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(Sukiyaki Tokyo 2017)


◇今年の夏、スキヤキで再来日するカナダの鬼才

 クロ・ペルガグ2回目の登場となる今年のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドの開催がだんだん近づいて来た。そのための耳慣らしに、一昨年リリースされた彼女の最新作 "Notre-Dame-des-Sept-Douleurs" を改めてじっくり聴いてみた。そして、そのクオリティーの高さに今さらながら驚かされた。ポップ、ロック、プログレ、バラード、ダンスミュージック、そしてクラシックなどなど、彼女が愛し得意とする音楽のエッセンスが折り重なり合って生まれた、極めて独創的かつマジカルな音世界に誘われる。全く持ってすごい作品だ!

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 実は、5年前の来日を境に、クロ・ペルガグからは少し気持ちが離れてしまっていた。振り返ると、デビュー直後に彼女の音楽と出会い、その稀有な芸術性に惚れ込むことに。それで早速フランス公演に2度足を運び(幸運にもその最初の時にバックステージで彼女と会ってあれこれ話すこともできた)、彼女の音楽の魅力と素晴らしさをことあるごとに語り続けてきた。けれども、自分のできることはもうやり尽くしたように思うし(来日時のインタビューが思うようにできなかった反省もある)、何より夢に見た来日公演が実現したことで、何となく自分の中では一区切りついてしまったのだ。

 そうした理由から、この5年ほど彼女について詳しく調べはしなかったし、最新アルバムを聴きこむこともなかった。そのアルバムは、これまで以上に多様な要素が詰め込まれた結果、音が飽和しているように聴こえ、また曲同士の繋がりも特に感じられない。それで、どういった気分で聴けば良いのかと戸惑い、いったん棚上げ状態にしてしまったのだった。(個人的にはファースト・アルバムの軽やかなサウンドが今でも一番好きなせいもあるのかも?)

 しかし、しばらく振りにこのアルバムに向き合ってみて、その素晴らしさに圧倒されてしまった。個性的で美しいメロディー、時に切なく時にエキセントリックな歌声、透明感あるチェンバーポップ、ストリングスとホーン・アンサンブルの贅沢な響き、パワーロック調の大胆さ、プログレ的な巧妙なアレンジ、そしてしっとり心にしみる子守唄のようなバラード、等々。トラックそれぞれ、様々な要素が複雑に絡み合って展開していく。それでいて全く無駄がなく、集中が途切れない。特に感じるのは、通常のポップの型を越えたクロ独特な自由さだ。多彩さに溢れていた前作セカンドと比べても、さらに進化したサウンドに到達している。

 今度の来日公演はこの最新作の曲が中心となるだろう。そう考えると、日本での久々のライブが俄然待ち遠しくなってきた。激しい曲と穏やかな曲が入り混じったアルバムなので、面白いことに、聴いていると実際のライブ進行を体感しているような気分にさえなってくる。この隙のないサウンドが、ライブでどのように再現されるのかが楽しみだ。


◇デビューから成功続きの10年間

 ここでクロ・ペルガグ Klô Pelgag(本名:クロエ・ペルティエ=ガニャン Chloé Pelletier-Gagnon)の経歴をおさらいしておこう。

1990年 3月13日、カナダ東部ケベック州の生まれ。現在32歳。
2012年 4曲入り EP "Klô Pelgag" をリリース(デジタル・リリースのみでフィジカルはなし)。今年でレコード・デビュー10周年ということになる。
2013年 ファースト・アルバム "L'Alchimie des monstres"(邦題『怪物たちの錬金術』) を発表。
2016年 セカンド・アルバム "L'Étoile thoracique"(邦題『あばら骨の星』)を発表。
2017年 スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド出演のために初来日。
2020年 サード・アルバム "Notre-Dame-des-Sept-Douleurs"(邦題『悲しみの聖母』)を発表。
2022年 スキヤキで再来日(予定)

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 これまでにリリースした3枚のアルバムはいずれも高く評価されており、本国カナダとフランスで数々の重要な音楽賞を獲得している。その間、カナダとフランスを中心に繰り返しツアー。中でもモントリオールでのオーケストラとの共演コンサートは大きな話題となった。(観に行きたかった!)フランス語圏のケベック出身であることから(サン=タンヌ=デ=モン Sainte-Anne-des-Monts という小さな町で生まれ育った)、ライブ活動は国内とフランスが中心だったが、今年秋には初のイギリス公演(ロンドン)が予定されている。

 2017年の来日公演で素晴らしいパフォーマンスを披露し、多くの新たなファンを獲得したクロに対して、再度の来日を求める声も高まった。実は 2020年早々に再来日公演が決まっていた。しかし、新型コロナの感染拡大の影響を受けて、発表前に中止に。正確には翌年へ延期となったのだが、コロナがなかなか収束しないためそれも叶わなかった。なので、今回のスキヤキ再来日公演は「3度目の正直」とも言える。(余談になるが、デビューして間もない頃にも某巨大音楽フェスから出演オファーがあり、ある筋から「来日が決まった」と連絡を受けたものの、その話は流れてしまった。クロ、日本公演に関してはちょっとツキがない。)


◇「7つの苦悩」を抱えた聖母クロが紡ぎ出す珠玉の12曲

 こうして簡単にキャリアを辿っていくだけでも、彼女は豊かな才能を開花させ、順調な音楽生活を営んでいたように見える。ところが、2018年以降は大変な苦境に追い込まれていたらしい。いつもお世話になっている向風三郎さんのブログ「カストール爺の生活と意見」から少し引用してみよう。

「クロ・ペルガグの奇天烈でシュールなポップ・ミュージックは2枚のアルバムを通じて7年間続いたのち、大変調をきたす。変調・乱調こそクロ・ペルガグの真骨頂と人は言うかもしれないし、自分でもそう思っていたかもしれないが、2018年から19年、クロ・ペルガグは心身共に大危機に襲われ、そのデプレッションの大波はなかなか消えてくれない。」
「大人になり、クロ・ペルガグとなった彼女は、2枚女のアルバムのツアーの後、超過労、出産、破局、死別、発病、籠り... の長〜い暗黒の日々を体験する。」(原文のママ)


 うーん、これにはびっくり! 先にも書いた通り、ここ5年ほど彼女に関する情報を特に追いはしなかったので、実際何があったのか私は全く知らない(サード・アルバムがアオラ・コーポレーションから国内盤として発売されず、配給されることもなかったため、なおさら日本に情報が入って来なかったことも大きい)。人のプライベートな部分を探る考えもないので、関係者に訊ねることもしていない。とにかくあの明るいクロが苦しみのどん底にいたとは信じがたいばかりだ。

 そんな苦しみから抜け出して完成させたのが彼女の第3作 "Notre-Dame-des-Sept-Douleurs"(直訳すると「7つの苦悩の聖母」)である。クロらしい美しいメロディーと切ない歌声を核に、女性コーラス、シンセサイザー、ストリングス、笛やホーンズなど、数々な音によって彩られた贅沢な作品。バラード、ポップ、ロックと振れ幅の大きいアルバムであるが、さほど長くない個々の曲の中でも大胆な展開を見せる。どれもが通常のポップ・ミュージックの枠に収まりきらない、丹念に作り込まれた珠玉のナンバーばかりだ。


 以下、全12曲を軽くご紹介。

1. Notre-Dame-des-Sept-Douleurs
 シンセが奏でる妖艶な音の数々にエフェクトが重なる、インストのみによるプレリュード的なアルバム表題曲。これを聴いて先の日本公演のオープニングを連想する人もいるだろう。"Notre-Dame-des-Sept-Douleurs(7つの苦悩の聖母)" というアルバム・タイトルは、彼女の生地の近くに実在する町(島)の名前とのことだ。この地がクロに与えた影響、そしてアルバム制作の動機になった経緯は、先に引用したブログ「カストール爺の生活と意見」に詳しい。

2. Rémora
 いかにもクロらしいポップなナンバー。と思いきや、女性コーラスが重なって陰影を深めていき、終盤、威圧的で重厚なサウンドと声に圧倒される。冒頭と途中に小石を転がすような音を入れているが、これは島でフィールド・レコーディングした素材だろうか(ビデオ紹介の項で後述)。

3. Umami
 これも楽しげなポップなナンバーで、"Video Killed The Radio Star(ラジオスターの悲劇)" を連想させるキュートな女性コーラスが印象的。だが、それで終わらないのがクロで、次第に茫洋とした雰囲気を増していき、やや暗いインストで終わる。表題は日本語の「旨み」に由来するのだろうか?(10年近く昔、彼女に CD にサインをいただいた時、「日本に行って刺身を食べたい」といったように書かれたことを思い出した。クロ、日本で美味しい刺身は食べられたのかな?)

4. J'aurai les cheveux longs
 前曲終盤の異次元に誘うようなムードを受けて始まる、なんとも切ないピアノ弾き語り。クロのピアノはいいなぁ。ストリングスもとても美しい。(今回の来日公演、クロージング・ナンバーはこれになるだろうと勝手に予想。多分外れるだろうけれど。)

5. À l'ombre des cyprès
 様子がガラッと変わって、ドラムを強調したダンサブルなエレクトロ・ポップ。そこに豪勢なストリングスが重なる。

6. La fonte
 またまた曲調が一転、もの悲しいバラードに。このアルバムを初めて聴いた時、こうした展開について行けなかったのかも? 比較的シンプルなアレンジの小品である。

7. Soleil
 ホーン・アンサンブル(トランペット、トロンボーン、ホルン、チューバなど)の伴奏によるクロの独唱。クラシカルなホーン軍が奏でるサウンドと、穏やかで優しい歌が美しい。

8. Für Élise
 リコーダーやギターなどによる演奏の音数は少なめで、クロの歌を前面に出している。

9. Mélamine
 静かめな曲が続いた後、それまでのムードを断ち切るように、不気味なヴォイスが漂い、パワーロック調のドラムとシンベースが鳴り響く。短い曲の中での展開も面白いディスコティックなナンバー。

10. Où vas-tu quand tu dors ?
 前曲を受けるかのように、ほぼ似通ったリズムが打たれる。シンセのシークエンスといい、ドラミングのパターンといい、突然のコードチェンジといい、まるで初期のイエスのようなサウンド。プログレからの影響が如実に垣間見られる。

11. La maison jaune
 情感溢れるクロの絶唱にただただ耳を傾けるのみ。その声を包むこむストリングスも実に上品で美しい。細やかなエフェクトも文字通り効果的。この曲に限らず、ストリングスやホーンズの活かし方には、近年オーケストラとの共演で学んだことが反映しているように思う。

12. Notre-Dame-des-Sept-Douleurs II
 再びアルバム・タイトルを冠したインスト・ナンバーでアルバムを閉じる。幽玄なシンセとピアノの演奏に、川の水音のような響きがうっすらと混じるのみ。

 このように、一見タイプの異なる楽曲が脈絡なく連なっているようにも感じられるが、同じ "Notre-Dame-des-Sept-Douleurs" というアルバム・タイトルのインストゥルメンタル・ナンバーで他の10曲を挟む構造になっている。ということは、やはりこの作品は Notre-Dame-des-Sept-Douleurs という町(島)を舞台に、クロが自身の内面について語る「コンセプト・アルバム」になっているのだろう。


◇アルバムから染み出すクロの母性

 このアルバム、CD に加えて LP でもリリースされた。レコード盤自体はマーブル仕様で綺麗なのだが、回転する盤を見つめていると目が回る。

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それはともかく、アルバムに封入されたポストカードに注目。それは妊婦姿のクロが描かれたもので、これと同じ絵は CD 内側の見開きにも使われている。この絵を目にした時、彼女は実際身篭ったのか、それとも単なる妄想なのか分からなかったのだが、向風三郎さんのブログを読んで、本当に母となったことを知ったのだった。

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 そこで思ったのは、このアルバムはクロが母となった実体験をテーマとする作品なのではないかということ。そしてアルバムのポートレートは聖母像を表現しているのだろうとも。勿論、母になったこととその前後の悲しみを、アルバム制作を動機づけた地名「悲しみの聖母 Notre-Dame des Douleurs」にかけていることは間違いないだろうが。

 かねてから人体や病気や死に関心を持ち歌ってきた彼女なので、妊娠と出産を通じて改めて生命の不思議を体感し、そのことをこの作品に反映させたに違いない。これはフランス語を介さない私の勝手な想像なのだが、出産という女性にとって最大級の人生体験が、音楽制作への大きな動機づけとなったことだろう。だが、向風三郎さんの解説によると、このアルバムのコンセプトにはより深い意味があるようだ。アルバム・タイトルの意味も含めて示唆するところの多い解説なので、ぜひご一読を。

(「出産」の意味するところに関しては、この記事の最後にもう一度検討しよう。)


◇シュール度を増したビデオの数々

 この最新作からビデオ・クリップが6本ほど制作されている。それらを軽くご紹介。

・ Klô Pelgag - "Notre-Dame-des-Sept-Douleurs (la genèse)" https://youtu.be/dChx-O9YbIc
 インストゥルメンタルの曲に、クロ自身の語りが重なる。フランス語なので内容はわからないが、きっとアルバム制作の契機や過程について語っているのだろう。6歳の時のクロの映像が一瞬挟まるのも見逃せないし、レコーディング風景が記録されているところも注目点だ。クロのお腹はかなり大きくなっており、子を宿した期間にレコーディングされたことがわかる。またフィールド・レコーディングしている様子も見られるが、アルバムの随所で聞こえるエフェクト音は、島でこうして実際に録音された素材なのだろう。

・ Klô Pelgag - "Rémora" https://youtu.be/Y9gJLi5uVHQ
 彼女のマスク/被り物好き?には昔から着目していた。ファースト・アルバムのジャケットには鬼(ナマハゲ)のような仮面姿?が描かれていたし、ライブでも何かを被って不思議なパフォーマンスをする。とにかく彼女は素顔のままでいることを避けがち。今回スキヤキで使用されているポートレートにも金魚のシールがたくさん貼られている
 これは、単にシャイで素顔を出したくないからなのか、彼女の変身願望のあらわれなのか、人間の二面性/多面性を表現しようとしているのか、それとも特段の意味はないのか。何れにしても、彼女の表現は受け手が自由に解釈すればいい。
 前回来日した時に、きっと気に入ってくれるだろうと思って鬼の仮面をプレゼントしたのだが、まさかそれを被ってステージに登場するとは。これは想像外だった。自分の推測が当たった嬉しさはあったけれど、一部で「赤鬼」のイメージを持たれてしまったのは、ちょっと罪作りだったかもしれない。
 さて、このクリップでは彼女の「変身志向」が炸裂している。最初クロはなぜか付けひげを鼻の下に貼っている。その後、男たちに囲まれるのだが、全員被り物の異様な姿。そしてクロは粘土で顔を覆い尽くしてしまう。とにかく奇天烈さ極まりなく、彼女の被り物表現は究極に行き着いてしまった印象。衝撃のラストをぜひご覧いただきたい。

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・ Klô Pelgag - "Mélamine" https://youtu.be/bT_g-QIkZhw
 これも、カツラにフェイスマスクと、被り物のオンパレード。ホラー映画並みの怖さだ。最後に彼女の妊婦姿の絵と赤ん坊が登場する。これらの意味するところは何か? 全く分からない。

・ Klô Pelgag - "La maison jaune" https://youtu.be/1xyGNvst70U
 樹木に抱きつくクロ。映像はとても美しいが、なんともシュールな作品だ。特殊撮影と CG とデジタル・エフェクトがふんだんに施されおり、一体どれだけの時間と制作費がかかっているのだろう。
 彼女のビデオ・クリップにはひとつのストーリーを感じさせるものが多い。彼女はフランク・ザッパからの影響を公言しているが、映像/映画制作者でもあったザッパからの影響はこうしたところにも及んでいるのだろうか。前回来日時のインタビュー記事(確か渡辺亨さんによるものだった?)で、親族に映画監督?がいることが語られていた。彼女の映像制作には、その影響も大きいのかもしれない。


 スキヤキ公式ページのアーティスト紹介にもある通り、クロ・ペルガグはフランク・ザッパやキング・クリムゾンから多大な影響を受けているSukiyaki Meets the World - Klô Pelgag。その点に関して若干補足。

 前回のスキヤキの公開インタビューでは、フランク・ザッパやジャック・ブレルに関する質問は避けた(自分自身、ザッパもブレルも全作品を所有し聴き続けており、個人的にはザッパやブレルからの影響について具体的に質問してみたかった)。ザッパを知らない人も含めて、誰もが分かる内容にしたいと思ってそうした。しかし、色々考えすぎてしまったかもしれない。そのことをちょっと後悔。だが、ザッパからの影響に関しては、松山晋也さんの書かれた良いインタビュー記事を見つけた。


「10代には60〜70年代のプログレやサイケ・ロックを大量に聴きこんだ。私はいつも自由な音楽に惹かれてきた。だからザッパは特に好き。自由な意志で新しい世界を開拓してゆくことは必ずしも人を喜ばせるわけではない、ということをザッパの音楽は教えてくれた」

 なるほど、それでクロ・ペルガグの音楽からは、ザッパのような自由さや、プログレから受ける快楽を感じるのか。


◇病を乗り越えた「再生宣言」ライブへの期待

 クロ・ペルガグの多才ぶりや不思議さは、ライブでもたっぷり堪能できる。デビュー間もない頃にパリで観た時も、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのような楽しさだったことなどは、かつて書いた。なので、ここでは違ったことを少し綴ろう。

 今春のフランス公演の映像を観ると、相変わらずクロは叫び這い回り、何とも自由で激しいこと。美しい音楽を生み出しながらも、どこかで狂気を抑えられず破壊的になる。もしかすると、こんなところもフランク・ザッパからの影響なのだろうか。そして今年のステージには大きなセットが組まれている。彼女のライブはミュージシャンが大勢で、意味不明なブツもステージに上に散乱するのだが、最近それがますます肥大化しているのかもしれない。

 ところで、2017年に来日した時の写真を眺めていたら、こんな1枚が出てきた。これは渋谷公演後の打ち上げから帰る途中でのスナップ。

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 この後クロが、工事現場の人の身につけている光るベストなどが欲しいと伝えてきた。あの夜警備員の姿を目にして、ステージ衣装のヒントを思いついたのだろうか。それで、必要な数を買い集め、カナダあるいはフランスのマネージメントに送れないかとあれこれ調べたのだった。クロとメンバーのステージ衣装は毎度奇抜なのだが、彼女は日頃から身の回りに素材を探すことで、カラフルで楽しいステージを作り上げているのだろう。


 ここで「病」にまつわる余談をいくつか。

 今年のスキヤキでもクロ・ペルガグの「公開インタビュー」が計画されていた。私もそのお手伝いをするはずだったのだが、残念ながら中止に。新型コロナの影響によりカナダからのフライトの都合が悪いらしく、クロの来日が遅れるとのこと。オープニング・ステージにも間に合わず、こんなところにも Covid-19 の悪影響が及んでいる(そのようなワケで、「公開インタビュー」中止の埋め合わせに何かしたいと考えて、この紹介記事を書いている)。

 前回 2017年の公開インタビューは、クロも笑いが絶えず楽しいひと時だった。その最後に、来場された人々に向けてクロの方からひとつ質問をしていただいた。彼女の質問は「日本人の多くはなぜマスクをしているのですか?」というもの。さらに翌日のステージではマスクをつけて登場。やっぱり彼女にはマスクやお面といったものへの興味、ある種の「被り物嗜好」があると確信したのだった。そしてその後、世界中がマスクで溢れることになる。今から振り返ると、彼女の質問はまるでそれを予兆するかのようで、病気に関心の深いクロに対して何か因縁めいたものさえ感じた。

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(マスクについて質問するクロ・ペルガグ)


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(マスク姿で登場し、そのマスクをマイクスタンドに引っ掛けて歌うクロ)


 作品を発表するごとにクオリティーを高めているクロ・ペルガグだが、私個人は初期の曲に特に愛着を持っている。今でも最も好きな曲は最初期の "La fièvre des fleurs" だ。そのビデオのひとつで、クロは広島カープのユニフォームを着てピアノを弾き語る。多分そのユニフォームは、日本に留学していた(同志社大学だったかな?)弟からプレゼントされたものなのだろう。

・ Klô Pelgag - "La fièvre des fleurs" https://youtu.be/UtSrU9qQTPQ

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 クロのユニフォームの背番号は38。誰だっただろうと気になって調べてみて、ちょっと驚かされた。その当時38番をつけていたのは赤松真人選手で、胃がんを患い療養中だったのだ(その後病を克服し復帰したものの、残念ながら思うような活躍もできず現役引退)。

 こうしたことに不思議な縁を感じるが、勿論いずれもが全くの偶然だ。だがその後、今度はクロ自身が精神的病に侵され苦しんだという。

 先に触れた今年のフランス・ツアーの映像(パリ公演だったと思う)をよく観ると、ステージに横たわる巨大なセットは女性の身体の一部だ。そして、クロ・ペルガグがその母体から出てくる(生まれる)という演出がなされている。これを観て、現在の彼女の音楽制作には自らの出産体験が色濃く影響していると改めて思った。少なくとも最新作とその後のライブのコンセプトの根本には、出産体験があると考えて間違いない。いや、クロ・ペルガグが子宮から生まれ出る意味は、彼女が病の危機から生還し生まれ変わったことを謳う「再生宣言」なのだろうと思えてきた。

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 クロ・ペルガグは、他の誰もが描き得ない独特な世界観を表現し、時に困惑させつつも思いっきり楽しませてくれる。小柄な体と可愛らしい素顔からは想像もつかないような、スケールの大きな、とてつもないミュージシャン/アーティストだと思う。さて、今回もクロたちはフルメンバーで来日するとのこと。どうやら演出の面でも色々準備がなされているようだ。一体どんなライブ・ステージになるのだろう。とても楽しみだ。


*スキヤキ 2022 公演日程(クロ・ペルガグの出演は各都市とも最終日)

・Sukiyaki Meets the World 富山 8/26〜8/28 http://sukiyakifes.jp
・Sukiyaki Tokyo 東京 8/30、8/31 http://www.sukiyakitokyo.com
・Sukiyaki Osaka 大阪 9/1 http://sukiyakifes.jp/sukiyaki-osaka
・Sukiyaki Okinawa 沖縄 9/3、9/4 https://www.facebook.com/SukiyakiOkinawa/

 




# by desertjazz | 2022-07-30 12:00 | 音 - Music

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 津田貴司編著『フィールド・レコーディングの現場から』をまず一読。以下はざっくりした雑感。


 フィールド・レコーディングを実践する諸氏との対話と、それを起点に展開される考察を中心とする内容。発売日を心待ちにして読んだのだが、その理由は、語り手に柳沢英輔と井口寛の両氏が含まれることもあるが、自分自身、少なからずフィールド・レコーディングに関心を持っているためだ(旅に出る度にハンディレコーダーを携えるくらいのことはしている)。それと、ハリー・スミス、アルバート・アイラー、コレット・マニーに関する話題書を出したカンパニー社の本ということもある。

 フィールド・レコーディングを、一般的に連想されがちな「自然環境」の録音よりもはるかに広範なものと捉えているのが大きな特徴。文化人類学研究の延長的な録音を行う者(柳沢氏、井口氏)、演奏家として自然動物と共演する者(高岡大祐氏)、さらには録音素材の編集のあり方まで、語られる内容は様々。そして、フィールド・レコーディングに至る前提やその周辺についても広く深く言及されている。そのためもあってか、語られる内容はあちこちへ飛びがちだが、それがかえって刺激的でもある。

 特に興味深かったのは、福島恵一氏が唱える「サウンド・マター」P.210 から「空間」の認識論につながり、さらに終盤に向けて「自身の内部」や「他者性」について語られる下りだった。(録音とは、対象が放つ音を録音することではなく、まさしく「空間」を記録することだと思う。話は飛ぶが、その延長で?自分は昔からライブ録音された音楽が好きだったことも思い出した。)

 こうした対話や論考を読んでいて、自身の体験、例えば中国黄土高原の無響空間や(自分の体内の血流の音しか聞こえない)、カラハリ砂漠に入った時の第一印象(映像や音よりも、熱や香りや太陽の眩しさといった「空間」をどう記録するかに関心が向かった)、バリ島滞在時のガムランの聴き方(公演本番を間近で鑑賞するよりも、賑やかな練習風景や、数キロ離れた場所にかすかに届く音を好むようになった)などを、次々と思い出すことに。自分のフィールド・レコーディング体験、というより「音体験」を整理してみたいという気持ちがますます高まってきたのだった。


 書中で紹介される音源も興味深く、時間の許す限り聴いてみたくなっている。思い出して、井口さんの労作の数々も引っ張り出して聴き直し始めた。(まだ他にも持っているはずなのだが、行方不明?)

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 フィールド・レコーディングについて考える上での基本的参考図書、R.マリー・シェーファー『世界の調律 サウンドスケープとはなにか』は繰り返し読んだが、最近、新装版として復刻された。その「新装版 訳者あとがき」だけ読みたくて図書館から借りてきて読んだところ。この本、『フィールド・レコーディングの現場から』ではやや批判的にも書かれているが、原書が書かれたのは半世紀近く昔なので、マリー・シェーファーの方法論には現状にそぐわない面もある。だが、だからこそ「古典」なのだろうし、サウンドスケープを提唱した彼の視点の鋭さへの評価が下がるものではない。必要以上に冗長と感じるが、氏の問題提起は現在でも有効だと、「新装版 訳者あとがき」を読んで改めて思った。

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 ところで、柳沢英輔『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』、津田貴司編著『フィールド・レコーディングの現場から』と、フィールド・レコーディングに関する書籍が続けて出された。これには何か理由があるのだろうか?

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# by desertjazz | 2022-07-18 16:00 | 本 - Readings

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 陣野俊史『魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ』読了。大いに参考にさせてもらった『フランス暴動 移民法とラップ・フランセ』(2006)の続編的内容で、今回も知るところがとても多かった。


 フランスのラップ(とその周辺の音楽)の成り立ち、彼らの放つメッセージと音楽的魅力、そして社会的な位置付けについて詳説する。数多くのアーティストを取り上げており、その生い立ちから、聴き手や周辺世界と関係性、現在抱える問題まで、かなり詳しく論じられてる。おかげで、これまで漠然と聴いてきたものの全体像を把握できた。一冊の本からこれだけ教えられるとは、感謝しかない。ラップに限らず現代フランス音楽に関心ある方には絶対的にお薦めだ!

 フランスのラップはそれなりに聴いてきたつもりだが、フランス語が分からず音の響きだけ聴いて楽しんでいた。それが、これを読んで歌詞や経歴を知り、理解がぐっと深まった。手元にある所有盤の確認などをしながらだったので、一読するのに時間がかかってしまったのだけれど。しかし、初めて知ることが実に多く、これからも繰り返し読むことになるだろう。それにしても大した情報量と熱量だ。一体どれだけの時間と精力を傾注されたことだろう。

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 読み始めて即座にこうツイートした。
 「硬質な文体がもろに自分好みで、冒頭から引き込まれた。」

 研ぎ澄まされた短文。
 無駄ない簡潔な表現。
 多用される体言止め。
 重要フレーズの反復。

 そこにリズムが生まれる。
 バックビートが響き出す。
 文章そのものがラップしている。

 そのことに、遅れて気がついたのだった。

 ##

 以下、読後雑感(というか余談)。

 フランスのラップはアフリカ系が気になる。それらの中で 113(サントレーズ)は割とマメにフォローしていた。3人組 113 の一人、モコべ Mokobe の "Mon Afrigue" はミュージックマガジンの企画「アフリカ音楽の30枚」に入れるか最後まで迷った。

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 アフリカ系では、ブルンジから逃れたガエル・ファイユも。話題となった自伝的小説『ちいさな国で』も勿論読んだ(最新アルバムの暗いジャケットが彼の心を表しているようで、なんとも印象的だ)。

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 著書で紹介されているラッパーのうち、ライブを観たのは、アイアム IAM(シュリケンはソロでも)、アブダル・マリク、バロジ、グラン・コール・マラッドくらいか。アブダル・マリクは(兄と2人で?来日した)日仏で観た。アンコールを受けるも「もう演る曲がない」と言って、同じ曲を披露したのだった。その時だったか、関係者から「次はストロマエを呼びたい」と言われたが実現せず。さすがにもう無理か?

(IAM はまさか日本で観られるとは思わなかったなぁ。そのライブも盛り上がったし。その直前、ジャーナリストであるマルセイユの知人から「IAM のメンバーは友人だから、会う段取りつけますよ」と連絡をいただいたが、迷わず遠慮した。会っても何を話していいか分からなかったので。)

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 昔マルセイユのフェス Fiesta des Suds でシェブ・マミに会えることになり、フェスのプレジデントに挨拶&インタビューした後(だったかな?)、バックステージで待っていたら、アディダスのウェアを着て杖をつく長身の男が立ち話をしている姿が目に留まった。やがてその男がステージに現れるも、ずっとブツブツ話し続けるだけ(その合間、ストリングス・カルテットが時折サウンドチェックのように音を奏でる)。30分待っても始まらないので諦めて会場を後にしたが、それがグラン・コール・マラッドの「スラム」というスタイルであることを後で知った。ライブで耳にして退屈と感じた音(呟くようなフランス語の語り)も、今では馴染んで楽しめるのが不思議だ。

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(ちなみにシェブ・マミは待ち合わせの前日に性犯罪容疑で逮捕されていて、当然会場には来なかった。折角のチャンスだっただけに残念! その夜のステージには、近くをツアー中だったスシーラ・ラーマンが急遽呼ばれてメインアクトを務めた。この重大事にも何とかしてしまう、フェスのスタッフもスシーラたちもすごい。深夜、ホテルに戻ると、そのフロントで彼女と鉢合わせ。「大変な1日でしたね」と声をかけると「長年やっていると色々なことがあるわよ」とあっさりしたものだった。)

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『魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ』を読んで、オレルサンやアンジェルが人気な理由もやっと知った。そのオレルサンや IAM が武士の格好をしたりなど、日本との繋がりも注目すべき点かも?

 振り返ってみると、初めてフランスに行ったきっかけが、マルセイユのマグレブ移民たちのラップの取材だった。凄惨なテロの現場となったパリのバタクランには、営業再開して数日後に訪れ、犠牲者たちを悼みながらライブステージを見つめた。そんなことを思い出しつつ、陣野氏の2冊を読み直しながら、フランスのラップをもっと色々聴きたくなっているとこだ。

 それと、フランス語圏のラップとしてはセネガルに強く興味を持っている。どこかに良い文献はないだろうか? また探してみよう。



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# by desertjazz | 2022-05-28 17:00 | 本 - Readings

New Discs : The Sounds of S. E. Rogie_d0010432_16270464.jpg



 暑い季節になるとパームワイン・ギターを聴きたくなる。そのパームワイン・ギターの第一人者、シエラレオネの S. E. ロジー Sooliman E. Rogie のリイシュー盤が2タイトル、リリースされた。

 "The Sounds of S. E. Rogie" (Domino Sound #050? / MRP-050, 2022) 
 "Further Sounds of S. E. Rogie" (Domino Sound #043 / MRI-134, 2022)

 1枚目は 1986年に S. E. ロジー自身のレーベル Rogiphone からリリースされた LP とほぼ同じジャケットだが(OF の上にあった 60s' が消されている)、トラック・リストを見る限り、その 10曲に2曲追加した Cooking 盤と一緒のようだ。

 "The 60s' Sounds of S. E. Rogie" (Rogiphone R2, 1986)
 "Palm Wine Guitar Music (The 60's Sound)" (Cooking Vinyl 010, 1988)

New Discs : The Sounds of S. E. Rogie_d0010432_16270949.jpg


 2枚目は記憶にない曲が並んでいたので、こちらは買って聴いてみた。どうやら Rogiphone 盤の7インチをコンパイルしたもののよう。ロジーの歌とエレキギターを中心としながらも、トラックごとに工夫や違いがあり、味わい深い歌と演奏ばかりで楽しめる(録音状態がそれぞれ異なる点にも、なんとも趣が感じられた)。

 ちょっと興味深いのは彼の息子 Rogee Rogers によるライナーノーツ。60年代の子供時代、大人気だった父のステージを観た思い出、渡米後に一緒に音楽活動したこと、それからイギリスに渡っての活動(ウクライナでもコンサートを行った)、そして長生きしたものの最後はロシアのステージ上で亡くなったこと、等々。

 音源提供、盤起こし、音源修復、マスタリングなどは、Michael Kieffer さんが中心になって行ったとのこと。道理で良い仕事なワケだ。

 S. E. Rogie はアメリカ時代に LP を2枚リリースしている。

 Souleman Rowgie "African Lady - Highlife Music From West Africa" (no label AL-1, 1975 & 197)
 Soolyman Ridge (Souleman Rowgie) "Mother Africa - I Won't Forget You" (no label AL-2, 1979)

New Discs : The Sounds of S. E. Rogie_d0010432_16271233.jpg

 S. E. ロジーのアルバムは他に CD が数タイトル出ている。彼のアルバムはこれで全部だっただろうか? 今年の夏も、彼の滋味深い歌声とギターサウンドを聴いて涼むことにしよう。







# by desertjazz | 2022-05-08 17:00 | 音 - Africa

読書メモ:エイドリアン・ヴィッカーズ『演出された「楽園」 バリ島の光と影』_d0010432_09554116.jpg


 エイドリアン・ヴィッカーズ『演出された「楽園」 バリ島の光と影』(新曜社、2000)読了。

 2000年に翻訳が出た時(原著は1998年刊行)、表題を見ただけで単なる批判のための本と思ったからだろうか、これまで読まずに過ぎてしまった。しかし、先日、図書館で偶然目に止まり、何かが頭の中で閃き借りて読んでみることに。倉沢愛子『楽園の島と忘れられたジェノサイド バリに眠る狂気の記憶をめぐって』(そして、同じ倉沢の『インドネシア大虐殺 二つのクーデターと史上最大級の惨劇』やリチャード・ロイド・パリー『狂気の時代 魔術・暴力・混沌のインドネシアをゆく』)を最近読んで、1965〜66年にバリ島で共産党支持者ら約10万人が虐殺されたことの詳細を知り、「楽園」「芸術の島」と形容されるバリ島の負の面にも興味を持ったからだ。

 この著書、オーストラリアのシドニー大学などに在籍した研究者によるものだけあって、丹念に調べ上げ時代の流れに沿って詳しく書かれている。まず19世紀までのバリの歴史研究が圧巻。バリの歴史については、ヒンズー教の渡来などを除くと、1906年と08年の「ププタン」(征服を目論むオランダ軍に対して、王家一族が白装束に身を包み死を受け入れた事件)あたりから始まることが多く、それ以前についてはあまり語られてこなかった印象を持っていた。しかし、この本ではププタン前までだけで全体の約3分の1の分量。1500年代以降のゲルゲル朝を中心とする状況、そして戦争を繰り返してきた歴史を知るだけでも有益だった。

 その後、ジャワやオランダとの関係、欧米などからの旅行者が殺到する様について描き、やがてそれが楽園の誕生に繋がる過程の分析へと進んでいく。その舞台で様々な人物が登場するのだが、例えば 19世紀から20世紀への転換点におけるキーパーソンの一人、フレデリック・アルベルト・リーフリンクなど、初めて知る人物も多かった。

 この本を読もうとしたもう一つの動機は、ヴァルター・シュピースについて調べていて気になることが出てきたことだ。シュピースはバリ絵画を改革しケチャを生み出したと称えられるが、一方でそれは古来の文化の破壊になってはいなかっただろうかという疑問も抱いた。それに対する答えも書中で得られた。例えばケチャについては、その元となった「芸能」の改変を住民側から相談され、それでシュピースは彼らと一緒にケチャを作り上げたという。なので、ケチャの創造は、シュピースが勝手に成し遂げたことではなく、彼一人の功績でも決してない。

 終盤にかけて、いよいよ「楽園」のイメージが誕生した様子について描かれる。血に塗られた歴史をも持つこの島が、どうして世界に「楽園」として知られるようになったのか。それは 1930年代頃の訪問者たちによって美しく語られたものを再利用され続けた結果なのだと。その点ではタイトルの通り批判含みの論調ではある。だが同時に、バリの人々自身も美しく語られてきたイメージを利用してきたことで、バリの名が世界に広まり観光産業も活発になったので、決して悪い面ばかりではなかった。著書全体を通しても、良い面と悪い面が常にあったことを強調している印象である。



 とにかく内容が濃く深く資料性が高いため、バリに関する基本文献として常に参照するために手元に置いておきたくなった。だが、この翻訳文(文章)は辛い、、、。ほとんどの文末が「・・・た。」で終わる単調さにかなりイライラさせられたし、接続詞も非常に少なくてリズムがとても悪い。読点の打ち位置が悪くて、意味の通らない/違ってしまった文章も多すぎる。それでも、買って持っておくべきなのだろう。さて、どうしよう?(最近30年間の動きは「訳者あとがき」で軽く触れられているだけだし、値段も高いしと散々迷った末、20年以上も前の本なのに全くの新品が定価で見つかったので、結局買ってしまった。)

 それにしても、ププタンという歴史上最大級の惨劇から、シュピースが来訪した黄金時代まで、その間わずか20年ほど。そのことに今さら気がつき、背筋の凍る思いがしたのだった。







# by desertjazz | 2022-04-24 10:00 | 本 - Readings

DJ

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