されたものです(南アフリカでの録音もいくつかありますが、ブッシュマンに今風の音楽を演奏させている感じで、正直面白くなく参考にもなりません)。ボツワナ共和国の中央部、中央カラハリ動物保護区での録音に至ってはわずかしかありません。またブッシュマンのレコードを見渡しても、彼らの親指ピアノ「デング」の録音はとても少ないです。
 こうしたことは『Kalahari / Dengu』の中で指摘したとおりです。それで『Kalahari』シリーズのような本の制作を思い立ち、またブッシュマンの音楽を録音した私の秘蔵音源にもそれなりに価値があると考えて公開することにしたのでした。

 では、中央カラハリ動物保護区というカラハリの奥地での録音が少ないのはどうしてなのでしょう。その主要な理由として以下の5つが考えられます。

 ・現地までのアクセスが困難である
 ・ブッシュマンがどこにいるのかわからない
 ・数多い目的に優先順位をつけなくてはならない
 ・水の問題
 ・機材の問題/電源の問題

 1〜3番目については容易に理解できるだろうと思います。

 ボツワナは国土の大半がカラハリ砂漠と重なるため、整備された道はとても少ないです。特にローレンス・ヴァン・デル・ポストやマーシャル一家がブッシュマンの探索を行なった1950年代には、道らしい道などほとんどなかったことでしょう。カラハリは砂漠と称しても、一面砂の世界ではありません。場所によっては乾いた湖や涸れ川のような平坦な土地もありますが、多くは起伏の続く深い砂地に下草や灌木が生えた荒涼とした土地です。
 こうした陸地を自動車で進むのには、大きな困難が伴います。スピードは出せず、タイヤが深い砂に埋まることも繰り返され、僅かな距離を移動するのにも大変な時間がかかります。かと言って涸れ川のような緑のない土地ばかり選んで走っても、そうしたところは野生動物も食用植物も乏しいため、そもそもブッシュマンがいるはずもありません。

 そんな悪路を苦労して進み、何日もかけて砂漠の奥に分け入ったとしても、そこでブッシュマンと会える保証はありません。彼らは野生動物や食用食物を求めて広い砂漠の中で移動を繰り返すので、どこにいるのか探し求めることになります。なかなか見つけられず、その間に食料やガソリンが尽きることも考えられます。

 カラハリ砂漠とブッシュマンを探索する目的は多岐に渡ります。単にブッシュマンに会うだけでなく、自然環境の調査、植物や動物の研究、ブッシュマンの生活の観察、彼らの言語の研究、彼らと周辺民族との関係の調査など、いくらでも考えられます。テーマが山積する一方で、滞在できる日数も限られるため、それらに優先順位をつけなければなりません。
 記録方法もいろいろです。まず最初は観察と聴き取りによるフィールドノートの作成でしょう。それから、スチールカメラでの撮影、映画フィルムでの撮影、そして録音に進みます。しかし調査隊の人員は限られているので、その都度それらのうちのどれを選択するかも決めなくてはなりません。ボタン一つで録画も録音もできる現在とは異なり、昔はそれぞれ準備に時間を要しました。また、使う機材も今よりずっと不安定でした。そうした諸々の条件を勘案すると、録音という作業の優先順位は低く、後回しにされることが多かっただろうと思います。

 4番目の水について。言うまでもなく、人は水なしでは生きていけません。これは何度か砂漠を体験した個人的経験に基づくと、日中の気温が40度を超えるような乾いた砂漠では、1日に飲料で3リットル、他に料理や洗面などのために2リットル、合わせて一人当たり1日5リットルの水が必要です。カラハリ砂漠は3月頃から9月頃までは乾季で、雨がほとんど降らず、川も湖もありません。雨季にも僅かに雨が降るだけなので、いつ旅するにしても、水は必要な分だけ持っていくことになります。
 1950年代の調査隊が何人編成であったか分かりませんが、6人としても1日30リットル。10人だったら50リットル必要です。水のない土地を10日間、旅行し滞在するとなると300〜500リットルもの水が必要となるのです。当時カラハリの奥地には水道どころか井戸さえなかったので、大量のキャンプ道具や食料、ガソリンに加えて、それだけの水を車で運ぶことになります。そうなると水を積むだけでもかなり大きな自動車が必要であり、その分だけ積んでいく燃料もさらに増えるという悪循環に陥ります。

 5番目の機材と電源ですが、これも水などと同様に重量が大きな問題となります。ローレンス・ヴァン・デル・ポストやマーシャル一家がカラハリを探索した1950年代には、録音機材はまだ非常に大きく重量もありました。またそれを動かすには発電機から電気を供給する必要がありました。次回はそうした録音機器の歴史を振り返ります。


(上の写真は 1993年に撮影した中央カラハリ動物保護区の中のメインロード。この頃には深い轍ができていたが、1950年代当時は獣道やブッシュマンの歩いた道くらいしかなく、ほとんど藪状態だっただろう。)


(続く)





# by desertjazz | 2025-10-01 00:00 | Sound - Africa

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 カラハリ砂漠とブッシュマンの音世界を探求するシリーズ「カラハリ三部作」、二編目の『Kalahari / Dengu』が完成しました。プロローグ的な『Kalahari / Desert』に続く今回のテーマは、ブッシュマンの「インストゥルメンタル・ミュージック」です。


 ・A5版/カラー/全84ページ(本文80ページ)
 ・ブッシュマンの音楽に関する世界初の研究書、その「インストゥルメンタル編」
 ・親指ピアノ「デング」を中心に、ブッシュマンの様々な楽器について詳しく解説
 ・弓から生まれた楽器の歴史から、南アフリカン・ポップとの関係まで考察
 ・世界各地の親指ピアノもまとめて紹介、ここまで整理したものはかつてなかった?
 ・アンゴラのキサンジ、シエラレオネのコンディ、ガーナのプレンペンスアも登場
 ・今回も非売品CDを用意、ブッシュマンの親指ピアノをたっぷり聴けるCDも世界初


 第一編の『Kalahari / Desert』と同様、(売れるものではないと思い)文章執筆・構成、写真撮影・照明、録音・編集・ノイズリダクション・マスタリング、デザイン、レイアウト、校正、動画編集、等々をほぼ一人で行いました(サカキマンゴーさんからは、親指ピアノに関して貴重な情報と助言をいただきました。福田玲さんが、表紙、扉、楽器のイラストなどをカッコよく仕上げてくださいました。お二人に感謝申し上げます)。

 参照し得る資料は意外と少なく、何より本作りに関しては素人なため、至らない点がばかりだと思います。書き足りない部分やまだ分かっていないことも多々あるのですが、完璧にするにはいくら時間があっても足りません。ですので、皆さんから情報をいただけるよう、ひとまずこの形で世に出すことにしました。

 それでも、ほとんど誰にも知られていないような情報や音楽を詰め込むことができました。私自身は面白いものを作れたと納得しています。ですので、なるべく多くの方々にお届けするのがこれからの作業です。協力して下さった方々、興味を持って下さりそうな研究者や友人・知人に、まず送らせていただきます。

 さてその先なのですが、現時点で何も決まっておらず、取扱先などはこれから探すつもりです(一件相談中)。適当なお店を紹介いただける方、個人で購入を希望される方がいらっしゃれば助かります(どちらも、メール desertjazz<at>gmail.com か SNS のメッセージでご連絡ください)。

 気まぐれに始めた「カラハリ三部作」、大量に集めた資料と格闘する日々が続き、時間ばかりかかってまるで苦行。ですが調べるほどに新たな発見があり、作ることの楽しさに浸っています。ブッシュマンの音楽を知ったのも何かの出会い。ならば(赤字を極力抑えて)次の第三編まで完成させることが今の目標です。

 ブッシュマンの音楽は魅力に溢れていて興味が尽きません。
 CDには聴いて楽しく味わい深い演奏の数々を収録しました。
 例えばこんな感じです。


 このような彼らの音楽の魅力を皆さんと分かち合えたら嬉しいです。
 よろしくお願いいたします。

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(品切れ状態の『Kalahari / Desert』も近々重版します。第三編の「ヴォーカル・ミュージック編」は来年刊行予定です。「カラハリ三部作」は三編を通すことで全体像が見渡せると同時に、どれか一つ単独でも楽しめると思います。「三部作」と称しながら、第一編と第二編は全く異なる構成であり、三編目はさらに違ったものになりそうです。)


 ・・・ところで、9月30日はカラハリ砂漠が広がるボツワナ共和国の独立記念日ですね。この本の発行日と一緒ですが、これは全くの偶然。本とCDを完成させ、このページを書き終えてから、そのことに気が付きました。



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# by desertjazz | 2025-09-30 00:00 | Sound - Bushman/San

読書メモ:カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』_d0010432_12175132.jpg



 先日公開された映画『遠い山なみの光』を観て、果たしてこうした話だっただろうかと戸惑った。そこで原作を読み直してみることに。これまで(日本語と英語で)三度ほど読んでおり、会話中心のそれほど長くない作品なので1日もかからなかった。

 カズオ・イシグロの作品は、どれも読む度に「時空が歪む感覚」が生じる。それは長編3作目からで、最初の2作にはまだ習作的な印象を持っていた。それでも、映画を観た後だと新たな気付きが多く、自分の読みの浅さを感じる。

 この作品の筋はほとんど覚えているつもりだったが、薄気味悪い描写(夕暮れ、猫、など)ばかり印象に残っていて、8割くらいは忘れていた。中でも藤原の記憶は全くない。その分だけ新鮮に読めたので、これも読書(再読)の面白さだろうか。

 さて、肝心の疑問点、最初の4ページを読んで解消。やはり小説と映画は別物であることを確認できた。

 映画を観た後に改めて読むと、悦子と佐知子、景子と万里子の相似性が強まる。124頁で時代が移る瞬間とか、259頁の二頭の仔馬だとか、そうした二重性を感じさせる描写が巧みだ。

 会話文も上手い。特に緒方。他人を批判しながら自分自身もその轍に陥っていることに気がつかず、周囲を苛つかせるくどい物言い。映画での三浦の演技も良かったが、これには敵わない。

 そして、、、259頁「あの時は景子も幸せだったのよ。」の一文でゾクっと背筋が寒くなる。初読時、最後の最後で「どういうこと? これは誤訳では?」と思ったことを思い出した。この小説は話の筋が隙間だらけで、そうした穴を埋めるヒントも全く書かれていない。そこは読者の自由な想像に預けているのかとも思った。しかし、大きな仕掛けがあった。その一言で時空が歪み、ここまで積み重ねてきた全てが崩れる。いや、小説として破綻している。

 それでもカズオ・イシグロは、その一文に賭けた。読み手の想像力を試した。そして、映画はその一点を突いた(コピーは「その嘘に、願いを込めた」)。だとしたら『遠い山なみの光』は恐ろしい小説だ。

 映画を観て違和感を抱いたのは、一昔前のような安めな夕景のセット。そして、後年の吉田の老いを晒した肌と対照的な、主人公2人、広瀬と二階堂のまるで現代の女優のようなアイメイク。 ・・・過去は全て幻影だったということか。


読書メモ:カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』_d0010432_12204453.jpg




 トリスタン・ガルシア『7』読了。2段500頁超。一言で表現すれば「SF x 哲学」。短編集としても大長編としても読めるが、中盤は幾分拷問だった。よく書いたな、よく訳したなと思わされる、今後もう出てこないようなとんでもなく変な小説だ。






# by desertjazz | 2025-09-19 19:00 | Book - Readings

911 / 24

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 2007年11月ワシントン。
 Bruce Springsteen のライブを初めて観た。
 中盤で大合唱となったが、曲が分からなかった。
 "Born in the USA" 以降、すっかり Bruce から気持ちが離れていたから。
 それでもライブは素晴らしかった。

 それで予定変更、翌日も Bruce のコンサートへ。
 前日ダフ屋が沢山出ており、チケットは簡単に買えそうだった。
 会場に行くと予想通り次々声をかけてくる。
 椅子席もGAもあるという。
 昨日はフロアが楽しそうだったのでGAを選んだ。
 売値は定価だった。

 この日も同じ曲で大合唱。
 911で亡くなった消防士たちに捧げた The Rising だった。
 ワシントンでは慰霊の気持ちで記念塔を訪れた。


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 当初この日はイスラエルの Idan Raichel を観るつもりだった。
 公演後、警官に先導される車に乗った Bruce がすぐ目の前を走り去る。
 その余韻に浸りながら歩いて行くと、今度は Idan とばったり。
 「次のニューヨークに招待するよ」と誘われる。

 ニューヨークにようやく行けたのは2018年1月だった。
 目的は再び Bruce Springsteen。
 Springsteen On Broadway を二度観た。
 その合間にワールドトレードセンター跡地を訪問。
 2000年夏に頂上から夕陽を眺めたタワーを思い出させるものは何もなかった。


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 911から24年。
 何もかも悪くなるばかり。
 この先一体どうなるのだろう。
 Idan Raichel ももう聴きたいとは思わない。


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 亡くなられた方にあらためて哀悼の意を表します。


 先日 "The Rising" を聴いてワシントンとニューヨークを思い出しました。
 これまでに何度も書いた話で失礼します。










# by desertjazz | 2025-09-11 11:11 | Trip - Abroad

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 1960年代後半から70年代初頭にかけての英ロンドンのジャズには、昔から特別強い関心を持っている。スキッフルのブームと、米国のロックンロールやブルースの受容を経た後に開花したロンドンの音楽シーンがとにかく凄い。地元勢に加えて、カンタベリー、さらにはカリブや南アフリカからも優れたミュージシャンたちが集い、アメリカに学んだジャズに止まらず、ロックやプログレなどとも繋がる大きなネットワークが形成されていた。正に黄金時代。この広範で層の厚い人脈が生み出した音楽は、現代再興している英ジャズにまで繋がっており、その基礎を築いたとも見做せるだろう。

 このようなシーンの中にいたのは、Mike Westbook、Chris McGregor、Don Rendell、Ian Carr、Harry Becket、Graham Collier、John Taylor、Keith Tippett、Mike Gibbs、Tony Oxley、Dudu Pukwana、Dave Holland、Kenny Wheeler、Mike Osborne、Elton Dean などなど。個人的に好きなミュージシャンの名前を思いつくままに挙げていくだけでもキリがない。彼らの多くはジャズとロックを跨ぐような活動をし、実際ジャズロックと形容される作品も多かった(Soft Machine もそうしたグループの一つと言える)。中でも John Coltrane から多大な影響を受けた John Surman と Alan Skidmore が特に大好きで、彼らの発掘録音や新作が出るといまだに買い続けている。

 彼らの演奏は知的でクールで思索的で構築的。それでいて激情にも満ちており、ムードや陽気さに流れることはない。若者たちがアイディアを出し合い、新しい形の音楽を生み出そうという真剣さと熱意に溢れた密度の濃い時代だった。

 私はジャズを本格的に聴き始めた20歳の頃(1980年代)、そうした作品をコツコツ集めていたが、当時住んでいた北海道ではレコードを見かけることは滅多になく、音を聴くことにすら限界があった。その後も、稀に市場に出ても特に有名なものだと数万円〜数十万円もして文字通り高嶺の花。たまに復刻CDを見つけて買うことが精々だった。

 そうした1960年代後半〜70年代初頭の名盤が近年相次いで初めてヴァイナル・リイシューされていることに今頃気がつき、ここ最近慌てて探している。中でも注目しているのは 'British Jazz Explosion - Original Re-Cut' と銘打たれたシリーズ(以下、BJE と略記)。Columbia や Fontana などの名作を、オリジナルマスターテープから音源復刻/リマスタリングし、ジャケット等もオリジナルを忠実に再現、さらに長文のラーナーノートを新規作成して封入している。アナログ復刻の見本のような作りなのである。




The Don Rendell / Ian Carr Quintet "Shades of Blue" (Columbia 33SX 1733, 1965 / Jazzman JMANLP 107X, 2019)
The Don Rendell / Ian Carr Quintet "Dusk Fire" (Columbia 33SX 6064, 1966 / Jazzman JMANLP 108X, 2019)

 振り返ると、こうした一連の復刻の先駆けとなったのは Don Rendell / Ian Carr Quintet の5枚だったかと思う。最初の2作 "Shades of Blue" と "Dusk Fire" は説明不要な大名盤。その分、オリジナル盤も恐ろしいほどの値段になっている。ひとまずこの2枚だけ買って、2004年の BGO Records盤のCDと聴き比べてみたのだが、CDより特に良いとは感じられなかった。それでもだいぶ経ってから5枚組BOX が意外な値段で売られているのを偶然見つけ、これは出会いかと思い確保した(今はこの 5LP BOX もかなり高価)。この箱はオーディオシステムをグレードアップした頃に開封して聴きたいと考えている。

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The Mike Taylor Quartet "Pendulum" (Columbia 4539712, 1966 / Decca 0602445397129, 2025)
Mike Taylor "Trio" (Columbia 4539712, 1967 / Decca 0602445397211, 2025)

 最近歓喜して買ったのは、つい先日リリースされた Mike Taylor の2枚。中でも初めて聴くファースト "Pendulum" にはぶっ飛んだ。But Not For Me や A Night in Tunisia のようなスタンダードをやっても、解釈もアレンジも実に新鮮。Mike のピアノと Dave Tomlin のソプラノサックスが、時にユニゾンで、時に対話するように響き合い、独特な世界に誘われる。Pendulum(振り子)を意識したらしきジャケットのイラストも Dave のデザイン。彼はなかなかの才人のようだ。ベースの Tony Reeves とドラムスの John Hiseman は、この後1968年に Colosseum を結成する2人。もう1枚は CD を持っていたが、迷わず購入。Cream の Jack Bruce がベースで参加。トリオ編成なので、Mike Taylor のピアノをじっくり味わえる。彼は1969年に亡くなり、実質これら2枚しかアルバムを残さなかったことが惜しまれる。

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The New Jazz Orchestra "Western Reunion London 1965" (Decca LK 4690, 1965 / Mad About MAR 055, 2021)
The New Jazz Orchestra "Le Déjeuner Sur L'herbe" (Verve 781429, 1969 / Verve/Decca 06025077814297, 2021)
The New Jazz Orchestra "Le Déjeuner Sur L'herbe" (Verve VLP9236, 1969 / Aartrud AAR111STEREO, 2025)

 ブリティッシュ・ジャズの歴史を語る際に真っ先に取り上げられるのが、Neil Ardley が指揮する The New Jazz Orchestra (NJO) のセカンド。屈指の大名盤と讃えられる『草上の昼食』は、言うまでもなくモネの代表作がタイトルとジャケットのモチーフ。Naima、Nardis などの有名曲もオリジナル曲も、ともにアレンジが隙のない見事さで、Ian Carr や Dick Heckstall-Smith(彼もColosseum の結成メンバー)ら各プレイヤーのソロが流麗に連ねられていく(Jack Bruce、 John Hiseman も参加)。有名盤なので余計なことは書かないが、とにかく隅から隅まで素晴らしい。

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 このセカンドのリイシューはちょっと曲者。届いたレコードを聴くとどことなくボヤけた音に聴こえる。それで確認してみたら、BJE シリーズとは別で、イタリアのリイシュー専門レーベルがつい最近出したものだった(Discogs に載っていないので気が付かなかった)。この音に納得行かなかったので BJE盤を探して聴き直し。イタリア盤の方はジャケの写真が若干ボケてトリミングしているし、タイポグラフィーも同様。裏ジャケットの解説も活字を並べ直していて、1ヶ所ミスを修正してある。すると、これら2種は同時期に出たプレス違いのレコードを復刻したものなのだろうか。話をもっとややこしくさせるのは、盤面のレーベルはイタリア盤の方だけがオリジナルに準拠しており、ジャケットもこちらの方が金のかかった作りで、尚且つ別仕様のライナーも封入されていること。音は BJE で聴くとトランペットなどの高音が若干線が細く聴こえる一方、イタリア盤の方が自然にも聴こえ始める(こうしたことはリマスタリングの違いに起因するのだろうか)。
 ファーストもリイシューされていたので購入。こちらは BJE から出ておらず、リイシュー専門レーベルからのもののよう。残念ながら疑似ライブ?の音は歪みがちで結構悪かった。クレジットにある Barb Thompson って誰かと思ったら、Micheal Gibbs、Colosseum、The United Jazz+Rock Ensemble などでサックスを吹いていた Barbara Thompson のことだった。
 Neil Ardley は、これも有名な "A Symphony of Amaranths" (1971) がアナログ・リイシューされたが、オリジナルからの復刻ではなさそうなので無理せず、昨年 BGO から出た CD を選んだ。

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Ken Wheeler "Windmill Tilter: The Story of Don Quixote - Told by Ken Wheeler and the John Dankworth Orchestra" (Fontana STL 5494, 1969 / Decca/Fontana 0602507480578, 2021)

 カナダ出身のトランペット奏者 Kenny Wheeler といえば、Keith Jarrett らのトリオとの "Gnu High" (1975) の印象が強いが、その彼の初リーダー作がビッグバンドものだったとは知らなかった。ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に着想を得て書き上げた組曲で、John Dankworth Orchestra によるサウンドが豪華で勢いがあって悪くはないのだが、アイディアが整理しきれていないというか、やや単調に過ぎるのが惜しい。デビュー作としては十分な出来とも思うが。クレジットには名前がないがフリューゲルホルンは Kenny Wheeler 本人の演奏のように聴こえるのだが、実際はどうなのだろう。Mike Gibbs (tb)、Dave Holland (b)、John McLaughlin (g) の参加も聴きどころ。


Harry Beckett "Flare Up" (Philips 6308 026, 1970 / Decca 0602445397235, 2022)

 Harry Beckett のトランペット/フリューゲルホルンに加えて、John Surman、Mike Osborne、Alan Skidmore の SOSトリオの3管が参加しているだけで期待大。Frank Ricotti のヴィブラフォン、John Taylor のエレピもいい。けれどドラムスが音楽を台無しにしている。アイディアなく、手数・音数が多いだけの演奏で、ソロのバックでもロールを回し続けるので邪魔で仕方ない。ミックスバランスが悪くて音が大きいだけに尚更。時代的にエレクトリック・マイルス("Bitches Brew" など)や Tony Williams などからの影響も感じるが、これに比べると Tony はバッキングも特別上手かったのだなと。

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Don Rendell Quintet "Space Walk" (Columbia SCX 6491, 1972 / Decca 0602435687858, 2021)

 昔から欲しかったアルバムをやっと入手。ジャケのセンスは悪いが、掛け値なしの名盤。ピアノレスのクインテットで、まずは Don Rendell と Stan Robinson の音色がとても綺麗だ。奏者5人とも全く隙のない創造性に富むインプロビゼーションを展開する。

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 BJE の音は、年数が経ってそれなりに傷んだマスターテープを丹念に修復している印象がある。もちろんオリジナルの音との比較などできず、どの程度原音に近い生々しさを再現できているかは不明。それでも CD の音と比べると、ボトムがしっかりした厚みのある中低域と、自然に広がり響きの豊かな高域の音を感じることができた。先日取り上げた Youssou N'Dour "Wommat" や Bruce Springsteen "The Rising" とも共通するアナログの良さがあった。一言で表現するとデジタルより余裕のあるサウンドだ。
 残念なのは、どの盤もチリチリノイズが多いこと。はっきりと見える細長い傷の入った盤もあった。今のアナログ盤はこの程度のレベルなのだと、最早諦め気分に。どれもストリーミングなどで気軽に聴けるけれど、ライナーに目を通しながらフィジカルで聴く方が楽しい。これらの歴史的名盤がヴァイナルリイシューされるのはここ50〜60年間で実質初めてのこと。オリジナル盤などとても買えないので、アナログ盤を手にして聴けることには満足しているし、感謝すべきことでもあるだろう。


♪♪


 最近入手して聴いているアナログ盤(LPレコード)について、音楽そのものよりも録音やマスタリング/カッティング、レコード盤のコンディションに着目して、1日1本、合計10本記事を書いてみました。
 近頃感じたことが溜まっている一方、今のレコードの問題点(音の悪さ)について書いて欲しいという要望もあって、駆け足でざっくり書き出してみました。メモというか半ば殴り書きですが、興味を引いたところがあれば、斜め読みでもしていただけたら嬉しいです。

 LP と CD のどちらの方が音が良いのか? 音楽の質、記録メディアやそれを製作する環境、再生するシステムが異なるので、結局のところどちらか一方が良いと結論付けるのは難しい。例えば、ノイズの出るアナログ盤であっても、デジタルにはない音の豊かさを感じるものもあります。音に違いがあるのなら、それぞれの良さを楽しめばいいのだと改めて思いました。


 ところで、先に一言触れた Neil Ardley "A Symphony of Amaranths" の CD を聴いたのですが、いやー凄いですね。「傑作」という言葉は自身に禁句と課しているのですが、25分にわたる表題曲は「傑作」としか言いようがありません。Duke Ellington と Gil Evans に捧げられたというこの曲、アレンジが素晴らしく、ストリングの響きやハープとグロッケンスピルの音色が印象的(ここで Gil Evans と Frank Zappa を連想)。終盤、豪放な声色の Dick Heckstall-Smith と端正な Don Rendell がソロを交わし合うのに至っては言葉が出てきません。こんな圧倒的な音楽は、爆音で浴びるように聴きたい!
 ですが、、、CD で聴くと何となく音が詰まって聴こえるのです。これは機会があればオリジナル盤の、あるいは良質なヴァイナル・リイシューの音を体験したいです。

 ・・・まあそれはともかく、至福のひとときでした。1970年前後のロンドン、やっぱり凄い !!!







# by desertjazz | 2025-09-10 00:00 | Sound - Music
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