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■ホスィン・スラウイのレコード(追加情報2)


 ホスィン・スラウイに関して、ここ半年間で最大の収穫と言えるのは、最近 SP 盤をまた新たに1枚入手したことだ。

・PV 200 : Ouiounou Hajbane(Matrix CPT 7866)/ Hal Kas Hlou(Matrix CPT 7867)


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 A面の Ouiounou Hajbane は気だるい雰囲気が印象的で、この曲は自主制作 CD に収録した(SP では "Aioun Ou Hejbane" と表記されているが、後年は異なる綴りが一般的である)。ただし SP はまだ手に入っていなかったため、マラケシュの古道具屋で見つけたシングルレコードの音をマスタリングし、どうにか他のトラックに近い音感に仕上げたのだった。今回ようやくオリジナルの SP で聴くことができたのだが、ウードの低音などはこれまで聴いてきたものより格段に太く響く。やっぱり SP の音はいい!


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 B面 Hal Kas Hlou は快活さが魅力的(SP の表記は "El Cas Ahlou")。この曲は、シングル、LP、モロッコ盤CD で持っていて聴き親しんでいた。これもなんとか CD に収録したかったのだが、シングル盤はコンディションが良くなく再生時に大きなノイズを発生し、LP にも傷があって同じくノイズが出る。どちらもリイシューするレベルの音源ではないと判断し、それで収録を断念したのだった。それらに比べると、今回入手した SP はずっと状態が良い。うまくマスタリングし、何らかの形で公開したいと考えている。

(そもそもフランスでリリースされたベスト盤 LP の音は明らかに変だ。マスター作成過程で重大なミスを犯している不良盤なのか? なので CD 用にマスタリングする際には、こちらも極めて常識外れな?音処理をして SP の音に近づけたのだった。ちなみにサブスク等で聴けるホスィン・スラウイは恐ろしいまでに劣悪なものばかり。モロッコの CD で使われたレコードも大半が状態の悪い盤だったようで、Hal Kas Hlou にも大きなノイズが入っている。加えて過度なノイズリダクションがなされたトラックが多く、SP で聴いた音とは比較にならない酷さだ。私が状態良い SP を集められたのは、幸運か奇跡だったのかもしれない。)

 これまでの SP の入手先はイスラエルやオーストラリア、そして本盤はベルギーと、実にワールドワイド。この SP も送料含めると2万円以上の出費になった。しかし、縁あって知り紹介を始めたホスィン・スラウイ。こうなれば、ライフワークのひとつ(ある種の義務)として探求を続けるしかないだろう?

 

(続く)







# by desertjazz | 2021-10-17 00:00 | 音 - Africa

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■ホスィン・スラウイのレコード(追加情報1)

 
 今年 4月16日にホスィン・スラウイ Houcine Slaoui の自主制作 CD をリリースしてからちょうど半年。おかげさまで大好評で嬉しい限りです。ただし、ホスィン・スラウイに関する情報を広く募ることも CD を制作した理由のひとつだったものの、残念ながら今のところ新たな情報はほとんど得られていない。宣伝やマーケティングを全くせず、世に出回った CD もまだ少ないので、まあそれも仕方ないか。引き続き気長に取り組み続けることにしよう。

 リリース後に唯一得られた情報としては、ある映画の中でホスィン・スラウイの演奏シーンを再現しているとご教示いただいたことがある。3分程度の短いシーンなのだが、そのスラウイ役を実の息子であるムハンマド・スラウイが演じているのがちょっと興味深い。ホスィン・スラウイが歌い演奏する様子もこんな感じだったのだろうか。映像を観る限り、ムハンマド自身はウードの演奏はできなさそうであるのだが。(肝心の映画のタイトルはメモ仕損なった。)



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 いや、より遥かに重要なことがあった! パテ・マルコーニへの録音時期に関してである。

 これまでにも書いてきた通り Ahmed et Mohamed Ehabib Hachlef "Anthologie de la Musique Arabe (1906-1960)" (Centre Culturel Algérien / Publisud, Paris, 1993) に掲載されたディスコグラフィーによると、彼の録音は 1948年から50年の3年間に集中している。しかしこの本、どうにも間違いが多いように感じられて、信用し切る気になれなかった。しかも、調べるほどにホスィン・スラウイの最初期の録音は 1942年前後だったと思えてくる。CD のライナーノートには「1948〜50年の録音」と書いたものの、それに自信がなくなり、印刷に出した後になって書き改め印刷し直すことを検討したほどだった。

 ところがごく最近、とても重要な情報が送られてきた。それに添えられたデータは、先の本のディスコグラフィーとほぼ一致する。そればかりか、より詳細な驚くべき内容も含まれている。こうなると、パテ・マルコーニでの録音は 48〜50年と断定して間違いなさそうだ。ライナー執筆時に典拠としたディスコグラフィーは概ね正しかったことになり、ライナーも訂正不要ということか。今はただただホッとしているところである。

(しかし、だとすると、1940年代初期の録音はなかったのか? 彼の音楽は、実際の演奏だけを通じて、モロッコやフランスの庶民に親しまれていたということか? まだまだ謎は尽きない、、、。)

 ホスィン・スラウイの録音履歴に関しては諸々追加調査&データ整理中で、現時点では詳しいことまで書けないが、追ってご紹介できると思う。そして、いつか完全なディスコグラフィーを作り上げたいと願ってもいる。


(続く)







# by desertjazz | 2021-10-16 00:00 | 音 - Africa

R.I.P. Barthélémy Attisso

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 Orchestra Baobab のギタリスト、バルテレミ・アティッソ Barthélémy Attisso が、昨日 8/29 に祖国トーゴで亡くなったとのこと。76歳だった。

https://www.facebook.com/WorldCircuitRecords/posts/4865400310156244


 2003年、仏アングレームで初めてお目にかかってインタビュー。
 同年来日した時、日本料理屋に連れて行ったら、日本酒やこのわたを美味いと言いながら口に運んでいた。
 2007年、パリ公演では彼のギブソンを持ち運びさせてもらった。

 何より、ベン・ジェルーンと奏でるツインギターのコンビネーションの音が最高に好きだった。

 彼にインタビューした 2003年夏のフランスは記録的な猛暑だった。会ったその日もとても暑かった。

 バルテレミ・アティッソとの思い出は尽きない。

 R.I.P. Barthélémy Attisso


(写真1枚目は 2003年アングレームでのサウンドチェックで。私が最初に撮った彼の姿。2枚目は翌日、宿泊先を訪ねてインタビューした時のもの。)


 Issa Cissoko、Balla Sidibé、Ndiouga Dieng が世を去り(一時期在籍していたヴォーカリストの Thione Seck と Medoune Diallo も)、Rudy Gomis と Latfi Benjeloum がバンドを去り、しばらく前にバンドを抜けたものの、1969年の結成時から中心メンバーだったリードギタリストの Barthélémy Attisso まで亡くなった。ひとつの時代が完全に過ぎたことを感じる。




(バオバブの再結成アルバム "Specialist in all Styles" のライナーで「バテレミ」と綴ったことを未だに後悔している。「バルテレミ」と書くべきだった。他にも直したい部分があるので、「完全版」を書いて公開しようと思い続けているが、未だに実現できずにいる。)



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# by desertjazz | 2021-08-30 22:00 | 音 - Africa

読書メモ:倉沢愛子『楽園の島と忘れられたジェノサイド バリに眠る狂気の記憶をめぐって』_d0010432_19012149.jpg


 倉沢愛子『楽園の島と忘れられたジェノサイド バリに眠る狂気の記憶をめぐって』(千倉書房、2020)読了。

 1965年、インドネシアで同じ国民同士が殺しあった。犠牲者の数100万。まさに狂気のごとき大虐殺。しかし、誰もが記憶しているのに、歴史上なかったことのように、国は振る舞い、人々は暮らす。異常この上ない。

 大虐殺という悲劇は楽園バリも襲う。特に甚大な被害が出たのは、巨竹ガムランのジェゴグ Jegog でも知られるヌガラを中心とした西部地区だった。

 殺された多くは共産党系だったというが、なぜここまでの事態に至ったのか。バリの人たちは時に極端に走る、制御が効かないといったことも耳にするが、それは何も彼らに限った話ではない。やはり背後には、軍と国の思惑が大きく働いていたのだろう。

 これまで事件の詳細を知らなかったことを何より反省させれれたが、それと同時に「やはりそうだったか」と思わせられたのは、「(バリは)慢性的な食料不足と貧困を抱えていた。」(P.041)との指摘。食料豊富な楽園という作られたイメージが、自身にも擦り込まされすぎていた。こうした食糧難、長年蓄積されてきた人々の間の対立や妬みなども、事件の背景にあったことは想像に難くない。

 バリの音楽を愛する者としては、ジェゴグに関して見逃せない記述が2ヶ所あった。PKI(インドネシア共産党)の党員集めにジェゴグが利用されたこと(P.034)。そして、事件後、

「われわれのバンジャルのリーダーはPKI だったので殺された。そしてそののち、われわれのジェゴッグのセットが収納してある建物ごと焼かれてしまった。そのあとしばらくの間、恐ろしくて誰もジェゴッグを演奏しなかった。楽器は焼かれてしまってそう簡単に作りなおすことができなかったこともあるが、まずメンバーに PKI 信奉者が多かったので彼らは全部抜けてしまった。それで楽団は解散し、共産主義を想起させるということで演奏はストップすることになった。」(P.215)。

 とにかく、貴重な証言が積み重なって明かされる壮絶な歴史。だが、インドネシアやバリに興味あるのなら、知っておくべき事実だろう。







# by desertjazz | 2021-08-29 19:00 | 本 - Readings

New Song : Youssou N\'Dour - Waññi Ko_d0010432_20032579.jpg


 Youssou N'Dour の新曲がまたまたリリース。 相変わらずのポップさだ。彼のライブ、そろそろまた観たいな!








# by desertjazz | 2021-07-19 23:00 | 音 - Africa
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